異能力で異世界充実 ―非現実の扉―

田所舎人

第1節 現実逃避

 クーラーが効いた密室まで蝉の鳴き声が響く夏。
 俺はパソコンの前に座り、ヘッドフォンを掛けてアニメの世界に没頭していた。
 俺は神崎一樹。国立大学六回生三年の三留中。前期を終え、夏期休暇に入った現在、四留目が確定中。
 現実に立ち返れば、単位は足りているんだ。ただ、必修を一つ落としただけ。そう何度も自分に言い聞かせる毎日。現実に目を背かずにはいられず、直視すれば憂鬱になる。
 しかし、仮想世界に没頭する俺でも現実に立ち返らなければいけない時がある。便意と空腹だけは無視できるものじゃないからだ。
 再生していたアニメを一時停止する。白い雲と緑の森、赤い髪と黒い剣。主人公が全ての戦いを終え、一人となってしまったワンシーン。晴れ晴れとしたシーンだが、俺には物悲しく映って見えてしまう。
 トイレから戻ってくると、パソコンの画面に蚊が止まっていた。どこから迷い込んできたのか分からない蚊を俺は叩き潰そうと日焼けしていない白い手を伸ばした。
 しかし、その手には蚊を叩き潰す感触も、クーラーの冷気で冷えた画面の感触もない。当たり前のように画面に埋没する俺の腕。あたかも俺の右腕がディスプレイに喰われているようにも見える。
 アニメの見過ぎか?
 俺がそう思うのも無理はない。ここ毎日、起床時間のほとんどをアニメ鑑賞に費やし、現実と虚構の境界があやふやとなっていた。もしかしたら、本当に夢を見ているのかもしれない。明晰夢を見た経験はないが。
 そんな客観視をするほど冷静なのに、妙に現実味が無い。
 伸ばした腕を引き戻しても傷一つ無く、無意味に手をじっと見つめては握っては開く。きちんと動くし、異常も無い。
 俺は特に何も考えず、もう一度腕を突っ込んでは確かに異常が無いことを確認し、頭から画面に突っ込んだ。
 しかし、俺はちょっとのつもりだったが、変な姿勢で突っ込んだせいかバランスを崩し、有るかどうかも分からない画面の向こうの地面に手を突こうと頭から転落した。神崎一樹の消失。洒落にもならないそんなふざけたタイトルが頭をよぎった。
「……なんなんだ」
 俺は逆立ちの姿勢でぼやく。
 逆さまの視界に映るのは木造の壁。
 もしかして、アニメの世界に入り込んだのか?
 と、冗談みたいなことを考えたが、あのアニメにこんなワンシーンがあっただろうか。
 そんなことを考えながら倒立からの前転で立ち上がる。
 周囲を見渡すと木造家屋の一室のようだ。近代的な調度品は無く、高精細のゲーム世界に迷い込んだような感覚だ。
 アニメの世界観とはちょっと違うから、アニメの世界ではないようだ。
 そこで俺は自分の体が妙に軽い事に気づいた。それに体が張っていて、耳鳴りがする。耳抜きをしてみるとすぐに耳鳴りは治った。
 俺の部屋に比べて気圧が低いって事になるのか? それにクーラーがかかってもいないのに涼しいってことは夏じゃないから……たぶん、日本じゃないんだろうなぁ。
 とかなんとか理屈をこねながら周囲を調べると、背後の壁に掛けられていた絵に目を奪われた。白い雲と緑の森、赤い髪と黒い剣。あのアニメのワンシーンが飾られていた。
 俺はマジマジとその絵を眺めてみる。あのアニメのワンシーンに非常に似ているが立体感がある。
 多分これは油絵みたいなものなのだろう。病院とかでこんなのが飾られているの見たがある。
 俺がまじまじと絵を鑑賞していると突如、男の怒号と女の叫び声、それに犬の唸り声のようなものが外から聞こえてきた。
 俺は嫌な予感から、手近にあった火掻き棒を手に取る。見た目は鉄なのにアルミのように軽い。
 ドアから出ようとした時、一瞬立ち止まり反射的に足元を見る。当たり前だがそこに俺の靴はない。
 裸足で外に出るなんて小学生以来か。
 そんな事を考えながらドアを開き、周囲を見渡す。
 俺がいる地点から約二十メートル先程で十数匹の狼に似た獣に囲まれた村人が応戦していた。村人は農具を振り回して獣を追い払おうとしているが、獣の方は冷静に距離を保っている。まるで獲物の体力が尽きるのを待つかのように。
 俺は物音を立てないようにそっと静かに外に出る。
 なんかやばい感じだな……。
 村人達を助けるか躊躇していると、村人を囲っている獣とは別の獣が俺に気づき、威嚇をしながら近づいてくる。まるで、村人を助けようとするならお前を咬み殺すぞと言わんばかりに唸る。
 マジで怖い。
 グルルと唸る獣。牙を光らせ、涎を垂らし、こいつに噛まれたら腕を持ってかれちゃうなーみたいな他人事のような客観視をしてしまう。
 本音を言えば、直ぐさま逃げ帰りたい気持ちでいっぱいだ。しかし、そうはいかない。
 ここがどこで、どうやってここに来たのか……まぁあの絵が手がかりなんだろうけど、獣に背を向けて逃げても逃げ切れる自信無いし。
 なんて臆病風に吹かれていると突如、肩に鋭い痛いが走る。
 耳元でグルルと唸り声が聞こえ、それが獣であることを頭で理解するのと同時に反射的にその獣の顔面を握り潰してしまう。
 自分でも何が起きたのか分からなかった。恐怖が先歩きして、馬鹿力が出たのかどうかも分からない。ただ全力で獣を振り払おうと力いっぱい掴んだだけだった。なのに獣の上顎が潰れてしまった。
 襲われた俺自身は背後から噛まれたにもかかわらず、想像したほど痛くは無い。逆に俺に噛み付いてきた獣の方は上顎が潰れ倒れている。しかし、危機が去った訳でもなく、目の前には先程まで睨み合っていた獣が一匹。
 倒れている仲間には目もくれず、獣は一鳴きして数匹の獣を呼び寄せ、陣形を組むように俺を囲む。
 しかし、そこまでの窮地に居ながら、俺は不思議と恐怖心が薄らいでいた。なぜなら、俺は不意打ちを受け、背後から噛み付かれたにも関わらず、血の一滴も出ていない。ちょっと力強い肩揉みを受けた程度の痛みが走っただけだ。
 もしかして、俺って強い?
 牙を剥き出しにした獣の一匹が俺を咬み殺そうと飛びかかってくる。
 俺はその獣を火掻き棒のフルスイングで迎撃してやる。するとその獣はラリアットを受けたプロレスラー顔負けの空中回転を見せ、顔面から着地した。完全に死んだなと俺が思った直後、獣の体は音も無く黒い煙となり、地面に綺麗な石だけを残した。
 それを確認する間もなく他の獣が数体、同時に襲いかかってくる。唸り声が背後からも聞こえ、嬲の一文字が頭に思い浮かぶ。
 決死の覚悟で一歩を踏み出し、正面の獣をなぎ払って頭を叩き潰す。
 獣は悲鳴も上げず、また石のみを残して消え去る。
 その報復とばかりに獣達は俺の腕や足を噛み付く。
 やはり、致命傷になるほどの傷は負わないが、それでも痛いものは痛い。
 俺はいつの間にかひん曲がった火掻き棒をその場に捨て、獣に噛み付かれたまま手近な家に近づき、乱暴に腕や脚を振り回して獣共を壁に叩きつける。直ぐさま消えないあたりは死んでいない証拠だと判断して、思いっきり蹴り上げたり踏み潰したりすると石を残して獣は消え去った。
 殺しても死体が残らないなら不思議と罪悪感が無い自分を冷静に自己分析してみせる。
「くそう。内出血してやがる」
 改めて自分の腕を見てみると唾液まみれの上腕は赤い斑点がポツポツと浮いていた。さすがに無傷というワケにはいかなかったらしい。半袖で直に噛みつかれて、この程度で済んでいるなら僥倖だろう。
 改めて周囲を見渡すと、村人らを囲んでいた獣達はすぐに村の外へ出ていった。
 残るは俺と、腰を抜かした村人達だけだった。いや、腰を抜かした村人だけではない。怪我人がいることに俺はここで初めて気付いた。
 村人達がすぐに逃げなかったのは囲まれていたからではなく、怪我人を守るためだったらしい。
「おい、大丈夫か!」
 村人達に駆け寄り、怪我人の様子を見る。爪で切り裂かれたような裂傷が背中に痛々しく走っていた。
 筋肉質な男が俺に近づいて手を取ってきた。
「■■■■、■■■」
 俺にはさっぱり分からない言語だが、たぶん感謝を言われているのだと思う。
 発音としては母音がはっきりしているから現実で言えば日本や中国、韓国のような東方な感じがする。感じがするだけで意味は分からない。
 その言葉に対して俺の反応が鈍かった事が相手に伝わったのか。俺が言葉を理解していない事を向こうは察したらしい。
 とりあえず、俺は怪我人を治療することを優先する事にした。
 ある程度の推測をしているが、ここは異世界か、アニメの世界か。なんにしろ、現代ではないと当たりをつけていた。
 こういう場所では民間療法による薬草みたいな方法があるんだろうけど……。
 俺は瞬時の閃きから踵を返し、さっきの民家に入って例の絵の前に立つ。
 絵に右手を伸ばすとズブリと右手が埋没する。
 やっぱり。
 俺は躊躇することなく絵に飛び込んだ。

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