小さな魔法の惑星で

流手

三十三. 友達

 視界が完全に晴れるよりも早く、弾けるような叫喚が沸き起こっていた。それはさながら戦場に生じた波紋のように拡散していくと、砦は更なる混乱へと包まれていく。

「……行くぞ、ラウリィ」

 たったの一撃。されど、それは破格の一撃だった。
 無造作に振るわれた強烈な衝撃が、一直線にダンガルフの砦を突き抜けていく。

 ──この威力はなんだ? まさかこんな手段で、まさかこんなシンプルに強打するだけなんて。

 ラウリィは内心で舌を巻いた。
 彼は自分に何を感じたのだろう。とてもじゃないが、自分にこんな真似はできる気がしない。いや、実際できないだろう。むしろ、できるほうがどうかしている。

「……おっけー。引き付けておけばいいよね」
「ああ。少しばかり粘るぞ」

 イッパツはそう言い残し、飛び込むようにして破損した城壁を抜けて進んでいく。その足取りには躊躇いなど微塵もなかった。

 ──あの拳……。

 ラウリィの瞳には、イッパツの後ろ姿がただ映る。揺れるように力強く振られているその拳は、まるで灼熱を宿しかのような、そんな鮮やかな色を纏っており、目に見えざるもの、人にあらざるものを彼に強く連想させた。
 冷静な自分と、そうでない自分がいることをラウリィは自覚する。

 ──血、なのか?

 最初に燃えているように見えたのは、単にそれが出ていたせいだろうか。それとも、何かの呪いだろうか。
 何れにせよ、大きな負担が掛かっているのかもしれない。

「さぁ、戦闘開始だ」

 そうであるならば、自分の身くらいは自分で守らなければ。
 ラウリィは既に奥へと進む友達の元へと駆け出していった。

 ◇

 周囲を揺るがす程の鈍い音が鳴り響き、それを起点に、追うような叫び声が辺りに拡散し始める。開戦した、という合図に変わる号令だった。

 ダンガルフ砦の内部では、その慌ただしさに拍車が掛かるが、先程までのそれとはまるで意味が違っている。外へ飛び出す者、持ち場に戻る者、通達を待つ者と各々の判断が、更なる混乱を招いているのである。そこはもう戦場となっているのだ。
 その一方で、マーキュリアス側にも幾分かの弊害が生じていた。

「はぁ、時間より少し早いですね」
「どこの隊よ! 馬鹿なの?」

 俄に慌ただしくなる戦場を睨み付けながらファニルが苛立ちを露にする。聞いていない。よもや、三つ巴の戦いになるなど、報告にはなかったのだ。

「はぁ、落ち着くんだ。冷静さを欠いてはいけない。そう習わなかったですか? あれは味方でしょう」
「知りません! あんな無茶苦茶な突入をするなんて、命知らずにも程がある! どこの馬鹿よ!」
「だから落ち着きなって。どこの馬鹿も何も、あれは十中八九でうちの馬鹿だろうから」

 ファニルとは対照的に未だのんびりと座り込んでいるヴィルマだが、ようやく目だけを砦に向け笑みを見せ始めた。何か見つけたのだろう。

「はぁ?」
「はぁ、困った子ですね」

 やれやれとヴィルマが肩を竦める。その仕草にファニルが舌打ちを洩らす。今、彼女が欲しいのは簡潔な説明だけなのだ。

「知らなかったですか? ラウリィは田舎から出てきたばかりだ。一人で移動は難しいと思いませんか?」
「理由になっていません。作戦エリアです」

 ファニルは呆れたようにヴィルマを見る。この少ない情報で、何を余裕ぶっているのだろう。今にも開戦しようと……いや、既に戦線は開かれているのだ。

「はぁ、だから時間通りに来ないとなれば、大体は迷ったということが予想される」

 だからどうした、という言葉が彼女の喉元まで上がってくる。迷ったにしても、攻撃している理由にはならない。それではただの喧嘩である。
 ──仲間が馬鹿なら、隊長も馬鹿だ。

「それで? 単に迷って砦に行き着いたから攻撃したとでも?」
「はぁ、だから落ち着きなって。まぁ、問題はイッパツでしょう」

 宥めるように両手を上下に動かずと、ヴィルマは首を掻いた。ポリポリと爪が固硬いものを擦る音が静かに響く。

「彼がラウリィを誘導したとでも?」
「どうでしょう。彼は彼で目的があるようで、ラウリィを追っていたのは見えていましたから、まぁ、何かはあったんでしょう」
「……では、イッパツは何者ですか?」

 ようやく落ち着いてきたファニルがヴィルマに問い掛ける。察しが良い割には、発言は的を得ない。これでは、意図的に話をはぐらかされているとしか彼女には思えなかった。

「まさか、秘密主義なんて言いませんよね?」

 逃げられないように先に釘を刺しておく。それがファニルにできる抵抗のようなものだった。匂わせたからには、その責任は取ってもらわなければならない。

「はぁ、困った子だ」
「何も難しいことは言っていませんが」

 彼女の希望としては、知っていることを話してくれればそれで良かった。自身のコンディションを乱された理由くらいは知っておきたいと思ったからだ。

「はぁ、もとより秘密にする気はないのですが、俺も一応隊長としてそろそろ戦場に行きたいので、手短になりますが?」

 その言葉に黙ってファニルが周囲を見渡す。確かに他の部隊は既に行動を始めており、少しずつ戦場になっているという緊張感が漂い始めている。

「それで結構です」

 彼女が一言頷くと、ヴィルマも続けて頷いた。

「はぁ、では君は“声”が聞こえたことは?」
「声? それは“イッパツの”でしょうか?」

 今、こうして会話をしている時点で、声が聞こえているのはわかりきっている。件のイッパツのことならば、確かに彼は無口に分類されるであろう。

「はぁ、他に心当たりは?」
「他に誰の声が? 質問の意図がわかりません」
「はぁ、相変わらず的外れですね。それは君にしかわからないから、そう聞いているのですよ」
「何が言いたいのですか?」

 何が手短になのかよくわからない。確かにイッパツの話を聞いたはずだが。
 ヴィルマはゆっくり立ち上がると、一度だけ正面から目を合わせてくる。

「簡単ですよ。イッパツは“声”が聞こえている」

 通り過ぎるその間際に、囁くようにそう告げる。そして、ファニルを残して歩き始めた。

「さて、今はここまでにしましょう。続きを知りたければ生き残りなさい」

 ──訳がわからない……!

 苛立ちを噛み殺したファニルがヴィルマを追いかけたのは、それからしばらく経ってからだった。

 ◇

 突入は成功した。多少強引ではあったものの、大事には至っていない。後は自分たちが上手く動けばダンガルフ砦の内部は混乱するだろう。そして、時間が来れば、予定通りに味方の隊が攻撃を開始する。そうなれば、自分たちは改めてヴィルマ隊に合流すればいいのだ。
 ラウリィは瓦礫を飛び越えると慎重に周りを見渡した。

 イッパツの一撃は内部にも響いているようで、吹き飛んだ瓦礫が無数に散らばっており、その衝撃の大きさ、重さを物語っている。一度見ただけであるが、あんなものを体に食らうと一体どうなってしまうのかは彼には想像もできなかった。……いや、したくなかった。

「イッパツ、その手は大丈夫なのかな?」
「ああ。しばらくは大丈夫だろう」

 やはり、反動によるダメージはあるようだが、本人は気にする素振りは見せていない。それならば、ラウリィがあれこれ言うべきではないのだろう。

「いました!」
「二人います!」
「イッキ! フッキ! こっちに来い!」

 ようやく敵が現れたようだ。こちらに気付いて止めに来る素振りを見せている。
 ラウリィとイッパツは目を合わせ互いに頷き合う。遅かれ早かれこうなることはわかっていたので慌てることはなかった。

「やっと来たみたいだね」
「ああ」

 目を凝らすと、見るからに硬そうな風貌をした男が指示を飛ばし、身軽そうな二人を先頭にして、三人組がこちらに向かって来るのが窺える。少し離れて数人が更に後へ続いているようだ。
 ラウリィは指を折り、その人数を数えてみる。指に収まる程度だが、これからまだ増えるだろう。

「ここは俺たちが引き受ける! 俺はこのゴツい方の相手をする。お前らはそっちを任せる! 他の者は巻き込まれるなよ!」
「わかりましたっと。一人で大丈夫ですー?」
「イッキ! 大丈夫に決まってる!」

 どうやら別々での戦闘を行うようだ。二人と一人が分かれ、各々がラウリィ、イッパツへ向かっていく。
 瞬時に相性を予測したのだろうか。ラウリィは迫り来る二人組を前に大きく唾を飲んだ。

「イッパツ! 離れて時間を稼いでみる?」
「いや、二対三でいい」
「はいよ!」

 二人は動きを止め、相手の到着を待つ。油断はできないが、人数に怯むほど平坦な人生を歩んでいない自負は互いにあった。

「離れる気はなさそうだね」
「引き離してみる?」
「構わない! いくぞ!」

 こちらの出方を窺っていたのだろう。ラウリィ達が動かないと見るや、硬そうな男の動きがより一層直線的なものへと変わる。そして、直後に号令が放たれた。戦闘体制に移行したということだろう。
 いつしか、先頭に飛び出してきた硬そうな男が瞬く間に速度を上げ始めている。そして、そのまま後続を引き離すと更なる加速で距離を詰め、イッパツへと猛進した。

「うわ、ぶつかるつもりだよ! 避けろ! イッパツ!」
「いや、どうやらそれは出来そうにないな」

 真正面から見ていたイッパツはその速さを見誤ったようで、当たりに来ると分かった時には既に強烈な速度での接近を許している。それも、もし中途半端に避けようものなら、そのまま一息に吹き飛ばされてしまいかねない勢いである。
 瞬く間に最高速に達すると、男は雄叫びを上げた。

「はぁぁぁうあ!」
「ぬぅぅぅうん!」

 イッパツもまた雄叫びを上げながら、真正面からそれを受け止めるかのような構えに移る。体に当たる前に……直撃をする前に腕で留めるつもりだろうか。

「加減は効かんぞ!」

 重く、体重を乗せたままのタックルが、イッパツを目掛けて襲い掛かる。それはさながら猛牛の突進のようだった。
 時間にして一瞬、あっという間に最初の接触が訪れる。

 ──ドゴォッ!

 一瞬大気が震えた。予想よりも木霊する、大きく鈍い音にラウリィはたまらず息を呑んだ。近くにいただけで、耳か頭か、はたまたその両方が痛んだ。

「イッパツ!」

 崩れた姿勢を見て、思わず駆け寄ろうとするラウリィだったが、その衝撃が引いていくよりも早くに、ゆらりと立ち上がるイッパツがそれを制する。驚いたことに吹き飛ばされなかったようだ。もちろん、受け止めたわけでもない。

「なんとか、大丈夫だろう」

 ラウリィからは直撃したように見えたが、彼はなんとか衝撃を逃がしていたらしい。しかし、無傷とはいかぬようで、右の腕に力が入らないのだろうか、少し不自然にぶらりと垂らしているようにも見える。

「続くぞ! フッキ!」
「遅れるなよ! イッキ!」

 少し遅れて二人組がラウリィへと襲い掛かる。

「不意討ち、って訳でもないか。でも、少し乱暴すぎないかい?」
「馬鹿言うなよ。そっちが壁を壊すからだ!」
「だよなぁ、フッキ! さぁ、暴れようぜ!」

 いきなり押され気味だな、と内心で苦笑いを浮かべると少し離れたイッパツを確認する。
 強がってはいるがダメージが抜けきらないのか、時折体勢を乱す彼の姿にラウリィの心が熱を発した。

 ──この調子では、もう逃げるにしても追い付かれるよね。

 ようやく、最後のピースがハマったように、ラウリィの奥底で覚悟が決まる。逃げ場はない。ならば、倒すしかないだろう。

「イッパツ! 気張りなよ! お互い何とかここを凌ごう」
「ああ。もとよりそのつもりだ」

 しっかりとしたその口調は、ただの強がりではないのかもしれない。そう思わせてくれるような仕草に……そう、左の拳を握り締めるその姿に、ラウリィは自身の口元がつい緩むのを自覚した。

 ──そうだ。もっと、もっと味わせてほしい。

「ねぇ、友達と遊ぶってこんな感じかい?」
「ん? ……確かにそうだな。そう遠くはないのかもしれない。友達、か」

 互いに、自然とそんな言葉が口から飛び出していた。

 ──友達、だって。

 ラウリィにとっては、彼に否定されなかったことが何よりも嬉しかった。

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