五導の賢者
帰還
晴天の青空、旅立つにはこれ以上ないというくらい清々しい天気。
コロシアムでの戦いから一週間が経ち、用事のなくなったラノンはこれまでの道を逆戻りすることになった。
だが行きとは少し違い、帰りは馬車で送迎される。
そして今、俺の目の前で三台の大型馬車に荷物が積み込まれている。
「レンさん、ぼーっとしちゃって‥‥どうかしたんですか?」
隣に立っていたラノンが馬車での作業に見入っていた俺の顔を覗き込んでくる。
大男達がせっせと荷物を運ぶ様はなかなか新鮮だった‥‥というか重そうな荷物も多く少し申し訳ないような気持ちにもなった。
「あぁ‥‥いや、荷物って意外と多いんだな、って感心してた」
どうやらこの世界の馬は見た目こそ元の世界と同じだが、馬力は桁違いに高いようだ。
元の世界の馬力が具体的にどのくらいかはわからないが、目の前の光景を見れば一目瞭然。
馬車の中には食料や水、寝具などが運び込まれているがその質はどれも極めて高く王族を送るにはふさわしく見えた。
「レンさんは今まで馬車に乗ったことがないのですか?」
「一応はあるが、こんな金のかかってそうなのに乗るのは初めてだ」
せいぜい師匠に同行していた時に何度か利用したくらいか。
護衛系の任務は一切受けたことがないしな。
「ではレンさんのいた世界に‥‥あ、クルマでしたっけ?」
つい自分の世界に合わせて考えていたラノンだったが、旅の途中で俺が話したことを思い出したようだ。
「あぁ。馬車もなくなったわけじゃないが、好き好んで乗る奴はいないな」
「そうなのですか。どのようなものなのか見てみたいです」
と、そんな取り留めのない話をしていると馬車への積み込みが終わった大男達が大声でその旨を伝えてくる。
この馬車に乗るのは俺、ラノン、グレイス、リア、アドネスに御者二人、そして皇とその付き人三人。
もともと皇はベルーガに大した用事がなかったらしいのだが、ラノンが魔人に狙われていることを知りわざわざ来たとか。
わざわざご苦労なとことだ。
「ラノン、レン、こんなところに立っていないで、早く乗りましょう」
装備を整えたアドネスが俺とラノンの隣を通り、馬車の中へと入っていく。
「アドネスの言う通りです。レンさんもまずは馬車に入りましょう」
「あぁ」
慣れた動きで馬車に入るラノンの後ろで俺は隣の馬車に乗ろうとしていた皇の方を見る。
皇もこっちの視線に気づいたようで軽く笑ってから馬車の中に姿を消す。
戦った後も何度か顔を合わせる程度の機会はあったが、一切敵意のような感情が向けられることはなく大抵が不敵に笑っていた。
一晩寝て冷静になってから思ったのだがこの間の一件、皇は俺を試していたのではないか、と。
顔を正面に戻すと目の前にあった高い段差に足をかけ、一気によじ登る。
頭が天井にぶつからないように屈みながら中に入ると妙にきらびやかで広々とした空間へと入り込む。
「レンさん」
ただ俺の名前だけを呼ぶラノン。
向かい合って並んでいる片方の座席に座っており、隣に一人分が座れるような場所が空けてあった。
先に入っていたアドネスはラノンの正面で‥‥おそらくグレイスとリアもアドネスに並ぶ感じで座ることになるのだろう。
俺は何も言わずにラノンの隣ギリギリに座る。
「随分と、広いんだな」
「えぇ、これは貴族用に作られた高価な馬車ですので」
そのラノンの言葉は強烈な説得力があった。
俺とラノンの後ろにいたグレイスとリアも馬車の中に入ってき、案の定ラノンとは反対の座席に座る。
「出してください」
アドネスは体だけ窓から出し御者に聞こえる程度の声で叫ぶと、数秒後に馬車全体が大きく揺れ始める。
馬車を引く二匹の馬がリズムの良く足音を響かせながら前へ前へと進み出す。
「なんか、あっという間だったな」
ベルーガにいた滞在期間が特別短かったわけではないのだが、その間に色々なことがあったことがそう思わせているのだろう。
「ですが、本当に良かったのでしょうか。共同戦線の話、なくなってしまって‥‥」
うつむいて唇をギュッと噛みしめているラノン。
俺はそれを安心させるように軽く笑う。
「安心しろ。俺がそれ以上に活躍する」
これを聞いたラノンは少し複雑そうな顔をする。
嬉しい半分、申し訳ない半分、ってとこか。
「でもさー、レンが戦うなら千人力だよね!!   だって、魔人も一人で何体も倒しちゃうんだから」
リアが不意に横槍を入れてくる。
「まぁ、だがそう考えると皇はどんだけの魔人を相手にできるのか、想像もつかねえな」
「そういえばスメラギさん、王都にいる時もいつも鍛錬してました。きっと、たくさん努力してきたのでしょうね」
あいつが努力、か。
確かに昔とは比べものにならないくらい強くなったからな。
あれなら一人で魔王も倒せるんじゃないか?
そんなことを揺れる馬車の中、だらだら話しながら俺たちは王都へと向かっていた。
アレーナを出発してから三日が経った。
空は薄い雲で覆われ、北にあるはずの太陽を覆い隠している。
この世界では元の世界と同じように太陽が存在するのだが、日本とは違い、東から昇り北を通ってから西に沈む。
それはこの大陸のどこでも同じで決して変わることはないらしい。
さすがに馬車に三日間乗っていると会話の話題も尽き、沈黙の時間が増えてきた。
ラノンは窓から見える外の風景を眺め、グレイスとアドネスは黙って目を瞑っている。
アドネスは起きているように見えたがグレイスは普通に寝ているようだ。
そしてもう一人、リアは嬉々とした顔で手に持った短刀で木を削っており、荒く削られた木片に模様を彫っていた。
「リア」
「ん、なに?」
手を止めることなく気の抜けた返事をするリア。
何を作っているかはさっき訊いてみたがなぜか教えくれなかった。
「いつから木彫りなんてやってたんだ?」
別にこの世界では珍しい趣味ではないがやっている人は意外に少ない。
「え〜と、子供の頃から、かな」
アバウトなリアの答え。
昔は貴族だったらしいから、その時に親にでも習ったのか?
昔のことを訊いていいものかと口を噤んでいるとラノンが顔をこちらに向けてくる。
「私も昔に、少しだけ教わりました。レンさんはないのですか?」
「木彫りの経験か‥‥」
思いつくのは小学校だったか中学校だったかの美術の授業だ。
ドアストッパーのデザインを彫った記憶がある。
「一応はあるけど、リアみたいに短刀を使ったことはないな」
「短刀を使わないのですか?」
「あぁ。彫刻刀っていう、木を彫る専用の道具があるんだ」
娯楽のためだけに道具を作っているほど、この世界の人達に余裕はない。
別にその違い説明することに意味はないのだが、いかんせん暇だ。
「まぁ、ただ彫ることを──」
補足をしようとした俺の口が止まる。
理由はここまで止まることなく進み続けていた馬車が不意に止まったからだ。
休憩、か?
いや‥‥それにしては早すぎる。
不穏な空気を感じ取ったグレイスとアドネスはすでに目を開け、敵を警戒し始めていた。
俺は立てかけてあったクインテットを手に取ると馬車の扉を小さく開ける。
「少し様子を見てくる」
「‥‥気をつけて下さい」
ラノンの不安気な顔を横目に俺は馬車から飛び降りる。
足から伝わってくる舗装され固くなった土の感触。
視界に広がるのは荒んだ岩と砂からなる荒野だった。
地面には僅かしか草が生えておらず、生き物が住んでいそうな環境ではない。
「蓮、来い」
俺たちの前方を走っていた馬車の上に乗った皇が来るように手招きしてくる。
俺は軽く助走をつけると安定した地面を踏みしめ、馬車の上まで一気に飛び上がった。
「状況は?」
馬車の上で態勢を整えながら正確な今の状況を確認する。
すると今いる道から真っ直ぐと続いている先に魔物の軍勢が見えた。
オークが主体となり五十前後の大型小型と多様な種族が並んでいる。
「見ての通りだ。ただし正面にいるのは囮の可能性も十分に考えられる」
魔物がこんな計画的な作戦を立てるはずがない。
‥‥魔人の仕業か。
魔人は完全にとまで言わないが、ある程度魔物を操ることができる。
俺と皇を同時に相手にするならそれ相応の策を講じていると考えた方が自然。
改めて見渡してみると近くには大岩や段差など隠れられるような場所は幾つかあった。
「どうする?」
おそらくここは皇に指揮を託すのがベスト。
「まず俺と蓮で左右に散り、隠れている魔物を殺す。その後に正面だ。いけるか?」
ノータイムで答える皇。
速度的問題で不安はあるが、身体強化を使えばどうにかなるか。
「あぁ、いつでも」
「なら──」
俺はクインテットに、皇はエクスカリバーに手をかける。
「行くぞ」
その掛け声で二人は同時に馬車を飛び降りる。
俺は身体強化・風により加速した体で荒野を駆け抜ける。
次々と隠れられそうな場所を確認していくが何もいない。
‥‥実はいない、とかないよな?
若干不安になっていると俺が高々と飛び越した段差の下に大量のワーウルフが潜んでいた。
俺と目のあったワーウルフ達は唐突な出来事に硬直している。
飛蓮
地面に着地すると同時に進行方向を反転させ、ワーウルフ達のど真ん中に入り込むと翠に染まったクインテットを振るう。
「斬空・乱」
八連続の乱れ切り。
俺はそれを一つ一つ確実に当てていき、固まっていたワーウルフ達の数を半減させる。
だがすぐに臨戦態勢に切り替わったワーウルフは挟み撃ちにするように左右に分かれた。
多方向からのコンビネーション攻撃、普通なら厄介だろうが‥‥
飛蓮
分断されたワーウルフ達の片方の下まで跳ぶ。
俺としては好都合。
「炎刃、雷閃、加重剣」
一撃で二体、あわよくば三体を仕留めながら突き進む。
周りにワーウルフがいなくなったのを悟ると、俺を背後から襲おうとしていたもう片方のワーウルフ達の方へ左手を向ける。
「暁の烈火」
橙色の炎が瞬く間にワーウルフ達を覆い尽くすと、断末魔を上げながら焼き尽くす。
これで‥‥終わりか。
俺は視線を元来た道に戻すとすぐに魔物達の軍勢の方へと走り出す。
風をまといながら走り続けていると最初は小さく見えていた軍勢が次第に大きくなっていく。
魔物の軍勢の数は減っておらず、皇を探すように視線を右へと向ける。
どうやらそこまで本気を出していないようで俺より少し遅れて走っていた。
俺の頭に二つの選択肢がよぎる。
このまま一人で突っ込むか、皇を待つか。
多分俺一人でも問題なく倒すことはできるだろうが‥‥
俺は身体強化・風を解くと足を止めて皇が追いつくのを待つ。
「身体強化・水」
その間、全身に水をまとい身体強化・風によって傷ついた体を癒す。
身体強化・風は身体強化・雷に比べて小回りが利かない分体への負担が少なくあっという間に治療することができた。
「随分と早かったな‥‥また、無茶をしたのか」
コロシアムの時より弱い光をまとった皇が後ろから俺に声をかけてくる。
そういえば皇は戦ってた時、身体強化を観察していたな。
「あぁ。これが俺の戦い方だ」
身体強化・雷を使うと、むき出しのクインテットを迫ってくる魔物の軍勢に向ける。
すると俺の横に立った皇が背中からエクスカリバーを抜くと俺と同じように魔物に向けた。
「そうか‥‥なら、行くぞ」
俺と皇は地面を蹴り間近に迫っていた魔物の群れの中へと飛び込む。
先行したのは皇、魔力の込めたエクスカリバーで広範囲にいる魔物を一度に吹き飛ばす。
魔物達が怯んだ隙に皇の横を抜き去った俺が翠に輝くクインテットで二の足を踏むオークを切り裂く。
オーク達が強化された俺の動きについてこれるわけもなく、一体二体と数を減らしていく。
「聖天矢」
クインテットを振るうを俺の後ろから詠唱が聞こえたかと思うと、次の瞬間真上に向かって強い光が打ち上がっていく。
「避けろ」
その皇の言葉に反応した俺はオーク達から逃げるために一歩下がると、天から落ちてくる数十にも及ぶ光の矢の回避行動をとる。
だがオーク達はそう上手くはいかなかったようで次々と光の矢にその身を貫かれていた。
十‥‥いや、二十くらいか。
俺は残ったオークの数を数えながらクインテットを正面に構える。
「残り二十一体。後は剣だけでいく」
っ‥‥数えるの早いな。
それはおそらく状況把握能力に関係している。
勇者の力関係なしの皇自身の才能、か。
「なぁ‥‥皇」
俺は向かってくるオークの攻撃を避けると、すぐにクインテットで胴体を両断する。
「なんだ?」
皇も同じようにその場から動かずにオークを仕留めている。
「お前が棄権した理由、考えてみた」
コロシアムで皇が去り際に自分で考えろ、と言った。
だから俺は、考えた。
「‥‥それで?」
皇は横目でチラッと俺の方を見るが、すぐに目の前のオークへと視線を戻す。
「俺の力とベルーガの兵力を天秤にかけそれが俺の方に傾いた、違うか?」
皇は利害で物事を考えている。
ゆえに俺はこの結論に至った。
「惜しいな」
皇の持つエクスカリバーが強く光ったかと思うと一瞬で六体ものオークを消し飛ばす。
「今の蓮の力とベルーガの兵力なら、少しだけベルーガの兵力に天秤は傾く」
「‥‥‥‥斬空」
俺は最後の一体の首をクインテットで跳ね飛ばす。
「なら、どうしてだ?」
構えを解いた俺は皇の方に向き直る。
「いずれわかる」
皇はエクスカリバーを剣帯に納めながら俺に背を向けラノン達の所へと戻ろうとしている。
それを止めようと反射的に俺の手が皇の肩を掴む。
「お前はこの世界で‥‥何を見た?」
殺し合い、略奪、無情、独善‥‥元の世界とは桁違いの不条理の数々。
元の世界を知る唯一の人物として俺は皇に訊きたかった。
皇は俺の手を払うとこちらに体を向けてくる。
「絶望‥‥それと小さな希望」
勇者である皇も俺と同じようにこの世界に絶望していたのか。
「俺にはあらゆる才能があった。元の世界にいた頃は全てを思い通りにすることができ、何一つ叶わないことなどなかった」
そんな自慢のようなことを語る皇の顔は決して明るいものではなかった。
「だが、この世界は違った。どれだけ強くなろうとも、どれだけ必死に戦い続けても人が死に続けることを止めることはできなかった」
皇は胸の前で拳を強く握り震わせている。
「多くの兵士が俺の見えないところで死に、いくつもの街が俺がたどり着く前に滅ぼされた」
「結局は勇者の力といっても所詮は個人の力。全てを守り切ることなど、できるわけがなかった」
どこか遠くを見ている皇の目。
その目はあまりに悲しみが満ちており、歩んできたこれまでの道の凄まじさの一端を語っていた。
「そんな俺を‥‥独りで戦おうとする俺を懸命に支えようとしてくれる女がいた。そいつが俺にとっての希望だ」
なぜだか俺の中でラノンの顔が思い浮かぶ。
と同時に俺の中で新たな疑問が生まれる。
「お前は‥‥知っているのか?   魔王との戦いで生き残った勇者がいないということを」
三年前に見た古びた本、英雄の記録。
そこには確かに犠牲者として全ての欄に勇者の名前があった。
「それがどうした?」
さも何てこともないかのように訊き返してくる皇。
俺にはそれが信じられなかった。
「‥‥お前、死ぬかもしれないんだぞ?」
「それで勝つことができるのなら、構わない」
薄々は勘付いていた。
皇と俺とでは自分の命の重さが違うことを。
いや‥‥守ろうとする意志の強さ、か。
何も言い返すことができなくなった俺がその場で俯いていると皇が再び背を向ける。
「別にこの生き方を強要するつもりはない。お前はお前の生きたいように生きればいい。ただ俺は‥‥あいつのために平和な世界を作ってやりたい、それだけだ」
皇はそれだけ言うと瞬く間に馬車の方へと消え去っていった。
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