五導の賢者
追想・1/810
もうそろそろ師匠と出会ってから四ヶ月が経つ。
弟子になることを決めた俺はただ師匠の言うことに従い、そしてその背中を追い続けた。
最初の一カ月は旅をしながらの修行だったが、今では北にある小さな農村に身を置いている。
この村は南にある魔王の土地から遠いこともあり、魔物の数が少ない平和な村として食料生産に勤めていた。
ここは村の外にある小さな森。
この村に来てから三ヶ月が経ち、本格的な修行に入った俺は刃引きされた刀を手に、怠そうに片手で刀を持つ師匠と向き合っていた。
もちろんのこと師匠の刀を刃引きはされている。
茶よりの金髪天然パーマに片手は刀、片手は酒の入った革袋。
その組み合わせは奇妙な調和のとれており、師匠らしさを表していた。
「おいおい、どうした?   かかってこないなら帰っちまうぞ」
どう攻めるか考えるだけ無駄だと言いたいのだろうか妙に急かしてくる。
「そうだな」
俺は地面を勢いよく蹴り飛ばすと五メートル程あった間合いを一気に詰める。
その勢いに任せて放った横薙ぎ。
それは本来なら片手で持った刀で受けられるようなものではないが、師匠は難なくそれを可能とする。
これは想定済み。
俺は右足を軸にして遠心力を生かした回し蹴りを師匠の脇めがけて放つ。
だがそう簡単に決まるはずもなく、左足が師匠に触れるより早く、師匠の足が俺の足を蹴り上げる。
師匠は手にしていた刀を手放すと、力が失われ宙に上がっていた左足を掴み後方へと投げ飛ばす。
「くそっ」
勢いよく地面に叩きつけられ背中に激しい痛みが走る。
だが、この四ヶ月で動きを止めることの危険を知った俺はすぐさま横に転がりながら態勢を立て直す。
直後、俺のいた所に師匠の刀が突き立てられる。
凌いだ。
その一瞬の安心が俺の僅かに動きを止めてしまう。
「はいざんねーん」
俺は胸部を蹴り飛ばされ、そのまま地面の上を後ろ向きに強く引きずられる。
もちろんのこと師匠が手を休めるわけがなく、こっちに向かってきていた。
「縛雷」
俺は立ち上がる時間を稼ぐために牽制として雷を放ったが、師匠はそれを片手で受け止めた。
「なっ!?」
「ようやく魔法を有効に使えるようになったじゃねえか」
どうにか立ち上がれた俺は本能的に師匠から距離をとるように飛び退いていた。
乱れた呼吸を整え、刀を両手で握りしめる。
縛雷は効かない‥‥なら他はどうなんだ?
師匠は左手に持っていた革袋に口をつけ、首を大きく傾ける。
「あっ?   もう酒がねえじゃねえか」
俺の背筋に寒気が走る。
師匠との修行は酒がなくなってからが本番と言っていい。
口の中に溜まっていた唾を飲み込み、重心を落とす。
師匠は革袋を適当に投げ捨てると今日、俺と向き合ってから初めて刀を両手で握った。
「今日は‥‥多対一だったか?」
師匠との修行にも色々なパターンがあり、毎日ローテーションしながらこなしている。
師匠曰く、どんな状況にも対応できるようにするためだとか。
俺は肺の中の空気を一度全て吐き出してから深く吸い込む。
「あぁ」
ここからの攻防は‥‥いや、防戦は息をする暇すらない。
「そうか。じゃあ‥‥いくぜ」
師匠は腰に差してあった小刀を抜くと一瞬で間合いを詰めてきた。
刀を引いている師匠の体からは僅かに放電現象がおこっている。
「っく!!」
俺は師匠が軽く振った刀を刃の上で滑らせて受け流す。
師匠にとっては軽くでも俺の斬撃よりも威力は上。
一撃目を凌いだ俺に安心する余裕はなく、目の前から消えていた師匠の気配を感じ取る。
‥‥左後ろ!!
即座に振り向き、俺の首に迫っていた小刀を受け止める。
その際、俺の重心が後ろに寄ってしまう。
再び姿を消した師匠は無防備な俺を真横から刀で殴りつける。
脇腹に深くめり込んだ刀が俺に声も出ないほどの激痛を与えた。
「おら、まだまだ終わってねえぞ」
歯を食いしばり、意識を定めると正面にいた師匠に刀を振るう。
もちろんのこと俺の刀は空を切る。
「まだ、まだっ!!」
瞳孔の開き切っている俺は、その後も師匠の猛攻を受け続けた。
大きな満月が浮かぶ夜空の下、俺は延々と続く道を息を切らしながらも走り続ける。
静まり返った田舎道には俺が地面を蹴る音のみが響き渡った。
師匠は何の用かはわからないが夜になった頃には姿を消しており、いつ戻ってくるかすらわからなかった。
「五週目」
俺と師匠が滞在している家をスタートとして村を囲う柵に沿って元の位置に戻ってくるまで走る。
これを一周として、俺は毎日十周は走るように心がけていた。
さらにより実践的にするために俺の左手には鞘に納まった刀が握られている。
何度か魔物との戦いを得てわかったことだが、実際に刀を振って戦うのは相当スタミナを消費する。
その時は数体だったお陰で力尽きることはなかったが、この先も多くの魔物と戦うのならば体力はつけておくに越したことはない。
少し体力がついたのか、いつもより疲労感が少ない気がする‥‥
俺がペースを上げようと思った矢先、少し先に二つの人影が見える。
こんな夜遅くに‥‥どうしたんだ?
この村じゃ日が暮れてから外を出歩くような人はまずいない。
「おいおい。つれないない〜。一緒に遊ぼうぜぇ〜」
「‥‥止めてください」
少し近づいてわかったが片方はこの村にいる俺と同年代くらいのミィウという女の子だ。
内気で最初の頃はほとんど話してくれなかったが、何度か顔を合わせていくうちに雑談できる程度には仲良くなることができた。
ミィウと一緒にいる男はこの村で見たことがなく、簡素な防具と腰に差した剣からハンターであることは一目でわかった。
ミィウは初めて会った人と気さくに話せるようなタイプじゃない。
‥‥ナンパか。
顔を赤くした男は逃げられないようにして必死に話しかけているが、当のミィウはどうしていいかわからず黙って俯いてしまっている。
「おーい、ミィウ。どうした?」
面倒だったがこのまま見過ごすわけには行かず、わざと大きな声を出しながら駆け寄った。
俺の声に即座に反応したミィウはすぐに顔を上げて俺の方を見てくる。
その瞳は普段とは違い、僅かに潤んだものだった。
「あ‥‥レンくん」
「なんだてめぇ?」
ナンパしていた男が俺を睨みつけてくる。
元の世界にいた頃なら怖がっていたかもしれないが師匠と対峙し続けた成果か、今は全く恐怖を感じなかった。
さて‥‥どうしたものか。
目の前にいる男は明らかに酔っているとはいえ、おそらくはハンター。
荒事にはしたくないな。
と、男の気が俺に向いたことで意識の逸れたミィウがスッとこちらまで逃げてくる。
「あ、ちょっ‥‥」
男は慌てて手を伸ばすがそれより早くミィウは俺の背中に隠れた。
「怖かった‥‥」
俺の背中に添えられたミィウの手が震えているのがわかる。
どうやらミィウが俺の方へ逃げたことが気にくわないようで、男は怒りを露わにしている。
「おい、その女はこれから俺と楽しく遊ぶんだよ。おらっ!!   さっさと寄こせ」
まるですでに自分のものであるかのような言い方。
どうにもその傲慢な態度が俺の癇に障った。
「あんた、ハンターだろ?   それがこんな女の子を無理矢理口説いて、恥ずかしくないのか?」
穏便に片付けたかったがついつい勢いで言ってしまう。
すると、俺のその言葉がよほど気に入らなかったのか男は顔をさらに赤くして拳を振り被る。
ちっ‥‥結局こうなるのかよ。
今までも旅の途中でハンターと喧嘩することはあり、その際は師匠が俺に丸投げしていたが、それでもその時は後ろに師匠がいるという安心感があった。
だが‥‥今はそれがない。
「ミィウ、下がってて」
「えっ‥‥」
さすがに場慣れしていないミィウに素早い反応を求めるのは酷だったのか、俺の背中で硬直している。
自分に向かってくる拳を受けざるを得なくなった俺は右手の掌を顔の前で構えた。
すると、まるで男の拳が俺の掌に吸い込まれるように収まる。
「なっ!?」
男は驚愕の表情を浮かべ、逃げるように後退した。
今のはどう見たって顔狙いなのは一目瞭然だったからな。
受けるのも簡単だ。
ミィウも俺の近くにいるのは危ないとわかったのか数歩ほど下がる。
「てめぇっ、何もんだ!?」
意識が高ぶっている男はこれで、戦意を失うことはなかったようで拳をワナワナと震わせている。
男は本気になったのか先ほどまでより明らかに構えが変わった。
これはもう‥‥やるしかないな。
「ただの旅人‥‥の弟子だ」
俺は男との間合いを一気に詰めると、左手に持っていた刀の柄で顔めがけて突きを放つ。
さすがハンターといったところか、俺の全力の突きを両手で防いだ。
だが代わりに腹部はガラ空きになり、俺はそこに六割くらいの力で膝蹴りを入れた。
「っ‥‥うごっぉ‥‥」
男は胃の中のものが一気にこみ上げてきたらしく慌てて口を押さえている。
こんなとこにいるようだから大したことはないと思ったが、正にそうだったな。
「あんたもこれで少しは懲りたのなら真面目に腕を磨くんだな」
男の鋭い睨みが俺に向けられるが構わず背中を向ける。
ミィウはまだ目の前であったことに理解が追いついていないらしく、キョトンとしていた。
「ミィウ、大丈夫か?」
俺が声をかけると意識半ばで答える。
「あ‥‥うん」
ミィウの目線は膝をついて悶え苦しんでいた男に注がれているようだ。
このまま置いて行くわけにもいかないしな‥‥
ミィウの肩を軽く叩き、引っ張るようにして歩き出す。
「ほら、帰るぞ。家まで送ってやるから歩けって」
「‥‥うん。ありがとう」
後ろを気にしながらもミィウは俺の隣を歩き出す。
「これから夜出歩く時には気をつけろよ」
こんな平和な村でもたまにはああいう輩は来る。
注意しておくに越したことはないだろう。
「くそがっ!!   ぶっ殺してやる‥‥」
その後ろでは一人の男が殺意を剥き出しにして見えなくなった背中を睨みつけていた。
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