(旧)十億分の一の魔女 ~ナノウィッチ~

田所舎人

1

「おおー!! 人が多い!! すげぇ!!」
 馬車から眺める景色はナノが今まで見てきたどの景色よりも人が多かった。初めて訪れた街は活気に満ち溢れ、建造物は乱立し、村の祭日でもここまで多くの人が集まったことなどなく、信じられない光景だった。ナノが右を左を見る度に馬車はグラグラと揺れ、その声は車外にまで漏れ注目を浴びていた。
「ナノ君。落ち着いて」
 感情高ぶるナノを窘めようとするが、ナノは思うがまま狭い車内を動き回る。開閉式の窓であれば、今頃は首どころか上半身、いや、全身を乗り出して思うがまま為すがままといった自制とは程遠い野生児っぷりを発揮することだろう。
「シャノン! あれ何!? なんかカッコイイんだけど!」
 向かいに座る十代後半の緩いウェーブのかかった栗毛の女性が窓の外を見る。
 ナノが指差す先には巨大な鉾を背負い、全身を金属鎧で固めた戦士がいた。
「あれは戦士という職業の人よ。ナノ君がこれからなる魔女のパートナーとなる存在。屈強な肉体を持ち魔女の前に立ち魔女を守護する存在よ」
「へぇー、あれって人なんだ。てっきり置物かと思った」
 全身を覆った金属鎧は着ている者が実際にいるかどうかは兜を外さない限り分からない。そのためナノは置物だと思った。
「君が魔女学園に入学して魔を修める過程において、彼らと共に学ぶこともあるわ。もうすぐ学園につくわ。ナノ君も準備をしなさい」
「はーい」
 ナノは食べかけの干し肉をそのまま口の中に投げ入れ数回の咀嚼で飲み込み、川から汲んだ水を入れた水袋に口を付ける。
「ナノ君。君がこれから過ごす学園には貴族出身の方もいるの。だから、学園内では魔だけでなく礼も学ぶようにするのよ。それがあなたのためになるのよ」
「おう!」
 水袋から口を離したナノは、シャノンの忠告のほとんどを聞き流しては快活な返事をした。






 広大な敷地は高い塀によって囲われ、出入りが可能な場所は南に設けられた門のみという閉鎖環境。しかしながら、塀の内側はナノとアンが所有する農地や山よりも広く校舎まで続く轍が草原に一本の道が続いていた。ナノの印象からは頑丈な塀に囲われた牧草地のようだった。
「広い!! でかい!! 高い!!」
 敷地を指差し、校舎を指差し、塀を指差す。なにもかもがナノの想像の規格外であり既知外だった。
「ナノ君。あそこがこれから君が生活する魔女学園よ。正式名称は魔女育成真正第一学園。長いから学園って皆は呼んでるけどね。今から学園長の所に挨拶しに行くわ。必要な荷物はナノ君が生活するための寮に送っておくから安心してね」
「寮って俺専用の家?」
「そうね。学園側からナノ君に与えられた場所よ。他の学生は全員女性ばかりだから同じ寮に住むには問題があるの。だからナノ君のために用意された場所よ。あと、学内にあるトイレや浴場は全て女性用だから、必要な時は一度寮に戻る必要があるから覚えておいてね」
「はーい」


 馬車が校舎の傍の停留場に止まる。窓の外には高く高く屹立した山のような校舎が見えた。
「着いたようね。ナノ君、降りましょう」
 馬車から下車する二人。シャノンは待機していた事務員に何事かを告げ、事務員は御者に指示を出し、今度は事務員が馬車に乗る。
「荷物はあの人が寮に運び入れてくれるわ。さぁ、学園長のところへ行きましょう」
「おう」
 校舎は石造りの堅牢な建造物だった。清掃も行き渡っており、品のある回廊や趣向を凝らした階段、華のある調度品が備わっており、どれもナノが見たことがないものばかりだった。しかし、ナノにはその価値の一切は分からず、ただ凄いと形容するしかない。
「この学び舎には様々な出自の方々がいらっしゃいます。例えば、貴族のご息女や優れた才能を開花させるためにご入学を希望なさる方や少ないですがナノ君のように民間から有志を募り、魔を修めるに相応しい方もまた入学なさるのです」
「へぇー。おねえさんも魔女だよね? おねえさんもその貴族の息女ってやつ?」
「いえ、私は民間の出自です。父親が元戦士として活躍しており、母親もまた魔女として活躍していました。引退してからはパン屋を経営をして私をこの学園に入学するように勧めてくださいました。そして、私の入学を学園に認められ卒業後はこうやって未熟な魔女。魔法少女を立派な魔女になれるようにお力添えをすることが今の私の在り方です」
 柔和な笑みを浮かべたシャノンはナノにはどこか誇らしげに映った。


 コンコンコン。
「失礼します。学園長、ナノ君をお連れしました」
「来ましたか。お入りなさい」
 シャノンが扉を開く。瀟洒なデザインの椅子に腰掛けた老女が人懐こい笑みを浮かべていた。笑うとほうれい線が強調され、それが初対面にも関わらず懐かしい印象を与える。
「久しぶりね。といってもナノ君は覚えていないかしら。まだ物心が付く前のことだものね。私はファラド・エクサ。この学園の長よ」
 椅子から立ち上がり老女はゆっくりとナノに歩み寄る。黒を基調としたローブに身を包み、豪奢な貴金属を身につけていた。
「俺、おばさんと会ったことあるか?」
「ええ、十三年も前のことだから思い出せないのも無理ないわ。貴方のお母様に出会ったのも十三年前。アンさんはお元気?」
「母さんなら元気だぜ。まだまだ若いって口癖のように言ってるからな」
「そう、それは良かったわ。本当は私が直接行きたかったのだけど、貴方と同じように入学する学生が多くて私がここを離れられなかったの。だから、信頼できるシャノンにお願いしたの。そうそう、シャノンは貴方の担当教師になるわ。何か訪ねたいことがあればシャノンを頼るといいわ。学業だけでなく私生活に関しても彼女なら快く相談に乗ってくれるわ」
「担当教師?」
「ええ、どの学生にも担当教師が一人いるの。魔女としての振る舞いは彼女達を見習ってちょうだい」
 エクサは踵を返し、机の引き出しから一本の小ぶりの杖を取り出す。およそ二十五センチメートルの細い枝のようにも見える。
「この杖は学園から貴方へ授ける物。貴方がこの学園で学ぶことを許された証。受け取ってちょうだい」
 エクサは表情を引き締め格式ばった物言いで杖を渡し、ナノはそれを両手で受け取る。そしていつの間にかエクサの傍らに立つシャノンが杖を仕舞うホルダーと魔術用のダガーを手渡す。
「それを身につけて見せて頂戴」
エクサは微笑みながらナノに身につけることを促す。それに応え、ナノはホルダーを腰に装着し、杖とダガーを仕舞う。エクサは一歩下がり、魔女としての基本装備を身につけたナノを魔女として認めた。
「おめでとう。これで貴方も正式に学園の学生よ。あと、これも渡しておくわ」
 そういってエクサは先程とはうってかわって再び人懐こい笑みを浮かべ、一本の鍵をナノに渡した。
「これは?」
「それは鍵よ。貴方の寮の扉の鍵。この学園から贈るもう一つのプレゼント」
「……」
 ナノは鍵をじろじろと見る。
「ナノ君。どうしたの?」
 不審な動きをするナノを見てシャノンが尋ねる。
「これってどう使うんだ?」






「ここがナノ君の寮よ。といってもナノ君の地方の建築様式を参考にしてるから寮って感じじゃないわね」
 引き戸のドアの鍵を開き、中を眺める。目の前には玄関。靴を収納するための箱まで備え付けられている。
「へぇー、結構広そうだな。ここに俺一人で住んでいいんだ」
「ええ、自由に使ってもらって構わないわ。トイレや浴室、あとキッチンもあるから。でも、水の無駄遣いは気を付けてね。」
 地下水は有限とのこと。場合によっては断水もあるため、水の集積魔術は早めに覚えたほうがいい。そうシャノンは付け足した。
「そういえば、学園長が俺のような新入生が来ているって言ってたけど、あの向かいの建物が女子寮ってやつ? あそこにもう住んでんだ」
「そうね。でも、女子寮に忍び込んじゃダメよ? もしも粗相をしたらお姉さんがお仕置きするわよ」
 そう言ってシャノンは子供っぽくウィンクをして笑ってみせる。
「まぁ知り合いが居るわけでもないし、訪れる機会はないけどな」
「それはどうかしら……」
 ナノの応えに対してシャノンは含みのある笑みを浮かべる。
「そうそう。学内の見取り図や校則といった大事な書類は全て机の中に仕舞ってあるわ。私は学園長に報告があるから離れるけど、何か用があれば私の研究室においで、歓迎するわ。詳しい日程についてはまた後で話すから夜になるまでは自由にしていいからね。女子寮に入ってはいけないけどね」
 シャノンはそういって男子寮を出る。ナノはシャノンを見送ると男子寮を物色し始めた。どうやら男子寮は二階建てのようだ。一階は襖で仕切られた二つの部屋。ダイニングキッチン。トイレと浴室。裏口があり、二階は襖で仕切られた二つの部屋にベランダがついていた。外には小さな倉庫まで備え付けられていた。一人で住むには広く感じたが、実家はもっと広いこともあるため、あまり気にしないことにした。
ナノは二階から降りて一階の机の中を物色し始める。長々と何か書いてあるが、何が書いてあるかは分からない。きっと校則が書いてあるのだろう。しかし、ナノは文字が読めないため読むことを諦めた。
荷物は既に運び込まれている。それらの内訳は着替えや狩猟用の道具、工具箱や猪を捌くための肉包丁や薪割り用の斧。ナノは寮というものがいまいち想像ができず、これらがあれば大丈夫だろうと思われる道具は一通り入れてきた。傍から見れば農耕狩猟民族が持つ部類ばかりだが、そのことを指摘する人間はいなかった。キッチンに肉切り包丁。倉庫に狩猟道具や薪割り用の斧を置いてきた。
ふと気付く。薪を割るのは風呂を焚いたり、料理をするためだ。しかし、ここでは必要がないものだと気づいた。そして、暖を取るための薪も必要がないくらい、男子寮は暖かかった。これもまた魔術の力なのだろうと察した。不思議と思われる物は全て魔術という未だ知らぬ力と決めつけた。


寮の中を探検することにも飽き、学園の敷地内を散策し始めたナノ。日も高くなり、暖かくなった頃。木陰のベンチに腰掛けて本を読む女の子を見つけた。
少女は視線を本から足音がする方へと移した。
長い銀髪に褐色の肌、赤く丸い瞳を持つ少女は信じられないものを見たように丸い瞳を更に丸くする。その少女は灰色を基調としたローブを着ており、ナノと同じホルダーを身につけていた。
「あなた! ここは男性の立ち入りは禁止されていますわ! 即刻出て行きなさい!」
 少女はきつい言葉をナノに投げかける。ナノは何を言われているのか分からず、何も言い返せなかった。更に少女はまくし立てる。
「ここは魔女育成真正第一学園! 男性が居て良い場所ではないのよ!」
 その騒ぎを聞きつけ、人が集まり出す。奇異の目に晒されるナノは居心地が悪かった。
「テラ。どうかしたのかしら?」
 壮齢の女性が銀髪の少女に近寄り尋ねる。その口調は、またか、と如実に表した抑揚を持っていた。
「デシベル先生! ここに男性がいます! 即刻この学園から追放してください!」
 女性はまじまじとナノを見つめる。
「あらあら、貴方が噂の……。私はデシベル・クーナ。こちらのソーン・テラの担当教師よ」
 赤みがかった黒髪。何本か白髪が目立ち、杖を持つ手は老いを隠さない。それでも生気溢れる表情をする元気なおばさん、といった形容が似合う魔女だった。山吹色の厚手のコートを着ている。きっと冷え性なのかもしれない。
「先生! これはどういうことです!」
 青筋を立て、興奮した声を上げる。ピシッとナノを指差す様に、ああこの子は人を指差す癖があるんだな、とナノは思った。
「テラ。こちらは貴方と同じ新入生の……えーっと、お名前は……ナノ……。そうそうナノ君。テラ、こちらのナノ君は貴女と同じ新入生なの。男性の魔女って聞いてないかしら? 彼がその男の子なの」
 ソーン・テラと呼ばれた少女は値踏みをするようにナノをしげしげと見定める。
「……貴方、生まれは?」
「生まれ?」
「出自のことよ。テラなら王室の生まれ、私なら貴族の生まれ、貴方の家系について聞いてるのよ」
 ナノに分かりやすく説明するデシベル。ナノからしてみれば初対面の相手に急に出自を聞くという事がどういうことか分からない。しかし、それが学園での普通なのだろうと一人で納得した。
「俺の家は農家だぜ。毎年地平線の彼方まで広がる稲が自慢なんだ」
「の、農家ですって……」
「ああ、鶏や牛も飼ってるぜ」
 絶句。二の句が告げない。言葉に詰まる。どの形容も当てはまる含蓄のある表情を器用に浮かべる。きっとこの子は表情豊かなのだろうとナノは思った。
「なんだか分からないけど、一緒に頑張ろうぜ」
 ナノがテラの肩をポンポンと叩く。
「農民風情が私に……」
 テラは杖を抜き大地に向ける。
「flóut/float!」
 ナノにとって馴染みのない音がテラの口から発せられた。その音に呼応するように大地に転がる幾つかの小石が宙へと浮かぶ。呆気に取られたナノは浮遊する小石に目を奪われる。
「ʃú:t/shoot!」
 杖をナノに対して突きたて、何かしらの音を発する。宙に浮かんでいた小石は一切の予備動作が無く、ナノに目掛けて飛来する。普通の人間ならば、小石に襲われ裂傷を負うところだ。しかし、その動きはナノにとっては驚く程の速度ではなかった。叩き落とせばいいだけ。蝿や蜂が飛んできたなら叩けばいい。そう思って右手で飛来する小石を払い除ける。
 ナノに触れた小石は砂塵になった。
 今度はテラが呆気に取られる。しかし、
「ふん! 魔女なら魔女らしく魔術で抵抗すれば宜しいのに素手で叩き落とすなんて、やっぱり男って生き物は野蛮なのね。すぐに手を上げるなんて」
 そういってテラはスタスタと立ち去ってしまう。その姿を黙って見送るナノはテラの言っている言葉に釈然としなかった。周りにいた学生達もテラが立ち去ると散り散りとなっていった。しかし、遠くからナノに向ける視線は相変わらず注がれている。
「ナノ君。さっきのは拙かったわね」
 デシベルが困った表情を浮かべる。
「何が?」
「彼女、王室出身って話したわよね。この学園では出自によってカースト制を敷いてるわけではないのだけど、やはりそこは人間。急には変わらないの。……貴方は農家の生まれよね。どこから来たのかしら」
「えーっと、あっち」
 方角的には南である。
「距離は?」
「馬車で二日」
「南に馬車で二日……確かあそこは……」
 非国有地。独立地区。非課税地域。どこにも縛られず、どこにも守られない区域。開墾により生じた名も無き農村。
「……なるほど、そうよね。あの地で王室や貴族なんて概念自体が存在しないものね……」
「そんなことよりお腹空いた。この辺に猪か熊が出るような森ある?」
「……猪……お腹が空いたなら食堂に行くといいわ。校舎の見取り図はお持ちかしら?」
「ああ、これのこと?」
 一応は持ち出しておいた紙切れを取り出す。
「校舎の一階に食堂って書いてないかしら?」
「文字読めないから分からん」
 絶句。テラ程明白な表情は浮かべないものの、信じられないものを見る目であることは分かる。
「……あなた、どこで教育を受けてたのかしら?」
「教育? 概念は知ってる」
 礼節以前の問題だった。
「概念は……。誰に教えてもらったのかしら」
「ああ、そういうのは一通り母さんから教えてもらったぜ。稲の育て方とか猪の狩り方とか」
「……随分と実用的な知識ね……。計算の方は?」
「稲の収穫量とか金銭の交換で一通りは分かる」
「四則演算は大丈夫なようね。……シャノンも大変な教え子を持ったものだわ」
「それより腹減った。食堂まで案内してくれ」
「……そうね、案内するわ。ただ……」
「ただ?」
「敬語は覚えましょうね」
「えーっと、確か語尾にですってつければいいんだよな、です」
「……おいおいがんばりましょう」






 食堂には同時に三百人が着席できる数のテーブルと椅子が存在した。
「この学園には三百人もの人がいるの。だから、全員が食事を取れるようにこんなに広いのよ」
「三百人もいるんだ、です」
「ええ、ナノ君もこの三百人の仲間の一人になるのよ」
「だからこんなにテーブルが多いのか、です」
 敬語の使い方を間違えていないと信じて疑わないナノはデシベルに案内されて食堂にやってきた。そして、一人の少女が目に付いた。八人掛けのテーブルを埋め尽くす皿と一人でそれらと格闘する少女。赤毛のサイドテールに白い肌、深緑の瞳を持っており、胸が大きい。燃えるような赤いローブがいやでも目に入る。
「デシベル、あの子は誰、ですか?」
「彼女はパスカル。ナノ君と同じ新入生よ。彼女はこの国の人間じゃないという点で言えばナノ君と同じね。ちなみに出自は貴族よ。出来る範囲で丁寧に対応してちょうだい」
「分かった、です」
「ところでナノ君は何を食べるかな? メニューが読めないのよね」
「とりあえず、あの子と同じ物」
 堂々と貴族出身の少女のテーブルに置かれた皿を指差す。
「……食べられるの?」
 その問いにナノは笑って答えた。
「生まれて初めて満腹になれそうだ」
 デシベルが厨房のおばさんに注文をすると、おばさんは大量の料理を消化するパスカルと腹を空かせて待っているナノを見ながら苦笑いをしていた。デシベルは注文を済ませるとナノの向かいの席に座る。
「じゃあ、料理を待つ間に他にも俺と同じ新入生を教えてよ、です」
「そうですね。本来ならばシャノンの仕事なのですが、シャノンも特別な任務を請け負う身。それぐらいならば私が教えましょう」
「一人があの銀髪のソーン・テラだっけ。で、二人目があそこのパスカル・ピコ。あとの二人は、ですか?」
「一人はカンデラ・マイ。国内貴族出身の女の子よ。もう一人はクーロン・ミリア。こちらは多くの魔女を輩出する名家の出自よ」
「マイとミリアね。見た目とか特徴とか分かる、ですか?」
「マイは長い黒い髪と綺麗な黒い眼を持ってる大人しい少女よ。珍しく黄色の肌を持ってるわ。ミリアは短い栗毛と珍しいバイオレットの瞳を持つ賑やかな少女よ。背が低いことが特徴かしら」
「女の子ばっかりなんだな、です」
「ええ、この学園の男性はナノ君を除けば一人しかいないもの」
「俺以外にも男っているんだ。それは誰、ですか?」
「事務員のジュール・ゼプトよ。学園長のご友人だそうで長年この学園に勤務なされてるそうよ。見た目は五十代のおじさんで白髪のオールバックが特徴よ。仕事内容は花壇の手入れや剪定だからどこかで見かけるかもしれないわ」
「へぇー」
 ナノが相槌を打つと妙齢の女性がデシベルに近づき何事かを囁く。
「デシベル・クローネ先生、学園長がお呼びです。ナノ君については私が引き継ぎます」
「あら、学園長が? 分かったわ」
 そういってデシベルは席を立ちあがる。
「ナノ君、ごめんね。急用ができちゃったから私はこれで失礼するわ。何か分からないことがあれば、こちらのケルビン・バーツ先生に聞いてくれれば答えてくれるわ。私が注文した料理もナノ君が食べちゃっていいから。それじゃあね」
 そういってデシベルは食堂を退室した。デシベルが座っていた席に今度はケルビンバーツと紹介された女性が座る。
「初めまして、ケルビン・バーツです。あそこにいるパスカル・ピコの担当教師よ。よろしくね。親しい者は私のことをルビンと呼ぶわ。良かったらナノ君もそう呼んでちょうだい」
 そういってケルビン・バーツは手を差し出す。ナノは反射的にその手を握り返す。若作りしている三十路だと直感した。見た目はダークブロンドの長髪に鳶色の瞳。紫黒のローブを身に纏っているため尚更妖艶な雰囲気を醸している。
「初めまして、ナノ、です」
 そこで厨房のおばさんが大量の料理を運んでやってきた。それらは尋常じゃない量であり、八人掛けのテーブルが料理によって瞬く間に埋め尽くされてしまう。
「挨拶もいいのだけれど、折角の料理が冷めてしまうわ。お話は後にして食べましょう」
「そうだな、です。じゃあ、いただきます」
 直後のナノは実に見事な食いっぷりだった。食事の作法なんてものとは縁遠いナノは全ての料理を皿ごと食べるのではないかと思うほど掻き込み、次々に料理を平らげていった。積まれる皿はナノの頭まで高くなり、それが一本、二本と皿の塔が次々に建てられていく。その光景にはルビンが浮かべる妖しい微笑もぎこちなくなってしまう。ナノが四本目の塔の建設に取り掛かろうとしたとき、厨房のおばさんがこれ以上食べられては他の者達の料理が出せなくなるため、今日はこれぐらいにしてくれという懇願の願いを聞き入れる形で皿の塔の建設は中断された。
「ふぅー、食った食った。腹八分ってところだな」
「……本当に生まれて満腹になった事が無さそうですね」
「そうだなー。食っても食っても消化しちまって、満腹になれないんだよな、です」
「ずば抜けた吸収力ですね。……これも男性型魔女の特徴なのでしょうか……」
 ぼそぼそと呟くルビン。そこに赤毛のサイドテールと乳を揺らしてやってきた少女、パスカル・ピコ。
「君」
「ん?」
「君のせいで料理が食べられないじゃない、どうしてくれるのよ」
 何故か怒っているパスカル。ナノはパスカルが座っていた席を見ると、そこにはナノが建設した物と同じ高さの塔が四本建立されていた。
「どうするもなにも在庫が無くなったんなら仕方ないじゃん。そんなに食うと牛になるぞ」
「ッ! あたしは牛じゃない!」
 パスカルは胸元を隠しながら杖を抜く。このときナノは、またか、と思った。パスカルは杖を握り先端を天に向け胸に掲げる。
「貴方に決闘を申し込むわ」
 どうも魔女という人種は激昂しやすい質が多いのかもしれない。経験的にそうナノがそう思っても仕方がなかった。
「いやだ」
「いやだ……って、貴方は決闘を申し込まれて逃げ出すんですか!? それでも貴族なの!」
「いや、俺は貴族じゃないし」
「だったら、レスリックの国民は腰抜けなのね!」
「俺はレスリックの人間でもないし」
「……」
 どう挑発してものらりくらりと躱すナノに対して悔しい思いをするパスカル。
「だったら、こうしましょう。ナノが勝ったらパスカルの手料理を食べられる。パスカルが勝ったらナノの手料理を食べる」
 ルビンが楽しそうな調子で提案する。
「それならいいぜ。食後の運動にもなるし、貴族が食ってる物が食えるなら価値はある」
「あんたには料理の代わりに熱い魔術を食らわせてやるわ」
 ナノ、パスカルの両者は戦意表明をした。
「だったら今すぐ決闘場にいらっしゃい」
 そういってパスカル・ピコはスタスタと食堂を出て行こうとした。
「パスカル、食堂から出る前に口元のソースぐらい拭いていけ」
 そういってアンから持たせられたハンカチをパスカルに投げる。顔を真っ赤にしたパスカルはハンカチで口元を拭ってそのまま食堂を退室した。
「あ……持って行かれた」
「あなた、決闘のルールについては読んだわよね?」
「ああ、あの分厚い本? 俺、文字読めないから分かんない。それよりさ、決闘場ってどこ、ですか?」
 紫黒のローブが着崩れた。
「そ、そう。まぁいいわ。勝っても負けても私が審判をやれば事後処理はなんとかできるし、私が決闘場へ案内するわ」
 そうしてルビンに案内に従うナノ。更に強い奇異の視線が無遠慮に投げかけられる。
「ところで、ナノ君は魔術をどれぐらい使えるのかしら? 力学魔術ぐらいは使えるわよね?」
「力学魔術? 魔術を学ぶために学園に来たんだから使えるわけじゃん、です」
 再びローブが着崩れた。やや豊満な胸の谷間が顔を覗かせる。
「そ、それでパスカルさんの決闘を承諾したの?」
「猪や熊に比べたら楽だろ、です」
「……貴方、剣や槍が使えるの?」
「いや、素手でこう、どんと」
 ナノが構え、正拳突きを放つ。その瞬間、ルビンは怖気が走った。ナノが放つ殺気のようなものがルビンを飲み込んだのだ。
(肉体強化……それも作用強化、反作用分散……の二重強化。それに何か別の効果もあるわね……)
「これって結構難しいんだよな。間違えると内臓が破裂して肉が不味くなるから手加減しないと、です」
(無詠唱の三重強化? そんなのどうやってやるの……文字も知らない子供がこんな高度な魔術をどうやって……)
「ルビン? 黙ってどうした、ですか?」
(何か媒介があったのかしら? でも、何も持っていないわ……コートの内側に隠し持ってるのかしら……そもそも杖を手に持ってなかったわ……。わけがわからない……)
「ルビン」
 ナノが返事をしないルビンの背中を軽く叩く。
「わひゃあ!」
するとルビンは異様な反応を見せる。三十路の女性が上げるにしては少々可愛らしい反応だ。
「ルビン、決闘場はどこ?」
「あ、そう、そうよね。これから決闘するのよね……」
 そこでルビンが再び硬直した。
(猪や熊を素手で殴り殺せる魔法少女ってことよね……今のナノ君は……そんな彼がパスカルさんと決闘する未来は……)
 ナノの腕がパスカルの背中から生える未来が容易に想像された。
「ナノ君。絶対に! 絶対に! パスカルさんを殴ってはダメよ!」
「まぁそのつもりだけど」
「あなたがそんなことしたら審判兼担当教師のこの私が非常に拙い立場に立たされるわ」
「……」
 ルビンは自分本位なんだとナノは思い、そして、なぜルビンが教師になったのかと疑問も抱いた。



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