五導の賢者

アイクルーク

ブレッジ



 王都よりはるか東の地、ブレッジ。
 森の中、ひっそりと佇む村の存在は王国の人間でも知っている者は少なく、外との交流がほとんどなかった。
 そんな小さな村の外れで、もうじき日暮れだということも忘れた二人の兄弟が仲良く遊んでいる。


「お兄ちゃん!!  あっちにね、綺麗なチョウチョがいたの!!  一緒に見に行こうよ」


「うん、行く行く!!」


 十歳程の兄がまだ七歳の妹を追って、村の外にある森の中を夢中で森の中を進んで行く。
 全長二十メートルを超える樹が生い茂った森は日の光を遮り、森の中は僅かな明かりしかなかった。
 そう、それこそ昼でさえも夜だと勘違いするほどに。


「あっ!!  あそこにいるよ」


 しばらく歩くと森の中で白い花たくさん咲いている、小さな円状の空間に出る。
 妹が軽い足取りで花の周りに駆け寄ると、花に止まっていた青いチョウチョが逃げるようにして羽ばたく。ゆっくりと空に舞い上がる姿は幻想的で二人を感動させた。


「本当だ。綺麗なチョウチョだね」


 ガサッ‥‥


 チョウチョに見とれている二人に一体のオークが樹の影から静かに忍び寄る。
 オークは二足歩行する二メートル程の豚のような種族で凄まじい力を持つが非常に動きが遅い。
 仮に二人がすぐに気づけばまだ逃げる余地もあったが、すでに遅く妹は後ろからオークに掴まれて、持ち上げられる。


「きゃあ────っ!!」


 腹の底から発された叫び声は森中にこだまし、遠く離れた村いる者の耳にさえ届いた。


「妹を‥‥離せ!!」


 勇気を振り絞った兄は精一杯のタックルをオークにお見舞いするが子供の力ではオークはビクともせず、空いていた手で軽く払われる。
 力の強いオークに軽く払われるだけで、兄は三メートル近く吹き飛ばされ、勢いよく樹に叩きつけられた。
 餌を確保して満足したのかオークは倒れている兄になどに興味を持たず、泣きわめく妹を担いでその場を去る。










 兄弟がオークに襲われる少し前、秋空あきぞら れんはブレッジの宿屋の前の岩に座り込む。
 彼はこの世界では珍しい黒髪黒目なので通り過ぎる村人達の視線を一身に浴びていたが、本人は気にする様子もなく小石を投げて遊んでいた。
 長い旅でやや汚れている布の服と、肩に立てかけている鞘に収まった刀の組み合わせが旅人であることを暗示している。




 俺の所持金は銅貨三枚、それに対して宿屋一泊あたりに必要な銅貨は五枚‥‥銅貨二枚、足りない。
 手に握ってある三枚の銅貨を見つめる。
 一応値切ろうともしてみたけど‥‥あの店主は一切引く気がなかったし、粘っていても意味はなかっただろう。


 このままじゃ宿屋に泊まれないが、どうしたものか。
 別に野宿でも構わないんだが、村の中で野宿をするのはあまり気が進まない。
 だとすると、どこかで稼ぐしかないけど‥‥こんな平和そうな村に仕事なんてあるのか?


 ここでいつまでもウダウダしていてもしょうがないので、俺は肩に立てかけていた刀を左手に持って立ち上がると仕事を求めて踏み固められた土の道を歩き始める。






 左手には辺り一面に広がる畑、右手にはランプの灯りがポツポツと家の窓から見えていた。
 暗くなり始めているからか道行く人の数がさっきより少なくなっている気がする‥‥と、言っても元から大したいなかったが。
 この村はそこまで規模の大きい村ではなさそうでせいぜい五十軒の家がある程度、夜中に歩き回る人などほとんどいないだろう。


 しばらくの間、道を歩き続けてみたけど特に困っていそうな人はいなかった。
 やっぱり今夜は野宿かな。
 そもそも、銅貨二枚なんてすぐに稼げるわけがないしなぁ‥‥野宿にするか。


 と、すると明日まで何も食べずにいるのはさすがに辛いし、何か買うとするかな。
 仕事を探す、と言う目的から、食べ物を買う、と言う目的に変わるだけで足取りが自然と軽くなる。
 こんな小さな村だったので村中を探し回る予定だったが俺の運がいいのか、すぐに小さなパン屋を見つけた。
 駆け込むように店内に入り込むと片付けの準備をしていた女性が奥から出て来る。
 この世界では元の世界の西洋の料理のようなものが一般的で白米などはよほど辺境の地に行かない限り見ることすら出来ない。
 それに対してメジャーであるパンはどこにでもあり、安価で食欲を満たせる。


「いらっしゃいませー」


 軽く会釈を返すと、店内をざっと見渡す。
 内装は簡素なもので小さめの部屋の中にテーブルが一つあり、その上にパンがバスケットに詰められて並んでいた。
 壁にかかっていたランタンの油が切れそうなのか、揺らめいた火が部屋全体を照らす。
 来た時間が時間なのですでにいくつかのバスケットは空だったが、まだ残っているものもある。
 一種類ずつ、値段と大きさを確認して買うものを吟味始めた。




 フィセル・・・・小銅貨3枚




 フィセルは紐状のフランスパンみたいなもので、やたら硬い。
 長い分、腹も膨れるから今の俺としては悪くないかもな。




 クッペ・・・・小銅貨2枚




 クッペはクロワッサン見たいな形をしたバケットで、手頃なサイズであることが売り。
 小さいのでこれは論外だ。




 ロゼッタ・・・・小銅貨2枚




 これは円状のパンで中が空洞になっているのを使い、野菜や肉を入れたりして食べる。
 確か、これの中に肉を入れて食ったら美味いんだよなぁ。
 また、いつか食いてぇな。


 残っていたのはたった三種類だったが、俺は一切迷うことなくフィセルを手に取ると、銅貨一枚を女性に渡す。
 この世界における通貨は小銅貨、銅貨、小銀貨、銀貨、小金貨、金貨の六種類である。
 頭に小が付くと価値は十分の一になり、銀貨は銅貨の百倍で金貨は銀貨の百倍。
 ちなみに日本円に例えると、だいたい銅貨一枚が五百円ほどになる。
 簡単に言えば、硬貨の種類が変わるごとに十倍になる、それだけだ。


「これでお願いします」


 手に取ったフィセルを店員に見えやすいように持ち上げる。


「はい、フィセルが一つで小銅貨三枚。お釣りは小銅貨七枚です」


 女性が笑顔でお釣りを差し出してくるのだが、右手にはパン、左手には刀を持っているので受け取れない。
 仕方がないので俺はパンを口に咥えると、自由になった右手で小銭を受け取り、腰袋の中に放り込んだ。
 口に咥えてたパンを手に持ち直すと、再び女性に会釈をしてから店を後にする。


 すっかり暗くなった空の下、ほどよい野宿場所を探すために、フィセルを食べながら当てもなく歩く。
 四十センチ程あるフィセルが残り半分となった頃、屋根付きの馬小屋を見つけたので中を覗いて見ると中には四頭の馬が柵の中で寝ていた。
 その近くには藁が積み重ねら、天然のベッドとなっている。
 野宿する場所としては悪くないけど、持ち主が来たら‥‥まぁ、来たら来たでその時に謝ればいいか。
 馬小屋の中の馬糞の臭いはせっかくの食欲を奪うので、フィセルを食べ終わるまでは外の原っぱで横になり、満天の星空を眺めることにする。


 現代日本の空気がよほど汚れていたのか、こっちの世界の星空を初めて見た時は感動したなぁ。
 何ていうか、まさに数え切れない、って言う表現がぴったりなくらい、星が空に浮かんでいるんだよ。
 星空を見ながら口を動かして続けていると、あっという間に手に持っていたフィセルがなくなった。
 だが、綺麗なこの星空をもっと見ていたかったのでその場から動かずにいる。
 明日からどうするかなぁ。
 行ったことないし、西にでも行ってみるか。
 旅の支度は‥‥明日になってからでいいか。
 今日はもう寝よう。
 そもそも今から旅支度をしよう、と思っても店が開いてない。
 その上、金もないから旅支度など論外である。




 馬小屋に戻ろうと重い腰を上げた時、森の中から悲鳴が聞こえてくる。
 聞こえてきた声は大人の声に比べて幾分か高かったので子供だろう。
 こんな夜中に子供が森の中にいるわけがない。
 そうは思いつつも馬小屋には入らずに森の方に耳をすませていたが、それ以降何も聞こえてくることはなかった。
 だが、逆に何も聞こえてこないことに危機感を覚え始める。
 どうせ、この後は寝るだけだし‥‥行ってみるか。
 刀を左手で持ち直すと、悲鳴の聞こえてきた方へと走って行く。



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