その弾丸の行先
第20話 望む世界
「ふん……アロンめ、馬鹿げた事を考える」
兵士の報告を聞き、魔王ハンクは少し寂しそうな顔をした。自分に刺客が送られていた、そういう報告を受けたのに、怒りや嘲笑は無い。悲し気な表情。
「奴がそんな重大な任務を任せるという事は、さぞかし手練なのだろう」
愚かなアロンにそそのかされた、哀れな同胞達。言葉で説き伏せるのは難しいだろう。
しかし、同胞はできれば殺したくは無い。
ハンクは同胞である尾を持つ人間に対し、異常なまでの博愛主義者。自らを殺そうとする者でも、どうにか改心させられないかと考えてしまう。
それに加えて、今は一方的とはいえ一応戦争中、手練とあらば尚更だ。
「……同胞にこの力を向けるのはいささか心苦しいが、致し方無い」
その首から下げたペンダントを、軽く指で弄る。
そのペンダントに付けられているのは、深い真珠色の小さな宝石。
彼らを「正しい方」へ付ける最も簡単な方法を、ハンクは持っている。
「決して殺すな。捕らえてここに連れて来い」
そう命じ、兵士を下がらせ、ハンクは溜息を付いた。
「いずれ何かするだろうとは思っていたが、まさか俺を殺そうとはな」
状況から考えて、おそらくアロンはハンクを殺すべく、彼らを送り込んだ、そう考えるのが普通。そしてそれは当たっている。
「俺は、悲しいぞ」
失望だ。
確かに方向性は違えど、奴もまた欠尾種の駆逐を夢見る同志だと思っていた。
なのに邪魔をしようとする。同盟の王を殺してでも戦争を止めたい。ここまで来たら、もう「欠尾種との戦いに消極的」とかいうレベルでは無い。どう考えても他に腹積もりがあるだろう。例えば、信じ難い事だが、「共生を夢見ている」とか。
「刺客達の次は、お前だ、アロン」
ハンクは、力を持っている。非を是に、愚を良に、黒を白に、悪を善に、導く。それを成す力を。
その力を同胞に振るうのは心苦しいが、一部の同胞のために多くの同胞の願いを捻じ曲げられる訳にはいかない。
王は、より多くの民に素晴らしい世界を提供しなければならないのだ。
「…………何故わからない。平和を取り戻すには、欠尾種を滅ぼす以外無い事を」
王として愚直な程に真摯、しかし『ハロニアの人間』としてどこかが狂った瞳を伏せ、ハンクは悲し気につぶやいた。
✽
「あの車両だ」
魔国ののどかな街を走る物々しい大型車両。
報告にあった、アビスクロックからの刺客に奪われたEA輸送車だ。
「馬鹿な連中だよな、あんな目立つ車両で移動して、見つからない訳ないだろうに」
刺客達を捕らえる作戦行動の指揮を上級兵士の男が失笑気味に笑う。その顔は、「やる気が無さそう」という表現が良く似合う。
せっかく面倒な戦闘なんぞに駆り出されず魔国でのったり事務作業をしていたのに、飛んだ面倒だ。
まぁ魔王を狙うなどという様々な意味で馬鹿げた行動を取る様な連中だ。相当馬鹿な連中なのだろう。これだから馬鹿は嫌いだ。
そんな馬鹿共は、さっさと引っ捕えてしまおう。
指揮を取り、数人の兵士に魔国式の銃であの車両のタイヤを狙わせる。
タイヤが破裂した車両は地面を引っ掻きながら横転する。
「よし、一応強いらしいから、全員注意して……」
上級兵士が包囲指示を出そうとした時だった。
車両の至る所が、内側から弾けた。
「!?」
飛び出したのは、無数の細長い腕。その色は気色の悪い濃い目の緑。
まるで蝶が羽化する様に、車両の装甲から這い出す人型のシルエット達。
「まさかアレは…擬似生命型の魔能か!?」
腹回りだけが丸みを帯び、鼻は異常に大きい。口と思われる部分は常に端が釣り上がっている。
その風貌は、どこかサーカスのピエロを彷彿とさせる。その数は8体。
『ぎひっ』
肉声とは何かが違う怪音で鳴き、道化達は魔王軍へと襲いかかった。
「…………魔王軍がデコイに引っかかった様だ」
一般家庭から比較的平和的に奪い取ったワゴン車の中で、小柄な傭兵がつぶやく。
「おう、そいつぁ何よりだ…っぅが……!何で…消毒液ってのぁどいつもこいつも……」
「体中斬られても平気な癖に、こんなんで騒がないの」
ワゴン車内には6人の傭兵が揃っていた。
「…目の傷、眼球まで届いてるみたいなの。多分……」
ガツィアの傷の手当を手伝いながら、シルヴィアが少し気の毒そうな顔をする。
「わぁってる。……あの野郎と本気で殺り合って目玉一個、割と安い買い物だ」
消毒を終え、ガツィアは己の右目に眼帯をあてがう。
ロイチとの戦いを始める時、ガツィアは腕1本斬り落とされるくらいは覚悟していた。
確かに片目というのは小さな被害では無いが、隻腕になるよりはマシだろう。ガツィアには第六感を内包する嗅覚もあるし。
「ジア、急いだ方が良い。俺の『オーガストサーカス』は殺傷能力は高いが耐久性はクソ以下だ。カス兵士共相手とはいえ、長くは持たないぞ」
「わかってるって話だ」
ワゴンのハンドルを握るジアが更にアクセルを踏み込む。
今まで、囮であるEA輸送車があったから目立たぬ様に法定速度を守っていたが、ここからはもうどうでもいい。
「向こうも、まさかこっちがせっかく手に入れたEA…いやGAなのか?とにかくそれを手放すとは、予想外だろうな」
サングラスの傭兵が楽し気に笑う。
危機的状況だが、傭兵達は焦りを見せない。焦りを隠す。
パニクって騒いでも、何も良い方向には転ばないと、知っているから。
「クク……まぁ確かに、アレがあれば、城を攻めるの、大分楽でしょうからね……」
「だが、その城攻めアイテム保守して、城に着く前に囲まれたんじゃ本末転倒だって話だ」
それに、あのグングネルは耐衝撃性GM装甲が機能していなかった。少し強い魔能なら叩き壊せるレベルの代物。
アレに乗っての無双は元々難しい。それを死守する価値は低い。元々プラン外の物だし。
「とにかくだ、ここからは逃げ隠れしながらひたすた魔王の元へ辿り着く事、それだけを目指すって話」
ジア達は怪物地味てはいるが、所詮ただの生物。頭を打ち抜かれれば死ぬ。多くの魔王軍兵士に囲まれ、全方位から雨の様な銃弾を浴びせられれば、どれだけ運が良くても致命傷は避けられない。
魔王軍との戦闘は出来るだけ避け、魔王城へ潜入する。それが現行プランの大雑把な内容だ。
✽
魔国にもすっかり夜の帳が下りきった頃。傭兵達は半日以上かけ魔王城を取り囲む森までやって来ていた。
周囲の警戒にあたっていた魔王軍兵士を何人か捕獲し、城の守りについて吐かせる事で、彼らは最も侵入し安いルートを模索する。
手当たり次第に10人程を捕らえてみたが、全員が全員ほぼ同じ内容を吐いた。
陰気な女傭兵、『嘆きの毒』の持つ、副作用で死に至る程強烈な自白薬(というか自白剤の様な副作用がある毒)で吐かせた情報だ。統制された偽情報という可能性は低い。
「現状を整理するとって話だ」
地面に王城付近の見取り図を書き、傭兵達は作戦会議に入る。
「吐かせた話じゃ城の警備は内外合計で500程度…まぁ、突破が絶対不可能な数じゃないって話だ」
警備兵全員と律儀に戦う必要性は皆無。というか無理。
あのそこそこデカイ城を500で守るとなると、どこかしら警備にスカスカな場所が点在するはずだ。
そこを上手く貫き、王の首を取る。
「この配置図を見た感じ、警備が最も薄いのはこの東側なの」
「まぁだからと言って正面突破を試みれば他の場所の警備もどんどん集中してくるって話だ。別の箇所で警備を引き付ける陽動が必要になるって話」
「だったら、俺の出番だな」
サングラスの傭兵が不敵に笑う。彼は『奇抜な殴殺者』。彼の魔能は実に特異。
メイス型のそれは、ワイヤーや煙を噴射する機能に加え、触れた物体に光学迷彩効果を付加する事さえ出来る。持ち手自身には掛けられないという対象制限と、5分間という時間制限付きだが、それにより見えないワイヤートラップや奇襲を行う、というのが彼の戦法。
「まず透明化出来ない俺と…そうだな、+2人くらいがいいか。その3名が別門のとこで陽動をする。その間に、俺の『マルチスタイリングヒッター』で透明化した実働班が東門を突破、ってのはどうだ?」
「陽動ならば、大手の方が良いだろう」
8体の道化を召喚できる小柄な男が陽動班に立候補する。
「じゃあシルヴィアも陽動やる。暴れるのは得意だから」
「いいや、あんたは実働に周りな、小娘」
シルヴィアの提案を止めたのは、陰気そうな女性。
「陽動はある程度の所で逃げて良いんでしょ?ククク……私としては、どうせ暴れるんなら生存確立が高い方が好みなのよ」
「なら何でこんなクソ面倒な仕事受けたんだよって話だけどな」
「そりゃあ、魔国1000年の悲願を台無しにしようなんて外道行為、1枚噛まない手は無いでしょう?船で待ってるのは性じゃないし……ククク……」
「……本当に趣味悪いのこの人……」
「そんなんはどぉでも良ぃ」
嫌がらせなんてどーでも良いくっだらない事に命賭ける奴の気持ちなんぞ、ガツィアには到底理解できない。だが、ガツィアも他人には到底賛同を得られない理由でここにいる。
「要するに、俺ら実働は、陽動の方に警備が偏り始めたのを見計らって、東門に乗り込めば良ぃって事だな?」
「そぉいう話だな」
「王は今、玉座の間にいるらしいが、我々が城内に攻め入れば避難を始めるだろう。スピード勝負になるぞ」
「元々のろのろダラダラやるつもりぁ無ぇよ」
「ならば良い」
「ククク……さぁ、このお仕事最大の暴れ所だねぇ」
「上等なの」
「んじゃ、やりますか」
サングラスの傭兵の軽い言葉で、作戦会議は終了する。
警備諸々の技術的進歩が遅れている上に戦争のための出兵でガード手薄になっているとは言え、500近い兵が守りを固める城にたった6人の傭兵が乗り込む。
それがどれだけ無謀な事か、子供にだってわかるだろう。
しかし、常識的に考えれば無謀な仕事なんぞ、傭兵達には日常茶飯事だ。
✽
「ハンク様!」
玉座の間に駆け込んだのは、1人の上級兵士。
「城内に侵入者が!」
「……?」
ピクッと反応するハンク。
「南門が攻撃を受けているという報告からまだ5分程しか経ってないぞ」
いくら手練と言っても同じ人間。数百の防衛線をそう簡単に抜けるはずが……
「いえ、抜かれたのは東門です!」
「…成程、陽動作戦か」
ハンクに焦りは無い。決して想定外では無いのだ。
むしろ最初に南門の件を聞いて、正面突破をかけて来たのかという方が驚かされた。
「少数戦力を更に分けるとは、相当腕に自信があるか、馬鹿なのだろうな」
もしくは両方か。
「城内外共に、敵はかなりの実力者の模様です…小隊単位では歯が立っていません…!」
「…良いだろう。通して構わん」
「……は?」
「捕獲が難しいのであれば、兵士達に無理はさせるな。ここに通しても構わんと言っている」
「しかし……」
「さっさと通達するんだ。『兵の職務として、君達は敵は止めるべきだろう。だが無理はするな。最悪通しても構わない。王はそれを咎めはしない』とな」
「は、はい!」
ハンクには、力がある。
ここに刺客達がたどり着こうと、どうとでも出来る力が。
元々捕獲させた後ここに連れて来させるつもりだったし、丁度良いだろう。
(保険に『アレ』を用意しておく手間はかかるが…まぁ良い)
ここに到達させても問題は無いのだ。それを無理に防がせて兵の命を無駄にしたくは無い。
彼らもまた、ハンクが愛する同胞なのだから。
「やあぁぁぁぁあああぁぁぁぁっ!」
物々しい巨大な黒腕が、振るわれる。
その拳撃と拳先から巻き起こる爆風で、兵士達を綿毛か何かの様に吹き飛ばしていく。
それは、爆砕補助手甲型の魔能、『バーストブレイクブースターナックル』、通称『BBBナックル』。
その巨大な手甲を両腕に纏うのは、小さな少女、シルヴィア=バスタードレス。
華奢な体と巨大な手甲の組み合わせはなんとも歪なシルエットを作り出す。
「いつだってシルヴィアパンチ(必殺技)は爽快感満載なの!」
「いぃから行くぞクソガキ!」
立ち上がろうとした兵士の眉間に弾丸をぶち込みながらガツィアが叫ぶ。
魔王城強襲作戦開始から既に7分が経過。
ガツィア達にかけられていた透明化の能力も解け、3人は城内の兵士を薙ぎ払いながら最上階の玉座の間を目指していたのだが、ジアは途中で抜けた。
単独で、緊急時の脱出ルートにあたる場所から攻めてくるそうだ。
まぁあの化物人間なら大丈夫だろう。ナイフ1本あればバッタもヒグマも殺す手間は大して変わらんとか言っちゃう奴だし。
「つぅか馬鹿っ広いんだよクソッタレ!もう何百段階段登ったと思ってんだ!」
「シルヴィアも流石に疲れてきたの……」
兵士達もどんどん湧いてくる。
実は彼らは、王に「無理はするな」と命令を受けている。だが、決してガツィア達を素通りさせようとはしなかった。
それは、王への忠誠心。確かに欠尾種に対する王の憎悪のクレイジーさはドン引きレベルの物だ。だが、それを補って有り余る程、ハンクが持つハロニア人への愛情は深い。
それをよく知る一部兵士達は、己の命欲しさに退こうとはしなかった。
ハンクが珍しい例であるだけで、ハロニア人はそもそも性質上、憎悪で戦おうとはしない。
ハロニア人が本気で牙を剥く時、それは、大切なモノを守る時。
自分たちを愛してくれる王を、守る。
(こいつら……急に強く……!)
強い層に当たったとかでは無い。全員が、先程までとは比べ物にならない程死に物狂いでガツィア達を阻もうとする。
ハンクが出した兵を気遣う命令は、兵士達の戦闘士気を跳ね上げていた。
「もう!邪魔なのぉ!」
「チィッ……!退けクソッタレ共が!」
体が重い。ロイチとの戦いの疲労がまだ残っている。
(だがよぉ……!)
大切なモノを守りたいのは、ガツィアも同じだ。
「退けぇぇぇぇ!」
両腕にガトリング砲を顕現させ、乱射する。
シルヴィアも、本気の一撃を連続で放つ。
城の壁が弾け飛ぶ程の攻撃で、ようやく兵士達を退ける。
「っ…まだ来やがるな……!」
迫る殺意の匂いを嗅ぎとったガツィア。まだまだ兵が来る。
「向こうからだ……こっちの方から行くぞクソガキ!」
「わかったの!」
「……ここか」
満身創痍のガツィアとシルヴィアは、ようやく魔王城の最上階、玉座の間の扉の前にたどり着いた。
結構時間を食ってしまった。そろそろ陽動隊が撤退し、外部防衛兵が内部へ戻ってくるかも知れない。
「さっさと首を取んぞ」
「うん」
シルヴィアのBBBナックルが、玉座の間の扉を破壊する。
「……鍵は開けておいてやったと言うのに、物騒な物だな」
「……テメェが魔王か。意外と若けぇんだな」
ガツィアの勝手なイメージだが、国王はジジィのイメージがある。
ハンクはまだ40代前半くらいにしか見えない。
「それはこちらのセリフだ。こんな青年と少女がやってくるとはな」
ハンクは余裕そうに構えている。
「お喋りはここまでだ。俺らが来た目的、わかってんだろ」
その手に握っていた拳銃をハンクへと向ける。ハンクは動じない。
特に、浴びせる言葉は無い。ガツィアは、引き金を引いた。
これで終わり、のはずだった。
しかし、弾丸はハンクには届かない。
突然現れた巨大で禍々しい腕が、ハンクと弾丸の間に割って入った。
「!?」
紅蓮の鱗が這う巨腕。
それは、玉座の背後のスペースに潜んでいた生物。
巨大な鰐の様にも見えるそれは、ドラゴンと表現するに相応しい。
「何あれ…!?」
「んだよそのバケモン…!」
「紹介しておこう。『コレ』の名はローレル。突然変異生物…ミュータントという物らしい。生まれながらに体内に魔石があるとかどうとかでな」
余裕そうなハンクの態度の理由はコレ、だけでは無い。
「ここに来た君達が突然襲いかかってくる可能性を考慮し、保険としてこの部屋に連れてきておいた。…安心したまえ。コレは、私の命令無しに君達に食らいついたりはしない」
「…ケッ…大層な見た目の癖に、中身は犬畜生って事かよ…!」
厄介そうだ。だが、ガツィアの弾丸を弾く程の鱗だとしても、シルヴィアのBBBナックルならどうにかできるだろう。
シルヴィアもそれがわかっているらしく、拳を構える。
「犬という表現は違うな。コレは、俺になついている訳では無いからな」
しかし、ローレルは決してハンクに逆らいはしない。
「……君らに問おう。俺を殺そうなんて馬鹿な真似を止め、俺の元に付く気は無いか」
「ざけんな」
即答。
ガツィアのその目から、ハンクは揺るぎない信念を感じ取る。
「…良い目だ」
こんな信念に満ちた強い目をする若者は、そうはいない。
故に、残念だ。
「……俺は、心苦しい。同胞に、こんな惨い真似をする事が、本当に辛い」
「何……?」
ハンクがスっと掌を広げると、そこに橙色の光が灯る。魔能だ。
顕現したのは、宙に浮く六角形の小さな鏡。
「『ヴィジョンズハンド』……まぁ、軽い幻覚を見せる程度の魔能だ。その効果も弱く、簡単な刺激で幻覚は覚めてしまう」
空いている手で、その首から下げた小さな魔石を摘み上げる。
「これが何か、わかるかな」
「知るか」
「なら、身を持って正解を知るといい」
こんな奴の話を聞いている暇は無い。そう動き出そうとしたガツィアとシルヴィア。
しかし、その寸前に、ハンクの手の鏡が光を放った。
「ッ……!?」
動きが、止まる。2人は動かない。
もうこの瞬間、2人にまともな意識は無かった。
「……これは、『魔宝玉』。今の所、これ1つしか無い特別な魔石だ。その特異性は、『魔石磁場内に置いて、所有者の魔能を異常なまでに強化する』」
ハンクの手の中にある鏡型の魔能、ヴィジョンズハンドが淡く怪しい光を放ち続ける。
「これにより、俺の魔能は『オールハンド』へと進化を遂げる」
視覚掌握能力は進化を遂げ、この鏡が放つ光を見た者の全てを掌握する力と化した。
「さぁ、『書き換え』を始めよう」
それは、洗脳なんて生ぬるい行為では無い。
その者の全ての記憶、感情を削除し、作り直す。その者をこの世界から抹消し、己の都合の良い人格を植え付けて再生させる。
動かなくなった2人の中で、『書き換え』が始まる。
その外道な行為に、ハンクは胸を痛める。しかし、仕方無いのだ。
全ては欠尾種を滅ぼし、愛する者達の素晴らしい世界のため。邪魔者は、こうせざる負えない。
「……せめて、約束しよう。生まれ変わった君達が、笑って暮らせる未来をな」
✽
どこだ、ここは。
暖かい。
目を、開ける。
目の前には、よく知っている女性がいた。
「サーニャ……?」
ぼんやりと、周りの景色がはっきりしてくる。
ガツィアがいるのは、地平線の果てまで続く一面の花畑だった。
「おかえり、ガツィア」
サーニャの、声。あの頃見た、サーニャの笑顔。
「何で……あんたがここに……!?」
「辛かったでしょう?ガツィア」
暖かな手が、灰色の髪を撫でる。柔らかな手の感触。心地良い。もう何年も忘れていた、至福の感触だ。
「背、伸びたわね」
「っ……待て…何がどうなって……」
意味がわからない。混乱する。
「俺は魔王を殺すために魔王城に……!」
「何で?」
「何でって、俺は……!」
自分が生きていたい世界、サーニャやハイネが笑っていられる世界を守るため、ガツィアは……
「もう、ここにあるじゃない」
「なっ……」
いつの間にか、ハイネもそこにいた。優しく、素晴らしい笑顔で。
「私達は、ここで笑ってる。ずっと、ずっとよ。あなたの望んだ世界は、もうここにある」
「待てよハイネ……ここぁどこなんだよ…!?俺は魔王城にいたはずなんだ!」
おかしい。何かがおかしい。
「そんな事に拘らなくてもいいの」
「だってもう、魔王を殺す必要なんて無いじゃない」
「でも……」
「あなたが望んだ世界はここにある」
「あなたが望んだ世界はここにある」
「「あなたが望んだ世界はここにある」」
「っぅ……!?」
何故だ、混乱が、解けてきた。
疑問が解決している訳では無い。
ただ、どんどん疑問が消えていく。
気にならなくなっていく。
違和感が、薄まっていく。
「「あなたはもう、休んでいい」」
「ぐ……」
「「あなたはもう、戦わなくていい」」
この世界に、ガツィアが望んだ全てがある。
もう戦う必要など無い。
「……まさか……幻覚か……!?」
薄れかける理性の中、ガツィアの直感が気付く。
ハンクは幻覚を見せる魔能を持っていると言っていた。軽い幻覚と言っていたと思うのだが…まぁ細かい事は良い。この状況は、それ以外有り得ない。
「っ…!幻覚なんぞに…惑わされて……」
「「幻覚の何が悪いの?」」
「なっ……」
「「外の世界から見れば偽り。でも、あなたに取ってこの幻覚は現実」」
「何を……」
「「あなたは自分が幸せであれば良い」」
そうだ。
ガツィアは自分の欲を満たすために生きている。
その欲を満たす過程で、守るべきモノがあるから守っているだけ。
「「面倒な現実に戻る必要なんて無い。幻覚の中には、幸せがある」」
何もしなくたって、幸せを感じられる。
この幻覚の世界は、そういう風に出来ている。
「「さぁ、あなたもここで笑いましょう」」
「…………」
2人の言葉に、抗う必要性を、感じれなくなる。
少しずつ、まともな思考が、崩壊していく。
こうして、少しずつ全てが崩壊し、ガツィアでは無いガツィアが作られる。
その危機感すら、感じられない。
「ダメだよ」
思考を失いかけたガツィアの耳に届いたのは、どこかなつかしい声。
昔、何度も何度も聞いたような、幼い声。
「僕は、そんな人達、知らないよ」
「……お前…は……」
「ねぇ、バッドライナー。僕が知っているサーニャやハイネは、ここにはいないよ」
現れたのは、灰髪の少年。
彼の事をガツィアは、いや、バッドライナーはよく知っている。
「アレは、『俺の人格』の記憶を基準に造られた、ただ映像だよ」
「…映……像……」
「アレは、所詮過去だ。今じゃ無い。『俺』の幸せは、アルバムを眺めながら朽ち果てていく事なの?」
「…………」
「今、失われてしまうかも知れない大切な人を守れない事が、幸せなの?」
幻覚だと知らなければ、幸せな世界だと素直に感じられたかも知れない。
偽りでも、幸福は感じられる。自分を騙せる。
でも、
「『俺』は決めたんでしょ?戻れなくても良いって。それ以上の幸せは、望む気は無いって」
「っぅ…」
「『俺』が生きるべきは、幻覚に溺れた幸せ過ぎる美しい世界じゃない。辛くとも幸せなくだらない世界だ」
「俺は……」
「僕は、また『俺』に辛い事を全て押し付けようとしている。…ごめんね。……ただ、聞いて欲しい。僕は『俺』を間近で見ていて、『俺』の事、よく知ってるつもりだよ」
「俺は……!」
「きっと普段の『俺』がここにいたら、今の『俺』を殴ってでも現実に引き戻すと思う……『こんなくっだらねぇ妄想ぁ、俺にゃ似合わねぇ』って、バッドライナーなら、言うはずなんだ!」
「俺は…!」
「目を覚ますんだバッドライナー!『俺』が望んだ世界は、ここには無い!」
「俺はぁっ!」
花が、散る。
ガツィアの精神世界を地平線のその先まで埋め尽くしていた美しい光景は、ただの草原に変わってしまった。
「……いつもの『俺』の心だね」
何も無い、ただの草原。何にも囚われはしない自由な世界。
「……カッ…妙な気分だ。昔の自分と話せる日が来るたぁよぉ…」
「うん。不思議だね」
バッドライナーには到底できないであろう笑顔を浮かべる少年、セントカイン。
幼い頃、心の崩壊を食い止めるためにバッドライナーを生み出し、奥底へと沈んでしまった人格。
「もう大丈夫そうだね」
「あぁ、よくわかんねぇが、目が覚めた」
そりゃあそうだろう。心の中の自分に説教されたんだ。心に響くに決まってる。
「……ごめんね」
「あぁん?」
「さっきも言ったけど、僕は『俺』に辛い事を押し付けてばっかりだ」
「……そのために生まれた人格だろぉが」
セントカインには耐えられない事の受け皿として生まれたのが、バッドライナーだ。
「それに、俺ぁ『僕』に感謝してる」
「え?」
「俺が戦えるのは、『僕』が俺を作ったからだ」
守りたい世界ができたのも、それを守れるのも、セントカインがバッドライナーを作ってくれたから。
バッドライナーが幸せを求める今を作ったのは、セントカインだ。
「だから、少しくれぇの貧乏くじは引いてやる」
「……ありがとう、バッドライナー」
「……ちょっくら行ってくる。まだ、くっだらねぇ仕事の途中だった」
「僕は、また眠るよ。でも、いつかまた『俺』が困ったら、助けるから」
「おう。せいぜい良ぃ夢見ろよ。…おやすみだ、セントカイン」
「うん。頑張って来てね。行ってらっしゃい、バッドライナー」
さて、ふざけた幻覚を見せてくれた魔王をぶっ殺そう。
そして、実現しよう。
幻覚程幸福ではなくとも、充分満足できる幸せのある現実を。
✽
「……!?」
ハンクの手に持つ鏡に、亀裂が走る。
「なっ…馬鹿な!?一体何が……」
走り抜ける、一筋の青白い光。それは、弾丸。
ハンクの掌の肉ごと、その鏡を撃ち抜いた。
「ぐぅあぁぅっ!?」
鮮血溢れる腕をかばいながら、弾丸の出処を睨みつける。
そこにいたのは、不敵に笑う灰髪の魔人、ガツィア。
そして、書き換えが途中で強制終了し、ギリギリの所で助かったシルヴィア。
「よぉ魔王サマ。随分楽しぃ夢を見せてくれたなこのクソッタレ……!」
「ぐぎ……貴様…何故、オールハンドを……」
「悪ぃが、俺は1人じゃねぇんだ。叩き起してくれる相棒がいたよ」
銃口を、次はハンクの眉間へと向ける。
「ぐぅ……仕方、無い!」
同胞を傷つける。辛い事だ。だが、仕方無い。志半ばで倒れる訳にはいかない。
「ローレル!この2人を捕らえるんだ!」
「ゴガァァアァ!」
吠えるドラゴン。
「クソガキ」
「ん…?美味しい物がいっぱいあったのに……あれ?っていうかお姉ちゃんは?」
「…いつまで寝ぼけてんだ。あのドラゴン、どぉも俺にゃ荷が重い。任せた」
あのドラゴンの鱗はガツィアの弾丸を弾ける。シルヴィアを頼るのは癪だが、拘ってる場合じゃない。
「うん!任せて!」
こちらへ飛びかかってきたドラゴン。その爪でガツィア達を狙う。
しかし、その爪はあっさりと砕き散らされる。それを迎え撃った、黒い巨腕が巻き起こす爆風によって。
「ギギャゥ!?」
痛みに怯むドラゴンの顔面に、巨腕を抱えた小さな少女が飛びかかる。
「必殺のぉ、シルヴィアパァァァンチッッ!!」
振るわれる、シルヴィア渾身の一撃。
その余りの衝撃に、ローレルの牙が全て砕け散る。そして、その巨体はハンクの背後の壁をブチ抜き、外へ。
「なっ……」
「ノックアウトなの!」
自慢げにVサインを決めるシルヴィア。
「よくやったクソガキ」
軽くシルヴィアを労い、ガツィアはハンクの元へと歩み寄る。
「ったく、本当に面倒かけやがってよぉ」
「ぐ……何故だ!?何故邪魔をする!?貴様らは…平和が欲しくはないのか!?」
「平和、ねぇ」
ガツィアは呆れた様に笑う。
「欲しいさ。そりゃあよぉ」
昔は、そんな風に思った事も無かった。
でも、今は違う。
ハイネやサーニャが笑っていられる平和な世界なら、是非とも欲しい物だ。
「欠尾種、って呼び方だっけか。とにかく、尻尾の無ぇ奴皆殺しにされちゃ、困るんだ。俺がお前を殺す理由は、そんだけだ」
「っ…何故だ!?欠尾種が憎くは、無いのか!?貴様がどういう生活を送ってきたかは知らん…だが、王を暗殺するなどという仕事を受けさせられる様な者が、まともに生きてこれたとは思えんなぁ……!」
「だから何だよ」
「貴様がそんな生活をしなくてはならなくなったのは、全て欠尾種のせいだ…!」
クハッ、とハンクが笑う。憎しみと狂気の入り混じった、凶悪な笑顔。
「今この世界にある全ての悪辣な事象は、全て欠尾種のせいだ!奴らが全てを変えた!全てを奪ったんだ!ハロニアにあった素晴らしい物を、全て!」
血の滴る指で、ガツィアを指差す。
「もしも欠尾種がいなければ、貴様はもっとマシな生き方をしていたかも知れん!己の不幸の根源が、憎くないのか!?」
「……もう一度聞く。だから何だよ」
「はっ…?」
「興味が無ぇな。『もしも』だの何だのって話ぁよぉ」
過去は、変えられない。辛い物も、そして、素晴らしい物も。誰にも変える事はできない。奪う事はできない。
「俺は、俺の不幸を呪った事なんざ無ぇ」
仕方無ぇと、割り切っていたから。
「でも、割り切る事ぁ無ぇって、わかった」
銃口を、真っ直ぐに、ハンクの眉間に、押し付ける。
「どんだけ嘆こうが過去は変えれ無ぇ。だが歩き出しゃこれからの事ぁ選べる。そんでもって、俺が選ぶのぁ、これだ」
引き金に、指が掛かる。
変えられもしない過去の清算に拘る王と、今自分が生きる世界の中で幸せを追い求める傭兵が、睨み合う。
「っ……後悔するぞ……!貴様は、多くの民の未来を奪う罪悪感に……」
「罪悪感なんざ感じ無ぇよ。俺は、『バッドライナー』。…そのための人格だ」
「貴様は1人のエゴで多くの涙が…!」
「悪ぃかよ。俺ぁそぉいう奴だ」
「貴様は…」
「もう黙れ」
ふぅ、と溜息を付く。
ようやく、終わりだ、この仕事も。
「俺ぁ俺だ。俺がやりたい様に生きる。いつだって、そぉして来た」
バッドライナーは、生きたい様に生きるために、今まで散々引き金を引いてきた。
今回も、同じだ。
「呪いたきゃ呪え。知った事じゃ無ぇがな」
ガツィアは、迷わず引き金を引いた。
あの時と同じだ。初めて引き金を引いた時と。
自分と、大好きな人のために。
✽
世界中を震撼させた魔国によるエグニア侵攻のニュース。
そのニュースから、一ヶ月も経たずして、さらに驚くべきニュースが報じられた。
エグニア領に駐留していた魔王軍が、完全撤退を開始したのだ。
何故そんな事になったのか、一部の者を除き、誰も知らない。
ただ、誰の目から見ても明らかな事実が1つ。
一時的か、恒久的か、その辺はわからないが、少なくとも目の前の危機は去った。
これまでに犠牲になった命の数は、決して少なくは無いが、戦争は、終わったのだ。
しかし、世界はまたすぐに動き出す事になる。
今度は、さらに大きな旋転を伴って。
 
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