小さな魔法の惑星で

流手

十九. 夢の中

 駆けた。

 ──彼はどうなってしまったのだろうか。

 ただ、ひたすらに駆けた。
 考えると足が止まってしまいそうだったから。

 若き兵士は無我夢中に荒野を駆けていた。
 もはや追っ手は見えない、逃げ切れたのだろう。

 次第に足を緩めると、呼吸を整える。

 ──逃げ切れた。

 安堵と同時に、自分はあの飄々とした不思議な先輩をも置き去りにしてしまったのだという絶望感で視界がぼやけ、足元が揺らぐ。汗と共に止めどなく吹き出してくるのは、彼女が感じたこともないほどにぐちゃぐちゃと溢れ出る感情だった。

「捕まっちゃったんだ……」

 やがて、抑えきれない不安が口から滑り落ちると、そのまま体が重くなり、瞬く間に動くことが出来なくなる。

「私のせいだ……!」

 一度考えてしまうと、その後は脆かった。悪い想像が堰を切ったように溢れ出て、それはさながら底無しの沼のようであり、抜け出すことも敵わず、ただ引きずられるように沈んでいくかのような感覚に溺れてしまう。

 ──もう、ダメなんだ……

 やがて、気力が限界に達したのだろう。彼女はその場に崩れ落ちると、そのまま気を失うように眠りに落ちた。
 これが悪夢というのなら、果てて見る夢もまたそうなるのだろうか。

 ◇

 相変わらず何もない所だ、と感じた。

 改めて、ここ“アマルタ原野”は、まるで子供の落書きの様にただただ大雑把な地形だと思う。というのも、広大な荒れ地にたまに思い出したかのように小さな街がちょくちょくと点在しているだけであるのだから、言い得て妙だ。

 フリットは足を止めると、何かを確かめるように荒野を振り返った。もちろん、自分の足跡が見たかったわけではない。

 ──何も変わっていない。

 初めての記憶は、幼い頃にまで遡る。子供が一人で抜けるにはあまりにも広大で、そのあまりの景色に飲み込まれないようになけなしの勇気を振り絞って進んだことは忘れ得ぬ記憶となり、今でも時折夢に見る。

 ──大人になった今なら、その記憶を拭えるだろうか。

 フリットは一歩一歩を踏みしめるように当時の記憶を辿っていく。その足が向かう先には、彼が幼き頃に所属していた傭兵団のアジトがある。

 後から知ったことだが、かつてはそれなりに名を馳せた傭兵団で、グィネブル、マーキュリアス共に一目置かれていたという。

 頭領のルルザスを始め、気の良い連中が集まっており、幼きフリットはそんな皆を家族同然に慕っていた。

 しかし、そんな日々も唐突に終わりが訪れる。バルビルナへと赴いたルルザスが、戦場から戻って来なかったのだ。
 そして、その日を境に少しずつ仲間達は散っていき、いつしかフリットもアジトから離れて過ごすようになっていた。そして、その後もその仲間達と戦場で顔を合わすことはあるのだが、未だルルザスの姿を見た者はいないらしい。

「そろそろだな。……誰もいないだろうが」

 フリットが見つめる先に、小さな村の灯が見えた。知らぬ間に少し暗くなり始めていたようだ。

 ◇

 アジトと呼ばれていた場所は、フリットの予想に反して小綺麗に整頓されていた。埃も思いの外被っていない。
 まだ小さかったせいということもあるが、記憶とは大分違った雰囲気に首を傾けながらも奥を目指して進んでみる。当時はもっと散らかっていたはずだ。

「おかしいな。誰か戻っているのか?」

 ここに人がいたのは十年ほど前のことになる。新たに人が住んでいてもおかしくはないのだが、元々いた人物が戻っていると考えるのも、それはそれであり得る話ではないだろうか。
 廊下に展示されている厳めしい武具類の数々に顔をしかめながら、思い当たる人物を考えてみる。

「まさか、ルルザスが戻ってるっていうわけではなさそうだよなぁ」

 その後もある程度進むが、やはり人の気配は感じられずに引き返す。不在なのだろう。

 住人が戻ってくる確証などなかったが、どこか鼻をくすぐる懐かしい感じを思い出し、フリットは入口で腰を下ろした。
 一晩だけ、待ってみるのもいいかもしれない。

 いつしかフリットは、うつらうつらと船を漕いでいた。少し記憶に甘えたのだろう。

 ◇

 ──夢を見ていた。

 周りには自分と同じくらいの背丈をした子供達が元気に走り回っている。
 そんな中で自分はというと、どういうわけか周りから少し離れた所で剣を片手に黙々と素振りを続けているようだ。

「フリット!」

 声を掛けられ、反射的に振り向くと、少女の一人が自分のことを呼んでいる。

「まだ訓練してるの? そろそろこっちに来てみない?」

 ──そういえば、何故、自分は一人でいるのだろうか。

 ぼんやりした頭で思いだそうとするが、すぐに答えが浮かばない。何か返事をしようと試みると、どういうわけか話すことは出来ず、いつしか視線も手に持つ剣に固定されている。
 次第に体も勝手に動き始め、なんとなくであるが理解する。どうやらこれは、かつての自分を再現しているらしい。

 その自分は頑なに手にした剣を振り続けていた。

「キュロロ、止めときな。彼は弱いから訓練が必要なんだ。……ね? フリット」
「グラディール! そんな言い方は止めなさいよ!」
「ごめんごめん。でもね、彼は誰よりも一番強くなりたいそうだから邪魔はしないほうがいいんじゃないかな。なぁ、そうだろ? ミレディ」
「さぁね。でも彼らしくていいじゃない」

 段々と思い出してくる。そうだ、自分は彼らとは違う。そう思っていたのだ。

 ──あぁ、この頃か。この頃から俺は弱かったのか。

「ああ、一番になってやる」

 自分よりもはるかに体格がよく、稽古でも負かしたことがない相手を睨み付けると力強く言い切った。

「あなたも相手にならないの! これから強くなればいいだけなんだから!」

 突如耳元で声が聞こえ、続けて何か小さなもので頭を小突かれ思わず呆けてしまう。
 こいつはいつの間に近くに来ていたのだろうか。

「ふっふっふ。彼は君が近付いた事にすら気がついていない様だ」
「もう! あなただって全然気が付かないくせに」

 そんなやり取りを聞いているうちに段々と意識がはっきりしてくる。
 間もなく起きるんだな、と感じたときにふと思った。そういえば、あいつにそっくりだな、と。

 ──あなたなら大丈夫だから。

 その言葉だけが暗転する頭の中で反響していた。

 ◇

 フリットは不思議な感覚で目覚めた。というのも、先の夢が未だはっきりと記憶に残っているのである。

 あれは単なる夢だったのか、それとも過去の記憶だったのか、もはや正解はわからない。未だ手に残る、妙にリアルな感覚だけは確かだった。

「どちらでもいいさ」

 その一言で気持ちに区切りを付けると、一気に現実に戻るように目を開く。やることは変わらない。

「何が?」

 声と共に最初に飛び込んできたのは、すぐ目の前から覗きこむように見つめている女性だった。

「……ミレディか?」

 驚いた後、一度じっくりと考えてから確かめるようにその名前を口にする。不意打ちであったということよりも、夢と現実の境に戸惑ったのだ。

「やっとね、何秒待たせるの。驚かせようと思っていたのだけれど、そういった感じはなさそうね」

 そう言いながら、数歩後ろに下がると振り返り、付いてくるように手招きをする。

「……さっき見たからわかるよ。それより、ここに住んでいるのはお前なのか?」

 立ち上がり質問する。

「もしかして、キュロロだと思った?」
「いや……そういうつもりでもない」
「そうかしら? 夢を見ていたようだけど」
「……まぁな。察しの通りの夢を見ていた」
「そう……また負けた?」

 容赦のない質問にフリットは下を向くことで返事をする。

「そう……」

 ミレディは振り返らず、そのまま何も言わずに歩き続ける。

「……強くなるんだ」

 そんな言葉を背中で受け、ミレディは密かに祈るように目を伏せた。

 ──彼の願いがいつか前向きな理由に変わりますように。

 ◇

 案内された部屋は、かつてフリットが生活をしていた部屋だった。朧気ではあるが、その通路に覚えがあったのでおそらくそうなのだと思う。

 物が少ないのは昔からなのか、整頓をされてしまっているからなのかまでは思い出すことは出来なかったが、ほんの少しの懐かしさくらいは感じられた。

「覚えてる?」
「ああ、少しだけな。……少し物が減ったか?」

 正直、何があったかまではほとんど覚えていない。小物はたくさんあったような気もするが──。

「流石にずっと同じは無理よ」
「悪いな。そういうつもりで言ったわけじゃない。……やっぱり、あまり覚えていないようだ」
「でしょうね。何年経ったと思っているの。……それにここに戻ってくる人なんてほとんどいないわ」
「ここに住んでいるのか?」
「いいえ、私もたまに来るだけ」
「そうか。他には誰が?」

 フリットの問いにミレディは首を横に振った。

「……フリット、もうすぐ戦いが始まるわ。あなたはまだ傭兵を続けているの?」
「微妙なところだが、残念ながら今はやっていない」
「微妙って? ……まぁいいわ。こんなところに留まっていないで、あなたもダンガルフの方に向かいなさい。あなたの探している人が来るかもしれないわ」

 扉の前で腕を組むミレディの表情は先程までとはうって代わり、少し暗く険しい。

「ダンガルフ……? 探している人?」

 言われて心当たりを探す。おそらくここに住んでいた者、ということだろう。となれば、ルルザス……いや、──。

「本当にいない? でも、ここに来るくらいだから行くあてなんてないのでしょう。行ってみる価値はあると思うわ、私は」

 そう言い残し、ミレディはそのまま踵を返すと部屋から出ていった。

「なんだ? 急に」

 しかし、彼女の言うことも気にはなる。

「行ってみるか。ダンガルフの方へ」

 ようやく何かのスイッチが入った。

 ◇

 大した目印もないのに道に迷わないというのは運がいいのだろうか。もしくは感覚の問題なんだろうか。
 フリットはアマルタ原野を迷うことなく駆けている。

「戦いってなんなんだ。確かにあそこは前線だが、そんな頻繁に小競り合いが起こるような場所じゃないはずだ。……そもそもなんであいつがそんなことを知っているんだ?」

 ぶつぶつ言いながらも、言われるがままダンガルフへと足は進む。
 距離にすると決して近いとは言い難いが、考え事をしている分その点は気にならずに済んだのは幸いだったのかもしれない。

 途中、何度か休憩を取りながらも、ほどなくダンガルフが近付いてきたかと思った時だった。

「おい、しっかりしろ!」

 フリットは一人の兵士が倒れていることに気が付いた。そして、駆け寄りその状態を確かめる。

 服装から察するに、偵察に就いていた兵士だろうか。怪我はないようだが、憐れにも泣いていたのだろう。涙により顔は泥にまみれ、目は腫れて痛々しく赤みがかかっている。

「ったく、仕方ねぇな」

 見つけてしまったものは仕方がない。
 そのまま兵士を抱き上げると付近を見渡し、どこか人目に付かぬ場所を探し視線を走らせた。

「おい、聞こえるか?」
「…………さい」

 絶えずその唇からは小さな寝言が漏れている。顔を覗くと、眉間には強い力が走っており、その小さな体は今もなお固く、そして微かに震えていた。

「お互い寝てる時くらいは幸せな夢を見られたらいいのにな」

 フリットは自嘲気味に呟くと、くたびれた兵士の頭を優しく撫でた。

 この辺りで一体何が起こっているのだろうか。

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