『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~
126話 執事と娘
一人の女性が、椅子に座っていた。
その女性の周囲を、4人の男達が囲んでいる。
――そこは広い敷地内において、ある意味最も"危険"な場所だった。
無機質な空間に有るのは、大の大人が丸々入れるようなアクリル製の水槽と、数種類の道具。
男達は、其々が思い思いにそれら"道具"を手に取っている。
……これらか起こる事は、火を見るよりも明らかだ。
もしかすると、恐怖心を煽る為にわざと"演出"しているのかも知れない。
――自分の置かれている状況を、客観的に見る事が出来ていた。
普通であれば、自分の置かれている状況の打破に意識が向くだろう。
しかし彼女の頭の中では、全く違う事に意識が向いていた。
――お嬢様……。
ユミルは、綾香の顔を思い出していた。
――――――
――――
――正巳達が、全翼機"ブラック"に乗り込む数十分前。
ユミルは、綾香をベッドへと寝かせていた。
心地良い音色が、心を落ち着かせる。
マムが、『ぐっすりと眠る為に』と流したのだ。
綾香の寝顔を見ながら、キングサイズのベッドに腰掛ける。このベッドは、住み始めた時に『どうしても』と綾香が言ったので、無理をして用意して貰ったのだ。
最初は、『普通サイズのベッドが良いのです!』と言っていた綾香に『普通サイズのベッド二つか、キングサイズのベッド一つかにして下さい』と説得したのだ。
どうやら、"同じベッドに寝たい"と言う事だったらしいが……
流石に、『ベッドが小さくて、疲れが溜まる』なんて状況は避けたかったので、最低限くつろげる大きさの物を用意したのだ。
大きなベッドに腰掛けながら、足の状態を確認する。
まだ若干痛むが、普通に歩く程度なら問題なさそうだ。
それにしても、綾香の胆力には驚いた。
自分の"安全地帯"である筈の、学校で襲われたのだ。
普通であれば、取り乱して不安に駆られても可笑しくはない。
しかし、家に着いた後で足の消毒を行っていると、『一人では洗えないでしょう?』と言って、消毒を行っている"風呂場"へ入って来た。
結局、『折角だから』という事で、二人で風呂に入った。
体を洗って貰ったお礼に、髪の毛を洗ってあげると、気持ち良さそうにしていた。
その後、いつも通り普段着に着替えた。
疲れは取れ難くなるが、非常時下は"何時でも動ける服装"でいる事は基本なのだ。
その後ベッドに入ったユミルだったが、いつの間にかぐっすりと眠っていた。
……通常時でさえ、深い眠りに入る事が殆ど無いにもかかわらず。
――全ては、催眠作用のある"ヒーリングミュージック"の影響であったが、そんな事を二人が知る筈もなく……ひと時の安息に有ったのだった。
――――
――それは突然だった。
衝撃を感じて目を開くと、そこには数人の見知らぬ者達が居た。
視界に確認できるのは4人。
4人共めざし帽を被っているが、その体型から男性である事だけが分かった。
横を見ると、綾香がいない。
……少し離れた場所から物音がする。
どうやら既に連れ去られている所らしい。
……失態だ。
「フッッツ……!」
勢いをつけてベッドから起き上がろうとした。
しかし、直後に感じた腹部への痛みと、その衝撃で意識を失った。
◆
ユミルにソレを使用した男は、満足気に頷いた。
「……ショックボルトは効いたな、よし……運び出せ」
男の手には、暴徒鎮圧用に使用される"ショックボルトガン"が、握られていた。
使い方は簡単、相手に向けて引き金を引く。すると、先端から端子が飛び出す。端子が対象に触れた状態で再度引き金を引く事で、電流が流れるのだ。
"弱"から"強"と調整できるそれは、"弱"であっても行動を抑止する。
通常の威力であれば、成人男性の意識を刈り取る事さえ可能だ。
それが、"強"へと設定されていれば……大型の獣でさえも抗う事が出来ないだろう。
男達は、二人がかりでユミルを拘束すると、その体を担ぎあげた。その上で、前後に一人づつ警戒に付くと――撤収を始めた。
車庫から外へと出る。
そこには車両が止まっている。
――大型のバンだ。
……車庫のシャッターは、電子制御されており、有事の際はアラームが鳴る仕組みになっている。しかし、今はその"防衛の為のシャッター"が上がり、アラームも鳴ってはいなかった。
それもその筈、一応形の上では"ハッキング"されているのだ。ソレをした男は、メガネのズレを直しながら、細く笑みを浮かべていた。
「どれだけ高度なセキュリティかと思ったが――敵じゃなかったな、ひひっ!」
男は知らなかったのだ――そもそも、"セキュリティレベルが下げられていた"等とは。
その後、始終上機嫌だった男は、『誘拐した女の一人を岩斉から貰った』と聞いて『俺も、功労者の一人だから交ぜろ』と権利を主張したのだった。
……その後で被る事になる"報い"を知る筈もなく。
◆
綾香の寝顔を思い出して、顔を緩ませていたユミルだったが……不意に襲って来た激痛に歯を食いしばった。
見ると、膝の皿の部分……膝蓋骨に違和感がある。
目の前には、ハンマーを持った男……
どうやら、足から壊すつもりのようだ。
歯を食いしばりながら、周囲を再度確認すると、ある事に気が付いた。
……同じような場所を知っている。
昔所属していた組織の拷問室だ。
……あの組織においては、拷問室は処刑場だった。
『拷問室』と言いながら、既に情報を抜き切った者達を送る場所なのだ。
そこで、耐えられない程の苦痛を与えて、『もし知らない情報が引き出せたら儲けもの』位にしか考えていない。
別名『発散場』と言われていたほどで、ストレス発散に使っている者も居た。
……好んで拷問官をしている者もかなりの数いたが、ユミルの場合は『興味がない』と言って断っていた。
……昔の事を思い出して、胸の奥がズキズキと痛んで来る。
しかし、その胸の痛みは、新たな"痛み"で上書きされた。
……椅子に縛り付けられた腕の中の一つ、中指の爪が剥がされている。
もう片方の腕は、『本当に使えないのか分からねぇ』と言った男達によって、体と固定する事で"支え"となっていた器具が外されていた。
そのせいで片方の腕は、肩から力なく垂れ下がっている。
……丁度良かった。
肉体の痛みが、胸の痛みを掻き消してくれる。
――――
――しばらく、同じような痛みが続いた。
正直、痛みのコントロール……拷問への耐性のあるユミルにとっては、心を折るほどの痛みは一つも無かった。
そんな中、一人の男がイライラした様子で言った。
「なあ、そろそろやろうぜぇ~悲鳴も上げないもんでつまらねぇしよぉ~」
……眼鏡の男だ。
どうやら、他の者とは色が違うらしい。
痛みを与えて楽しむよりも、快楽を得たいのだろう。
……ユミルとしては、正直このまま拷問されていた方が良い。
それこそ、這ってでも動く力があれば良い。
ただ、こんな男達に初めてを奪われるのは、嫌だった。
まあ、既に30を越えている自分に、女としての価値が有るとは思えないが……
それでも、自分に残された自分だけのナニカを奪われ、殺される気がした。
だから――
言ってしまった。
「お前達の様なクズとはごめんだ」
……ユミルは、分かっていた。
余計な反応をする事で、余計な反応を得てしまうだろう事を。
だが、言わずにはいられなかった。
"拒否"の姿勢を示さずにはいられなかった。
――案の定。
「ははっ! どんなに痛めつけても反応しなかったのに……よし、お前ら楽しむぞ!」
『よっしゃぁ!』と活気づいた男達が、ユミルに迫る。
……手を伸ばして来た眼鏡の男に、唾を掛ける。
「このクソアマぁ!」
『"バヂン!"』
頬に焼けるような痛みが刺す。
「おい、おい、折角顔は綺麗なままにしてたのに、何してくれてんだよ」
「あぁ、悪りぃなつい……」
眼鏡の男が、横に立っている黒い布を付けた男に謝る。
……どうやら、眼鏡の男以外は皆が黒い布を着けているみたいだ。
「おい、もう拘束を外しても動けないよなぁ?」
「あぁ、その筈だ」
「それじゃあ……」
男達が何やら話していたが、戻って来ると椅子の拘束具を外し始めた。
……椅子に縛ったままでは、乱暴できないからだろう。
それにしても、我慢していた甲斐があった。
拘束を外されたら……先ず、目の前にあるペンチで黒布の男の目を抉る。次に、横にあるアイスピッグで眼鏡の男を刺せば良い。
「……よし外れたぞ」
背中から声がする。
……よし。
「こっちも外した」
目の前に屈んでいた男が、椅子と足を縛っていた拘束を外したようだ。
後は、タイミングを計って……今だ!
「……?!」
体を前に倒し、足に、腕に力を入れたのだが、その結果……
「おいおい、まだ元気が有ったとは……」
「あれだ、余程やりたくて自分から立ち上がったんじゃないか?」
『ハハハハハ』
男達が笑う。
……正直、予想外だった。
これほど、四肢にダメージが来ているとは思わなかった。
再度確認すると、両ひざの皿は割られ、指の爪は全て剥がされていた。加えて確認できる、血の流れている小さな穴……アイスピッグで刺された部分だ。
足は、踏ん張る為の構造が壊されている。腕に関しては、多少動かせはするが……まともに神経が機能していないらしい。
……しくじった。
せめてお嬢様は助けなくてはいけないのに……それに、あの人の為に出て来たのに、一番重要な男を始末できていない……。
「はいはい、大人しくしましょうね~僕が可愛がってあげるから~」
眼鏡の男が、脇に手を差し入れて来る。
これなら……
残った力を腕に集中するイメージで、男の手首を脇に固定した。
そして――
「っふ!」
思いっきり体を捻った。
『バキッ!』
……手応えがあった。
当の眼鏡の男は、恐る恐るユミルから手を引くと、自分の手を見ていた。
「うぐぁああ!」
「……おいおい、折れてるぜ」
「まだこんな力が有るのか……リーダーは『知らない』とか言ってたけど、何者なんだよ?」
……叫ぶ男と、たじろぐ男達。
本当であれば、この隙に動きたかった。
しかし、最早自力で立ち回る事が出来ない。
……やがて落ち着いた眼鏡の男が、息を荒くしながら近づいて来た。
そして――
「このっ! ボケがぁ! お、俺は、天才なんだぞ!」
『それなのに手首を傷つけやがって! 殺してやるぅ!』と、喚きながら蹴って来る。
痣にはなるだろうが、致命傷ではない。
殺そうとするのであれば、もっと致命的なモノでなくてはいけない。そう、その手に握っているような、モノで――
相当に頭に来たのだろう。暫く蹴っていたのにも拘らず、その興奮は治まる事が無く、遂には片手にアイスピッグを握りしめている。
「……ぁた……るぉ……?」
蹴られた際に、首を痛めていたらしい。
『また同じ事になるよ?』
と挑発したつもりが、言葉にならない音となっていた。
少し残念に思いながら、自分へと迫るアイスピッグを見つめていた。
(……短い人生だったけど、最後の一年は良かったな)
――死を受け入れていた。
最後を受け入れて、その目を閉じた。
しかし――
「全く、あなたの人生は始まったばかりでしょうに……」
思いがけず聞こえた声に目を開いた。
――知っている声の様な気がしたのだ。
その姿が確認できた時、自然に言葉が出ていた。
「……ぁんぇ?」
そう聞くと、目の前に立っている執事姿の男は、静かに言った。
「……娘を助けぬ親が居ますか?」
そう言った後『全く、神楽様に付いて行くと思ったら……とんだじゃじゃ馬は変わりませんね』等と呟いていたが、ユミルの耳には届いていなかった。
『何故ここに?』と言う疑問と、『お嬢様を助けないと!』と言う焦りが思考の大半を占めていた。それこそ、まだ敵がそこかしこに居る、と忘れるほどに。
……いや、敵が居るのはそれほど問題では無かったのかも知れない。
目の前の男が来たからには、安全は約束されたようなモノなのだ。
その証拠に眼鏡の男は、自身の振り上げたアイスピッグを、喉元から頭蓋骨に向けて貫通させている。……他の男達は、呆気に取られている。
「さて、ユミはそれ以上、血を流さないようにしていなさい……あの方にお願いすれば、あるいは助かるでしょう――フッ!」
執事姿の男――ザイは、ユミルに話しかけながら、ハンマーで殴りかかって来た男の首を薙いだ。すると、男は一瞬目を見開いて倒れる。
……倒れた後で、頭と胴の間の辺りから液体が流れ出る。
完全に動脈を切り裂いている。
即死でなくとも、助からない。
「くそっ!」
「なめるなぁ!」
その場に残った二人の男が、懐に手を入れるが――
「五月蠅い」
直後、二人の手首が落ち、その首元は一文字に裂かれていた。
一人はユミルの横に倒れ、もう一人は水槽に落ちた。
……水槽の水が、一つ飛沫を上げる。
「こんな程度でパニックになるとは……練度が低いですね」
そう呟いたザイは、男の手首が握りしめていたソレを手に取る。
「コレは……あの方に報告ですね」
そう呟いて、安全装置を掛けてから、懐に仕舞った。
そして、再び『ユミはそこに居るように』と言うと、扉から出て行った。
◆
――ザイの姿を見送りながら、ふとユミルは懐かしさを覚えていた。
……痛みの伴わない過去の記憶と、それを"懐かしい"と感じる初めての経験に戸惑いながら、『そう言えば、"ユミ"はお父さんが初めて呼んでくれた名前でした』などと考えていた。
ザイに言われるまでも無く、当然動けるはずも無いユミルだったのだが……。
一息ついてから気合を入れ直すと、全身を使って扉へと進みだした。
『進む』と言っても、微妙に体を揺する程度であって、到底『進んでいる』とは言えないようなモノであった。
◆
――ザイは部屋を出ると、その体の端の端に至るまで怒りを満たしていた。
その怒りは、強烈な怒りであった。
……荒れ狂う暴風の様であった。
……全てを破壊する暴力だった。
――5分後。
白かった筈のシャツを黒く染め、戻って来た。
最上階に位置している部屋の、扉を開けた。
――驚いた。
目の前に、到底動けるはずのないユミルが居たのだ。
這いずって来たのだろう……その体を血で染めている。
「……成長したな」
その"心"の状態を見ていたザイにとって、"驚くほどの成長"だった。
あの、"少女"が今では他人の為に自分から動こうとしているのだから……それもこれも、全てはあの男と出合ってからだった。
顔を微かに向けて来たユミルに、急かすような色を見たザイは、苦笑すると、ユミルをその腕に抱き上げた。
「さて、お二人も始めた頃でしょうし……」
呟きながら、抱えたユミルの髪を撫でた。
「合間を縫って行きますか――神楽様、いえ……我が友の元に」
そう言うと、開いた扉から静かに下り始めた。
その女性の周囲を、4人の男達が囲んでいる。
――そこは広い敷地内において、ある意味最も"危険"な場所だった。
無機質な空間に有るのは、大の大人が丸々入れるようなアクリル製の水槽と、数種類の道具。
男達は、其々が思い思いにそれら"道具"を手に取っている。
……これらか起こる事は、火を見るよりも明らかだ。
もしかすると、恐怖心を煽る為にわざと"演出"しているのかも知れない。
――自分の置かれている状況を、客観的に見る事が出来ていた。
普通であれば、自分の置かれている状況の打破に意識が向くだろう。
しかし彼女の頭の中では、全く違う事に意識が向いていた。
――お嬢様……。
ユミルは、綾香の顔を思い出していた。
――――――
――――
――正巳達が、全翼機"ブラック"に乗り込む数十分前。
ユミルは、綾香をベッドへと寝かせていた。
心地良い音色が、心を落ち着かせる。
マムが、『ぐっすりと眠る為に』と流したのだ。
綾香の寝顔を見ながら、キングサイズのベッドに腰掛ける。このベッドは、住み始めた時に『どうしても』と綾香が言ったので、無理をして用意して貰ったのだ。
最初は、『普通サイズのベッドが良いのです!』と言っていた綾香に『普通サイズのベッド二つか、キングサイズのベッド一つかにして下さい』と説得したのだ。
どうやら、"同じベッドに寝たい"と言う事だったらしいが……
流石に、『ベッドが小さくて、疲れが溜まる』なんて状況は避けたかったので、最低限くつろげる大きさの物を用意したのだ。
大きなベッドに腰掛けながら、足の状態を確認する。
まだ若干痛むが、普通に歩く程度なら問題なさそうだ。
それにしても、綾香の胆力には驚いた。
自分の"安全地帯"である筈の、学校で襲われたのだ。
普通であれば、取り乱して不安に駆られても可笑しくはない。
しかし、家に着いた後で足の消毒を行っていると、『一人では洗えないでしょう?』と言って、消毒を行っている"風呂場"へ入って来た。
結局、『折角だから』という事で、二人で風呂に入った。
体を洗って貰ったお礼に、髪の毛を洗ってあげると、気持ち良さそうにしていた。
その後、いつも通り普段着に着替えた。
疲れは取れ難くなるが、非常時下は"何時でも動ける服装"でいる事は基本なのだ。
その後ベッドに入ったユミルだったが、いつの間にかぐっすりと眠っていた。
……通常時でさえ、深い眠りに入る事が殆ど無いにもかかわらず。
――全ては、催眠作用のある"ヒーリングミュージック"の影響であったが、そんな事を二人が知る筈もなく……ひと時の安息に有ったのだった。
――――
――それは突然だった。
衝撃を感じて目を開くと、そこには数人の見知らぬ者達が居た。
視界に確認できるのは4人。
4人共めざし帽を被っているが、その体型から男性である事だけが分かった。
横を見ると、綾香がいない。
……少し離れた場所から物音がする。
どうやら既に連れ去られている所らしい。
……失態だ。
「フッッツ……!」
勢いをつけてベッドから起き上がろうとした。
しかし、直後に感じた腹部への痛みと、その衝撃で意識を失った。
◆
ユミルにソレを使用した男は、満足気に頷いた。
「……ショックボルトは効いたな、よし……運び出せ」
男の手には、暴徒鎮圧用に使用される"ショックボルトガン"が、握られていた。
使い方は簡単、相手に向けて引き金を引く。すると、先端から端子が飛び出す。端子が対象に触れた状態で再度引き金を引く事で、電流が流れるのだ。
"弱"から"強"と調整できるそれは、"弱"であっても行動を抑止する。
通常の威力であれば、成人男性の意識を刈り取る事さえ可能だ。
それが、"強"へと設定されていれば……大型の獣でさえも抗う事が出来ないだろう。
男達は、二人がかりでユミルを拘束すると、その体を担ぎあげた。その上で、前後に一人づつ警戒に付くと――撤収を始めた。
車庫から外へと出る。
そこには車両が止まっている。
――大型のバンだ。
……車庫のシャッターは、電子制御されており、有事の際はアラームが鳴る仕組みになっている。しかし、今はその"防衛の為のシャッター"が上がり、アラームも鳴ってはいなかった。
それもその筈、一応形の上では"ハッキング"されているのだ。ソレをした男は、メガネのズレを直しながら、細く笑みを浮かべていた。
「どれだけ高度なセキュリティかと思ったが――敵じゃなかったな、ひひっ!」
男は知らなかったのだ――そもそも、"セキュリティレベルが下げられていた"等とは。
その後、始終上機嫌だった男は、『誘拐した女の一人を岩斉から貰った』と聞いて『俺も、功労者の一人だから交ぜろ』と権利を主張したのだった。
……その後で被る事になる"報い"を知る筈もなく。
◆
綾香の寝顔を思い出して、顔を緩ませていたユミルだったが……不意に襲って来た激痛に歯を食いしばった。
見ると、膝の皿の部分……膝蓋骨に違和感がある。
目の前には、ハンマーを持った男……
どうやら、足から壊すつもりのようだ。
歯を食いしばりながら、周囲を再度確認すると、ある事に気が付いた。
……同じような場所を知っている。
昔所属していた組織の拷問室だ。
……あの組織においては、拷問室は処刑場だった。
『拷問室』と言いながら、既に情報を抜き切った者達を送る場所なのだ。
そこで、耐えられない程の苦痛を与えて、『もし知らない情報が引き出せたら儲けもの』位にしか考えていない。
別名『発散場』と言われていたほどで、ストレス発散に使っている者も居た。
……好んで拷問官をしている者もかなりの数いたが、ユミルの場合は『興味がない』と言って断っていた。
……昔の事を思い出して、胸の奥がズキズキと痛んで来る。
しかし、その胸の痛みは、新たな"痛み"で上書きされた。
……椅子に縛り付けられた腕の中の一つ、中指の爪が剥がされている。
もう片方の腕は、『本当に使えないのか分からねぇ』と言った男達によって、体と固定する事で"支え"となっていた器具が外されていた。
そのせいで片方の腕は、肩から力なく垂れ下がっている。
……丁度良かった。
肉体の痛みが、胸の痛みを掻き消してくれる。
――――
――しばらく、同じような痛みが続いた。
正直、痛みのコントロール……拷問への耐性のあるユミルにとっては、心を折るほどの痛みは一つも無かった。
そんな中、一人の男がイライラした様子で言った。
「なあ、そろそろやろうぜぇ~悲鳴も上げないもんでつまらねぇしよぉ~」
……眼鏡の男だ。
どうやら、他の者とは色が違うらしい。
痛みを与えて楽しむよりも、快楽を得たいのだろう。
……ユミルとしては、正直このまま拷問されていた方が良い。
それこそ、這ってでも動く力があれば良い。
ただ、こんな男達に初めてを奪われるのは、嫌だった。
まあ、既に30を越えている自分に、女としての価値が有るとは思えないが……
それでも、自分に残された自分だけのナニカを奪われ、殺される気がした。
だから――
言ってしまった。
「お前達の様なクズとはごめんだ」
……ユミルは、分かっていた。
余計な反応をする事で、余計な反応を得てしまうだろう事を。
だが、言わずにはいられなかった。
"拒否"の姿勢を示さずにはいられなかった。
――案の定。
「ははっ! どんなに痛めつけても反応しなかったのに……よし、お前ら楽しむぞ!」
『よっしゃぁ!』と活気づいた男達が、ユミルに迫る。
……手を伸ばして来た眼鏡の男に、唾を掛ける。
「このクソアマぁ!」
『"バヂン!"』
頬に焼けるような痛みが刺す。
「おい、おい、折角顔は綺麗なままにしてたのに、何してくれてんだよ」
「あぁ、悪りぃなつい……」
眼鏡の男が、横に立っている黒い布を付けた男に謝る。
……どうやら、眼鏡の男以外は皆が黒い布を着けているみたいだ。
「おい、もう拘束を外しても動けないよなぁ?」
「あぁ、その筈だ」
「それじゃあ……」
男達が何やら話していたが、戻って来ると椅子の拘束具を外し始めた。
……椅子に縛ったままでは、乱暴できないからだろう。
それにしても、我慢していた甲斐があった。
拘束を外されたら……先ず、目の前にあるペンチで黒布の男の目を抉る。次に、横にあるアイスピッグで眼鏡の男を刺せば良い。
「……よし外れたぞ」
背中から声がする。
……よし。
「こっちも外した」
目の前に屈んでいた男が、椅子と足を縛っていた拘束を外したようだ。
後は、タイミングを計って……今だ!
「……?!」
体を前に倒し、足に、腕に力を入れたのだが、その結果……
「おいおい、まだ元気が有ったとは……」
「あれだ、余程やりたくて自分から立ち上がったんじゃないか?」
『ハハハハハ』
男達が笑う。
……正直、予想外だった。
これほど、四肢にダメージが来ているとは思わなかった。
再度確認すると、両ひざの皿は割られ、指の爪は全て剥がされていた。加えて確認できる、血の流れている小さな穴……アイスピッグで刺された部分だ。
足は、踏ん張る為の構造が壊されている。腕に関しては、多少動かせはするが……まともに神経が機能していないらしい。
……しくじった。
せめてお嬢様は助けなくてはいけないのに……それに、あの人の為に出て来たのに、一番重要な男を始末できていない……。
「はいはい、大人しくしましょうね~僕が可愛がってあげるから~」
眼鏡の男が、脇に手を差し入れて来る。
これなら……
残った力を腕に集中するイメージで、男の手首を脇に固定した。
そして――
「っふ!」
思いっきり体を捻った。
『バキッ!』
……手応えがあった。
当の眼鏡の男は、恐る恐るユミルから手を引くと、自分の手を見ていた。
「うぐぁああ!」
「……おいおい、折れてるぜ」
「まだこんな力が有るのか……リーダーは『知らない』とか言ってたけど、何者なんだよ?」
……叫ぶ男と、たじろぐ男達。
本当であれば、この隙に動きたかった。
しかし、最早自力で立ち回る事が出来ない。
……やがて落ち着いた眼鏡の男が、息を荒くしながら近づいて来た。
そして――
「このっ! ボケがぁ! お、俺は、天才なんだぞ!」
『それなのに手首を傷つけやがって! 殺してやるぅ!』と、喚きながら蹴って来る。
痣にはなるだろうが、致命傷ではない。
殺そうとするのであれば、もっと致命的なモノでなくてはいけない。そう、その手に握っているような、モノで――
相当に頭に来たのだろう。暫く蹴っていたのにも拘らず、その興奮は治まる事が無く、遂には片手にアイスピッグを握りしめている。
「……ぁた……るぉ……?」
蹴られた際に、首を痛めていたらしい。
『また同じ事になるよ?』
と挑発したつもりが、言葉にならない音となっていた。
少し残念に思いながら、自分へと迫るアイスピッグを見つめていた。
(……短い人生だったけど、最後の一年は良かったな)
――死を受け入れていた。
最後を受け入れて、その目を閉じた。
しかし――
「全く、あなたの人生は始まったばかりでしょうに……」
思いがけず聞こえた声に目を開いた。
――知っている声の様な気がしたのだ。
その姿が確認できた時、自然に言葉が出ていた。
「……ぁんぇ?」
そう聞くと、目の前に立っている執事姿の男は、静かに言った。
「……娘を助けぬ親が居ますか?」
そう言った後『全く、神楽様に付いて行くと思ったら……とんだじゃじゃ馬は変わりませんね』等と呟いていたが、ユミルの耳には届いていなかった。
『何故ここに?』と言う疑問と、『お嬢様を助けないと!』と言う焦りが思考の大半を占めていた。それこそ、まだ敵がそこかしこに居る、と忘れるほどに。
……いや、敵が居るのはそれほど問題では無かったのかも知れない。
目の前の男が来たからには、安全は約束されたようなモノなのだ。
その証拠に眼鏡の男は、自身の振り上げたアイスピッグを、喉元から頭蓋骨に向けて貫通させている。……他の男達は、呆気に取られている。
「さて、ユミはそれ以上、血を流さないようにしていなさい……あの方にお願いすれば、あるいは助かるでしょう――フッ!」
執事姿の男――ザイは、ユミルに話しかけながら、ハンマーで殴りかかって来た男の首を薙いだ。すると、男は一瞬目を見開いて倒れる。
……倒れた後で、頭と胴の間の辺りから液体が流れ出る。
完全に動脈を切り裂いている。
即死でなくとも、助からない。
「くそっ!」
「なめるなぁ!」
その場に残った二人の男が、懐に手を入れるが――
「五月蠅い」
直後、二人の手首が落ち、その首元は一文字に裂かれていた。
一人はユミルの横に倒れ、もう一人は水槽に落ちた。
……水槽の水が、一つ飛沫を上げる。
「こんな程度でパニックになるとは……練度が低いですね」
そう呟いたザイは、男の手首が握りしめていたソレを手に取る。
「コレは……あの方に報告ですね」
そう呟いて、安全装置を掛けてから、懐に仕舞った。
そして、再び『ユミはそこに居るように』と言うと、扉から出て行った。
◆
――ザイの姿を見送りながら、ふとユミルは懐かしさを覚えていた。
……痛みの伴わない過去の記憶と、それを"懐かしい"と感じる初めての経験に戸惑いながら、『そう言えば、"ユミ"はお父さんが初めて呼んでくれた名前でした』などと考えていた。
ザイに言われるまでも無く、当然動けるはずも無いユミルだったのだが……。
一息ついてから気合を入れ直すと、全身を使って扉へと進みだした。
『進む』と言っても、微妙に体を揺する程度であって、到底『進んでいる』とは言えないようなモノであった。
◆
――ザイは部屋を出ると、その体の端の端に至るまで怒りを満たしていた。
その怒りは、強烈な怒りであった。
……荒れ狂う暴風の様であった。
……全てを破壊する暴力だった。
――5分後。
白かった筈のシャツを黒く染め、戻って来た。
最上階に位置している部屋の、扉を開けた。
――驚いた。
目の前に、到底動けるはずのないユミルが居たのだ。
這いずって来たのだろう……その体を血で染めている。
「……成長したな」
その"心"の状態を見ていたザイにとって、"驚くほどの成長"だった。
あの、"少女"が今では他人の為に自分から動こうとしているのだから……それもこれも、全てはあの男と出合ってからだった。
顔を微かに向けて来たユミルに、急かすような色を見たザイは、苦笑すると、ユミルをその腕に抱き上げた。
「さて、お二人も始めた頃でしょうし……」
呟きながら、抱えたユミルの髪を撫でた。
「合間を縫って行きますか――神楽様、いえ……我が友の元に」
そう言うと、開いた扉から静かに下り始めた。
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