『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~

時雲

119話 岩斉保文と云う男③

 ――大使館から出発して、約2時間。

 岩斉は、住んでいる家の前に降ろされていた。

 ……どうやら、住居を把握されていたらしい。

 子供達が逃げないように監禁した岩斉は、組へと歩き出した。

 一応、帰宅の挨拶はしておくべきだと思ったのだ。……歩き出した岩斉だったが、途中で多くの組員が練り歩いている場面に出くわした。

 どうやら、『コンビニに行く』と言って外へ出た岩斉が、何時まで経っても戻らない事を、心配した組員達が捜していたらしい。

 話を聞くと、龍児の号令で一斉捜索がされたらしい。

 ……ここの所、敵対組織と見られる者からの、襲撃事件が何件か有ったのだ。どうやら、岩斉が襲われた・・・・と思ったらしい。

 その事を聞いた時、(やはり、龍児が相応しい)と思いもした。

 しかし、既に船は埠頭を出た後だ。
 今更、戻る事など出来ない。

 改めて、決意を固めるのであった。

 ……その後、龍児の元に進み出て『ご心配をおかけしました』と謝罪していた。心の内で(何発殴られるか……)と思っていたが、そんな岩斉に対して龍児は『心配した』と一言だけ言って、帰らせてくれた。

 その様子を近くで見ていた者達は、龍児に対して更に忠誠心を増したようだった。しかし、それに反して岩斉の心は、煮えくり返っていた。

 ……先ほど迄、少女に対して人を人とも思わないような仕打ちをして、優越感を感じていたのだ。それが今、"心配されている"この事実がどうしても許せなかったのだ。

 この日岩斉は、密かにある準備を進める事にした。……その"準備"とは、帰りにスズヤから貰った、手土産の一つである情報・・に関連する事であった。

 岩斉の"準備"は、スズヤに提示された"弘瀬組乗っ取り計画"に沿う内容だった。……恐らくスズヤも、岩斉と同じ様な事を考えていたのだろう……

 頭の隅で、今後の事に考えを向けながら、帰宅した。
 その日の夜は、スズヤの手土産・・・で欲望のままに、手を振り上げた。

 ――

 その日を境に、弘瀬組にはチンピラに達が多く席を置き始めた。

 その多くは、何も知らないチンピラに過ぎなかったが、チンピラ達の中でも力を持った者達は、その全てがスズヤの息のかかった者達――『幹部候補』だった。

 岩斉はその後も、子供が壊れる毎にスズヤに連絡を取っていた。

 『スズヤに』とは言っても、9割以上がスズヤ直属の『部下に』だったが……ともあれ、"大使館"や子供の引取り先である"孤児院"に出向く度、スズヤとある"大陸の組織"についての噂話を小耳にはさむ機会があった。

 ……"大陸の組織"は、あらゆる犯罪に関わっているという話だった。それに、歴史としても古いようで、2000年前には既に存在していたらしい。

 敵対しているのであればいざ知らず、スズヤと協力関係にある岩斉は、耳に挟む度に頼もしく感じていた。またそれと同時に、耳にする度に自分の力・・・・であるかのように冗長するようにもなって行った。

 ……それが、スズヤの思惑通りだとも知らず。

 そしてある日、その事件を起こす事になった。

 『起こす事になった』と云うよりは、『準備が出来た』と言った方が良いだろう。

 その日は、丁度スズヤと手を組んでから半年が経過していた。

 ――半年間、ある準備を進めていたのだ。

 その準備・・というのは、工作員を弘瀬組の敵対組織に潜入させる事であった。
 ……工作員というよりは、"煽る人員"と言った方が良いかも知れない。

 ともかく、敵対組織へ工作員を潜入させていたのだ。

 それが済んだ今、スズヤから貰った"情報"が生きる事になる。

 "情報"と云うのは、『弘瀬組の若頭、龍児には大切な人が居る』という情報だった。

 ここで重要なのは、『龍児にとって大切な人』という点だ。
 ――言わば、龍児の弱みなのだ。

 この時すでに、社会は暴力団ヤクザの排除へと風向きが変わっていた。

 市民の不安を煽る事は、更なる締め付けを招く事になる。
 これは、弘瀬組としても避けたい事態であった。

 弘瀬組内において問題行動を起せば、厳しい処分が下る事は、火を見るよりも明らかであった。……つまり、今龍児に問題行動を起こさせれば、龍児は責任を取る事になる。

 岩斉は、すっかり舞い上がっていた。

 『これで龍児は処分され、代わりに幹部に取り立てられるのは俺だ』と。

 その日岩斉は、工作員達に指示を出した。

「計画を始めろ」

 工作員達は、指示通りに始めた。


 ――
 工作員達の潜入していた組織は、血の気が多く経営力の無い組織だった。

 常時、資金に困っていた。

 資金を集める手段が、みかじめ料や用心棒代等であったので、当然だろう。
 ――暴力団排除の煽りをもろに受けていた。

 そんな中、ある組員が『資産家の娘を攫ってこよう』と言った。

 初めは、皆が話半分で聞いていたが、次第に何人かの者が賛同するにつれ、話が盛り上がって行った。……当然、始めに話を振ったのは工作員であり、タイミングを合わせて賛同したのも工作員である。

 集団の心理とは恐ろしいもので、やがて誰一人として反対する者が居なくなっていた。

 そうして、男達は盛り上がり、『幹部達に伺いを立てるか?』という話になった。ここでも、数人の工作員によって、『オヤジたちの為に金を用意しよう!』という流れに操作された。

 次に、『誰を攫うか?』という話になったが、その点もスムーズに話が進んだ。
 普段、禄に話し合いが進まない組織とは、思えないほどに……

 こうして、計画が実行される事となった。

 その数日後、弘瀬組と敵対していた鳴海ナルミ組の組員達は、女性を攫いに行った。攫うタイミングも事前に打ち合わせていた。

 女性の実家は、中庭に家が三軒位建ちそうな程の豪邸だ。

 当然、家には警備員が居る。
 その為、買い物の帰りを狙ったのだ。


 ――
 鳴海組の男達は、女性の乗ったセダンの前後ろを黒い大型車で挟み、運転手が出て来た所を打ち据えた。

 ……運転手が意識を失ったのを確認して、車内に座っていた女性を、自分たちの車へと乗せたが――女性は、足が不自由な様で、男達は無理やり引き摺っていた。

 その後、鳴海組の事務所に連れて行かれた女性は、攫われたのにも拘らず、特に取り乱したりしなかった。……実は体が弱く、視力も弱かった為、ただじっとして居る事しか出来なかったのだが。

 男達は、女性の態度に少し引っ掛かりを感じていたが、上手く行った事に浮かれていた。その為か、男達はミスを三つ侵していた事に、気が付いていなかった。

 ―― 一部は工作員の誘導だったが……

 一つ目は、運転手の男をそのまま置いて来てしまった事。
 二つ目は、女性が買い物の帰りでは無かった事。
 三つめは、女性には愛する人が居て、それが龍児だった事。

 ……女性は体が弱く、一週間に一度の外出しか出来ないのだが、その際に周囲に『買い物に行ってきます』と言って、龍児と会っていた。

 女性は、龍児の一つ年上で30歳前後の女性ひとだった。
 資産家の娘であり、大切に箱入りで育てられたらしい。

 どういう出会いをしたのか分からないが、龍児と女性は確かに愛し合っていた。

 龍児と会っていた事は、運転手の男と女性の父親しか知らなかった。……この"情報"を提供したスズヤも、工作員に龍児を半年間監視させた結果、得た情報だった。

 いつものルートは、20分間車でドライブをし、5分間だけ龍児と会い、5分で帰宅する。
 ――これが何時もの流れであった。

 たった5分の時間では有ったが、二人にとっては最も大切な時間であった。

 龍児は、この日も待っていた。

 しかし、時間が過ぎても女性が現れなかった。

 予め、時間になっても合えなかった場合、次の週に繰り越す事に決めていた。普段であればそのまま帰っていたのだが、この日は事情が違った。

 ……龍児と女性が付き合い始めて2年目の、記念日だったのだ。

『もしかして、体調が悪くなったのではないか?』と心配した龍児は、車に乗り込むと女性の家の前を通り過ぎる事にした。

 ――家の前を通り過ぎれば、"救急車が来ている"とか、"屋敷の人間が慌ただしく動いている"とか言った情報を得られるかと思ったのだ。

 しかし、その途中で目を疑うモノを見た。

 ……道の真ん中に停まった車と、道に倒れた男性が居たのだ。
 ……しかも、男性にも車にも見覚えが有った。

 その車は、愛する女性ひとを見送る時に見ている車。
 その男性は、愛する女性ひとの執事の男であった。

 その光景を見た瞬間、何が起こったかを瞬時に理解した。

 そして、執事の男性を抱えると、自分の車に乗せて頬を二度張った。
 一度目で微かに反応をし、二度目で気が付いたようだった。

 執事は、龍児を見るや否や『お嬢様が男達に!』と叫んで、龍児の肩を揺さぶった。

 ……普段冷静沈着であるこの執事が、この様に取り乱すところを初めて見た。

 龍児は、一旦落ち着かせると、襲って来た男達の特徴を話させた。

 ……襲って来た男達は、皆黒いめざし帽を被っていたらしかった。

 他にも、何か情報が無いか聞くと、あった。

『黒い大型車で、車体は泥で汚れていた』

 ……黒い大型車は、幾つも所有している組織がある。
 しかし、車体が汚れたままというのは、あまりない。

 ヤクザは見栄の世界だ。

 そんな中、組織の車を綺麗にしていないというのは、"洗車する金が無い"か"自分達で綺麗にする余裕も無い"かだ。

 ……行き先を決めた龍児は、執事の運転していた車を路肩に寄せた後、自分の車に乗り込んだ。一見落ち着いて見える龍児の瞳には、蒼暗い炎が燃えていた。

 ――そこからは早かった。

 鳴海ナルミ組本部の、10歩ほど手前に停車した龍児は、静かに事務所に入って行った。――事務所は二階建てになっており、雑居ビルの様であった。

 事務所に入ると、龍児は自分の目を疑った。

 愛する女性ひとが床に横たわる形で、男達が女性を囲んでいたのだ。

 ……何度も殴られたのか、頬は腫れ上がり、口元からは血が流れている。
 見ると、白いスカートはひざ元が黒く汚れ、上着は引き裂かれていた。

 その姿を見た龍児は、呆然とする周囲に構う事なく、真っすぐに歩いて行った。

 ――そして、女性を抱き上げると、そのまま車へと戻った。


 ******


 男達も、最初から乱暴しようとしていたわけではなかった。
 それこそ、人質にして金を脅し取ろうとしか考えていなかった。

 しかし、ある男が『そういえば、俺の女が弘瀬組の龍児に乱暴されたのだよ』と話し出した。

 周囲は、男が何故そのような話を始めたのか、理解できなかった ――当時、弘瀬組の龍児と言えば、硬派として知られており、男の話が作り話なのは明らかであった―― が……それ迄静かにしていた女性が、突然男に掴みかかった。

 しかし、所詮は女性の力だ。

 直ぐに男達に押さえ付けられた。

 そこで、再び男が言った。

『この女の実家から金を巻き上げた後、俺らで回して……弘瀬組にでも送ってやるか。若頭様様に性欲のはけ口・・・として、使って貰えるかも知れねぇな!』

 そう言った男が、『なあ、そう思うだろ?』と振ると、数人の男達が『そうだな』と答えて、『なあ、少し味見しても良いんじゃないか? オヤジ達幹部連中はまだ帰らないだろう?』と続けたのだった。

 そこに居た男は全部で8人。

 最初に手を出し始めたのは、4人だった。

 しかし、女性の上着が裂かれたタイミングでもう3人が加わった。

 1人は、最後まで輪に加わらなかった。

 初めは激しく抵抗していた女性だったが、何度か強く殴られた後で静かになった。

 ――そして、まさに乱暴されそうになった瞬間だった。

 音を立て、ドアが開いた。

 男達が目を向けると……龍児が立っていた。


 ******


 ……工作員達にとっても、想定外の事態だった。


 元々の"計画"では――

 一通り女性を辱めた後で、金銭の要求を女性の実家に吹っ掛ける。
 龍児には"身代金請求"の際に、女性の実家を通して知らされる。

 愛する女性を辱められた事に激怒した龍児が、鳴海ナルミ組を襲撃する。
 その頃には既に、工作員達が引き上げている。

 龍児は一通り暴れた後で、責任を取る形で弘瀬組から処分を下される。

 ――これが、一連の"計画"だった。


 しかし、今、目の前に現れたのは、紛れもない弘瀬組若頭の"龍児"だった。

 龍児が、女性を抱き上げて出て言ってから数秒間、沈黙がその場を支配していた。

 が――

 誰が言ったか分からなかったが、誰かが呟いた。

「……なんか不味くないか?」

 その言葉で、沈黙が溶けた。

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