異能力で異世界充実 ―非現実の扉―

田所舎人

第32節

 私はカズキ様の部屋を出て、ロージーの所へ向かった。
 今はオセロ子爵よりお借りしている部屋で書類整理をしている頃だろう。
 この所、カズキ様より仕事を多く任されており、本人もやりがいを感じているようだが最近は遅くまで仕事をしていることが多い。
 カズキ様は色々と道具を下さるので負担の軽減にはなっているが、その道具を使える人間がロージーだけしかいないので、結局はロージー自身が動かなければならない状態だ。
 倒れないかと心配が絶えないが、私にはどうすることもできない。カズキ様はロージーを信じ、ロージーはその期待に応えようとしている。自らに課せられた仕事をこなす為だ。
 私もロージーもカズキ様には感謝している。そして私に至っては畏敬の念すら覚えていた。


 カズキ様に初めて会ったのはオルコット商会の奴隷牢の中だった。


 初めは身なりの綺麗な青年だと思った。そして見慣れない服を着ていたことからどこの出身の人間か分からなかった。初めは魔人かとも疑ったが、あまりにも薄弱な魔力の気配であることから魔人ではないだろうと思った。むしろ、その魔力の気配の無さに得体の知れなさすら感じた。死人ですらもっと魔力の気配はあるだろう。生命ではない鉱物でももっと魔力を帯びているはずだ。なのにその青年には一切魔力を感じることはできなかった。
 そう。私にとってその青年は正体不明の具象だった。
 私の才覚を継いだアイリスもまたその青年に対し、不穏さを感じていただろう。しかし、アイリスはその青年にあろうことか取引を持ちかけたのだ。自らの命、それどころか尊厳すら差し出すような取引だ。
 青年はアイリスの取引に応じ、たった一晩で私達を買い取るだけの金を用意してみせた。
 見慣れぬ服を着てはいたが、そこまで裕福層には見えない青年だ。一体どんな手段を使ったのか謎は更に深まった。
 私達を一体どうするつもりなのか。その疑惑による重圧で酷い吐き気を覚え、その晩は深い眠りにつくことはできなかった。


 しかし、私の心配を他所にその青年は私達に宿を与えてくれた。それどころか自由に食事を取ってこいとも言った。アイリスが銀貨を持ってきた時には一瞬だが、盗んできたのではと疑ってしまったほどだ。それほどまでに私の精神は蝕まれていたようだ。


 その青年は私達とは物の見方が異なり、常識が欠けているように見えていた。端的に言えば、奴隷への扱いが厚遇であること。また、同じ席で食事を取ること。時には友人のように接してくることもあった。
 私はその青年が遠い異国から来ているのだろうと思い至るのに長く時間は掛からなかった。
 そして、その青年はロージーやアイリスに水浴びをさせると言った時にはとても驚いた。しかもそれが厩の一角でという話だ。その話を聞いたとき、私は自分の頭と耳を疑った。
 いくら私達に厚遇な青年でも水浴びまで許可するとは、それもその青年自らが全てを準備したというのだから当時の私が信じられなかったのも無理はないだろう。
 アイリスとロージーが水浴びをして居る時、その青年は私に色々と問いかけてきた。
 奴隷の主が奴隷の身の上話を聞くことはよくあることだ。それを笑い話にすることは更によくあることだ。しかし、その青年は私が身の上話をし終わるとなんとも沈鬱な表情を浮かべ、私に聞いてきたのだ。


「ハリソン、酒は好きか?」


 そんな質問をする青年にあの時、私は何を感じただろうか。
 憐れみを向けられたことに悔しさを覚えただろうか、もう一度酒を飲める機会に喜んだだろうか、酒を飲む気にはなれないと否定的になっただろうか。
 あの時の私は、安堵していた。
 この青年は人の気持ちが分かるのだろうと。正確に読めなくとも、気遣う事を知っている人間なんだと。
 あの時、私はその青年が正体不明の具象ではなく、私達を救ってくれた異国の青年であると思ったのだ。


 それからは非日常に非日常を重ね合わせたような日々が始まった。
 王女、王子に呼ばれ、建国式典が始まり、戦争が始まり、カズキ様が終わらせた。
 そして今ではカズキ様の存在感は異様なまでに濃く強く頼もしくなっていた。
 そんな私達の主たるカズキ様に畏敬の念を抱かないわけがない。
 私はそんなカズキ様のために身を粉にして奉仕するつもりだった。
 しかし、そんな私の前に奴が現れた。
 奴を止めるためにカズキ様の元を離れることはできないと自分を戒め、平成を装うとした。しかし、それはできなかった。
 カズキ様からどうしたと問われれば答えるしかなかった。沈黙も嘘もこの人にはできないから。
 そしてカズキ様は行って来いと言った。全ての準備は俺がしてやると。名目も資金も物資も人員も全て揃えると。
 これで応えなければ私は私を許せないだろう。


 私はロージーに全てを話した。これから長い間、ロージーとは会えないだろうことを。
 ロージーは全てを聞いた上でそっと私を抱きしめた。


「帰ってくるのよね?」


 私の体に顔を埋めるロージーの顔は見えない。
 どんな表情をさせているかを考えると胸が苦しくなる。
 夫としての私と男としての私、それぞれが私なのだ。


「もちろんだとも」


 ロージーの髪を優しく撫で、その温もりを決して忘れないよう心に刻む。

「異能力で異世界充実 ―非現実の扉―」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く