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キューピッドと呼ばないで!

須方三城

6,不穏の胎動

沈界しんかい』。


 そう呼ばれる、暗く、深く、闇という大海に沈みきった世界。


 空は黒く、天体も全て黒い。
 空を見上げてもどれが星なのか、そもそも星など存在するのかも分かりはしない。


 別名『朝を殺した夜ディープトレッチ』。


 時間的におそらく真上にあるであろう太陽を見上げ、少女は黒い草原を歩く。


 彼女はある種族であり、また別のある種族でもある。そのせいで、どちらの種からも疎まれていた。


 退屈だ、と少女は心の中でつぶやいた。
 幼い彼女には、沈みきったこの世界はあまりにもチープに思えて、物足りない。


 全部、黒黒黒黒黒、芸が無い。
 己の金色の髪も、この永遠に続く闇夜の中では褪せて見える。


『アビス』と呼ばれる種の母は言っていた。「世界はひとつでは無い」と。
『アトゥロ』と呼ばれる種の父は言っていた。「他の世界は光に溢れ、鮮かだ」と。


 だから、


「あーあー、はいはい、クレアさんから聞いちゃいたが、本当に暗いねぇ。でも物は見えるというか感じれる…不思議だねぇ『沈界』。……お! お嬢ちゃん、もしかして『アビス』?」


 だから、私はこの男に協力する事にした。


 別に、この男の目的に興味は無いけれど、その男は、約束したから。
 私に光を見せてくれると。










「あ~、負けちゃった」


 8月上旬、ニコの家。


 日本の平均的民家の通常の3倍以上の敷地面積を誇る和風の豪邸。
 その邸宅にある無数の和室の1つがニコの自室だ。


 可愛い系からグロカワ系まで守備範囲の広いぬいぐるみ群。巻物的古書から少年・少女漫画とバリエーションに富んだ書物の類。畳の上にカーペットを敷くという暴挙。和室に似合わない大きなベッド。
 部屋主の大雑把さが前面に押し出されている。そんな感じのニコの部屋。


 ほとんど全裸と言っていい有様のニコが、テレビの前でぐでーんと崩れ落ちた。
 クーラーはビンビン稼働中だが、ニコとしてはほぼ下着のみの姿が夏の正装らしい。


「辛敗だろ。それにツルケンは悪い内容じゃなかった」


 俺はとりあえず画面の向こうの野球少年たちをフォローしておく。
 俺達が見ていたのは夏の甲子園大会2回戦、第2試合の生中継だ。


 1回戦3-0をで勝ち抜いた豪腕高校生ツルケン擁する晴屡矢高校野球部。
 ツルケンが自身最速151キロのストレートを放ったり、滝の如く落ちるキレ抜群のフォークを駆使してノーヒットノーランを達成した。おかげでニュースや特集番組で大きく取り上げられ、ツルケンは一躍スターになっていた。


 しかし、ツルケンの力だけでここまで来た感は否めず、2回戦、沖縄代表との試合で今まさに0-1の辛敗を喫した。
 まぁ、本来なら晴屡矢は「甲子園出場は難しい」と言われてきた中堅高校だったのだから、充分大金星だろう。


 春に期待だ。


「沖縄代表かぁ……兄ちゃんは喜んでるんだろうなぁ……」


 ニコの兄は現在、一般家庭に婿入りし、その嫁さんと沖縄に移住している。
 たまにマンゴーとかパインとか送ってきてるらしい。


「それにしても、私に応援されておきながら負けるなんて、なってないわ! 誰が苦労して骨折直してやったと思ってるのかしら!」
「苦労してたのは主に俺だけどな」


 お前が支払った労力と言えば、ド○キで妙なモン買ってきたくらいだろう。
 俺が呆れ果てていた、その時だった。


 突然襖が開く。怪奇現象とかでは無く、人が開けたからだ。


「どーもー、って感じ?」
「カーンージー?」


 暗いトーンの女性の声と、人外の様な奇妙なトーンの声。


「あんたは…!」


 襖を開けて現れたのは、1羽のオウムを肩に乗せた一人の女性。
 黒い長髪はボサボサ、目の下には濃い隈。喪服の様な黒一色のコーディネート。全ての指にはめた指輪まで真っ黒だ。本来ならそこそこ美人クラスの容姿なのだが、本人の美への無関心さがそれを蹴り壊している。


 本名も、年齢も、何もかもが不明。それがこの女性の簡単なプロフィール。


 俺達は、もう少しだけ彼女の情報を持っている。
 彼女の異名は「守切鵡使カミキリムシ」。ニコとは一応だが血縁関係がある、らしい。ニコの祖父の弟子でもある。


 そして、ニコはこの人が滅茶苦茶嫌い。


「何開けてんのよ」
「閉じてたから開けたのよ」
「ノーヨ!」
「そのオウムを黙らせなさい!」
鸚鵡オウムにあたるなんて情けないと知りなさい」


 ふぅ、と守切鵡使はやれやれと言わんばかりにため息。肩のオウムもそれに習う。


 ふと、守切鵡使はテレビの向こう、仲間と悔し涙をこぼすツルケン達に目をやる。


「敗者には何も無い、嫌なら勝つべきだと知りなさいな…と、この画面の向こうの若さだけが取り柄の連中に言ってやりたいわね。そう思わない?」
「ナ~イ?」
「思うけど、あんたと意見かぶるのヤだから思わない!」


 趣味の悪さが笑えない守切鵡使に対し、俺は何も言わない。
 正直、俺もこの人は苦手だ。性格云々より、この人にただよう雰囲気が。


「っていうかレディの部屋に入ってくるな!」
「少なくともそこの半端物のアヤカシもどきよりはレディなのだと知りなさい。まぁ、つまり、そいつがOKで私がダメというのはいささか納得が行かないという事を知りなさい」
「シリナー!」
「私の匙加減よ!」


 あっそ、と守切鵡使は再度ため息。


「ま、趣味の悪い私と言えど、アヤカシのいるような部屋に好き好んで入り浸る趣味は無いと強く知りなさい。私はただ、あなたのお母様があなたのお兄様がよこしたマンゴーを切ったから、一応呼びに来てあげただけよ」
「チョットダッケヨ~ン!」


 ちょっと個性を混ぜてきたオウム。しかし誰一人相手にしない。


「いらない!」
「そう、じゃ、以上よ」
「イジョー!」


 守切鵡使が閉めた襖に向かって思いっきりべーっと舌を出すニコ。


「本当に仲悪いな。一応親戚なんだろ?」
「あの女は何か嫌なのよ! あといちいち嫌味くさいし!」


 守切鵡使は普段、ニコの祖父と共に幸守神社に住み、陰陽師として修行していると聞いた。しかし、結構頻繁にこの家にやって来るらしい。滞在目的は不明だそうだが。加えて、一度来るとしばらくいるとの事。


「あーもう、あの女がいると思うと気分が悪い」
「そこまでかよ……」


 いくらなんでも言い過ぎでは無いだろうか。
 前から疑問に思っていたが、ニコは不自然な程に守切鵡使を嫌う。


「とにかく、童助ん家に避難開始」
「ちょっと待て、家に来るだけだとしても、外に出るんならまともな服を着ろ」


 ニコの下着姿に慣れすぎて、その姿に違和感を感じなくはなっているものの、流石にほぼ全裸の女を外へと連れ出す程、俺の常識は壊れていない。








 8月中旬、夢破れ、甲子園から戻ってきた晴屡矢高校野球部。
 その野球部のベンチピッチャーだった男、石動いするぎ


 3年生だった石動に取って、今年が最後の夏だった。
 そのラストチャンスで、彼は甲子園の土を踏むことが出来た。


 まぁ、マウンドに立てたのは3イニングだけだったが、それでも良い思い出だ。


 そんな石動は少し涼しい夜の公園にいた。他に人影は無い。
 こんな時間にこんな小さな公園に来る者などいないだろう。
 いるとすれば、居場所の無いホームレスか、ホテル代の無い発情カップルかくらい。


 なら何故石動はこんな所にいるのかというと、姉にパシらされた帰り道だ。この公園を突っ切るのが近道なだけ。


 ゆっくり歩きながら、少し思い出に浸る。あれは、夢の様な時間だった。
 マウンドに立っていた時間は長くは無かったが、とてつもない体験だった。


 世界70億人の人間の内、何%がそこに立った経験を持っているだろうか。
 レギュラーをツルケンに取られたのは正直悔しかったが、それは己の力不足が原因だし、最後の夏に甲子園まで行けたのは、ツルケンのおかげだ。


「まぁ、ツルケンには御の字だよな、ホント」
「本当にそう思ってるの?」
「あ?」


 声は、石動の頭上から。
 幼さの残る少女の声。
 眉をひそめながら上空を見上げると、満月を背に小さな女の子が宙に浮いていた。


 外見から判断すればまだまだランドセルが似合うお年頃。
 外人らしい顔立ちをしている少女は、貴婦人の様なドレスに身を包んでいた。中世ヨーロッパのご令嬢、って感じか。


 ただ、おかしいのは外見の時代錯誤感だけでは無い。


 さっきも言ったとおり、浮いている。空から見えない糸で吊られているように、ポツンと。


「…………」


 石動はとりあえず目を閉じ、ゆっくりと開けてみる。
 少女は、目と鼻の先にまで迫っていた。


「どぅわっ!?」


 思わず後退する石動。


「驚きすぎ。落ち着きなよ」


 少女は笑う。顔面全体に悪意を広げる様に、にっこりと。


「そいつでイケるのか?」


 さらに、後方から男の声と足音。
 少女は皿に盛られたお菓子の山でも前にしたかの様にゆっくりと舌なめずり。


「ええ、潜在的にだけど、『潜る』には充分な『隙間』があるわ」


 何かがヤバイ。石動はとにかく逃げようと回れ右。
 そして初めて後方にいた男を目視する。


 日本人らしいが、金髪パーマな男だ。


「はーいはいはいはい。コンバンワ、おにーさん」


 金髪パーマはごく普通の笑顔で挨拶。


「何だよ……あんたら……!」


 少女の方はもちろん、この男もなんかヤバそうだ。


「はいはいはい、警戒しなくていいんだぜ、おにーさんよ。別に俺らは世界征服を目論むピュアな悪の組織って訳じゃない。だからおにーさんを拉致ってバッタ風に劇的アレンジとかはしないからさ」


 金髪パーマは笑みを崩さない。
 少しでも良い印象を与え、隙を見てぬるりと絡めとろうと姦計しているのだろう。


「『レビィ』が食いついたって事は、はいはい、あんたはいいよ。すごくいい」


 とにかく、不審者である事は間違いない。そう判断し、逃げようと動いた石動の腹に、重い衝撃が走る。


「っ………はぁっ……!?」


 金髪パーマの拳が、石動の腹に深く突き刺さっていた。
 殴り合いのケンカに慣れのない石動に取って、失神してもおかしくは無いヘビーブロー。


「逃げようとしたでしょ。はいはい、話は最後まで聞くもんだぜ、おにーさん」


 逃がしはしない。金髪パーマは暗にそう告げる。


「ゲホッ…ぁ……か……」


 鈍い痛みがジンジンと続く。立っていられず、石動は膝を付いた。


「危ない事は何も無い。安心安全最高素敵。そんな実験の、『素体』になって欲しい。そんだけだよ」
「「それじゃあ、イくわよ」」


 少女の声に、地響きの様な低い声が重なり、奇妙な二重音声になる。


「はいはいはいはい…始めようぜ『感情の解放』を」


 日常の裏側。平穏の陰で、そいつらは静かに動き始めた。





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