最強の元王子様は怠惰に過ごしたい?
在りし日の追憶 レンヤ
レンヤとミクルーアが姐さんに拾われ、『機関』に加入してから一年ほどが経過した。
ミクルーアは孤児院にて院長の補佐を受けつつ運営の方法、さらには家事を学んでいた。
一方レンヤはというと
「がっ……!!」
壁に背中から衝突していた。
場所は『機関』の特別訓練室。頑丈さだけを取り柄とする壁に囲まれたこの部屋で、レンヤは自動人形と交戦していた。
これは『機関』がレンヤを暗殺者として育てる為に用意した訓練だ。
姐さん特製の世界に一機しかないこの自動人形は戦闘に特化した性能をしている。気配を、音を、果てには相手の感情の動きにすらも反応するというこの世ではありえないほどの高性能。
遠距離攻撃にも対応しているため近づくことも出来ず、近付けたとしても反撃を行う。人間ではない故の有り得ないような反応速度で。
そんな自動人形相手に、レンヤは挑んでいる。自身の意志で。
幸いな事に、レンヤにはかなりの才能があった。ここ一年で様々な技術を驚くべき速さで吸収していった。だが本人は才能だけに縋るつもりは無い。
目指すのは完璧。いや、それ以上だ。
その為には止まるわけにはいかない。努力を、研鑽を欠かさない。
守るべき場所が、人がいるから。
傷だらけになりつつもレンヤは自動人形に挑み続ける。
反応される前に、攻撃を当てればいい。相手の反応条件である全てを排除した動きをすればいいのだ。
――――気配を消せ。音も消せ。何も考えるな。感情を抑制しろ。求めるのは、無。暗殺者として生きていくと、決めたのだから。
何回も挑み、何回も反撃を受ける。壁に叩きつけられ、床に叩きつけられ、斬りつけられる。
傷口からは血が流れ出ており、痣も大量に出来ている。既に身体はボロボロだが、それでも諦めることは無い。
《はい、レンヤちゃんストップ~》
姐さんの静止の声がかけられる。
それと同時に、レンヤは糸の切れた人形のように倒れる。極度の集中状態を長時間継続しており、とっくに限界は超えていた。もちろんそれは肉体面に関してもだ。
姐さんはレンヤを抱えると、近くに備えておいたベッドに横たわせる。目覚めたらまたすぐに、この少年は訓練を始めるだろう。
少しでも休んで欲しい。出来ればもうこれ以上続けないでほしい。そう伝えたかった。しかしそれは少年の決意を踏みにじることになる。
まだあどけない様子を残したその寝顔を眺めながら、姐さんは言葉を漏らす。
「今はまだ無理だけど……いつかきっと、普通の日常を過ごせるようにするから……ごめんね、レンヤ」
それが外れた道へと少年を巻き込んでしまったことに対する、唯一の罪滅ぼしだ。
※※※
すっかり外は暗くなり、レンヤは訓練を終え帰途についた。
孤児院へと足を進めつつも、何者かが跡をついてくる気配を感じた。このまま行けば孤児院までついてきてしまうかもしれない。
レンヤは気付いていないフリをしつつも、人目の少ない路地裏へと入っていく。
しばらく歩き、完全に人気がなくなったところで正面に人影が現れた。
「レンヤ様! やっと……やっと見つけました!」
現れたのは、幼き頃からレンヤの世話をしてきた侍女だった。そしてレンヤとミクルーアを売り払おうとした張本人でもある。
いかにも必死に探してましたという風に出てきた侍女。よくもぬけぬけと自分の前に出て来れたなと感心してしまう。
相手は結局子供だと侮っているのかもしれない。どうせ時が経てば忘れているだろうと高を括っているのかもしれない。
「私と一緒に行きましょう、ミクルーア様も連れて。新しい主人を見つけたのです。きっとあなた達のことも暖かく迎え入れてくれますよ」
感極まったようにレンヤを抱きしめ、誘ってくる。
――――何を言っているんだ、この人は。
新しい主人?母国を襲った敵国の間違いだろう?
暖かく迎え入れる?愛玩動物にされるだけだろう?
急激に心が冷えきっていく。
「ほんとに?」
「ええ、本当です」
あくまでも何も知らない無垢な子供を演じる。幸いにも今のレンヤは訓練後で疲労がかなり蓄積しているため、傍から見れば生活に苦労している少年のように見えるだろう。やっと落ち着くことが出来るんだと、涙を流し侍女を抱き締め返す。
冷えきった心とは真逆の、人に触れたことによる温かさを感じる。
この温もりに身を任せれば、レンヤの暗殺者としての道が閉ざされる。人殺しをしなくて済む。用途的にも、最低限の生活の保障はしてもらえるだろう。
だからレンヤは選択をする。
「ありがとう。これでやっと……」
侍女を抱きしめたまま、袖に隠していたナイフを手にする。
そして逆手に持ち、
「過去の自分と、決別できる」
侍女の背中に突き立てた。
「なっ……ぜ……」
自分が何をされたのか理解した侍女が、苦しげに呟く。
「もう僕は、いや、俺はアルフォンス王国の王子じゃない。レンヤ=バルト=アルフォンスではなく、『機関』所属のレンヤだ」
王城にてぬるま湯に浸かっていた自分とはもう違う。例えこの先の自分が人殺しになろうとも、構わない。この道を選んだのは自分自身だ。
そこに後悔の念は、微塵も存在しない。
うつ伏せに倒れている侍女の背からナイフを引き抜く。
「殺さずにはおいてやる。一応は育ててくれた恩はあるからな」
少なくない量の血液が侍女の背から流れ出ている。このままだと死に至るまでそう時間はかからないであろう。それでも言わなければならないと思った。
「だが、次にまた俺の前に出て来てみろ。その時は――」
はっきりと、レンヤとして告げる。
「――――殺す」
そしてレンヤはその場から立ち去った。
あの後に侍女がどうなったかは知らない。しかし、もしまた立ち塞がるようであれば潰すだけだ。
※※※
表通りへと戻ったレンヤは、孤児院へと向かって走り始めた。
初めて人を刺した。感触ははっきりと覚えている。肉を貫いた時の生々しい感触。手には少しではあるが血が付いていた。
あの時、ナイフを突き立てる時は恐れが全くなかった。あそこまで人は無情になれるのか。
だがしばらくすると、実感として湧いてきたのだ。
人を刺し、切り裂き、殺す。
自分がやらなければいけないことが、こんなにも恐ろしいものなのかと。決意はしっかりと固めたつもりだった。それでもやはり、いざ実践しようとすると畏れてしまう。
決意が揺らいでしまう。
だからこそ、早く帰りたかった。
そこで帰りを待ってくれている大切な人の笑顔を見れば、きっと自分はこの恐怖を乗り越えられる。
孤児院に着くと息を整える。血は途中で洗い流してきた。
 
――――大丈夫、いつもの自分だ。
玄関の扉を開き、帰宅を伝える。ドタドタと数人の走る音が聞こえる。
「「「お兄ちゃんおかえり!!!」」」
子供達が満面の笑みで出迎えてくれる。
パタパタというスリッパの音が聞こえてくる。
「おかえりなさい、レンヤくん」
今までに何度も心を救われた微笑み。
とても大切な、愛しき少女。
自分を支えてきてくれた笑顔がここにはあった。
そして、この笑顔を守れるかどうかは自分の手にかかっている。
だからこそレンヤは、この道を歩み続ける。
例えそれがどんなに苦しい道程でも。
ミクルーアは孤児院にて院長の補佐を受けつつ運営の方法、さらには家事を学んでいた。
一方レンヤはというと
「がっ……!!」
壁に背中から衝突していた。
場所は『機関』の特別訓練室。頑丈さだけを取り柄とする壁に囲まれたこの部屋で、レンヤは自動人形と交戦していた。
これは『機関』がレンヤを暗殺者として育てる為に用意した訓練だ。
姐さん特製の世界に一機しかないこの自動人形は戦闘に特化した性能をしている。気配を、音を、果てには相手の感情の動きにすらも反応するというこの世ではありえないほどの高性能。
遠距離攻撃にも対応しているため近づくことも出来ず、近付けたとしても反撃を行う。人間ではない故の有り得ないような反応速度で。
そんな自動人形相手に、レンヤは挑んでいる。自身の意志で。
幸いな事に、レンヤにはかなりの才能があった。ここ一年で様々な技術を驚くべき速さで吸収していった。だが本人は才能だけに縋るつもりは無い。
目指すのは完璧。いや、それ以上だ。
その為には止まるわけにはいかない。努力を、研鑽を欠かさない。
守るべき場所が、人がいるから。
傷だらけになりつつもレンヤは自動人形に挑み続ける。
反応される前に、攻撃を当てればいい。相手の反応条件である全てを排除した動きをすればいいのだ。
――――気配を消せ。音も消せ。何も考えるな。感情を抑制しろ。求めるのは、無。暗殺者として生きていくと、決めたのだから。
何回も挑み、何回も反撃を受ける。壁に叩きつけられ、床に叩きつけられ、斬りつけられる。
傷口からは血が流れ出ており、痣も大量に出来ている。既に身体はボロボロだが、それでも諦めることは無い。
《はい、レンヤちゃんストップ~》
姐さんの静止の声がかけられる。
それと同時に、レンヤは糸の切れた人形のように倒れる。極度の集中状態を長時間継続しており、とっくに限界は超えていた。もちろんそれは肉体面に関してもだ。
姐さんはレンヤを抱えると、近くに備えておいたベッドに横たわせる。目覚めたらまたすぐに、この少年は訓練を始めるだろう。
少しでも休んで欲しい。出来ればもうこれ以上続けないでほしい。そう伝えたかった。しかしそれは少年の決意を踏みにじることになる。
まだあどけない様子を残したその寝顔を眺めながら、姐さんは言葉を漏らす。
「今はまだ無理だけど……いつかきっと、普通の日常を過ごせるようにするから……ごめんね、レンヤ」
それが外れた道へと少年を巻き込んでしまったことに対する、唯一の罪滅ぼしだ。
※※※
すっかり外は暗くなり、レンヤは訓練を終え帰途についた。
孤児院へと足を進めつつも、何者かが跡をついてくる気配を感じた。このまま行けば孤児院までついてきてしまうかもしれない。
レンヤは気付いていないフリをしつつも、人目の少ない路地裏へと入っていく。
しばらく歩き、完全に人気がなくなったところで正面に人影が現れた。
「レンヤ様! やっと……やっと見つけました!」
現れたのは、幼き頃からレンヤの世話をしてきた侍女だった。そしてレンヤとミクルーアを売り払おうとした張本人でもある。
いかにも必死に探してましたという風に出てきた侍女。よくもぬけぬけと自分の前に出て来れたなと感心してしまう。
相手は結局子供だと侮っているのかもしれない。どうせ時が経てば忘れているだろうと高を括っているのかもしれない。
「私と一緒に行きましょう、ミクルーア様も連れて。新しい主人を見つけたのです。きっとあなた達のことも暖かく迎え入れてくれますよ」
感極まったようにレンヤを抱きしめ、誘ってくる。
――――何を言っているんだ、この人は。
新しい主人?母国を襲った敵国の間違いだろう?
暖かく迎え入れる?愛玩動物にされるだけだろう?
急激に心が冷えきっていく。
「ほんとに?」
「ええ、本当です」
あくまでも何も知らない無垢な子供を演じる。幸いにも今のレンヤは訓練後で疲労がかなり蓄積しているため、傍から見れば生活に苦労している少年のように見えるだろう。やっと落ち着くことが出来るんだと、涙を流し侍女を抱き締め返す。
冷えきった心とは真逆の、人に触れたことによる温かさを感じる。
この温もりに身を任せれば、レンヤの暗殺者としての道が閉ざされる。人殺しをしなくて済む。用途的にも、最低限の生活の保障はしてもらえるだろう。
だからレンヤは選択をする。
「ありがとう。これでやっと……」
侍女を抱きしめたまま、袖に隠していたナイフを手にする。
そして逆手に持ち、
「過去の自分と、決別できる」
侍女の背中に突き立てた。
「なっ……ぜ……」
自分が何をされたのか理解した侍女が、苦しげに呟く。
「もう僕は、いや、俺はアルフォンス王国の王子じゃない。レンヤ=バルト=アルフォンスではなく、『機関』所属のレンヤだ」
王城にてぬるま湯に浸かっていた自分とはもう違う。例えこの先の自分が人殺しになろうとも、構わない。この道を選んだのは自分自身だ。
そこに後悔の念は、微塵も存在しない。
うつ伏せに倒れている侍女の背からナイフを引き抜く。
「殺さずにはおいてやる。一応は育ててくれた恩はあるからな」
少なくない量の血液が侍女の背から流れ出ている。このままだと死に至るまでそう時間はかからないであろう。それでも言わなければならないと思った。
「だが、次にまた俺の前に出て来てみろ。その時は――」
はっきりと、レンヤとして告げる。
「――――殺す」
そしてレンヤはその場から立ち去った。
あの後に侍女がどうなったかは知らない。しかし、もしまた立ち塞がるようであれば潰すだけだ。
※※※
表通りへと戻ったレンヤは、孤児院へと向かって走り始めた。
初めて人を刺した。感触ははっきりと覚えている。肉を貫いた時の生々しい感触。手には少しではあるが血が付いていた。
あの時、ナイフを突き立てる時は恐れが全くなかった。あそこまで人は無情になれるのか。
だがしばらくすると、実感として湧いてきたのだ。
人を刺し、切り裂き、殺す。
自分がやらなければいけないことが、こんなにも恐ろしいものなのかと。決意はしっかりと固めたつもりだった。それでもやはり、いざ実践しようとすると畏れてしまう。
決意が揺らいでしまう。
だからこそ、早く帰りたかった。
そこで帰りを待ってくれている大切な人の笑顔を見れば、きっと自分はこの恐怖を乗り越えられる。
孤児院に着くと息を整える。血は途中で洗い流してきた。
 
――――大丈夫、いつもの自分だ。
玄関の扉を開き、帰宅を伝える。ドタドタと数人の走る音が聞こえる。
「「「お兄ちゃんおかえり!!!」」」
子供達が満面の笑みで出迎えてくれる。
パタパタというスリッパの音が聞こえてくる。
「おかえりなさい、レンヤくん」
今までに何度も心を救われた微笑み。
とても大切な、愛しき少女。
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