小さな魔法の惑星で

流手

三十五. 一波

 自身を取り巻く喧騒とは裏腹に、ファニルは冷めた気持ちでいた。そう、戦場をどこか他人事のように感じてしまっているからだ。
 彼女とて、いつ、どこで命を落とすかもわからない。負傷の恐れもある。また、今この瞬間にも仲間の命が散っているのかもしれない。未だ姿の見えないラウリィとイッパツにしてもそうだろう。しかし、それも含め、彼女にはその全てが茶番に見えてならなかったのだ。

 これは戦場に出て感じたことだが、ダンガルフの兵士、いや、グィネブルという国の者達は皆が屈強だった。厳密には、技術的なことではなく、その姿勢がそうなのである。
 絶対に守りきる、というような何か強い意思を皆が抱き、それを掲げて戦っているのをファニルは強く感じていた。

 予期せぬ事態とはいえ、奇襲が行われたことで先手を取ることは出来ている。結果的にはそうだ。しかし、それでも崩しきるには至らずであり、その後は時間の経過と共に相手側が安定感のある立ち回りに戻りつつあるのは明白だった。
 普段から前線に立っているだけあり、戦闘経験が豊富だということなのだろう。その修練された動きは、ファニルの目の前で今も数名を斬り倒している。こうなってしまった場合、再び隊列を崩すことはもはや容易ではない。

 ファニルは前線から少し下がると、改めて周囲を見渡した。
 味方を鼓舞するようなダンガルフ兵に比べ、こちらは急遽集められた者が大半を占めており、結束するような団結力は一切感じられない。それに加え、人数的にも到底及ばないのは明らかである。それでも、先日の会議の折に見た時より人が多い気がするのは、元々のグランバリー砦所属の者でもいるのだろうか。
 何にせよ、絶対に落とすぞ、というような気迫は誰も持ち合わせておらず、危険が迫れば足早に撤退を始めるつもりでいることは、彼女の目、いや、誰の目にも明らかだった。

 本当にこれで勝てる見込みがあるのだろうか。考えれば考えるほどに白けた気分になってくる。どういう気持ちで作戦を立案したのだろうか。

「はぁ、どうしろっていうのかしら」

 ファニルは溜め息をついた。どう考えても勝ち目はない。
 しばらくしてからヴィルマの変な癖を思い出し、顔をしかめて首を振って誤魔化した。

 自問自答を繰り返す間も、絶えず戦場は動いている。彼女が戦おうが、戦うまいが結果はおそらく変わらない。しかし……ここで帰るのも、それはそれで不本意である。だからといって、闇雲に飛び出せばいいかといえば、決してそういうものでもないだろう。

 ファニルは努めて落ち着くと、改めて戦場に目を向ける。怒りにも似た感情が疼くように湧き始めるのを自覚したからだ。

 ──私は退かない。

 先程から見ている限り、数人の動きの良い者が全体を引っ張っているのはわかっている。ならば、どうするか? 無論、狙い打てばいい。要は指示をしている者から倒していけばいいのだ。もっと極端な話、指揮官、つまりはクラレッタを仕留めれば戦いは終わるのだから。
 そう考えた途端に気が引き締まってくる。

 ──やるなら徹底的にやる。

 少し目を閉じると、熱くなる鼓動に身を委ねる。自分の手で潰してみせる、と。
 元より、周囲に頼る気持ちは更々ない。つまり、周りがどうであろうと関係ないのだ。

 ──クラレッタ。あの人には近付くなと言われたけれど……。

 彼女は目を開くと、同時に標的を見定める。そして雑念を振り払うかのように一歩前へと踏み出した。

「フリード……待っていなさい」

 ──か細く弱かった弟は、今でもまだ私の後ろに隠れるのだろうか。

 そう思うと可笑しくなった。否、今はきっとそんなはずはないだろう。だとしてもだ。もしそうであっても、そうであったとしても、彼にはいつまでも後ろにいて欲しかった。

 ……だって、弟が戦う姿など、出来れば見たくはないのだから。

 ◇

 ゼフィーからの報告によれば、ラザニーからの旅人を装った人物が攻めて来ているということだった。それも、当初は単独の襲撃かと思われたが、直ぐに後続の侵入があったことを思えば計画的なものであったと思われる。

「おそらくはマーキュリアスでしょうけど……少しばかり無理な攻め方をしていますね。何か他に狙いがあると見るべきでしょうか」

 眼下に広がる戦場を眺めるようにクラレッタが呟いた。課題は残るものの、一先ず形勢は自軍の優勢に傾きつつある。
 不明な点は残るものの、これ以上に混戦となる見通しはなかった。というのも、即座に周囲の警戒を強化したところ、援軍と思われる集団は見当たらなかったのである。

「さぁ? 逃げ腰も多いようだし、派手な割には落としには来ていないのかもね」
「でも、マードックさんが……!」

 あくまで冷静なクラレッタとキュロロに対し、ゼフィーの不安は募る一方だった。何しろ、マードックが飛ばされるのを目の当たりにしたのだ。

「ゼフィー、マードックは大丈夫ですよ。それより、相手の二人です」

 クラレッタがゼフィーの頭を撫でる。それで不安が少しでも和らげればと思ったのだろう。

「そうね。まだ他に同じような人がいるかもしれないし」

 その様子を横目に、浮かぬ声色をしたキュロロが頷く。彼女もまた事態の本質を読めずにいるのだ。

「同じような……?」

 しかし、その言葉に引っ掛かりを覚えたのだろうか。クラレッタがしばし考える素振りを見せ、黙り込んでしまう。

「どうかしましたか? クラレッタ様」

 その様子を見たゼフィーが、心配するようにクラレッタの顔を見上げる。確かに、その表情はどこか物憂げな雰囲気を醸しているようにも見えた。

「そうでした。一つ心当たりがあります。これは、特殊部隊なのかもしれませんね」
「特殊部隊?」
「どういうことですか?」

 首を傾げる二人に説明するようにクラレッタが話を続ける。

「聞いたことがありませんか? 確か……ラウンデルという名前だったと思うのですが。……ありがとう、ゼフィー。心配はいりませんよ」

 心配そうなゼフィーの頭を撫で、クラレッタはキュロロの反応を待つことにした。彼女であれば、何か心当たりがあるだろうと思ったのだ。

「ラウンデルって……あの眼帯のおじさんかしら?」

 ゼフィーは相変わらず目をぱちくりさせていたが、やはりキュロロには心当たりがあったようだ。

「ええ。一見、“激甚”と呼ばれているレヴァンスの副官に就いているだけのように見えますが、裏でよく動いていると父が話しているのを聞いたことがあります」
「裏で、ね。それから英雄シゲン様を狙っているとも聞いたことがあるわね。それで本題は?」

 キュロロがクラレッタの顔を覗き込み、促す。

「そうね。まず、マーキュリアスでは人間の始祖は鬼と龍だと考えている人がいるの」
「ええ。知っているわ。もっとも、マーキュリアスに限ったことではないかもしれないけど」
「そもそもグィネブルでは鬼と龍、それから神様と人間もそれぞれを分けて考えている人が多いですよね?」

 二人の言葉に頷くと、クラレッタは話を続ける。

「ラウンデルは鬼と龍が退化した姿こそが人間であると考えているようで、稀に発現する特殊な力をもつ者を“伝承への回帰”と称し、各地から集めていると、そう聞いたことがあります」
「特殊な……力」
「それって……キュロロさんやその……クラレッタ様の……」

 ゼフィーが遠慮がちに二人に視線を送る。二人は互いに目を合わせた。

「どうかしらね。それに私はあなたと違って特殊と呼べるほどのことは出来ないわ。それにしても、回帰っていうくらいだから鬼や龍に戻るつもりなのかしら?」

 キュロロが考え込むように腕を組んだ。クラレッタも黙っている。

「もしくは鬼や龍を復活させるということも考えられますよね」
「でも、そんな話は今まで聞いたことがないわ。もっとも、聞いたところで信じる人なんてそうそういるとは……クラレッタ! あなたもしかして……!」

 キュロロがハッとしてクラレッタを見る。

「……もし」

 クラレッタが口を開こうとしたその時だった。突如として戦場が一際騒がしくなる。
 それは、新たな問題の種が現れたことを意味していた。

「……いいわ。私が抑えてくる。詳しい話は後で聞かせてもらうわよ。いい?」

 そう言い残し、返事を待たずにキュロロは部屋を後にする。切り替えというには、あまりにも唐突な出来事だった。

「キュロロさん、どうしたんですか?」

 キュロロを見送った後、ゼフィーが心配そうにクラレッタの顔を覗き見る。

「心配はいりませんよ。少し──彼女にも思うところがあったのかもしれませんね」

 避けるように顔を背けたクラレッタが、ゼフィーの頭を優しく撫でた。
 表情はわからずとも、手の温もりが彼女の感情を代弁していたのかもしれない。

 ゼフィーもまた表情を隠すかのように、しばらく下を向いていた。優しく感じるこの温もりは、誰に充てたものだろうか。

 ◇

 戦場ではファニルが標的を見据えていた。探していた人物を見つけたのである。
 集中した彼女の視野は拡大されており、通常のそれとは比べるまでもなく、多くの情報を鮮明に主へと伝えている。戦場に溶け込んだ彼女は、まるで俯瞰するかのように一帯を感じているのだろう。
 それを証明するように、この区域は誰を仕留めれば脆く崩れるかということが彼女にはわかっているようだ。

 時に襲いくる刃からは逃げるように距離を取りながら、ファニルは縦横無尽に戦場を駆け回る。無駄な戦闘はせず、特定の人物のみを狙っているのだ。

 ──自慢の速さだ。どんな狭い場所だってすり抜けてみせる。

 動き始めたファニルは雷さながらだった。一度でも目を離すことがあれば、既に遠くを駆けている。瞬きをしても同様だろう。
 彼女は刃と刃が触れることを嫌っており、決して敵の攻撃範囲には留まらなかった。

「止まれ! これ以上は通すわけにはいかんぞ!」

 瞬く間に中へと入り込んでくるファニルを見つけ、隊長と思わしき人物が駆け寄ってくる。

「それは、あなたが相手をしてくれるということですか?」

 ファニルは小さく笑った。
 初めから狙っていた相手だ。向こうから見つけてくれるとは。返事を待たずに近付くと、そのままおもむろに蹴りを繰り出した。

「油断するな! 我々で足止めをする!」

 放たれた蹴りを盾で受け止めながら、その隊長が周囲に呼び掛ける。隊を任されているだけのことがあり、なかなかに反応が良い。
 瞬く間に指示を飛ばす姿は、本来彼女が求めていたものに近かった。

「マチビ様! 危険です! ここは私達に任せください!」

 心配した周囲の兵士が続々とマチビを守るように集まってくる。部下からの信頼もあるようだ。

「呼び止めたというのに、随分慎重ですね」

 あっという間に五人ほど集まって来たのを確認すると、今度は挑発するように鼻で笑う。しかしこれは、思うようにいかなかった自分への自嘲だった。
 ファニルはようやく腰に備え付けられた自身の短刀へと手を伸ばした。そして、そのまま指を這わせると、確かめるように軽く握る。

「すまないな。しかし、それは君がそれほど慎重にならざるを得ないと思わせたからに他ならない」 
「構いませんよ」

 ファニルは短刀を引き抜いた。

 ──それならば、この“治水”で乗り越えていけばいい。

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