キューピッドと呼ばないで!
10,怪物ベンチピッチャー
廃車の投棄場、夜はまず人がいるはずも無い場所に、石動は足を運んでいた。
「やーやータクマくん、ご機嫌いかが?」
高く積まれた廃車の塔の頂き。
月を背負うように、その声の主は座っていた。
「……最高だぜ、レッサーノさん」
投棄場の先客、金髪パーマのレッサーノは、石動の返答に対して満足気にうなづいた。
「はいはいはーいはい……そりゃそうっしょ」
「あれ以来、思考がクリアだ。目的しか見えねぇ、グダグダ胸ん中でモヤモヤしてた頃とは非になんねぇ程に気分が良い。それに加えて、もうすぐ目的も達成される」
石動の浮かべた笑みは邪悪そのもの。
まともな感性の者が見れば、絶句してしまう程。
石動を知る者なら絶対にこう言うだろう。「こいつは石動じゃない」と。
しかし、そこで笑っているのは、紛れもなく石動拓麻なのだ。
「……!」
ふと、レッサーノの眉が跳ねる。
それに気付き、石動が振り返ると、見知った2人がこちらにやって来るのが見えた。
「……はいはい……ありゃ、君の知り合いか?」
「ああ」
スケとカク、ツルケンへの『報復』に使ったパシリの2人組。
しかし、妙だ。あの2人にはこちらの所在など知り得る手段は無いはずだ。
使い捨てて終わりのつもりだったのだから、当然連絡先も与えていない。
「マジでいた! おい石動!」
石動と目があったスケが叫ぶ。
「何でテメェらがここに……」
「んな事はどうでもいい! 何だよあの坊主頭は!」
「…何?」
よく見ると、スケとカクはボロボロだ。何度も何度も転んだ挙句にブロック塀に頭から突っ込んだ様な具合のボロボロ加減だが、それは無いだろうから……
「鶴臣に反撃をくらった……?」
そんな馬鹿な。あの堅物坊主頭が、不良相手の自己防衛のためとは言え、手を上げるとは思えない。
あの男なら最後の最後まで、それこそズタボロにされた後でも、争いを回避する道を選ぶはずだ。
この2人がバカ正直に正面から襲撃したのだとしても、逃げられる事はあっても返り討ちはおかしい。
何故スケカクがここに自分がいると知っていたのか、それは気になるが、そんな事よりツルケンの事が気になる。
何せ、ツルケンを再起不能にすることこそが『今の石動』に取って最優先される目的なのだから。
「本当に鶴臣だったのか? 別の奴と間違えたんじゃねぇか? 襲う前に確認はしたのか?」
「ちゃーんとしたらしいわよん」
「!?」
横から差し込まれた女性の声。
声の方向、廃車の塔の上で仁王立ちする偉そうな女。
「あいつは……」
確か、2年の桐谷だ。校内行事では何かと目立つ事をするお祭り女。
「ここまで来たら、立派な自白だよな」
その塔の根元には2人の少年。
片方はキューピッドというあだ名を持つ、ちょいチャラ系の男子。
もう片方は……
「鶴臣……!」
「……」
信じられない事態に直面した様、ツルケンの表情は、そうとしか言い様が無い物だった。
「あっちの金髪は誰かしら。高い所で偉そうに…ねぇ童助」
「ああ、テメェは人の事言えねぇよ、ニコ」
しかしまぁ、ニコの思い通りに行き過ぎて気味が悪い。
ニットの天貸観測で石動の所在を掴み、スケカクをツルケンのところへ向かわせる。
当然どこであれ、石動は「何故ここに?」と問うだろうが、「そんな事はどうでもいいんじゃーい」と勢いで突っぱねて、「ツルケンに返り討ちにされた」というニュアンスを伝えれば、向こうは多少なりに反応を示すだろう。
その反応を見れば白黒一目瞭然。
クソ用心深く、勘も非常に鋭い者なら、こううまくはいかなかっただろうが、石動は所詮高校生。
ニコの姦計を狂わすほどの慎重さは持ち合わせてはいなかった。
「さーさー証拠は出揃ったわ! スケさん、カクさん、やっておしまい!」
「おうよ! …って、俺らこいつに1回シメられてんだよ! 無理!」
そうだ、まだ謎は残っていた。
ツルケンによると、石動はケンカ慣れしたバカ2人を黙らせる程ケンカは強く無いはず、らしい。
野球部内で行われた全力腕相撲ロワイヤルでも、ツルケンにギリ負ける程度の膂力だったそうだ。
もっとも、ツルケンが把握している石動がどこまで本当かは怪しいものだが。
しかしまぁ、俺も同意見だった。
石動の拳は人を殴りなれている様には見えないし、荒々しい気性を感じさせるオーラは無い。
今の石動から感じるのは、ひたすら実直な不気味さと、言い表し様の無い、小さな違和感の様な物。
異物感、とも言えるかも知れない。
この世界にあるべきでは無いモノ……そんな感じがする。
「ま、冗談はこれくらいにして、スケカクコンビは下がりなさい」
廃車の塔の上から俺の隣に降り立ったニコは、珍しくマジ顔だった。
ニコも石動から異質な不気味さを感じているのだろう。
「……もしかして、アヤカシ絡みか?」
あの不気味さ、アヤカシが常識の一部である俺は、第一にアヤカシ絡みではという発想に至る。
「うーん…何か違うかなぁ…」
ニコの直感を以てしても曖昧な答えすら出せない。
「あーはいはい、とりあえず面倒だね、これ」
「そうだなレッサーノさん…仕方ねぇわな。……幸い、ここだったら『処理』も楽そうだし」
石動が放つ違和感の様な不気味さが、爆発的に増大する。
まるで、何かが一気に吹き出した様に。
「「何も知らなきゃ、鶴臣1人潰して終わりだったのによ……」」
石動の口から放たれる、2つの声。
1つは石動の物。もう1つは少女を思わせる。
異質だ。
アレは、ヤバイ。
俺は瞬時に悟った。
向こうは、どうやら俺達を全員『処理』するつもりの様だ。
いくらニコと言えど、得体の知れない相手に突然殴りかかりはしないだろう。
では、いつも通り、こっちで『処理』させてもらう。
襲ってくる者は適当な不幸で屈服させる。俺の不戦必勝スタイル。
『厄運送り』を起動させる。標的は石動。
「んおぉ?」
石動に「レッサーノ」と呼ばれていた金髪パーマ。
彼が座る廃車の塔、根元の車にガタが来たのか、グラグラと揺れ始め、そして、
「「んなっ…」」
石動目掛け、倒れかかった。
レッサーノはギリギリで跳ね退いた様だが、石動は完全に下敷きだ。
「ああぁ!?」
仕向けたはずの俺の方が驚きの余り短く叫んでしまう。
「ちょっ…童助!?」
やり過ぎだ。ニコすら驚きを隠せないご様子。
「嘘だろ…だって俺は」
厄運送りには段階がある。
俺が自己防衛にいつも使う『ちょっとした不幸』から始まり、『中々の苦痛を伴う不幸』『人生に大きな影響が出る不幸』『自殺が視野に入る不幸』『天災が絡む程の大不幸』と言った具合に。
相手の価値観で『不幸の内容』は変化するが、石動に向けたレベルなら、普通は何度もコケるとか、犬のクソを踏むとか、その程度のはずなのだ。
考えられる可能性は2つ。
1つは、俺の操作ミス。
もう1つは……
「「あー、痛ぇー」」
「っ……」
石動が廃車に潰された。
それだけで絶句硬直していたツルケンやスケカクの3人に取って、最早夢だと思える怪奇現象。
ツルケンは河童云々で多少のオカルト経験はあったものの、その程度の経験では現状を受け入れられる程、オカルト耐性は出来ていなかった。
俺とニコですら、受け入れがたい光景だ。
石動が、己にのしかかる廃車を軽々と持ち上げ、立ち上がったのだ。
「「ついてねぇなぁ、俺も……お前らも」」
もう1つの可能性。
石動に取って、「廃車に潰される」という不幸は、常人で言う「転んで膝をすりむく」程度の苦でしか無い、という事。
「んな馬鹿な……!」
どう考えても、人間のスペックでは無い。
「「さぁて……晴屡矢のエースピッチャーである俺の豪肩、味わってもらおうか」」
石動が、動く。
廃車を片手に乗せたまま、オーバースローフォーム。
「じょ、冗談キツくない!?」
放られる、巨大な鉄塊。時速100キロは下らない速度で、俺達に襲いかかる。
俺はツルケンを、ニコはスケとカクを押し倒しながらそれを何とか回避する。
しかし、次の瞬間だった。
それは、まさに一瞬の出来事。
ツルケンと倒れ込んだ俺が、追撃を警戒しガバっと身を起こした瞬間。
「あッ……」
ドスッ、という重い音で、それは俺の横腹に突き刺さった。
肋骨を砕き、肉を裂き、臓器を破損させ、そのまま俺の体を薙ぎ払うように吹き飛ばしす。
まるでカンフー映画か何かのワンシーンの様に、俺の体が車にめり込む。
「ッ…あ……ぐ…?」
悲鳴が、出ない。
痛みは無い。
車に叩きつけられた痛みさえも、何故か感じられない。
ただただ腹回りが熱い。まるで腹の底から熱湯が湧き出ている様な…
一体、何が?
確認して、俺は後悔した。
俺の脇腹には、空き缶サイズの鉄塊が、深々と突き刺さっていた。
廃車の塔が崩れた衝撃で分離した破片を、石動が狂気的強肩で放った砲弾。
「………っ……ァ…」
言葉にならないどころか、息すら吐けない。
現状を理解した瞬間、
俺の意識は暗転した。
「童助ェッ!!」
咆哮に近いニコの叫び。
童助の耳には、もう届いていない。
「「キューピッドが妙なチカラを使うってのは聞いてるからなあ……最初に死んどけ」」
「……っの、クソハゲぇぇぇぇぇぇぇ!!」
短距離走世界新を叩き出しそうなニコの突進。
その目には、かつて無い程の憤怒。
それでも、彼女は冷静に行動している。
本当は、すぐにでも童助の元へ駆け寄り、その状態を把握し、打てるだけの手を打ち尽くしたい。
しかし、石動に背を向けて童助の元へ行けば、2人まとめて廃車の砲弾に潰されるだけ。
だから、10秒以内に石動を排除し、童助の元へ向おうと判断したのだ。
「「はっ! 凡人がエースの俺に敵うかよ!」」
片手で近場の廃車を掴み上げ、石動が笑う。
「「オラァ! 3球目だ!」」
放たれる、悪意の鉄塊。
しかしニコは前進する足を止めない。首から下げたロケットの鎖を引きちぎる。
昔、童助がくれたロケット。
ただの装飾品では無い。
常に身につけている物なので、祖父が「念のため」と護身用の陰陽術をこれに施してくれている。
ロケットを握るニコの手が淡く光る。
そして、飛来する廃車へと、光る拳を突き立てた。
直後、バゴァッ!という爆音。廃車と拳の狭間で、爆発が発生したのだ。
廃車が原型すら残さず弾け飛ぶ。
まるでロケットミサイルでもぶち込まれたかの様な、無残な崩壊。
「「え?」」
理解が追いつかず、石動の動きが止まる。
殴った対象に強烈な爆風を叩きつける、それがニコの『ロケットパンチャー』。
元々破壊的で強烈なニコのパンチに、この術の恩恵が加わる事により、殺人的な一撃へと昇華する。
「死ね」
異様な程に感情を殺したニコの言葉。
特別殺意を込める必要すら無い。
この男は、殺されて当然の事をした。
ニコの淡く光る拳が、石動の顔面へと突き刺さる。
石動の顔面は大きく変形し、直後の爆風に煽られ、スーパーボールの様に夜空へと跳ね上がった。
「「ふぶぁぁぁぁぁあぁッ!? …あぁぁあぁぁぁぁ……」」
廃車の上に落下した石動の体。
動く気配は無いが、息はある様だ。
並の人間なら即死レベルの一撃だったが、やはりあの石動は何かしらおかしい。
まぁ今はそんな事どうでもいい。
「っし、童助!」
石動のKOを確認し、ニコは童助の元へ走る。
ツルケン達が何かしら手当をしようと近づいていたものの、一高校生に処置できる傷では無いのは一目瞭然だ。
ツルケン達を押しのけ、ニコが状況を確認。
……生きてはいる。ニコは安堵の溜息を吐きつつも、思考は止めない。
どうやら童助が最初にかけた『厄運送り』まだ効果を発揮していた様だ。
石動に取っては『不幸な事』に、童助は死んではいなかった。
童助に取っては不幸中の幸いだ。
しかし、喜んでもいられない。
「……心拍がおかしい……!」
出血と激痛のショックで、心臓痙攣、心室細動を起こしている。
傷の大きさの割に出血量が減ってきている。心臓に異常をきたして血液循環が上手く行っていない証拠だ。
「童助! 童助!?」
ニコの声に反応は無い。
「お、おい、やばくないか!?」
「黙ってなさいスケ!」
「お、俺はカクだ」
「救急車を……」
「お願いねツルケンくん。バカコンビ、手を貸しなさい!」
まずはスケカクの手で応急的な圧迫止血を行う。
鉄塊はちゃんとした施設で抜く必要があるので今は放置。
心室細動の最善の解消法はAEDによる除細動だが、AEDを調達しに行っている暇は無い。
現状、手動による心肺蘇生しか無い。
ニコが心肺蘇生を始めようとした時だった。
「はーいはいはい。無駄じゃないかな?」
「!」
すっかり忘れていた、金髪パーマの男、レッサーノの声。
「それなりに知識はあるみたいだけど、知識だけで処置出来る容態じゃないっしょその子。……まぁ最善の応急処置して、すぐにでも病院に運べば希望はあるんだろうけど……」
レッサーノは半身で振り返り、顎である方向を示す。
そこには、廃車の上でノビてる石動。
「まだ、終わって無いからねぇ……エクソシストか陰陽師のおねーさん」
「!」
ニコのロケットパンチャーを見て、陰陽師かエクソシストだと判別したらしい。
つまり、この男は「知っている人間」。
そして、レッサーノの言葉通り、終わってはいなかった。
「「ああぁぁ…あ」ああぁぁぁぁ…」
失神した石動の体から溢れ出す黒い異物。
それは集約し、膨張。
「俺の『レビィアタン』は、ただの『アビス』とは訳が違うぜ?」
「アビスって……あんた、まさか…」
アビス、祖父のメールで知った、とある生物の名称。
人の心に潜り込み、様々な影響を及ぼす。『沈界』の住人。
沈界の生物であるアビスをこの人界に持ち込めるのは、とある組織のみ。
「ES・スクールの『教え子』、レッサーノだ。はいはいはい、じゃ、レポート用の実験の邪魔してくれちゃったお礼に第2Rと行こうか」
石動から溢れ出て巨大化した黒塊は、やがて巨大な獣へと姿を変えた。
「なっ…」
祖父からのメールにはこうも書かれていた。
アビスは人間と大差無い容姿であり、心に潜るという生態以外は特別な何かがあるわけでも無い、戦闘能力は決して高く無い非力な生物だと。
これのどこが人間と大差無い容姿だと言うのか。
頭から尾にかけて鯨の様なフォルムの巨体に、犬の様な足が合計6本。口には牙が並び、2つの目には無数の眼球。
この『レビィアタン』と呼ばれた生物は、化物というに相応しすぎる容姿を持っているでは無いか。
ニコは知る由も無いが、先程レッサーノが言った様に、この生物はただのアビスでは無い。
沈界には、アビス以外にも『アトゥロ』と呼ばれる破壊的な生物がいる。
アビスとの生存競争の末、絶滅寸前まで追い詰められたアトゥロだが、アビスとの相性が悪かっただけで、決して弱くは無い。
レビィアタンは、アビスとアトゥロのハーフ。
アビスの生態とアトゥロの戦闘能力とそれを引き出すに足る肉体を兼ね備えたハイブリッドな生物。
そんな事はニコは知らない。だが、とにかく1つ合点が行った。
このレッサーノという男はES・スクールのメンバー。
レビィアタンは恐らく、潜り込んだ人間の妬みや嫉みを増幅する特性を持っているのだろう。
それが、石動を狂わせた。
石動が抱えていた、投手としてのツルケンへの小さな嫉妬を過剰に肥大化させ、抑えを効かなくした。
そして嫉妬を増長された石動は暴走気味に、ただただ己のポジションを奪ったツルケンへ、報復の矛先を向けた。
レッサーノは発言から察するに、ES・スクールでも下っ端な人物。
上の者から与えられた課題のために、石動にレビィアタンを入れたのだろう。
まるで夏休みの自由研究で蟻でも観察する様な感覚で、レッサーノは石動の様を眺めていた。
「はーいレビィ! 俺の邪魔したこのバカ共を、サクッとプチッとぶっ潰すんだ」
「「ボォォォォォォオオォァァアアアアアアアァァァァッ!!!!」」
巨獣の口から響く二重の咆哮。まさに獣の様なそれと、少女の可愛らしい声が混在する。
「っ…」
直感の優れたニコにはわかる。
この怪物はロケットパンチャーだけでは対処出来ない。
ツルケンもスケカクも、もはや絶句という表現すら温い状態。
童助は一刻を争う容態だと言うのに…
祖父に助けを求めても、到着まで持たせられない。
状況は、絶望的に最悪だ。
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