五導の賢者

アイクルーク

追憶・ただ一人の生還者



 俺とレックスが森の中を全力で走ること小一時間、ついに本陣へと辿り着く。
 本陣には無数の兵士達がいたが俺たちは目もくれず、本部へと向かった。
 そこで見たことの全てを話すと、司令官は深刻な表情になる。
 おそらく、ここにいる兵士じゃ足りないのだろう。
 しばらく考えた挙句、俺に一つの任務が下された。
 エルフェイスへの援軍要請。
 俺たちの諜報部隊以外は全滅、残っている諜報員は俺とレックスのみ。
 速度の面や戦闘スタイルの面も考慮され、俺が一人で行くことになった。
 決して死ぬことは許されない上、時間を無駄にすることもできない様な任務。
 要請状を書いている間だけ、俺は自由が与えられ少しの間だけ本部の外を歩いた。


 魔物が迫りじきに戦いが始まる。
 そんな状況で周りに見えるのはただただ疲れ、下を向き、死を待ち続ける兵士達だった。
 いや、彼らは兵士ですらない。
 ただ町人だ。
 それなのに‥‥


「レン」


 不意に背後から名前を呼ばれる。
 振り向くと地面に座り、手持ちの矢を一本一本確認しているレックスがいた。


「レックス、か。お前‥‥残るのか?」


 俺たちは今の絶望的な戦況を理解している数少ない者の一人だ。
 レックス程の実力があれば脱走も可能だろう。
 だが、目の前にいるレックスは戦いの準備をしている。
 それはつまり‥‥


「そうっす。俺は、ここに残って戦うっす」


 レックスの眼光からは強い決意が伺える。


「でもお前、この戦い‥‥多分、負けるぞ」


 ベヒモス一体の相手には王国兵やDランクハンターでも百人は必要だ。
 いや、それだけいても負けるだろうか。
 今、本陣にいる兵士は三千人。
 それも、その大半は戦いに慣れていない一般兵達。
 結果は歴然だ。


「そんなこと、わかってるっすよ。でも、ここでも逃げたら、俺、ゼンとフィンに申し訳が立たないっす。あの時、フィンは俺の代わりに死んだっす。それなのに、俺は何もせずにここから逃げるなんて‥‥できないっす」


 レックスは床に並べていた矢を全て矢筒に入れると、肩に背負って立ち上がる。


「だけど、お前、兄弟はどうするんだ?  フィンはお前を生かすためにあの場に残ったのに──」


「わかってるっすよ。だから、俺はレンが援軍を呼んでくるまで、持ち堪えるっす。例え一人になろうとも、生き残って、兄弟の下に帰ろうと‥‥思ってるっす」


 これが、レックスの出した答え。
 自分の大切なものと他人に託されたもの。
 フィンのことを忘れて自分のために生きるか、兄弟に会えなくなる覚悟で戦場に行くか、どちらが正解なのか。
 おそらく正解なんて存在しないだろう。
 ただ一つのだけ言えるとしたら、後者には両方を守れる僅かな可能性があるということ。
 レックスはその僅かな可能性に自らの命を懸けている。




 俺は気づかない内に拳を握りしめていた。
 俺とは逆の選択。
 そう、俺は自分のために他人を切り捨てた。
 そんな俺からしたら他者を選んだレックスが羨ましかったのだろう。
 この時、俺はレックスのためにできる限りのことをしようと思った。




「そうか。俺が来るまで‥‥死ぬなよ」


「もちろんっす」


 レックスは作った笑顔を俺に向けてきた。






 その後、司令官から伝書を受け取った俺は、エルフェイスへの道を全速力で駆け抜ける。
 本来なら一時間かかるような道をショートカットを繰り返し、三十分にまで抑えた。
 エルフェイスに着いた俺はすぐに援軍を出すように言う。
 だが、合流するまでに最低でも二時間はかかる、総司令官からはそう言われた。
 おそらく‥‥それじゃあ、間に合わない。
 任務を果たした俺はすぐさまエルフェイスを飛び出し、来た道を戻る。
 もうそろそろ戦闘が始まる頃か。
 どうにか持ちこたえてくれ‥‥


 俺が何もない荒野を駆けていると正面に巨大黒い塊が見える。
 全長十メートルほどの黒いトカゲの様な何か。
 あれは‥‥ベヒモス?
 どうしてこんな所に?
 ベヒモスはまだこちらに気づいてはいない。
 今なら迂回して戦闘を回避できる。
 だが、そんなことをすれば大幅に時間をロスしてしまう。


「一瞬で、決めるっ!!」


 俺はクインテットを抜くと、風の魔力を込める。
 幸いにもここは荒野、誰かに見られることもない。
 ベヒモスは高速で接近している俺に気づくと、その体には見合わない速度で向かって来る。
 あと数秒で接触するという所で俺は魔力を貯めていた左手を前に出す。


撃雷衝ショックボルト


 五属性最速の雷魔法を大型のベヒモスがかわせるはずもなく直撃する。
 体が電撃で痺れ、硬直している間に俺は次の魔法を唱えた。


「天をも染めし灼熱の業火を我が魔力を媒介とし放たんとす‥‥暁の烈火レイジングフレア


 俺の使える上級火魔法の中でもっと威力の高いもの。
 俺の手から放たれた橙色の炎がベヒモスの全身を包み込む。
 ベヒモスは耳を紡ぎたくなるほどの鳴き声を張り上げながらも、燃え盛る前足で俺を潰そうとしてくるが、さらに加速することで回避する。
 俺の持つ翠色のクインテットが大量の魔力に反応してよりその輝きが増す。


「どけっ、風魔烈斬」


 クインテットは斬空をも遥かに超える巨体な風の刃となる。
 そして、斬ること特化したその刃はベヒモスの体を容赦なく両断した。
 俺は崩れ落ちるベヒモスを背にクインテットを鞘に納めながらその場を走り去る。






 そして、休むことなしで走り続けた俺は遂に本陣に戻って来た。
 息を切らしながら森を抜けた俺はその場で目を見開いて立ち止まる。
 そこに広がっていたのは積み上げられた兵士の死体。
 何一つ動く気配すらなく、ただただ死が広がっている。


「嘘‥‥だろ?」


 予想通りならまだ戦いが始まって三十分程しか経っていない。
 そんな短時間でこんなことになるのか‥‥?


 ぐちゃぐちゃに潰れた死体、何かに胸を貫かれた死体、悶えながら死んだのか苦痛の表情をした死体。
 そして、彼らが無駄死にではなかったことを示すかのように何体ものベヒモスの死体が転がっていた。
 だが、倒れているベヒモスの数からしてまだ生きているのもいるはず。


「おい、誰か!!  誰かいないのか!!」


 大声で叫んでみるが返事はない。
 こんな短時間で、全滅したのか?
 数千人が死ぬには早すぎる。


 俺は死体の合間を歩きながら、生存者を探し始める。
 ベヒモスの死体の横を通り過ぎる際、その眼に矢が刺さっていることに気がつく。


「‥‥レックス」


 やっぱり、あいつも戦ったのか。
 一概にあいつの矢だとは言えないが、なんとなくわかった。
 直後、森の中からベヒモスの叫び声が聞こえる。
 その声は先ほど聞いた炎に焼かれたベヒモスの声と同じ。
 誰かがベヒモスと戦っている!?
 俺は声の聞こえた方へと駆けた。






 どこから聞こえたかまではわからなかったが、移動していると森の中に木々がなぎ倒されている空間を見つける。
 よく見れば真っ直ぐと先まで続いている。
 ベヒモスが通った道、か。
 これを辿れば‥‥
 俺は足を一層早める。
 しばらく走るとベヒモスの赤茶色の背中が見えた。
 一、二、三‥‥五体か。
 全部で五体のベヒモスが大岩に視線を向けていた。
 ベヒモス達の間から人影のようなものが見える。
 レックスか?
 だとしたら‥‥まずい!!
 あいつは後衛、あの数のベヒモスに囲まれるのはやばい。


「くっ!!」


 少し遠いが俺はベヒモス達の気を引くために撃雷衝ショックボルトを放つ。
 ベヒモス達の視線が一斉に俺に集まり、唸り声を上げる。


「こっちだ!!  こい!!」


 俺が叫ぶとベヒモス達は一斉に襲いかかってくる。
 こいつらを相手にしている余裕はない‥‥なら、駆け抜けるっ!!
 俺は五体のベヒモスに正面から向かっていく。
 まず先頭の一体が前足を振り上げ、殴りかかってくる。


撃雷衝ショックボルト


 片足を振り上げたまま硬直したベヒモスの足元を抜けると、さらに二体のベヒモスが立ち塞がる。


「っく!!  撃雷衝ショックボルト‥‥撃雷衝ショックボルト


 上級魔法の連続無詠唱、普段は使わない高等技術に雷の魔力がごっそり持っていかれる。
 弱った俺を狙ったのか残るベヒモスが左右から同時に攻撃を仕掛けてくる。
 俺は左手に持っていたクインテットを宙に投げると、右手と左手をそれぞれベヒモスに向けた。


撃雷衝ショックボルト!!」


 同時に放たれた二つの雷撃は二体のベヒモスの自由を奪う。
 重力により落ちてくるクインテットをキャッチすると人影に向かって走る。
 次第にその人影は鮮明になり、その全貌が見えるようになっていく。


 そこにいたのは──光の無くした目をしたレックスだった。
 レックスは力なく岩に寄りかかり、口からは真っ赤な血を流している。
 そして、その表情からは強い苦しみが感じられた。
 その手に握られた弓、おそらくレックスは最後まで戦ったのだろう。
 俺はその場に崩れ落ちる。


「ちきしょう‥‥なんでだよ。なんで‥‥」


  ──俺が賢者の力を使っていれば‥‥?


 俺の頭にその考えがよぎった。
 それ以上は考えるな、心がそう言っている。


 ──そうすれば、誰も死ぬことはなかった


 俺の背後からベヒモスが迫ってきているのがわかった。


 ──今さら、使うのか?


「‥‥クソが」


 ──俺は所詮、自分のためにしか賢者の力これを使えない──


 俺はゆっくりと立ち上がる。


「なんで、こうなるんだ‥‥」


 ──それは俺が戦わないから


「ちきしょうがっ!!」


 俺は勢いよくクインテットを鞘から引き抜き、体内の魔力を解放する。
















 無音の世界。


 口の中には鉄の味が残る。


 辺りには血の匂いが充満している。


 手に感じるのはズッシリとした刀の重さ。


 そして、周りに見えるのは六体のベヒモスと友の亡骸。






 胸の奥底から湧き上がるなんとも言えない虚しさ。
 守ろうと思ったもの一つ守れない。
 あの時の思いはなんだったんだろう。


「レックス‥‥」


 岩に寄りかかり永眠しているレックスの前にしゃがむと、そっと手を添えて見開かれたその瞼を下ろす。
 身体中に生傷があり、すぐ隣には空になった矢筒が転がっている。
 ここにいたベヒモスのうち三体はレックスが放ったであろう矢が目に刺さっていた。
 死ぬ直前まで、生きようと戦い続けたのか。
 ベヒモスが六体。
 どう考えても勝ち目なんかない。
 それでも、レックスは生きようと足掻いたんだ。
 そして、エルフェイスにいる兄弟のことを思いながら死んでいった‥‥


 ふとレックスの腰袋から羊皮紙の端が出ていた。
 俺は少し悩んでから羊皮紙を抜き取るとその中身を閲覧する。










 レンへ




   レンがこれを見ているってことは俺が死んだってことっすね。俺はここに残ったこと、少しも後悔してないっす。


    それでレンに一つお願いなんすけど、俺の持っている金を全部、兄弟の下に届けて欲しいっす。兄弟の場所の詳細と金は袋の中に入ってるっす。




    兄弟のこと、頼むっす。




                                                  アルバート・レックスより










 羊皮紙には水で濡れてから乾いたであろうシワがあり、書いてある字もお世辞にもきれいとは言い難かった。
 そして、レックスの腰袋の中には書いてあった通り、小金貨が四枚とレックスの家の位置が書かれた地図が入っている。
 上手く司令官を言いくるめて依頼料を先に貰ったのか‥‥
 俺は小金貨と手紙を自分の腰袋に投げ入れると、血が付いたクインテットを鞘に納めてレックスに背中を向ける。


「短い間だったけど、お前といる時は割と楽しかった」


 俺は天を見上げる。
 空にまばらにある雲が太陽を覆っている。
 俺が残すのはたった一言だけ。


「忘れない」


 俺はレックスの死体を背に歩き出す。







コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品