小さな魔法の惑星で

流手

四十一. 異国

 一歩足を踏み入れた瞬間すぐに伝わってくるその熱気に、この街がそうなのだと胸の鼓動が一際速くなる。そう、ここが噂の地。

 街を覆うような程よく香る甘い匂いに意識を傾けられるが、すれ違う人々からはそれとは別の、そう、異国の香りが感じられる。観光者、いや、この惑星だと旅人というほうが正しいのだろうか。いずれにせよ、自分達のような遠方からの訪問者が多いのだということは感覚でわかった。
 ただ甘いだけではないというのが、人々を惹き付けているのかもしれない。異国の風を運ぶ自分達もまた、この街を作っている一人なのだ。

 今でこそ馴染みとなったユノとはまた違った賑わいを感じることができ、ふとその違いを考えてみたくなる。

「ユノとは違う感じだね」
「でしょ? 遊びに来る人が多いって聞くわ」
「そうなんだ」
「うん。大きな温泉もあるんだって」

 印象だけでいうならば、ユノが日々の生活の為に発展した街だとして、このラザニーは確かに娯楽から転じて発展したようにも見受けらる。
 聞こえてくる話し声にしてもそうだ。商いの話など掠りもせず、一時の歓談ばかりが通り過ぎる。

 懐かしい街だと思った。
 何故そう思ったのかはわからない。それは実際にナツノが生活を送ってきた場所とはかけ離れているからだ。それなのに、小さな頃から知っている場所にどこか似ているような気がする。

 ──どこだろう? 何故だろう? 実際に来たことはないはずなのに。

 そんなことを考えていると、エステルが声を掛けてきた。

「どう? 驚いた?」
「え? ごめん、何かな?」

 つい没頭してしまっていたようだ。ナツノは手を合わせ、軽く謝る。この調子だと、しばらく話をしていたのかもしれない。

「……フーン? ね、驚いたんでしょ?」

 機嫌を損なうことはなかったようだ。ナツノは胸を撫で下ろす。和解したとはいえ、まだ時折どこかぎこちなさが出てしまうのである。
 しかし、そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、どこか訝しげにナツノの表情を覗き込みながら、エステルは彼に近付いていく。

「うん、そうだね。活気がある」

 つい、周囲を見渡すふりをしてナツノは顔を逸らしてしまう。気まずいわけではない──眩しかった。
 訝しげな表情も演技だったようで、すぐ隣に収まる彼女は、笑みを浮かべてナツノをじっと見ていたのである。

「うんうん。実はあたしも初めて来たの」
「あ、そうなんだ。てっきり何度か来ているものかと思ったよ」
「ううん、でも有名な街だからね。来るだけならそんなに難しくないの」

 少し口早にそう言うと、エステルもまた珍しげに周囲を見渡し始めた。どうやら、彼女の調子は右肩上がりのようだ。
 それほどにこの街は特別らしい。元々住んでいる者でさえ、こう舞い上がるのだ。

 そんな姿を視界の端に捉え、結構複雑だったと思うけど、という言葉をナツノはそっと飲み込む。自分の知らない何かがあるのかもしれない。あるいは地図のようなものがあったとしてもおかしくはないのだ。
 何にせよ、わざわざ気分を損ねるようなことを言うつもりはなかった。……もとい、そんなつもりはないのだが、小言に聞こえても都合が悪いのである。今は。

「とりあえず街をまわってみようか」
「いいけど、用事はいいの?」

 用事、という言葉にナツノは少し目を伏せる。これまでに得た情報から、この街に来れば何かがわかると思っていた。言い換えれば、これといって決まった用事は今のところまだない。

「大丈夫。それに、どんな街か楽しみだしね」

 ナツノの反応に、エステルは少し不思議そうな顔をしていたが、やがて頷き、そして、駆け出した。

「おっけ。じゃあ行きましょ」

 決めてしまえば真っ直ぐなのだろう。もうその足取りから迷いは感じられず、視線は先を見つめている。
 彼女はきっと、この先に待つであろう、楽しいことを思っているのだ。

 ところが、少し進んだところで、そのエステルがピタリと足を止めている。不思議に思い、ナツノが駆け寄るとすぐにその理由がわかった。
 どこからか、彼女を呼ぶ声が聞こえているのである。

「ねぇー、そこのお姉さん。少し困ってるんだけどさー、ちょっと助けてもらえないー?」

 声を頼りにそれを探すが、なかなかすぐには見つからない。決して人混みに紛れているというわけではなさそうだ。もし本当にエステルを呼んでいるのであれば、自分から近付いて来てもいいはずだろうが、そういうわけでもなさそうである。
 二人は周囲を見渡すが、不思議と女性はエステル以外に見当たらない。

「勘違いかな?」
「どうだろう? お姉さんって聞こえた気がするけど」

 二人が顔を見合わせていると、再び声が聞こえてくる。

「いやー、近くにいるんだよ。ほら、そこの……裏の。太いヘラザードの樹を見てごらんよー」

 見逃されては敵わないと、今度は少しばかりの焦りを帯びた声色だった。

「ヘラザード?」
「マーキュリアスには多くある樹のこと」
「森の賢者が──何年も寝ずに育てた樹さ。それこそ三千日と幾多の夜を費やしたという、始まりの樹だ」

 驚いてその姿を探すと、なるほど、一目でそれが件のヘラザードの樹だとすぐにわかった。また、その人物が怪我をしているということも。
 青白い顔をしており、服から覗く素肌からもまた、青紫のあざのようなものがあちこちで顔を覗かせているのである。

「わっ! 大丈夫ですか?」

 座り込む男の姿に、エステルは驚きの声を上げる。そして、一呼吸を置いてから駆け寄っていく。

「それが駄目そうなんだよー。悪いんだけど、ちょっと手を貸してもらえないかなー?」

 男は重症とは思えない態度で……とはいえ、そうであることはほぼ間違いないのだが、今度はナツノにも目を向ける。

「そっちのお兄さんも来てくれると有難いんだなーこれが」

 そう言いながら、ひらひらーっとナツノに対しても手を振り始めた。
 ……怪しい。明らかに怪しい。

 ──魔法使い……とは、関係なさそう……ではある。

 ナツノが、どうする? と目で確認をとると、彼女もまた迷っているのか困ったように彼を見ていた。
 不用意な接点を持ちたくはないが、怪我人を見過すというのもここに来た本質を見失っているような後ろめたさがある。

「いやー、助かったよ。歩けなくてね。よいしょーっと」

 そうこうしている間に、男はエステルにしがみつくと伝うように立ち上がっていた。調子の良いことに、もうこちらが協力するものだと決めてしまったようだ。

「んー、手を貸すっていうのは……あなたを?」

 エステルが固まってしまったので、ひとまずナツノが口を開く。まず、最初に確認しておくべきことがあったのである。
 というのも、どこか違和感があるのだ。全てが演技じみているとでもいえばいいのだろうか。存在も含め、その言動もそうだ。

 よく見ると、肩で息をするように荒い呼吸をしている。怪我に関しての偽りはなさそうである。しかし、彼があまりにもこの街に浮いているのはどうしてなのか。
 それは馴染んでいないからに他ならない。明らかに他の旅人のそれとは違う。彼は微熱を有した娯楽のイメージからは、相当にかけ離れているのだ。

「……違う、と言ったら?」

 ナツノの予想は遠からず、という感じだったようで、男の声色が一段低くなる。とはいえ、敵意を出しているというわけでもない。
 そう、これはまるで……何かをわかっているような。

「構わないよ。ただし、信用に足るのかを決めてからにはなるわけだけど。だって、簡単なことじゃないんだろ?」

 ナツノの言葉に、男は一度驚いたような表情をするが、すぐに元の笑みを浮かべる。試しているのか、試されているのか、その判断は極めて困難だ。

「ということは、話は聞いてくれるっていうことだよねー。よかったー」

 次に発された言葉は、何事もなかったように最初のそれであった。
 彼は少し離れた建物を指差す。この街ではよくあるのだろう、ナツノには飲食店のような施設に見えた。

「ここで話すのも体に堪えるし、あそこに行ってからっていうことでいいかなー? それに落ち着かないでしょー。ほら」

 そう言うと、ポンッとエステルの肩を叩く。

「え?」

 戸惑うエステルを誘導するように、早くも移動を始める。とはいえ、やはり身体を引きずっており、その状態が万全でないのは疑いようがなかった。

「ああー、そうだった。言い忘れていた」

 ピタリと男が立ち止まって振り返る。

「俺はフィアッカ。丁度異国の風にも触れてみたいと思っていたところだ」

 その眼差しは先程までとはまるで別人のように煌めいた。

 ◇

 バンッ! と机を叩きつけるような音が室内に響き渡り、開いた窓からは、轟くような怒声が木霊していた。
 それを察してか、周囲では誰もが息を潜め、なるべく音を立てぬように努めている。

「……どうしたんだい?」
「どうしたも何もない! 何故、逃がしたのだ!」

 どことなく不機嫌そうな声に対し、鬼気迫るような大声がそれを被せるように掻き消していく。そして、しばしの沈黙の後に、再び机に手が振り下ろされた。
 先程よりも少し大きな、バァンッ! という音が流れると、再び静寂が訪れる。

 その後、まず一人が席を立ち、それに倣うように何人もが我関せずという体を装いつつ、ぞろぞろと退室していく。巻き込まれては敵わないとの認識でいるのだろう。
 もちろん、それを諌める者も見当たらない。

「あぁ……その事か。……フフ……フフフ……」
「答えろ! フレヴァニール!」
「落ち着きなよ。イルヴァルト」

 息を荒くして睨み付けるイルヴァルトをフレヴァニールは可笑しそうに見返した。
 既に部屋には二人しか残っていない。今衝突したとしても、それを止める者はいないだろう。

「何故だ! 何故、ルルザスへの手掛かりを逃がしたのだ!」
「手掛かり? 心配しなくてもまた帰ってくるよ。……フフ……フフフ……」
「そういう問題ではない!」

 ──ダフッ!

 またもやイルヴァルトが机に手を叩きつける。先程までの派手な音は鳴らず、鈍い音と共にその形を歪なものへと変えてしまった。
 壊れ損なったそれを、フレヴァニールは優しく擦る。まるで慈しむような……憐れむような目で。

「僕達二人は囮だって聞いている。要は落とされずに相手の目を引き付けられればそれでいい。君だってわかっているはずだ」
「だからといって逃がす必要はなかったはずだ! 言い訳をする気もないと言うのか! 貴様は!」
「……もう充分に役目は果たした。今は余計なことにまで手を出す必要はないさ」

 口を開けて何かを言おうとしたイルヴァルトだが、一旦飲み込み深呼吸を挟んだ。冷静でないことは彼も自覚しているのだろう。

「……余計なこと、ではないのだ」

 ポツリと呟くその様子を、フレヴァニールがじっと見つめる。
 相も変わらず、慈しむようであり、また憐れむような視線だった。

「大丈夫だよ。僕達は見逃してあげるよ。いいよね? クローディア」

 やがてフレヴァニールが誰もいない虚空に向かって話し始めたところで、イルヴァルトは思い切り顔をしかめる。そして、彼を睨んだ。……いや、睨んだ相手は彼でない。自分自身、である。
 まるで関心のないフレヴァニールに、猛々しく怒りをぶつける自分に、どこか嫌気のようなものを感じたのかもしれない。

「……そうだ。一つ、教えてほしいんだ」

 相変わらず視線は虚空をさ迷っているが、それは確かにイルヴァルトへと向けられた言葉だったのだろう。
 怪訝に思いながらも、イルヴァルトはそれに応じる。

「……なんだ?」
「……錬金術。そう、錬金術について知っていることを教えてほしい。……君は何か知っているんだろ?」

 唐突な言葉にイルヴァルトがまたもや顔をしかめる。
 まともな話など出来るはずもないと思っていたが、フレヴァニールから意味のある話がくるとは思ってもみなかったからだ。……とはいえ、まとも、とは言い難い内容ではある。

「すべてが実在するという保証はないし、すべてを話すつもりはないが?」
「それで構わないさ……フフ……」

 彼は考えるように一度黙り込むと、静かに口を開いた。言葉を選ぶように、慎重に。
 つまるところ、イルヴァルトとて全てを話すつもりはないのである。そうする義理もない。

「……キュライナ・バレスタイン。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう。……そうだ。鬼と龍の伝承にも出てきているからな。森の賢者という名を持つ男のことだ」

 イルヴァルトはそこで一度言葉を切り、態度を確認するようにフレヴァニールを見た。反応を確めるつもりでいるのである。
 しかし、彼のその瞳は相変わらずどこか虚空を見つめており、イルヴァルトは何の感情も読み取ることが出来なかった。やはり、彼に人間らしさを求めるのは愚かだったのかもしれない。

「そしてここからが本題だが、そいつは魂を自由に操ることが出来たといわれている」
「……魂?」

 諦めるように言葉を続けていくと、意外にもすぐにフレヴァニールが反応を示した。

「そうだ」

 イルヴァルトは頷く。

「鬼と龍を活動停止、いわゆる封印状態にする過程での話らしいが、その魂、いや力というべきなのか、何にせよその受け皿とするための人間をキュライナが“錬成した”という話を聞いたことがある」
「……受け皿? ……錬成?」
「無論、すべて言い伝えに過ぎない。実際、封印されたという龍ですら未だに見た者はいないのだからな……うっ!」

 再びフレヴァニールを見たイルヴァルトだが、思わず絶句してしまう。何故なら、今度は食い入るように彼が近くにいたのである。そして、その瞳は虚空ではなく彼を、紛れもなくイルヴァルトを映していたのだった。
 その不気味な迫力に押されるように、イルヴァルトは口を開く。

「……ここからが本題になる。以前、ユーゲンフットの騒動があったときにだが、一度確かにバレスタインの名を聞いたことがある」
「……ユーゲンフット……バレスタイン」
「そして、その件に関わっていた人物は、“大地の涙”と、そう呼ばれていた」

 イルヴァルトはそこで一旦呼吸をおくと、出口に向かって歩き始める。
 これで部屋に残るのはフレヴァニールのみだ。

「つまりはルルザスということになるな」

 これ以上話すことはないと言わんばかりに、イルヴァルトはそのまま部屋を後にする。

「……ミレディ、グラディール、そして……インフェルナ。フフ……フフフ」

 しばらくの間、静かになったはずの室内からくぐもった笑い声が響き続けるのを、イルヴァルトは顔をしかめて聞いていた。

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