先天性殺人衝動抑制機能不全症候群

亡糸 円

『バケモノ』と呼ばれた少年

 今日より明日が良い日になると、決められた人間がいたとする。
 その人間は日を追う毎に、少しずつ微少ながら、幸せになっていく。
 但しそれにはその人間自身が『幸せになる努力』をする必要がある、とする。
 例えば、道端に落ちた空き缶を拾ってゴミ箱に捨てる、他の誰もしたくないような事を率先して行う等、自身がとする行いを何でも良いから一日に出来る限りする。
 きっとその人間は、毎日毎日『幸せになろう』と善行を積み続ける事だろう。

 自分の自由を圧し殺してまで···

 さて、ここで質問をしよう。
 この人間は、『幸せになれる』事が確定している。
 しかし現実には、休むことなく誰かの為に働き続けなければならない。そうしなければ、『幸せに』はなれない。
 はたから見れば可笑しいことこの上ないだろう。幸せが約束されており、しかしそれを持続させる為に細やかな自由を放棄し『良い子』でいなければならないのだから。
 しかし、その人間は清らかで無垢むくな笑顔をたたえながらこういうのだ。『幸せだ』と。
 こんな人間がいたとして、その人間は果たして本当の『幸せ』を得られているのだろうか?
 恐らく、殆どの人の答えはこうだ。『本人が幸せだと言うのならそれで良いのではないか』。
 
 そんな曖昧な答えを。
 無責任に。
 無作為に。
 無邪気に。
 無粋に。
 無難に。
 無垢に。
 そう言うのだろう。

 その人間の意思をおもんぱかった様な体裁で、その人間を放り捨てている。
 ただ人間という生物は、国際的道徳心を強要しながら、自分と自分に最も近しい間柄の人間以外には全く興味を示さないように作られている。
 仕方無いと言えばそうだ。元より人間は、そんなに何人も救える程の容量キャパシティは備えていない。それこそ近縁の人間数人が限度だろう。
 この話を通じて言いたいことは、『人間は今日日きょうび曖昧な定義と浮わついた解答の渦中かちゅうに生きることで今の社会形態を確立せしめてきた』ということである。
 人間ははっきりと理由を持って、それを他人に提示しながら生きていくことは出来ない。少なくとも、一つの目的、目標にすがり生涯を終えることはほぼ不可能だ。曖昧なくらいが丁度良く、浮わついたくらいが心地良いと思う生物なのだから。
 
 どうしようもなくどうしようもない巫山戯ふざけた生き物だと、そう主張するはっきりとした根拠も持たず、曖昧な調子で人間の私は常々思っている。





 
 ーーポタッ、ポタッ、ポタリ···ーー
 昏い、暗い路地裏に、縦に伸びた配水管が途中で外れ、漏れでた雫が落ちる音が響く。月光も分厚い雲に隠れ、時折雲の切れ間から月が覗くことはあっても、路地裏を構成するビル群に囲われたこの場所では、直下でなければ光が当たることはない。
 まあ、別に暗いのは嫌いではない。
 全てを等しく黒く塗り潰して隠してくれるから、見たくもないものを見なくて済む。
「······」
 ーー足下に転がる大量失血死体···があるであろう所(何せ真っ暗で何も見えないのだから)を見下し、ポケットから携帯を取り出す。

「終わった。帰るから、後宜しく」
 直ぐさま通話終了ボタンを押し電話を切る。
 返り血は付かなかったが、このまま血濡れたナイフを片手に往来に出るわけには行かない。
 仕方なく、先程捌いた肉の阿呆あほうの如く開いた口に鋒を合わせ、パッと手を離す。
 流石というか、良く研ぎきったナイフは自らの質量だけで頰肉をぱっくりと裂き、扁桃腺、うなじを貫通し、最終的にコンクリートの地面にまで到達しダーツよろしく突き刺さる。
「あら、また死体で遊んでるのかな」
「今までもこれからも遊んだ覚えはない。早いな、近くにいたか」
「ご明察。何時でも君にまとわり付いてるからね」
「死ね」
「楽に死ねるなら今すぐにでも。···ああ、でもさっきのは冗談だからね」
「当たり前だ。手前てめえみたいな気持ち悪い奴の気配が分からない程耄碌もうろくしてない」
 冗談の応酬もそこそこに、ペンライトで死体を検分する死体回収専門の政府直下の『患者』、矢張やばり 遺棄いき。表では監察医をやっている、隈の目立つ女。死にたがりな癖に、『死体が見たい』という理由で生きている。
 まあ。
 『俺達』は皆、そんな理由でしか動くことは出来ないのだが。
「じゃあ、後は任せた」
 追撃に時間を食った所為せいで乱れた制服を整え、矢張を一瞥し帰路に着く。
 と、一歩目を踏み出した辺りで矢張が俺の背に声を掛けた。
「ちょっと待って」
「何」
「『これ』、どんな奴だった?」
 矢張は先の肉塊を指差し、ずれた眼鏡のレンズ越しに俺を見やる。
「海外の裏の奴等と結託けったくして銃火器を密輸してた。叩けば埃が舞う位には、色々やってる野郎だよ」 
「そ、なら良いや、どうでも。独身?」
「ああ、確か」
「んー、オッケー」
 ずれた眼鏡をようやく直し、その肉塊を持参した一八〇センチ程の縦長の袋ーー丁度テントの骨組みを入れるような丈夫な生地で出来ているーーに、ゴム手袋の上に軍手を装着した矢張が詰め込んでいく。慣れた手つきで仕事をこなす矢張だが、その瞳は少し震えていた。
 
 ーーさっさと帰ろうとした俺だったが、結局いつもの通り矢張が死体を回収し終えるまで一緒に居てしまった。矢張が『仕事』をしている間、俺は先程の矢張の質問について、真意を探っていた。

 先天性殺N人衝動抑K制機能不N全症候群Lの患者は、殺人衝動を抑えきれない以外は殆ど他の人間と基本何ら変わらない。精神面でも常人のそれと同程度であるため誰かを殺してしまった際、罪悪感に苛まれ自殺する患者も少なくはないのだ。逆に言えば、俺のようにただ淡々と何の感情も私情も挟まず仕事をこなす俺は、寧ろ稀有けうな例なのである。
 ···そして俺のような精神を持ち合わせていない矢張も他の患者と同じく、いやそれ以上に人を殺すことに関しては否定的であった筈だ。だからこそ全線には立たず、事後の死体を眺めることで己の殺人欲求を満たしているのだから。
 矢張は俺に死体の生前の行いを聞くことで、本当にそれが『殺されるべき対象であったか』を確認し、死体回収という行動を正当化させている···いや、『させようとしている』、か。
 次に矢張が聞いたのはそれの家族構成。これは殺された事に悲しむ誰かがいるかどうかを知るため。いないならそれでよし、もし遺族がいた場合、遺族に秘密裏に金を送る為だ。
 実際俺が妻子持ちの政治家を殺った時には、自身の財布を砕いてまで多額の金を送っていた。そうしてまで罪の意識から逃げ出したいのだろうか、残念ながらそんなことをしても自身が『悪いことをした』と思っている限りは罪悪感からは逃げられない。
 そもそも殺しているのは俺なのだから、矢張が気に病むべき所は何一つないというのに。人間とはかくも面倒なものなのだと、改めて思った。
「どーしたい、しょーねん」
 眼を伏せ考えていた俺の顔を、矢張はニヒルに歪んだ笑顔で見上げる。年の差で言えば俺が一七で矢張が二三。六歳差ではあったが、成長期の高校生と寝不足気味な不健康女の背丈の差は四〇センチ以上離れている。
「···考え事」
「へえ、君でも考えたりするんだね。頭使ったことなさそうなのに、意外」
 煽るようににやにやしながらまたずれ落ちた眼鏡を、直そうともせず俺を見る。
 一々言動が鼻につくが、死体の腐臭の方が臭う事を思えば無視することが出来た。

 時々、矢張はわざと俺の気に障る様な事を進んでする。俺も制御出来るようになったとはいえNKNLの症状は健在なのだから、苛立ちが一定値を超せばいくら仲間でも殺してしまうかも知れないのに。
「頼むから俺が腹立つような事をしないでくれ、殺したくなる」
「君に殺されたいからやってんのさ。寧ろ、君以外には殺されたくない」
 本当に訳が分からない。今回の死体を見ても理解できないのか?『楽に死ぬ』のがお前の目標だろう、俺に殺されるなんて、苦しんで死にたいと言っているようなものなんだぞ。
「···、だったら」
「んじゃおっさきー」
 口を開いたと同時、矢張は俺の肩に跳び乗ると俺を踏み台代わりに跳躍し、路地裏を構成するビルの壁を跳び移りながら、一瞬で屋上まで到達した。流石に後方勤務とはいえNKNLを持つ人間、身体能力は常人の比ではない。
 ただーー、
「てめえ···まじで···」
 憤怒ふんぬで頬をひくひくと痙攣させながら、矢張を見上げる。対する矢張は中年男性の死体袋を担ぎ上げながら、勝ち誇ったように嗤っていた。
「ひひっ、良い踏み台だったよ、アザラシ」
 去り際に含み笑いを漏らしながら俺の苗字を呼び、颯爽と夜の闇に消えていった。
「あの野郎···絶対俺の名前で笑ってやがった···」
 怒ろうにも元凶は既に去ってしまっているため、ぶつけようのない苛立ちを髪を掻き毟って発散する。
「あー···疲れた、帰ろ···」
 正直、標的の首を裂くよりも矢張の相手をする方が疲労が大きい気がする。
 そんなことを思いながら、げっそりとした気分でふらふらとした足取りをなんとか運び、路地裏を後にした。
 ···一応、先程まで俺を見つめていた何者かの気配に注意を払いながら。
(帰ろうとしたら気配が消えた···少なくともあの政治家ぶたの仲間とかでは無さそうだな。気配を隠そうともしてなかったし、素人か)
 路地裏を出るまでは警戒していたが、結局何もないまま帰路につくことが出来た。家につくまで警戒は怠らない方が良かったのだろうが、そもそも俺が警戒しても気付けない位に気配を消せる奴がいるなら、相対あいたいしても殺られるのは目に見えている。
 一際ひときわ盛大な欠伸あくびを漏らしながら、気怠けだるげに玄関を開けて靴を脱ぐ。
「はあ···、さっさと風呂入るか」
 欠伸の所為でにじんだ涙を拭き、目を開けたーー

 ーー俺の眼前に、両目に一本ずつ、バタフライナイフの切っ先が迫っていた。
 


                                      ...to be continued...




どうも、亡糸なきし えんと申します。今回はこの「先天性殺人衝動抑制機能不全症候群」を読んでいただき、誠に有り難う御座います。タイトル長くてごめんなさい。
 それに、今回の小説は粗筋にある程度書いてあるから大丈夫だろうとNKNLの説明を端折はしょってしまい、その点については本当に申し訳なく思っています。しんどかったんです。許してください。
 というわけで、代わりといってはなんですが、今回出てきたキャラクターの設定でも軽く紹介していきたいと思います。どうでも良いという方は読まなくても大丈夫です。
 それではどうぞ。


阿晒あざらし くびり
・総殺害人数三千人を越える大量殺人鬼。だが国家承認付きの『処刑人』であり、国家の許可が降りた際のみの殺人を容認された、一般高校二年生(自称)。
 元々国家には『先天性殺N人衝動抑K制機能不N全症候群L』の患者を保護という形で拘束し集め、国家にあだす反乱因子を人知れず『削除』する専門の組織があり、彼はそこに身体の保護と引き換えに七歳にして加入する事に決め、今日に至る。

外見:見た目にあまりにも関心がない為髪は方々に伸び、一度もアイロン掛けをしたことがない着回ししきった服はヨレヨレのダルンダルン。ただ一八八センチの身長に筋肉質な体躯たいく、目付きの鋭さから近寄りがたいながらもファンの女子は多い。

性格:無気力、面倒臭がりダウナー。自分勝手に生きたいけれど、殺人鬼なりに多少の理性やモラルは持ち合わせている為『仕事』外では割りと常識的。

『仕事』時の道具:NKNLの患者(『職員』ともいう)は基本政府に支給された適性武器を扱うが、彼は政府が羅列した大量の武器の中から毎度適当に選ぶ。昨日はライフル、今日はナイフ、明日は筋力増強グローブ等々。



矢張やばり 遺棄いき
・いつも死にたいと嘆くよわい二三の監察医。精神的な面での脆弱ぜいじゃくさが目立ち、人を殺したいという衝動に駆られながら殺したら罪を背負わなければならない罪悪感に圧迫され一八年間悩み苦しんでいた。
 しかし我慢も限界を迎え、通っていた高校で自分を虐めていた主犯格の女子生徒を家にあった包丁でズタズタに裂いて殺し、その遺体を近場の山に埋めていた際に当時一二歳の阿晒に発見され『組織』に加入する事となった。

外見:薄汚れた白衣に阿晒以上にぼさついた髪、ニヒルな笑みとずり落ちた眼鏡が印象的。彼女は初めて人を殺した五年前から不眠症を患い、目の下にいつも隈を描いている。そして寝不足な上に食事もあまり採らないので一四一センチとかなり小柄。

性格:意地の悪そうなキャラを被った臆病者。実際は五年前の殺人を最初で最後に人を殺せなくなってしまった程に、『殺人』に対し抵抗がある。しかしNKNLの症状は未だ健在の為人を殺さず死体だけを回収して眺めるだけの監察医に転身した。

『仕事』時の道具:彼女はもう人を殺したくない為凶器は携帯していない(持っていると殺人衝動に侵されやすくなる)。その代わり仲間の『患者』達が殺したあとの死体を回収するための縦一八五センチ、横六二センチ、容量二〇〇リットルの巨大なナイロン製の袋をリュックに入れて持ち運んでいる。そのリュックには他にも血痕を消すための高濃度硫酸りゅうさん(プラス中和させるための高濃度水酸化ナトリウム)や万が一仲間の方が傷を負った時用の医療器具一式等々。


 とまあこんな感じですかね。これ挙げたらtwitterの方にカスタムキャストで作った矢張さんをこれのURLと一緒に貼っておくので、矢張さんのお姿を是非見てみてください(@En_Nakishiとtwitterで探せば出てくるので宜しくです)。
 さて次回は阿晒君が家に帰るなりバタフライナイフが飛んでくる、という所から始まりますが、元々彼は自分に向けられた殺意や気配に敏感です。
 それにも関わらず飛んでくるバタフライナイフの存在に気付かなかった、つまりこれは本編にも言っていたように『警戒しても気付けない程気配を消せる奴』が居るということになります。
 阿晒を越える『殺人』の腕、それを持つ者が居るのでしょうか。
     第二殺『横行闊歩する殺意』
      

      お楽しみに。

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