五導の賢者
望まぬ選択
気づけば見渡す限り岩が広がる荒野にいた。
いつからいたのか。
なぜいるのかすらわからない。
だが、そんな俺の目の前に魔人と化した師匠の姿があった。
師匠の手には血に濡れたクインテット握られている。
その敵意に満ちた目が向けられ、俺は反射的に手に持っていたクインテットを構える。
俺はなぜ、戦っているのだろう?
次の瞬間、師匠は俺に切りかかってきたので、すぐに手に持っていたクインテットで受ける。
拮抗したかにみえていた鍔迫り合いだったが、次第に俺の方が押され始めた。
師匠は身震いするほどの殺気を放ち、俺に刀を向けている。
殺される。
そう感じ取った俺はがむしゃらに叫びながら師匠の腹を蹴り飛ばす。
そして、そのまま立ち上がろうとした師匠の心臓にクインテットの刃を突き立てた。
師匠は両目を見開くと、口をパクパクと動かしてからその場に崩れ落ちる。
返り血で真っ赤に染まった自分の両手を見ながら俺は消え入りそうな声で嘆願する。
「もう‥‥戦いたくない」
俺の目が開かれ、視界に木の天井が映る。
すぐに周りの様子を確認しながら、ゆっくりと体を起こす。
師匠に切られたことを思い出し、傷口を触れてみるがすでに傷はなく治療が施された後だった。
「レンさん‥‥大丈夫、ですか?」
隣には椅子に腰掛けたラノンの姿があり、周りにある荷物や家具からは俺たちがとっていた宿の一室であることがわかった。
なんだろう‥‥この感じ。
デジャブっていうのか、前にも似たようなことがあった気がする。
「あぁ、悪い。心配かけたな」
俺がそう言うとラノンは何も言わずに抱きついてきた。
その瞬間、俺は思い出す。
ルナの屋敷で目を覚ました時も、似たような状況だったな‥‥
あの時、俺は死なないとか約束していたのに、結局はこのザマだ。
俺は‥‥弱いな。
俺は震えているラノンの体にそっと手を回すとその柔らかな体を優しく抱きしめる。
「いいムードのところ、すいませんがレンには色々と訊きたいことがありますから、大部屋に来てもらえますか?」
扉の前にいたアドネスに声をかけられたことで俺とラノンは慌てて体を離す。
その様子を呆れ顔で見ていたアドネスはそのまま部屋を後にする。
俺とラノンは目が合い、若干気まずい雰囲気になりながらもアドネスの後を追うようにして部屋を出た。
「さて、まずは何から話してもらいましょうか」
一番大きい部屋にラノンとその護衛が集まり、円を作るように座った。
俺、ラノン、リア、アドネス、グレイスの順で円を作っている。
俺は半日近く寝ていたようで、窓からは眩しい朝日が覗かせていた。
「なぁ。師匠は‥‥魔人はどうなったんだ?」
俺以外に師匠とまともに戦えるのは多分、勇者くらい。
とてもじゃないが、このメンバーで倒せたとは思えない。
だが、誰も俺の問いに答える者はいなく、アドネスへと視線が集まっていた。
アドネスはテーブルに肘かけながら俺を睨みつけてくる。
「簡潔に言うと逃げました」
アドネスは無駄に含みのある言い方をする。
「どういうことだ?」
あの状況で師匠が逃げる理由が思いつかない。
アドネスは微妙な間を空けてから口を開く。
「どうやら体に限界がきていたみたいでしたよ。身体強化を使った副作用でしょう。そして魔人は最後にこう言い残して行きました」
「また来るから逃げるな。もし逃げたらこの先の街を滅ぼしていく、と」
滅ぼす‥‥
師匠の実力なら不可能ではないだろう。
何せ一対一で負けることがない以上、襲撃と撤退を繰り返せばいいだけだ。
「それともう一つ。これはレンへの伝言です」
伝言?
「次は殺す。それだけです」
師匠は最後の一撃の俺の躊躇いを気づいていたのだろう。
そして、これは俺への警告。
「これらを踏まえた上で、レンに一つ質問があります」
アドネスの声はいつもより重々しく、普段のような優しは感じられない。
「レン。貴方は先ほど敗北した魔人に勝つことはできますか?   よく考えて、答えてください」
「勝てるかどうか?」
「ええ」
ここで迎え撃つつもりか?
この回答次第で、俺は師匠と戦うことになるだろう。
意見を求めるかのようにラノンへ目を向けると、ラノンは唇をギュッと結び潤んだ瞳を俺に向けていた。
リア、グレイスと目を合わせるが二人とも真剣な表情で俺を見ている。
これは真剣に考えて答えを出した方がいい。
俺の身体強化と師匠の生身がほぼ互角。
身体強化した状態の師匠の動きも反応するだけなら可能。
だが、問題は飛蓮だ。
あれを使われたら、俺には反応する余裕がない。
それに今、俺の手元にはクインテットすらない‥‥
「無理だ。今の俺にあの魔人を倒す術はない」
これが事実。
クインテットが無しでは師匠に致命傷になる程の傷を負わせることはほぼ不可能。
それに加えて俺は身体能力ですら劣っている。
と、俺の言葉を聞いていたラノンはなんともいえず悲しい表情になった。
「そうですか。ならこれで決──」
「ただ」
俺は安心した顔で何かを話そうとしていたアドネスの言葉を遮る。
こんなことを言っても意味はないだろうな。
正直、現実味がなさすぎる。
「師匠からクインテットを奪い返すことさえできれば勝機はある」
策がないわけではない。
師匠でさえ知らない俺の技。
あれなら最低でも互角程度までには持ち込める。
問題は俺が耐えることができるか、ただそれだけ。
「本当ですか!?」
ラノンはいきり立って声を上げる。
やはりラノンが戦うことを望んだのか、民のために‥‥
「無理ですね」
安心しているラノンを他所にアドネスがはっきりと言い切った。
「レンが魔武器を持った時ですら負けたんですよ?   武器も無しでは相手になりませんよ」
さっきまで明るかったラノンの顔が一気に暗くなり俯く。
「武器なら、この村にあります」
ラノンは俯いたまま篭った声で呟く。
「ラノンも魔人に普通の武器が効かないことくらい、わかっているはずです」
魔人の皮膚は人間とは比べものにならないほどに硬い。
よっぽどの名剣や魔武器を使わなければ怪我を負わせることすら敵わない。
「あの魔法が、あります」
ラノンははっきりとした口調で、アドネスに言い迫る。
あの‥‥魔法?
アドネスは何を考えているのか、すぐには言い返さない。
「あの魔法とレンさんの力があれば、あの魔人もきっと倒せるはずです」
ラノンは熱のこもった言葉をアドネスに向ける。
「‥‥ですが、仮に闇の攻撃を防げたとしても、あれでは雷を防ぐことはできませんよ」
アドネスはそれを冷たく、突き放すような言い方で返した。
「それは‥‥」
ラノンは助けを求めるかのように視線を向けてくる。
ラノンの言う魔法がわからない以上、なんとも言えないが‥‥
「クインテットがまとっている雷くらいなら俺は無力化できるはずだ」
俺がそう言うと目に見えてラノンに明るさが戻る。
アドネスは深いため息を吐きながらも、片手で自分の頭を抑えていた。
どうやら、アドネスが言いくるめられたみたいだな。
ラノンは不意に立ち上がると、俺の方に体を向ける。
「レンさん。どうか私達に力を貸してください。危険なことはわかっています。それでも大勢の人の命が懸かっているんです。お願いします」
ラノンは深々と頭を下げ、その際にかたにかかっていた美しい銀髪が流れる。
自分が狙われているってのに、それでもなお戦おうとするのか。
俺は両目を閉じる。
正直、戦いたくない。
自らの命を危険に晒すような戦いを望んだことは今まで一度もない。
でも、師匠は俺の手でケリをつけるべき‥‥いや、ケリをつけなきゃいけないんだ。
それにここで俺が逃げると言ったら、ラノンは俺のことをどう思うか‥‥
決心をした俺はゆっくりと両目を開く。
俺の視界の先には力強い目をしたラノンがいた。
「俺は戦う。師匠とこのまま終わるわけにもいかないしな」
師匠が道を踏み外したのなら、それを止めるのが弟子としての最後の役目だ。
ラノンにいつものような優しい笑顔が戻ってくる。
「ありがとうございます、レンさん」
グレイスとリアもラノンと同意見だったようでホッとしたような仕草を見せる。
アドネスは不服そうだったが、すぐに何かを考え始めた。
俺は体から力を抜くと、だらしなくイスに座った。
命懸けの‥‥戦い、か。
死にたくないな。
色々な思いが入り混ざる中、結局は素直にそう思うのだった。
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