縁の下の能力持ち英雄譚
0042.あさっての方向
「ふぅーーーー」
無意識に止めていた空気を吐き出す。
目の前には黒大狼が横たわっていた。どうやら気絶したようだ。目を覚まさないうちにやるか。
黒大狼の腹側を覗くとちょうど心臓のあたりに蒼く輝く核が見えた。
間違いなくこれが原因だろうが……こんな色もあるんだな。火でいうと青色の方が高温のようなものかな。
心配なのは自分が耐えられるかどうか。念動力ほどじゃないが調和の能力も代償がある。魔物の親玉なだけにその負荷も大きそうだ。けれどここまできてやらないという選択肢はない。こいつが目を覚ましたらまた同じことの繰り返しだ。死ななければ何とか回復できるだろう。たぶん。きっと。できるよね?
もちろん誰からの回答もない。希望的観測のまま黒大狼の核に手を伸ばし、そっと触れた。
「ぐっ、ぐあああああぁぁぁ!」
なんだこれは。今までの比じゃない。ドス黒い何かが自分の中に侵食してくる。
怨嗟? 憎悪? 誰しも少なからず持つであろう負の感情が一気に増長されるような感覚。もしかしてこれが魔物化の原因なのだろうか。肉体よりも精神が崩壊しそうだ。
「ぁっ……やば……」
ーー無茶が過ぎる。
想像以上の負荷に耐えきれなくなりそうになったとき、聞き覚えのある声が頭に響いた。ついさっきも聞こえた、どこか懐かしい声だった。
ーー之を抑えるに汝はまだ未熟。今回ばかりは手を貸そう。
調和を司るもの。能力を授かったことがもうずっと昔のことのように感じる。
あれから色々あった。聞きたいことはたくさんあったが、無慈悲にも段々と意識が遠のいていく。
「あり…が…」
碌に感謝を伝える間もなくブラックアウトした。
ーーいつもご利用いただき、誠にありがとうございます。
あれ?
ーーまもなく列車が参ります。黄色い線より内側に……
ここはーー、駅?
周囲に意識を戻すと駅のホームには大勢の人で混み合っていた。自分は最前列で並んで列車を待っている。
何してたんだっけ? いや、電車を待っていることは間違いないんだけれど。
自分の格好を見下ろす。……ジーンズにシャツ。仕事に行くいつもの格好である。もしかしなくても通勤中としか思えない。でもここまでやってきた記憶がまったく無いんだけど。日常に慣れすぎるとそういうものだろうか。
何かとても重要なことを忘れている気が……。
まあいっか。
それにしても今日は混んでるな。これだから都会の朝は……。
「えっ?」
突然背後から背中を押された。
まったくの無防備だった身体は脊髄反射的に踏みとどまろうとしたが、抵抗虚しく呆気なく線路に投げ出される。
世界がスローモーションに見えた。
線路に投げ出されながら、上半身だけがさっきまで自分が立っていた方へと反転する。
混雑した人混みの中で自分の近くに立っていた人たちの驚愕の表情が目に映る。
そんな中、目立たないように被ったフードの奥で一人だけ不気味に笑っているものがいた。
背格好や出で立ちは完全に人間だが、瞳だけは燃えるように紅い。その輝きはまるで魔石……。
その瞬間、異世界のことを完全に思い出した。しかし、何も言葉を発することができない。
すぐ真横にはもう駅に到着した列車が迫ってきていて……ぶつかっ…。
「うわあああああ!」
力の限り声をあげた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
呼吸が、心臓が苦しい。目からは涙が滲んでいる。寒い。体中からの冷や汗で一気に体温が下がっている。生きている心地がしない。
「ここは……?」
気づいたら布団の上にいた。
「なんだ……今のは」
異常なまでにリアルな夢だった。いや、本当に夢か? 到底そうは思えない。
この世界にきたとき、そのきっかけは全然覚えていなかったが、今のはこの世界に来る直前の記憶ではないのだろうか。そこに今の自分の記憶が重なったような感覚だった。
寒気が止まらない。
俺は、俺は死んだ……いや、殺されたのか?
「何がどうなっている。全然整理ができない」
最後に見た光景。俺を線路に突き落とした人物は魔物の核のような瞳の色をしていた。どう見ても人間じゃない。魔物……いや、魔人とでも呼ぶべき存在だった。
「まさか…‥この世界の……?」
いつから錯覚していた? 異世界が一方通行だって。自分だけが往来しようとしているって。
異世界からの侵略。そんな嘘みたいな話は笑い飛ばすところだが、自分がこの世界に来ている以上否定することができない。
「元の世界はどうなっている?」
冷静になれ。少し飛躍しすぎだ。まだ真実と決まったわけではないし、心配してもすぐにどうこうできるわけでもない。
意識的に呼吸して興奮がおさまってきたところで部屋の扉が勢いよく開いた。
「何事!?」
部屋に飛び込んできたのは、リッカ、ミラ、フィーナの三人だった。
「凄い叫び声が聞こえたけれど」
代表してミラが口を開いた。
「ああ、ちょっとな。悪い夢を見たみたいだ」
少しバツが悪そうに答えた。ありのまま言うわけにもいかない。
「体の方はどうですか?」
そう言えばまだ起き上がっただけで動いていなかった。ベッドからゆっくりと自分の足で立ち上がると一瞬ふらついたが自立した。身体中に傷はあるが骨などに異常はなさそうだった。
「傷は痛むけど、特に問題無さそうだ」
そう答えるとフィーナは安心したように微笑んだ。
リッカは無言で近くまで近づいてきた。そう言えばリッカにはヘタれた情けない姿を見せたっきりだった。
謝るべきか、感謝するべきか。
そう迷っているとリッカが片手をあげた。その表情はすべてお見通しと言わんばかりだ。
やれやれ。どっちが年上かわからないな。
「おつかれさん」
目先の問題が無事片付いたことを労って交わしたハイタッチの音が心地よく響いた。
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