神が遊んだ不完全な世界

田所舎人

ある男の話

 男は森で不思議な存在と出会う。


 男は始め、自身の周囲に気配を感じた。男が早足で進むと気配は歩調を合わせるようについてくる。男が木の根に躓くと気配は男の周りを踊るようにはねる。男が森を抜けても気配は男の周りに付き纏う。男はどうしたものかと困り果てるが、気配は男に害を及ぼすこともないため気にしないことにした。
 その気配は男が驚いたり、笑ったりすると男の周囲で跳ねるような動きをする。その動きはあたかも喜んでいるようだった。男は時折、その気配に話しかける。気配は言葉がわからないようだが、男が話しかけると黙ってこちらの声に耳を傾けるようにじっとしていた。
 そんな生活が季節を一つ跨ぐ頃、男は気配が日増しに濃くなっていることに気がついた。
 男は気まぐれに膳を一つ多く用意した。ご飯に味噌汁、山菜と肉、漬物にコップ一杯の水。男と同じ食事を気配のために用意をした。男が食事を始めても向かい側の膳は一向に減らない。男は自身が馬鹿げたことをしているのだろうと思い、向かいの膳に手を伸ばす。するとコップの水が無くなっていることに気がついた。それから男は食事をするときは向かいの席にコップ一杯の水を用意するようになった。
 ある日、男は三歳を採取するため山に入った。しかし男は運悪く狼の群れと遭遇してしまう。男は狼に襲われひどく恐怖した。その時、男の目の前に文字通り透き通る肌を持つ少女が現れた。少女が手をそっと持ち上げるとどこからともなく水流が現れ狼を押し流してしまう。狼たちは本能からその少女を恐るように逃げてしまう。男はその少女があの気配と同じ雰囲気をまとっていることに気がついた。男は助けて貰った礼を述べるが、少女はその形を崩し、水は地に吸い込まれてしまった。男は山菜を入れていた袋を空にし水を吸った土を袋に詰め、家に急ぎ帰る。男は土を皿に盛り、コップに水を容れ、変化が起こらないかと見守った。しかし変化は訪れなかった。男は悲しんだ。男は泣き涙を零した。しかし涙は卓上を濡らすことは無かった。男は家の外からあの気配を感じた。男は家を飛び出した。するとそこには先ほど見た少女よりも成長した女性がいた。しかし男には間違いなくあの気配と同じ存在だと分かった。男は思わず駆け寄り抱きしめた。その感触はひんやりとした水のようなものだった。
 男はその存在にミズノと名付けた。ミズノは男と一緒に暮らすうちに言葉を覚え、表情を覚え、感情を覚えた。ミズノは不思議なことに肉や野菜や穀物を摂らず、水ばかりを摂っていた。ミズノは徐々に肉体を持ち、質感も人間のそれと変わらないものとなった。男が畑仕事をすれば手伝い、男が山に入れば後をついていき、男が街に出れば寄り添った。ミズノは男が喜ぶことや驚くこと、困ることや怒ること、笑うことや楽しむこと、色々なことをしては男の感情に触れた。雨が降ったと喜べば、ミズノが降らせたと驚き、ミズノが弱れば困り、原因が力を使ったことだと分かれば怒り、再び元気を取り戻せば笑い、二人寄り添って実りを楽しんだ。


 ある年、男は倒れた。男は自身の力で起き上がることができず、寝込んだ。ミズノは男が日に日に弱り、感情の起伏が乏しくなっていくことを感じ取った。しかし、男はミズノを見つめ、幸せな感情を浮かべた。その感情は今まで浮かべたどんな感情よりも暖かく切なくほんのり甘い感情だった。それから男は一切の感情を浮かべることはなかった。ミズノは男の骸を抱き、一滴だけ涙を零した。その涙は誰が誰のために流した涙だったのか。


 ミズノは本来の姿に戻り、ミズノは力を使う。自身の身体と男の身体、男から受け取った全てを糧に一雫の結晶となった。それは砕け散り新しい気配が生まれた。それは水脈を辿り湖へと辿り着く。その気配は成長し人間のような姿を形取り、人間と交わり戯れることを好んだ。


 その存在はある日一人の魔術師と賭け事をした。楽しませてもらった礼に一つのブレスレットを渡した。魔術師はそのブレスレットを受け取った。しかし、その魔術師にはそのブレスレットを上手く使うことはできなかった。魔術師は自宅に戻り、魔道具箱に仕舞った。


 ある日、魔術師の下に一人の男がやってきた。男は魔術の魔の字も知らないような無知な男だった。魔術師はその男にあのブレスレットを渡した。


「さてと、楽しみに行きますか」
 ブレスレットを付けた男は夜の街へ繰り出した。



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