神が遊んだ不完全な世界

田所舎人

主人公(仮)と図書館

 リンゴの蜂蜜漬け入りの瓶を抱えたカンナは嬉しそうにリンゴを頬張るとカンナを中心に甘い香りが広がる。
「カンナ様、口の周りが蜂蜜でベタベタですよ」
 そういってハンカチを取り出し、短く唱えハンカチを湿らせ口元を拭う。
「ありがとう」
 カンナはニーナにお礼を言うとまた口の周りを蜂蜜塗れにする。
「ニーナ、神聖魔法をそんな風に使っていいのか?」
 圭介はニーナが持つハンカチを指差しながら言う。
「神は全てを洗い流す水を清潔と純粋の一つとして挙げました。何も間違ったことはしていません」
 そう言って再びカンナの口の周りをハンカチで拭う。
「そんなもんかね」
「私も魔術はこんな使い方をすることに躊躇いを覚えましたが、あなたのように魔術で家を作ったり荷車を作ったりする姿を見れば少しは考えも変わりますよ」
 神官や司祭といった存在は簡単に言えば、神の教えに従い、神を敬い、神の力を借りる存在である。
「そういえば、ニーナは教本から学んで魔術を使ってるんだよな?」
「ええ、そうですよ」
「だとすると、カンナはその教本を作った本人の娘なんだからニーナ以上に教本について詳しいんじゃないか?」
 その一言に目を丸くするニーナ。
「カンナ様? カンナ様は教本の内容を全てご存知でいらっしゃるんですか?」
 圭介はふとニーナが二重敬語かと思ったが、この場合は正しいのかなと思った。
「教本? えーっと、ちょっと待ってね」
 カンナはそう言うと一瞬で表情が消え、手に持った瓶を手放す。落ちそうになった瓶を咄嗟にニーナが掴み大事には至らなかった。
 カンナの遠くを見つめているのか焦点が定まっていない。異様な雰囲気を感じた皆はカンナの方をじっと見つめるも誰一人として駆け寄ることができない。
 数行から数十秒が経っただろうか。カンナはパチリと瞬きをするといつもの表情に戻る。
「えーっと、カンナは知らなくて、しさいちょーも全部は知らないって。現在存在する教本は全て不完全な物であるって言ってたよ?」
「言ってたって……もしかして……」
 ニーナの表情が強ばる。
「お父さんが言ってた」
「カンナが言うお父さんって……やっぱり神様?」
「うん」
 ニーナの表情が目まぐるしく変わる。わざわざ自分の質問を神様自身が答えるといった出来事に感動しつつも畏れおおく、そんな現実が誠であるのかと自身を疑うといった表情だ。
「カンナ、神様は他に何か言ってたか?」
「ううん。今ある教本は全て不完全で原典が編集されて今の形になったんだって」
「と、ということは……カンナ様。私が学んだ教本は偽典ということなんですか?」
「えーっと、ニーナが学んだ教本は偽典じゃないよ。書いてあることは全て原典にも記されてるものだから」
「そ、そうなんですか……」
 ホッとするニーナ。
「カンナ。原典ってもうこの世には存在しないのか?」
「んー、分かんない。それはお父さんだけが知ってることだもん」
「そっか」
 カンナはニーナが抱えている蜂蜜漬けのリンゴが入った瓶を受け取ると再び頬張った。そして、そんなやり取りを見ていたユニが圭介に尋ねる。
「圭介。その子って何者なんだい? さっきから教本やら原典やら神聖魔術って」
「えーっと、この子はカンナ。タユタユの神子で一緒に各地を回ってるです」
「カンナはカンナ!」
 カンナは瓶からリンゴを串で差し、ユニに差し出す。
「食べる?」
「ああ、ありがとう」
 ユニはカンナから差し出されたリンゴを頬張り、むしゃむしゃと咀嚼する。
「カンナってのは俺が付けた名前なんですよ。まぁ仲良くしてあげてください」
 圭介はカンナの頭にポンポンと手を乗せる。
「ああ、あの子か。随分と表情が変わったもんだな」
「ユニさん。カンナを見たことがあるんですか?」
 ユニは顎に手を当て思い出そうとする。
「あれは確か数年前かな。ノギスに神子さんが来ると祭りになってたんだ。その時に遠巻きに見た記憶があるな。あのときの警護の依頼は身入りが良かったことを覚えてる」
 ユニらしい思い出し方だと圭介は思った。
「そのときのカンナってどんな感じでした?」
「えーっと、なんかガラスの瞳に人形のように白い肌で生きてるか死んでるか分かんないって感じだったな。まさかこの子があの時の神子さんなんて思わなかった。表情がここまで変わればこんなに可愛いのかと今更ながらに気付いたよ」
 ユニが言う通り、圭介が初めて見たカンナは全身が白で覆われ一切の穢をしらない聖少女といった雰囲気と同時にどこか作り物めいた存在だったと思い出す。
「そういえば、ユニさん。僕達はどこに向かってるんですか?」
 先頭を歩くユニに従い全員が行動を共にしていた。
「ああ、圭介にはまだ言ってなかったな。この学術都市レスリックの中心部。図書館に向かってるんだよ」
「図書館ですか?」
「ああ、普段は関係者以外は立ち入り禁止なんだが、研究発表の期間だけは有料で解放されてるんだ。蔵書の全てに目を通すには人の生で言えば、一生や二生では済まない量とも言われてる。世界に存在する蔵書の半分以上はここの図書館で見ることが出来るといっても過言じゃないなかもしれないな」
「話だけ聞けば大きな図書館がありそうですが、そんな巨大な建物はこの街で見かけないですね」
 昨晩、この街を散策した圭介がいうからには間違いない。
「それだけの蔵書を収めるにはもちろん巨大な施設になるだろうけど、本って意外に重いから建物を高くするにも限界がある。だからといって横に広げればこの街全てが図書館になってしまう。ここまで言えば分かるな?」
「……地下図書館ですか?」
「ああそうだ。この街の地下には蜘蛛の巣のように張り巡らされた図書館がある。つまり、この街の全ての住人は図書館の上で生活をしていることになる」
「それって危なくないですか? 地震とか平気なんですか?」
「地震? 地震ってなんだよ?」
「……? まぁいいや、とにかく、その図書館の上に建造物があったら危なくないですか?」
「ああ、大丈夫だよ。そんな生易しい深さじゃない。もっともっと深い場所に図書館はある。希少な書物があるんだ。浅いところには作れないさ」
「そんなもんなんですかね」
「ああ、なんてったって過去の研究発表の内容なんかも蔵書されてるそうだ」
 圭介の中で何かが閃いた。
「そうなんですか。では、早速向かいましょう」


 レスリックのほぼ中心部にその建造物はあった。
「図書館に入るには銀貨一枚が必要だ。ここは私が払っておくから見て回るといい。ただし、図書館から出るときは本を盗み出されてないかチェックするため身体検査を受けるけど、気を悪くしないでくれよ」
 そういってユニは大きく膨らんだ銀貨袋を取り出し、人数分払う。


 中は古書特有の臭いが漂っていた。
「えーっと、俺は過去の研究内容を閲覧したいんですけど、どこですか?」
「それならここからずっと奥の方だな」
「分かりました。ちょっと見てきます」
 圭介は奥の方に向かって歩き出す。詳しい場所は近くの司書に聞けばいいと思い一人でずんずんと進んでいった。



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