彼方のカナン

ノベルバユーザー247895

イカの旅人

車体に吹き付ける風と砂つぶの音で、私は目を覚ました。
どうやら外はものすごい風らしい。




[アン、砂の嵐です。どうやら砂漠地帯に入ったようです]
「砂漠地帯?」
初めて耳にする言葉だ。
それに、私の住んでいた都市では砂の嵐など吹かなかった。
[ご存知ありませんか。一面が砂で覆われている世界です。]
そんな世界があったなんて。




[太陽が登れば灼熱の地。沈めば極寒の地。吹き荒れる風。水も木もない。
 人が生きていくには厳しい環境です。その地に適応した人々もいましたが]
太陽。聞いたことがある。強い光を発する巨大な星であったと。




はるか昔はこの大地をその光で照らしていた、とも。




「それはオレイカルコスの光でも同じなの?」
[そうでしょうね。現に今、外は氷点下を軽く下回っています。-17.8℃。まだ暖かい方ですが]
そんなに低かったとは。そんな温度は到底想像もつかない。
どうやらここは私の住む世界とはまた違った世界のようだ。




早く立ち去れ。この場所がそう言っている気がした。そうもいかないのだが。




気づけば吐く息がほのかに白く濁る。
イヴの装甲と機能を持ってしてもこの温度変化には追いつけていないらしい。




外に出てみたい。この世界を目に焼き付けたい。そんな気持ちがムクムクと湧き上がって来た。
気づけば私は周りの荷物をまとめ、外に出る準備をしつつあった。
「やめておきましょう、アン。ここはあなたの体には厳しすぎます。
 それに今は砂の嵐も吹き荒れています。 今外に出るのは危険すぎます」
イヴにそう言われては従う他ない。私はおとなしく座席に腰を下ろし、まとめた荷物をしまった。
もちろん頰を膨らませることも忘れなかったが。




砂と風が吹き付けているはずなのに、慣れて仕舞えばそれは気にもならず、むしろ心地よいほどの静寂を引き立てているようにすら思えた。
イヴのため息が聞こえてくるようだった。
元はと言えば妨げられていた眠りだ。気づけば私はまた眠りについていた。












イヴが言うところの砂漠地帯に入ってからすでに一週間が経過していた。
想像以上にこの世界は広いようだ。どこまでも続く砂。砂。砂。たまに岩。
一向に終わりが見えない。
今でこそ止んでいる砂の嵐も、またいつ吹き荒れるかはわからない。
こればかりは私にもイヴにも、どうしようがない。




流れ島を見つけようと、嵐が止んでいるときに外に出て見たりもした。
しかし、どれだけ目を凝らしてもそれを見つけることはできなかった。




手持ちの食料もそろそろ底をつきそうな事もあって、正直このままだとかなり危険だ。
一年ほど前に見つけた流れ島で補給したレーション(正直美味しいとは言い難かった)を一日一本。時々二本食べ、お腹を満たすというひもじい生活を送っている。
ある程度死を覚悟する準備が決まりだしていた、そんな時だった。












[アン、生きていますか?]
「3日くらい前から死んでるわよ。私の遺骨はその辺にでも埋……
[流れ島です]
死んでいた私の命は、なんとか一命をとりとめたらしい。
いったい私のどこに、あんな大声を上げる体力が残っていたのだろうか。




イヴのその言葉を聞いてから1時間ほどが経過した頃だった頃だろうか。私たちは流れ島へと辿りついた。
幸いなことに今は砂の嵐は吹いていない。無事に上陸できそうだ。




私の目に狂いがなければ、その流れ島は端から端まで4キロ程度。つまり半径2キロ程度の球状をしている。流れ島にしては小さい方だ。
居住区であったであろう上部は中心を小高い丘として、端に行くにつれてだんだんと低くなっている。
下部は砂に埋もれてしまい、そのほとんどが見えないが、逆さドーム状をしているようだ。
搬入口がかろうじて砂上に出ていたため、イヴと共に入ることができた。




「居住区であったであろう」と言ったが、まさにその言葉通りであって、何をどう見ても人が住んでいるようには見えなかった。
流れ島なので当たり前といえば当たり前なのだが、ここまで人が住んでいた痕跡が消えているものは珍しい。相当前にすでに人は住むことをやめていたのだろう。




[流れ島アビスです。どうやら300年前にはすでに無人になっていたようです]
「ねえ待って。あれ」
私が指差したのは、崩れかけた建物の一角だった。そこは気温がある程度安定する日陰であり、四方を壁に囲まれ、屋根もあるため、嵐も防げそうな場所だった。




[どうしました?]
「人がいた痕跡があるの。ほらこれ」
私の足元には、火をつけた木を置いた跡があった。どうやらここで一夜を過ごしたらしい。それも昨日今日の話だ。
[この島に渡り鳥がいるのでしょうか]
「かもしれない。だといいんだけど…。とりあえず探してみよう。ここにくるまでにそれらしい痕跡はなかったから、きっと島の反対側だ」












そういって探し始めてから四時間。一向に別の痕跡が見つからない。
[もしかすると、すでに次の島へと向かってしまったのかもしれませんね]
正直それしか考えようがなかった。
「あーあ。せっかく美味しい食料が手に入ると思ったのに。まあレーションと缶詰が手に入っただけマシだけどさ…」
[渡り鳥の持つ食料はおいしい。その根拠が知りたいものです]
「だってあっちはコレのプロだよ。加えて食べ物は正に命の生命線。気を配らないはずがないじゃない」
[……。]
この理屈が理解できないとは。イヴもまだまだ人間の思考回路が理解できていないようだ。
まあ、かくいう私も渡り鳥のくせにおいしい食料を持っていないのだが。




とりあえずこの日は、例の嵐が防げそうな場所で野宿をすることにした。




やったやった。今夜は缶詰だ。
お腹を満たしてから私は横になり、眠りについた。












「おい、お前。目ェ覚ませ」
なんだろう。やけにイヴの口が悪い。機嫌を損ねるようなことをしただろうか。でも私はまだ眠いのだ。
「ん……。もうちょい……」
「寝ぼけンな。目覚ませってんだろ」
これはイヴの声じゃない。
そう気づいた瞬間言われなくとも目が覚めた。飛び起き、護身用のライフルを手にとる……あれ?
「ライフルがない……」
「ン?ああ、これか」




言葉の主は見知らぬ男だった。私のライフルをその手に持っている。さらにその後ろには十人ほどの人影。焚き火を囲んでいる。その目はじっと私を見つめているようにも見えた。
当然のように囲んでますが、その焚き火の火は私がつけたものだということを忘れてはいけない。




「まあまあ、硬いこたァ言うなよ。同じ旅の仲間だろ?それにここはもともと俺たちのキャンプだ」
「旅の仲間?」
「元々俺たちのキャンプ」とも言った。例の痕跡は彼らのものだろうか。
「おめェも渡り鳥だろ?俺たちもだよ。ほれこれ。取って悪かッたな。」
そう言って男はライフルを返してくれた。




「お仲間は外にいるぜ。なンなんだよアイツ。場所がないっつッたら避けてくれたけどよ」
「イヴ。私の仲間。あなたたちは何者?」
「言ったろ。渡り鳥だ。オレはダグ。あいつらとオレ12人で旅してンだ。まあとりあえずこっちきて火囲め。お前のこと聞くのはそれからだ」




見知らぬ人に焚き火を囲むことを許すのは、心を許した証拠。私は敵ではないという証明。
故郷にいた渡り鳥がそう教えてくれた。




おとなしく囲いに加わる。
「おめェ一人で旅してんのか?」
頷く。
「そりャまたご苦労なこった。いつからだ」
「2年ほど前から。あなたたちは?」
「バラバラだなァ。オレは初期からいるぜ。もう20年くらいになる。一番最近入ったやつは3年くれェまえだな。ほら、食え」
「20年…私が生まれる前から旅してるの……」
父さんみたい。そう言いかけて口をつぐんだ。




彼がくれた久々の肉はとにかく美味しかった。




「なんでまた渡り鳥になんかなろうと思ったンだ?簡単に決心できるもんじゃァねぇし、簡単に辞めれるもんでもねェ。この世界を旅することがどれくらい危険なのか。知らねェわけじゃァねえだろ」




少し悩んでから、私は口を開いた。
「父さんを。父を見つけたくて」
「父さんをォ?」
私は全てを話した。父さんのことも、私のことも、渡り鳥になった理由も。
すると彼は、ひどく驚いた顔をした。




「なァ。もしかして、おめェの父さんの名前って……」
「サリー・アント」
「やッぱり……」
「知ってるの?」
意外だった。父さんを知ってる人が外にいたなんて




「知ってるも何も、俺たちを最初まとめ上げてたのがサリーだよ」
もっと意外だった。
「最も15年くらい前に移動都市に立ち寄ったンだが、そン時に別れちまったけどな。それ以降はもう会ってねェよ」




移動都市。きっと私の故郷のことだろう。
15年前というと大体私が生まれる1年前になる。




「そッか。あの時オアシスに残るっつッたのも、おめェがいたからか」
「その時はまだ生まれてなかったと思う。母さんはいたと思うけど」




「ンで?探してんだろ?手がかりくらいは見つかったのか?」
「何も」、そう言おうとしたその時。




「お嬢ちゃん。あんたサリーさん知ってんのか?」
近くに座っていた男が話に入ってきた。
「おおディップ!そういやおめェサリーに……ッ酒くさッ!」
相当飲んでいるようだ。正直かなり鼻にくる。頭が痛い。このままだと立てなくなりそうだ。
そっと少し距離を開ける。
「うるせぇ酒ぐらい飲むさ。久しぶりの仲間なんだぞ」




ディップといったか。この男、酔いには強いのか、呂律は回っているようだ。意識もはっきりしている。
「時にお嬢ちゃん。おまえさんサリーさんを知ってるのかい?」
「サリーは私の父親です」
「カァーッ!流石はサリーさんだ。娘さんがいたなんてなぁ!」
どうやら父さんとはかなり深い知り合いのようだ。




もしかすると、父さんの居場所について。父さんが待っているという場所について何か知っているかもしれない。




「ディップさん。父について何か知っているんですか?」
「あたぼうよ!サリーさんはオレの恩人だぜ!」
「ンあー。こいつは3年前に俺たちに加わったんだけどよ、それまでは一人でずッとさまよってたらしいんだ。ンで、ヤバイ!ってなってた時に助けてくれたのが、たまたま通りかかったサリーだったッてわけだ。俺たちと出会ッたのもサリーのおかげらしい。」
父さんを知っている人と出会って、テンションが上がりっぱなしのディップさんに見かねたのか、ダグさんが説明してくれた。




三年前に父さんとディップさんが出会った。つまり父さんは少なくとも三年前までは生きていたことになる。




「ディップさん。父さんは…父は何か言ってませんでしたか。例えばどこかの場所、目的地とか…」
「目的地ねぇ。そんな話はしたことがないな。ああでも、たまに思い出したように『行く場所がある』とかは言ってたな。それ以上は聞かなかったけど。」
「そうですか…」




やはり父さんには目的地があったみたいだ。「行く場所」というのは父さんが待っている場所のことだろう。でもそんなことはすでに知っている。




これじゃあ何の進展もない。




「オレはサリーさんとこの世界についてばっか話してたからさ、サリーさんの夢とか、その目的地?とかは全然知らねえけどさ。サリーさんはオレが知る中で一番の渡り鳥だぜ」
「この世界について?」
「ああ、なんでオレたちはこんな風に生きてるんだろうか。とか。具体的なので言えば、文明が栄えていた時、んで文明が滅んだ時、その時何があったのか。古い文献とか読み漁ってたよ。おかげでオレもかなり詳しくなった」




初めて知った。父さんがこの世界に興味を持っていたなんて。それもこの世界の成り立ちに。




「例えばだ。今オレたちがいるやつも含めて、流れ島ってのはそのほとんどがもともと移動都市だったんだぜ。」




それも初めて知った。




中心から端に向かって低くなる居住区。逆ドーム状の下部。これは移動都市によく見られる型らしい。移動都市が生まれたのは今からおよそ1000年前。その頃世界は戦争というもので余すことなく包まれていたそうだ。




そしてそのあと文明が滅ぶ。




この時何があったかは父さんでもわかってないらしい。でも、世界のどこかにある塔。そして穴が関係あることはわかったそうだ。




移動都市は、その時生き残った人間が、いろんなものをかき集めて生きるために作り出したもので、その末裔が私たち。というわけだ。




聞いたことのない話ばかりだった。移動都市が生まれた理由など気にしたこともなかった。生まれた時からそこにあったものに疑問を抱くことはなかった。1000年も前の話も同じだ。せいぜい私が知っているのは300年前。それ以前の話などとなれば、神話程度にしか伝わっていない。




父さんは、一体何を見ているのだろうか。私なんかが手を伸ばしても決して届かない場所にいることは間違いない。
でも、私はそこに行かなくてはいけない。行って、全てを聞かなくてはいけない。
そう考えると、気が遠くなるようだ。




その日は、イヴの中で眠ることにした。イヴは何も言わなかったし、何も聞かなかった。気を利かせてくれたのだろうか。「まだまだだな」とか言ったことを反省する。
ほんの少しだけだけれども。




眠りに落ちて行くとともに、心の中で絡まっていた気持ちが、少しずつ解けて行く気がした。












三日後、私たちは流れ島を後にした。




ダグさんが大量の食料を持たせてくれたので、集めた缶詰などと合わせると数年はもちそうだった。中には肉も入っていた。最高。




父さんの行き先も、ほんの少しだけアテがついた。
「世界のどこかにある塔と穴が関係していることがわかった」とディップさんは言っていた。でもそれが何と関係しているかはわかっていない。とも。
つまり、父さんは塔と穴に行っている可能性が高い。




だからひとまずは、その二つを目的地にすることにした。といっても、塔も穴も見たこともなければ場所もわからないのだが。
まあなんとかなるだろう。




だってほら、今だってもう砂の嵐も吹いてなければ、一面の砂も広がっていない。
草木も生えない荒野を、私はイヴと共に進んでいる。




少し離れたところには、天井をも貫くのではないかとすら思えるほどの高さがある建物が連なっている。
そのほとんどは傾いている。相当昔に建てられたものだろう。
明らかに、移動都市のものではない。あれも、文明があった頃の名残なのだろうか。




父さんが待っているという場所にたどり着くのがいつになるのかはわからないが、いつかきっとたどり着くだろう。
必ずたどり着いて見せるのだ。
そして、いろんなことを聞こう。そしていろんなことを話すのだ。父さんが見つけたことや、私の旅のこと。故郷にいる人のこと。
そして、母さんのこと。




だから、何があってもその日までは旅を続けようと思う。












私の名前はアン。旅仲間のイヴ。
私たちは、遥か昔の文明の残り火と共に暮らす。そんな世界を旅している。
全ては父さんに会うために。




これは、そんな私たちが、約束の地にたどり着くまでの物語だ。

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