五導の賢者

アイクルーク

何がために人は生きるか

 
 大聖堂。
 全てが始まった場所。
 静まり返ったその中を一人佇む俺はボロボロになった天井を見上げていた。
 戦いにより割れているカラーガラスからは満天の星空がその姿をのぞかせている。
 街の方では復興を願う人々が必死に働いているのか、僅かにその掛け声が聞こえてきた。


「永かったな……ようやく、全てが終わる」


 気持ちを固めた俺が大聖堂を後にするためにきびを返すとそこには見知った顔がいた。


「レン……?」


 扉を開けたことにより吹き込んでくる風が真っ赤なその髪の毛を揺らす。


「よぉ……久しぶりだな」


「どうしてこんなところにいるの!?」


 リアは手に持っていたバケットを放り捨て、掴みかかるように俺へと近づいてくる。


「魔王は倒したの?」


「あぁ」


「じゃあ、どうしてすぐにラノンに会いに行かないの?  ラノンがどれだけ──」


 その続きを言うより早く俺の右手が口を塞ぐ。
 リアは一瞬だけ抵抗するが銀に染まった俺の瞳を見て動きを止める。
 もう続きを言わないと確信した俺はゆっくりと右手をリアから離す。


「悪いな」


 言わなきゃいけないことはたくさんあった。
 それでも俺が口にしたのは謝罪の言葉だった。


「なんで、なんで謝るの!?」


 リアは何かに怯えるように俺の胸倉を掴んでくる。


「リアにはラノンのことを任せることになるだから、謝ろうと思った」


 自分で言ってて目頭が熱くなっていく。


「何があったのかはわからないけど、まずはラノンに会おう?  ね?」


 何かを悟ったのかリアは悲痛な表情を見せ、必死に俺の体を揺らしてくる。


 ラノンに会いたい気持ちがないわけがない。
 できるのならば今すぐにでも会いたい。
 抱きしめたい。
 でも……


「できねえんだよ……」


 俺はリアを振り払うと自分の目を右手で覆った。


「今会ったら、揺らいじまう。何もかも投げ出したくなっちまう」


 俺の叫びに気押されたのか、リアは何も言わずに押し黙る。


「今日の夜、ラノンには部屋にいるように言っておいてくれ」


 言うことを言った俺は立ち尽くすリアの横を通り過ぎ、大聖堂を後にした。














 俺は王城最上階のテラスの柵にもたれかかり、ぼんやりと闇の中見える城下町を眺めていた。
 ここからだといろいろなものが見えてくる。
 漠然と立ち並ぶ家の一軒一軒に家族や恋人同士、ハンターが住んでいるのだろう。


 そういえばこれまで他の人のことをあまり深く考えたことはなかったな。


 生きているうえで中心となるのはあくまで自分、赤の他人に対する関心など普通の人は持たない。
 興味を持つのはあくまで自分と関わる人だけ。
 しょせんは人間なんて自己中心的なものだと思っていた。
 少なくとも自分は。


「人って、変わるんだな」


 背後から何者かが近づいてくるのがわかった。
 見なくてもわかる、俺を呼びに来た兵士だ。


「準備は、できたのか」


「はい、この城にいる方は全て集まりました」


「そうか」


 柵に預けていた体重を引き戻すと、兵士の方へと向き直る。


「わざわざ呼びに来させて、わるいな。仕事に戻ってくれ」


 俺はそう言って開けっ放しになっていた大窓から会議室へと足を踏み入れた。
 会議室の中にはその見た目だけで裕福な暮らしがわかる者達がコの字型に並べられた椅子に腰をかけている。
 彼らは部屋に入ってきた俺の顔を見るなり一気に表情を硬くした。


「急に夜中に呼び出してしまったことをまずはお詫びします」


 かつては忌み嫌っていた重役達に深々と頭を下げる俺。


 まぁ、今も別に好きじゃないけどな。


「顔を上げたまえ」


 会議室に響く厳格な声、王の言葉により俺は傾けていた体を元に戻す。


「色々と訊きたいことはある。だがまず初めに訊いておかねばならないことがある」


 僅かに間を置いた王。


「魔王は倒したのか?」


 俺も最初に聞かれるだろうと想像していた質問。


 普通に考えてもこれが一番気になる質問なのだろう。


「簡潔に言いますと、倒しました」


 俺のその一言で部屋全体の空気が一気に緩むのがわかった。
 さすがの王も安堵しているのか背もたれに体を預け、息を深く吐いている。


「ですが!!」


 俺が気の抜けた空気を制するように声を荒げると、再び部屋の空気が緊張のあるものへと戻る。


「また魔王と呼ばれていた存在は復活するでしょう」


 俺のその言葉に僅かに首を傾けながら隣と顔を見合わせる重役達。
 その中の一人が他の人たちの言葉を代弁するように口を開く。


「それはこれまでと同じことではないのか?」


 数十年おきにバエルが復活することは周知の事実。
 いまさら言うことでもないのだろう。
 それがこれまでと同じものなのだとしたら。


 俺は真剣な表情で話を聞きいる彼らに背を向ける。


「お前らもこの城を魔王が襲撃した理由。気づいているんだろ?」


 俺の視界の端に今の発言を受けて顔色を変えた重役どもが映る。


 知っているのは全員じゃなかったのか。
 まぁ、下手に広まったらかなりやばそうだからな。


「この城の隣にある大聖堂、そこにある魔法陣の破壊だ」


 そう、バエルがこの城を襲った理由はその一点だけだった。


 考えてみれば最初の魔人が襲ってきたのも陽動だったんだな。


「そ、それはつまり、もう勇者を召喚できないということかね!?」


 俺が振り向くとその事実を知らなかった者達が顔を真っ青にしてこちらを見ていた。
 それもそのはず、これまで人間がバエルに対抗できたのも勇者、賢者の力があったから。
 それらの力無くして魔王討伐など考えられない。


「いや、そうじゃない」


 だが皮肉なことにもうそんな心配などする必要がない。


「あの魔方陣の本当の目的は悪魔達、魔王とその仲間を封印することだ。それがなくなった今、これまでの魔王以上の化け物どもが復活するのも時間の問題だろう」


 重役達の顔からさっと血の気が引くのが目に見えてわかった。


「勇者はどこだ!!  彼がいればその悪魔とやらも──」


 俺は勇者という単語が出た瞬間に背中のエクスカリバーを引き抜くと、ドンと地面に叩きつけるように目の前の石畳に突き立てた。


「皇は死んだ。死体は保管してある……ちゃんと、埋葬してやってくれ」


 俺と違ってあいつは正真正銘の勇者だ。
 世界を守った英雄としてその最期を迎えるのがあるべき姿。


「終わりだ……我々は、死ぬんだ」


 各々が視線を落とし打ちひしがれる中、一人がボソリとそんなことを言う。


「いや、私達の総力を決すれば勝てる可能性は十分にある!!」


 ある者は負の伝染を抑えるために声をあげ、


「無駄だ。例え王国の全戦力を投入したところで魔王と同等、いや……それでも倒せない」


 ある者は冷静な分析を、


「ではどうするのだ!!   このまま黙って死ねと言うのか!?」


 ある者は恐怖に怯え、錯乱していた。




銀の翼ソウルブレイブ


 俺はそんな重役達に見せつけるように銀の魔力を全身に纏うと目の前のエクスカリバーの柄を握る。


「別にお前らにどうにかしようなんて期待はしていない。俺がここに来た理由はただ一つ、この王城、城下町にいる全ての人を街の外へと避難させてくれ。それ以上は何も望まない」


 そう、今まともに悪魔と戦えるのはこの世界に俺だけ。


「勝てるのか?」


 俺の魔力に気圧されて重役達が黙り込む中、王だけは厳格な表情でそう訊いてきた。


「勝てるかどうかでいえば一体を除けば、一対一で負けることはまずない。杞憂なのは俺の魔力が持つかどうかだ」


「その悪魔とやらは全部で何体いるのだ?」


「七十二体」


 さすがの王も眉を吊り上げその目を見開いた。
 一体であれだけ脅威だった魔王が七十二体と考えればその数字がどれだけふざけているのかがわかる。
 唯一の喜ぶべき点は召喚が同時ではない点。
 どうにも破壊された魔方陣を見る限り悪魔一体出るのにもかなりの時間がかかりそうだ。


「七十体以上も相手に魔力がもつというのか?」


 王の言うことは最もだ。
 いくら俺がこの力を手に入れたからと言ってもその魔力は無限ではない。
 まともにやったとしてもせいぜい十体倒せるかどうか、といったところだろうか。


「命を、魂を使う」


 文字通り俺はこの戦いに命を懸ける。
 俺の中にある勇者、賢者、そして俺自身の魂を魔力へと変えれば勝機は十分にある。
 だがそれは……


「死ぬつもりか」


 俺はその問いに答えることをせず、逃げるように背を向けた。
 わかっていても言葉にしたくない、そんなところだ。


「これで会議は終わりだ。各自速やかに避難の手配しろ」


 王がそう言った直後慌てた様子で重役達が部屋を去っていくのが感じられた。
 市民への通達や護衛、受け入れ先などやらなければならないことが山積みだろう。
 だがそれでもやってもらわなければならない。


 部屋から立ち去っていく足音に混ざって一つだけ俺に近づいてくる足音があった。


「明日の夜までには避難を終わらせる、それでかまわんな?」


 俺の横に並んだ王はなんて事のないように断言したがそれは決して簡単なことではないだろう。


「さぁな。悪魔がいつ来るかなんてのはさすがにわからない。遅ければそれだけ被害の出る可能性が高まるということだ」


 たとえ市民の避難が終える前に悪魔が来たとしても俺は構うことなく戦うだろう。
 ラノンを守るためにも、俺は絶対に最後まで戦い抜かなければならないから。


「娘には、ラノンには別れを済ませたのか?」


「……」


 俺はその問いに答えない。
 いや、答えられない。


「戦いの準備をしてくる。避難誘導は頼んだ」


 俺は地面に突き刺さっていたエクスカリバーを引き抜くと背中の剣帯に納めて王に背を向ける。


「娘達の避難は夜明けだ」


 俺の去り際に残した王の一言は胸の中に重くのしかかった。














 僅かに慌ただしさの出てきた城内、松明の明かりが消えてすっかり暗くなった通路の中をゆっくりと歩いていた。
 道順は覚えている。
 それこそ何十回も通ったわけではないが一回一回を胸に刻みながら歩いた道だ。
 忘れるはずがない。


 気が付けばラノンの部屋の扉の前まで来ていた。
 何を話すか考えているうちに着いてしまい、話すことなど何一つまとまっていない。
 それでも俺は迷わずに目の前の扉を二回ノックする。
 部屋の中からはきっと俺を待っていたであろうラノンが走って扉に向かってくるのがわかった。


「凍れ」


 足音が扉に辿り着くよりも早く俺は手をかざすと、それが開かなくなるように可動部分を氷で覆いつくした。


「レンさん!!」


 勢いよく扉を開けようとする音が扉越しに聞こえてくるが、凍り付いた扉はピクリとも動かない。
 しかし、それを受け入れられないかのように何度も、何度も扉を揺らしている。


「レン……さん?」


 はじめに聞こえた明るい声とは打って変わって低いトーンの不安げな声だった。


「ラノン……久しぶり、だな」


 喉の奥から絞り出した俺の声はひどく掠れていた。
 俺の声を聞いて安心したのかラノンの泣き出すような声が扉越しに聞こえてくる。
 静かに背中から大剣を引き抜くと手にしていた刀と共に近くの壁に立てかけた。
 俺が背中を扉に付けるとそのまま体重を静かに後ろへと傾けていく。
 すると背中から何度か衝撃が伝わってくる。


「すみません、どうやら扉の調子が悪いようで……そちらからも開けてもらえますか?」


 そう言いながら何度も、何度も扉を揺らすラノン。


「この扉は開けられない」


 俺はその言葉と共に手に込めていた魔力を使い、扉の向こう側の面まで氷を広げる。


「えっ……?   何をしているんですか?   冗談はやめて下さい!」


 扉が強く叩かれ、その振動が体に響き渡る。


「冗談なんかじゃない。今日はこのまま話そう」


 扉の向こうでどんな顔をしているのかはわからないが、床を通して膝をついているのはわかった。


「どういうことですか?   何があったんですか?   お願いですから扉を開けて下さい」


 泣きつくような声で必死に呼びかけてくる。


 話すべきことはたくさんある。
 皇のこと、悪魔のこと、賢者のこと……
 だがもう、夜明けまでそう時間はない。


「ごめんな、ラノン」


 涙を押し込むように顔を上げると後頭部が扉に軽くぶつかる。


「何を……何を謝っているのですか?」


 なぜだろうか。


 俺の頭の中にこれまでのラノンとの記憶が思い起こされる。


 それはまるで走馬灯のように脳内を駆け抜けていく。


 短い。


 ラノンとの記憶はあまりに短すぎる。


 その続きがもっと、もっと続くと思っていた。






「約束、守れなくなった」






 それはかつて俺がラノンを励ますためにしたもの。


『俺は死なない』


 その時は自分の余裕からこの言葉を口にしたが、それは次第に俺の中で大切なものへと変わっていた。


「どういう……こと、なんですか?」


「忘れたわけじゃないだろ?」


「忘れるわけないじゃないですか!!   なんでです?   魔王は倒したんじゃないんですか!?」


「あぁ、倒した。だが、それで終わりじゃなかった」


 ラノンが扉の向こうで泣き崩れている。
 それを俺は黙って聞いていることしかできない。


「もう、いいじゃないですか。もうレンさんは十分頑張りましたよ!   きっと誰かが、誰かが何とかしてくれます!!」


 そうだ。
 俺はこれまでずっと自分が生きていればそれでいいのだと思っていた。
 自分の命より大切なものなんて無いと思っていた。
 だけど、今俺はラノンのために死ねるのならそれでいいと思っている。


 ラノンと二人で悪魔達から逃げ続けることは可能なのかもしれない。
 世界中を見捨てて二人で生きる、そんな選択肢もあった。
 だがきっとそんなことをしてもラノンは笑わない。
 だから俺は死ぬことを選ぶ。


「俺がやらなきゃこの世界のすべての人が死ぬことになるだろう」


「でも、どうしてレンさんだけがっ!?」


 涙ながらの必死の訴えはきっと誰に向けられたわけでもない。


「けどな、俺がやるのはこの世界のすべての人なんかじゃない。それだけは……わかってくれ」


 耐えていた何かが壊れたかのように涙が溢れ、零れていく音が聞こえた。


「この世界に来てからずっと辛いことばっかだった」


 泣いているラノンから返事は帰ってこない。


「訳も分からず賢者にされて、殺されかけて、馬鹿みたいにきつい鍛錬して、元の世界に比べたら地獄みたいなとこだった」


「でもラノンに会えた、そのことだけでも俺はこの世界に来れて良かったと思っている」


 言いたいことを言いきった俺の視界に数人の兵士が映る。
 迎えの兵士だろう。
 俺は重く、動こうとしない体を立ち上がらせると二本の剣を手にする。


「愛してる、ラノン」


 そう言って俺が脚を一歩踏み出したところで扉の向こうから立ち上がる音がする。


「私も愛しています」


「じゃあな……幸せになれよ」


 俺は涙声でそう言うとその場をあとにした。









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