神が遊んだ不完全な世界

田所舎人

主人公(仮)と恐怖

 狐面で顔を覆った圭介は、魔眼を開眼させたまま、十六夜の月が照らす草原を駆け抜ける。目指す先はフランの研究所。ユニから大凡おおよその方角を聞き、その方向へひたすら走ると灯りが見えてきた。
ハイオクと同様に土地を与えられ、その場所に屋敷を建てているのか、広い庭に大きな屋敷が存在していた。敷地は高い柵に囲われ、冷たい鉄の門は閉じられていた。
圭介は門を一瞥し魔術が施されていないことを確認すると人一人が入れる程度に穴を空け、侵入する。
辺りを見渡すと、鎧を着た門兵らしき男達が三人倒れていた。一人は喉を刃物で切り裂かれ、一人は喉に矢を受け、一人は眼球を矢で射ぬかれていた。三人は既に絶命しており、生きた人間ではなく土に帰るだけの生物なまものに成り果てていた。
圭介は生死を確認すると不思議と体が震えていた。それは決して身体が寒さによって震えているのではない。自身もまたここに転がっている肉塊の仲間入りになる未来を連想して恐怖しているのだ。
過去、何度も死にそうになった経験はあった。そのときは不思議と恐怖を感じなかった。にもかかわらず、見も知らない人間が死んで転がっているだけで恐怖していた。それはこちらの世界に来て初めての感情だった。十夜を握る右手は震え、呼吸は浅くなり、息苦しく感じ、満足に息もできない。
 自らの恐怖の感情が器を満たし、溢れそうになる。器の縁から雫が一条零れると同時に狐面は濡れた。すると、左腕が疼いた。圭介は袖を捲ると傷跡から内側から染み出るように血が滲み垂れていた。その血は腕を伝い、一条の血路を辿り、指先からポタポタと地に滴り落ちる。その鮮血が夢の片鱗を思い出させた。
 恐怖という感情を取り戻したのだ。
 異世界に一人取り残された恐怖。自身を守ってくれる者がいない恐怖。自身を知っている者がいない恐怖。人に殺意を向けられる恐怖。人に傷つけられる恐怖。人を傷つける恐怖。そして、死の恐怖。
 圭介は感情を制御できないまま、その場に蹲ってしまった。嗚咽を漏らし、涙を流し、全てから目を逸らした。






「圭介!」
 凛は倒れている圭介へと駆け寄り、蹲った圭介の体を揺り動かす。辺りには血溜りに倒れ伏せた死体が三つ、その真ん中で倒れている圭介を見た凛は圭介が重傷だと思ったのだ。
「凛、圭介は無事か?」
 凛の後からユニがやってくる。凛が圭介の行く先を推察しユニの下へと訪れ、ここまでやってきたのだ。
「どうやら咽び泣いてるようです……。見たところ左腕の傷がまた開いたようですが、既に治ってますね」
 凛の言葉は圭介の耳には届いていない。
「どれ」
 ユニは圭介を抱き起こす。圭介の顔面は涙と土で汚れ、新調した着物も土汚れていた。
「どうした。圭介」
 ユニが優しく話しかける。圭介は泣き疲れたのか、顔を上げ二人がいることを認識すると放心したまま動かなくなった。
「これじゃ、埒があかないな……」
 凛は圭介をユニに任せ、転がっている三つの死体を調べた。首を切られた男の傷は浅く、刃渡りがそこまで長くないことが分かる。二つの死体に刺さっている矢は正鵠に射抜かれ、殺意を持って放たれたことが分かる。
(この切り口に……この矢……。ユズルがどうして……)
 凛はユズルがこの場にいたことを読み取り、ユニに耳打ちをする。
「そうか。君達とはまた別にこの場所に辿りついたんだろうな。……しかし、どうしたもんかね。この坊やは」
 ユニは圭介の衣服についてある土汚れを払い落とす。
「とりあえず、圭介を移動させましょう。この場にいてはいずれ見つかってしまいます」
「そうだな。凛、手を貸してくれ」
 ユニと凛は圭介を脇から支え、屋敷の窓の死角にある木の裏に圭介を移動させ寄りかからせる。






「カンナ様! どちらへ行かれるのですか!」
 ニーナがケアに抱えられたままカンナに呼びかけていた。しかし、カンナはニーナの言葉に耳を貸さず、小さな体のどこに力があるのか全く分からないほどのスピードで駆け抜ける。ニーナを抱えているとはいえ、ケアが見失わないようについていくことで精一杯だった。
「ケイスケが……ケイスケが……」
 カンナの呟きは風切り音によってケアには聞こえなかったが、ニーナの犬耳にはその呟きが確かに聞こえた。
「スミス様! 野村様が一大事のようです!」
「野村さんが……」
 ケアはベルトポーチから密封された液体が入った小瓶と何も入ってない小瓶を取り出した。
「ニーナさん。少しの間、目を瞑って口を閉じてもらえますか?」
「目を瞑る……。はい、わかりました」
 ニーナは素直に従い、目を瞑り両手で顔を覆った。 
 ケアは小瓶の上部をパキンと割り、内容物を一口で飲み干す。それはケアが作った高濃度の魔薬だ。経口摂取から体内を巡り、数秒で自身の魔素に馴染む。次に何も入ってない小瓶w増幅された魔素を脚力に変換し、カンナを追走する。
 カンナの目には遠方の木陰で休む圭介の姿が見えた。
「ケイスケ! ケイスケ!」
 暗闇の中、ケイスケと呼ぶ声が凛とユニの二人にも聞こえた。
「おや、お嬢ちゃんが来たね」
 ユニと凛はカンナとその後ろのケアとニーナを視認する。カンナは表情こそ悲愴なものだが、汗一つかかずに辿りつき、その後ろに血色の悪いケアと抱えられたまま顔の隠して耳だけがピンと立っているニーナがいた。
 カンナは即座に圭介の体を弄り、出血していた左腕を手に取る。
「カンナ! 何を!」
 凛がカンナを制止しようとするがカンナは傷跡に口をつける。圭介の傷口から更に血が溢れ、カンナは圭介の血を吸う。
「カンナ様!」
 ケアはニーナを放し、ニーナはカンナに駆け寄る。
 カンナはニーナの制止も無視し、圭介に口づけをする。
 カンナは唾液と血液が混ざり合った体液を圭介に流し込む。
「カンナ!」
「カンナ様!」
 凛とニーナが声を上げた。
 圭介の強張った体は徐々に弛緩し、規則正しい呼吸音がする。
「どうやら眠ったようだな」
 ユニが圭介の様子を確認し、コートをかける。
「しかし、どういうことだ? 神子ってのは一般人を傷つけられないはずだぞ」
 ユニがカンナに視線を向け、疑問を投げかける。
「そうなの?」
 カンナは首を傾げ、ニーナの方を向く。
「ええ……。神子は一般人を傷つけることはできず、一般人もまた神子を傷つけることができないと伝えられています。詳しいことはお父様がご存知だと思いますが……」
「その話は私がしましょう。圭介さんが目覚めるまでの間ですが」
 血色の悪いケアが後述をかってでた。
「神子にはいくつかルールがあります。ニーナさんが仰ったように『神子は他者を傷つけられない』と『他者は神子を傷つけられない』。逆に言うと『神子は神子を傷つけられる』ということです。昔から神子の役目は大別して『観測者』、『干渉者』、『調律者』、『始末者』の4つがあるそうです。神の目となる『観測者』、神の手となる『観測者』、神の指となる『調律者』、そしてその三者を消す『始末者』です。私の調査から推測するとカンナ様は調律者として神威の塔で世界のバランスを取る役目を担っていたようですが、圭介さんの登場により、干渉者として自立しているようです」
「そうなの?」
 カンナがケアの方を見て小首をかしげる。
「あくまで推測です。細分類するともっとあります。そして、偶発として『無用者』と呼ばれる存在も確認されています。何の役目も与えられていない神子のことですね。そういった神子は自身の存在理由を求めます。場合によっては自身の存在理由として『始末者』を選ぶ存在もいます」
「神子とは随分と多く存在するんですね」
 凛が不思議そうに言う。
「神子は現在624体存在しているそうです。ちなみにですが、野村さんが624体目の神子です」



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