キューピッドと呼ばないで!

須方三城

5,ツルケンの幸運



 果肉のお願いから1週間程が過ぎ、すっかり梅雨ど真ん中。
 土砂降りの雨が降る通学路を、ツルケンは傘をさして歩いていた。


「……今日は筋トレか」


 野球部の雨の日の練習メニューを思い浮かべる。
 そして、首から吊り下げた己の右腕に目を落とす。


「……もどかしいな……中々」


 昨日は高野連主催の地区大会、つまり甲子園大会予選の1回戦だった。
 3―2で晴屡矢の辛勝。
 仲間が泥まみれで歯を食いしばる姿を、ツルケンは応援席で叫びながら眺める事しかできなかった。


 投げたい。キャッチャーミットに向かって、全力の白球を。
 マウンドの上で仲間と戦いたい。


「よう、ツルケン」
「!」


 後方から声をかけてきたのは、野球部3年生のピッチャー、石動いするぎ拓麻たくま
 ツルケンが入るまで晴屡矢はれるやのエースだった男。
 ツルケンの負傷により、エースに返り咲いた。


「……拓さん」
「腕、間に合いそうにないのか?」
「…はい」
「……早く治してくれよ」
「……え?」


 意外な言葉だった。


「俺にもプライドがあんだよ1年坊。ライバルが怪我で脱落したんでエースに戻りましたって、釈然としねぇにも程がある」


 それだけ言って、石動はさっさと行ってしまった。


「……ありがとうございます……」


 ツルケンは、少し立ち止まる。傘から左手に伝わる雨の感触。ザーッという音。


 ライバルとしての激励、嬉しい限りだ。
 でも、今夏中の完治は絶望的。


「……クソッ」


 ツルケンにしては珍しい、乱暴な言葉。
 それほどに悔しい。自分がもどかしいだけでなく、仲間の期待にも応えられない事が。


「おい、そこのド短髪」
「………………………」


 俺の事か? と突然聞こえた幼さの残る声に、ツルケンは振り返る。


 そこには、大きな葉っぱを傘代わりにした、妙な服装の幼い少年がいた。
 100年は着古した様なボロい甚平に加え、頭の上には醤油皿っぽい小皿がちょこんとのっかている。


「お前、親切か?」


 妙な少年の妙な問。とてつもなく偉そうなちびっ子だ。


「道が聞きたい。『ジンカイ』はよくわからん」


 ジンカイってなんだ? と思いつつ、ツルケンはとりあえず「いいぞ」と返答。


「この辺に幸守さちのもり神社という社所があると聞いた」
「ああ、それなら……」


 ツルケンは子供でもわかりやすい様に道順を説明する。


「…以上だ。だが、あの神社は一般には開放されていない私有地だぞ」


 何か伝統のある神社らしいが、今はその神社のある山が丸ごと立ち入り禁止だ。
 噂では化物や霊の類がわんさか出るとか。


「ま、人間に開放してても意味ないだろう。話によれば、そこに行けば『ヨウカイ』への道を作れる『オンミョージ』がいる」
「ようかい?」
「あー、わからん奴は聞くな。説明がメンドイ」


 偉そうな少年は、ふとツルケンの腕に気づく。


「…その腕、悪いのか?」
「ああ…骨が折れている」
「何だ、その程度か」


 まるでカスリ傷で大泣きするガキを相手にするかの如く、少年はスッパリと切り捨てる様に言う。


「ふむ、まぁこの雨で気分も良い。親切の駄賃をやろう」


 少年はふところから小さな巾着を取り出し、軽くツルケンに放った。
 ツルケンは傘の柄を掴む手の人差し指と中指だけでそれを上手くキャッチする。
 傘を頬と肩で支え、自由になった左手で巾着の中身を検めると、そこには閉じた小さな2枚貝が1つ。


「……貝?」
「中には軟膏が入ってる。ちょん切れた腕も綺麗さっぱりつながる一品だ。骨折り程度、刹那に治る」


 当然、そんな話をツルケンは信じない。


「何だその目は。人間は『ねっと』とやらで物事をすぐに調べられるのだろう?『河童の妙薬』だ。調べてみろい」
「カッパ?」


 ツルケンが口にした時には、もう目の前から少年の姿は消えていた。


ながれ


 声は、後方。いつの間にか、少年はツルケンの背後にいた。
 ツルケンに背を向け、目的地へと向かいながら、少年は告げる。


「『河童』のながれだ。まぁ、記念に覚えておけ。河童に親切して妙薬を授かる人間は、とてもとても『運が良い』」
「…まさか、本当に…」


 幽霊の様な消失と出現。
 流と名乗る頭に小皿を乗せたこの少年は、人間じゃないかも知れないとツルケンは実感する。


「じゃあな、親切な、らっきーぼーい」


 次の一歩で、流は雨に溶けるように消えた。
 流という自称河童との出会いは、ツルケンに取って、まさに『幸運』だったと言えるだろう。






 今朝の雨が嘘の様な快晴。
 その日差しは、まるで彼の復活を称えるように世界を照す。


 水ハケの悪いグラウンドの中で、まるで誰かを待っているかの様に、マウンドだけは綺麗に乾いていた。
 そこに立つのは、白いユニフォーム姿のツルケン。
 左手にはグローブ、振り上げた右手には、白球。


 放たれる、白い砲撃。
 ズパァンッ!! という心地よい快音と共に、キャッチャーのミットへと着弾。


「……130キロ強、といった所か」


 コントロールも甘い。確実に鈍っている。


「ブランクは全力で取り戻す…!」


 それを見て、石動を含む野球部員達は呆然。そりゃあ数時間前まで骨折していた右腕が大砲と化しているのだから、無理もない。






「……すごい……」


 少し離れた木陰から、俺と果肉は気迫溢れるツルケンの投球練習を眺めていた。頭上の木の枝にはニコも転がっている。


「河童の妙薬、そう言ったのね」
「ああ、話聞いたら、流ってチビッ子にそう言ってもらったってよ」
「おじいちゃんから裏も取れたわ。今朝、ハナさんよろしく人界に迷い込んだ河童が訪ねて来たって」
「……その……河童の妙薬って…?」
「河童は知に富んだアヤカシ。妖薬のスペシャリストよ」


 数多の妖怪伝承にも、河童の作り出す妙薬は度々登場する。
 まぁ主にその薬を使用するのは、人間にイタズラして反撃を喰らい負傷した河童自身だが。


「しっかし、呆れるわね。座敷童の力は。アヤカシを呼びつけるなんて。で、本当に目覚めたの、童助?」
「俺は何も変わっちゃいねぇよ」


 え? と疑問を持つニコに、果肉が補足する。


「『おまじない』の…おかげ……です」
「おまじない?」


 果肉が取り出したのは、急ごしらえ感丸出しのノートの切れ端で作られた御札。
 表面には意味有りげな図形が並び、「桃苺巳柑」の名も記されている。


「………何これ?」
「『座敷童に伝わる、願いが一生に一度だけ叶う妖符ようふだ』。な、ニコ」


 察せ。勘の良いお前なら、充分伝わるだろう。


 俺の言いたい事はきっちり伝わったらしく、ニコは笑った。


「……やるじゃん、キューピッド」






 これは、座敷童の子から子へ語り継がれる妖符術、ま、いわゆるおまじないって奴だ。
 これに名を書いた者がこの札を肌身離さず持ち歩くことで、一生に一度だけ、その者の願いが叶う。
 え? 『表裏返しリターンハート』が発動したら?
 …え、えーとだな…それは、アレだ。安心しろ、『表裏返しリターンハート』は発動しない。
 何でって……そりゃあ…、あ、アレだよ。優先順位的なアレだよ。
 とにかく! お前は「ツルケンの腕が治って欲しい」そう願ってればいいんだ。






「苦し過ぎ。よくそんなんでこんなデタラメ信じてもらえたわね」
「うるせぇ」


 夕方、俺とニコは旧校舎の裏庭にたむろしていた。
 ニコは木にもたれ、妖符(笑)をヒラヒラと揺らす。


「座敷童がそんな妖符をこしらえる理由は無いし、一生に一度ってどういう制約よ。命でも削るの? 優先順位的なアレって何? 後半理屈ぶん投げて勢いだけじゃん」
「とっさに考えたんだよ! いちいちつっこむな!」


 そう、おまじないなんて、口からでまかせだ。
 果肉に「ツルケンの腕の回復」を願わせるための詭弁。


「ま、発想の転換って奴よね」


 俺の策は、思いついてしまえば実に単純明快な物。
 ただ、対象を変えただけ。


天使の祝福キューピッドサイド』をツルケンでは無く、果肉に向けた。


 果肉は「『表裏返しリターンハート』の発動」を「不幸な事」だと解釈している。
 自分の望みを踏みにじる体質なのだから、当然の解釈だろう。
 つまり「『天使の祝福キューピッドサイド』で与えられる幸せ」に「表裏返しリターンハートの不発」が入る。


「まさか、アヤカシの体質をアヤカシの体質で封殺するなんてね」


 俺の恩恵がある限り、果肉に取って不幸である「表裏返しリターンハートの発動」はありえない。
 そして、俺は『天使の祝福キューピッドサイド』のON/OFFを自意では切り替えられないため、1度発動してしまえば、俺が死ぬか、果肉が自分の体質と前向きに付き合える様になるその日まで、この恩恵は続く。
 果肉が「ツルケンの腕の回復」を願っても、『表裏返しリターンハート』がそれを歪める事は無い。
 それと同時に、「ツルケンの腕の回復」が、果肉に取っての「幸せ」の一つとなる。


 果肉の幸せを実現する事で、間接的にツルケンの腕を治したのだ。


「ま、いい作戦だったんじゃない? 無事成功した訳だし」
「……ああ」


 俺のテンションが若干低めな理由は少し考えればわかるだろう。
 俺が幸せにできるのは、恋心に達する程の好意を寄せる相手。
 つまり……


「……巳柑ちゃんにメロメロ~って感じ?」
「そ、そこまでじゃねぇよ!」
「顔、赤いけど」
「うるせぇ!」


 自分が惚れやすい質であることは前々から自覚していた。
 何せ、「笑顔が可愛い」というだけで散々ときめいて来たのだから。


 初恋のあの子も、好きになったきっかけはその可愛らしい笑顔だったし、好みじゃなかった子でも、夢中になったきっけけは素晴らしいその笑顔だった。
 元々俺は、私欲無しに俺を頼り、他人の幸せを本気で願える果肉に対し高い好感を持っていたし、その上笑顔が可愛いという条件を満たした。


 俺がこの案を考えてから自己暗示と脳内補正という名の妄想で果肉に恋心を抱くまで、そう時間はかからなかった。


 まぁ、なんにせよこの事を果肉には言えない。多分、あいつは超困る。


 あいつは、ツルケンが好きなのだから。
 きっとキューピッドの力で、あいつは近い内にツルケンから愛の告白を受けるだろう。


 その時、俺の想いは邪魔になるだけだ。


 果肉は優しい。俺の想いを知りながら、のうのうとツルケンとイチャコラ出来るような奴じゃない。
 果肉の幸せを望むのなら、俺は静観に徹するべきだ。


「失恋談、1つ追加ね」
「…………」
「あら、マジ凹み?」


 ニコはフフッと笑う。面白いことを考えた、そう言いた気に。


「まぁいいじゃん、なんなら…」
「なんなら?」
「私とか、どう?」
「え……」


 場の空気が一転する。


「私となら、失恋談には、ならないと思うよ」
「それって……」


 ニコが真剣な表情をした、と思ったのも束の間。


「本気にした? やっぱ童貞はチョロいね」


 ついつい邪悪さを感じてしまう無邪気なニコの笑顔。
 石化しかねない勢いで俺の体が硬直する。


 そりゃあ、失恋談にはならないだろう。まずこいつとは恋が成立しない。
 だって、俺は確信している。


 こんな笑顔の女には絶対惚れない、と。












 ……おかしい。


 ツルケンの腕が治って、もう1ヶ月以上が過ぎた7月中旬。もうすぐ夏休みだ。
 ツルケンをエースに、晴屡矢は開校以来4度目の甲子園出場を決めた。


 良かったねツルケン。でもおかしい。


 何でお前は全く果肉と接しないんだ? おかしいだろ? もうお前は果肉に告っていても良い頃だろ?
 付き合ってるならその距離感はおかしいだろ? どういう事?


 セミの声が騒音災害レベルの昼休み。
 耐え切れず、俺は果肉を屋上へと呼びつけた。


 未だにドアは放置されている。
 もうこの学校の管理に期待はしない方が良いだろう。


「……何か…?」
「何かじゃねぇ、どうなってやがる」
「……いや、…本当に何が…ですか?」
「お前、ツルケンの事好きなんだよな?」
「……はい…?」


 何を今更、と言いた気な果肉の表情。


「あの…ここに……初めて来た時、…言いました…よね?」
「へ?」
「…私、鶴臣くんの事、…もう好きだと思わない様に……してるって」


 そういや、言っていた。


「いや、でもそれは『表裏返しリターンハート』のせいだろ?」
「はい」
「なら……」


 待て、と俺は喉まで出かかっていた言葉を抑える。
 果肉の『表裏返しリターンハート』は俺の体質により封殺されている。


 でも、どう説明する?


 この説明は「俺はお前が好きだ!」と宣言する様な物。
 あ、でもツルケンの事諦めてるなら俺と付き合ってくれるんじゃ……
 アホか。こいつがツルケンの事を諦めてるのは『表裏返しリターンハート』があったからだろうに。


表裏返しリターンハート』が死んでいる事を知れば、果肉の中でツルケンへの想いを抑える物は無くなる。


 ダメだ。
 ツルケンと果肉は結ばれるのは結構な事だが、それなら果肉に俺の想いを知られる訳にはいかない。
 果肉は優しい。自分のために尽力してくれた俺の想いを知りながら、ツルケンとの青春を素直に謳歌できるタマじゃない。
 しかし、俺の想いを伝えるという形でしか『表裏返しリターンハート』が封じられている事を説明出来ないし、説明しなければツルケンと結ばれる事は無い。


 何だこのジレンマ。


「あの……なら…何ですか?」
「いや、それはだな…」


 もうどうすればいいのやら。果肉は優しいぞ。他人を傷つけないために孤独に生きる決意を固めてしまう様な奴だ。
 どうせなら最上級の幸せを掴んで欲しいのに、そのための過程がすごくネックになるというジレンマ。


「…あの、…大丈夫……ですか?」


 暑さで俺がイカレてしまったのでは、と心配している様だ。


「……保留だ」
「?」
「保留だ保留! 近い内にどうにかするから待ってろこの野郎!」
「え、…えぇ?……」


 俺は逃げる様に屋上を後にする。
 どうやって果肉に何の引っかかりも無く『表裏返しリターンハート』がもう発動しない事を伝えられるか、考えなくてはならない。…ノリであの妖符に「一生に一度」とかいう条件つけなきゃ同じ手が使えたのだが……


 ああ、やっと問題が解決したと思ったのに、新たな問題が発生してしまった。








 しかし、俺はこの時、気付いていなかった。
 残されている問題は、それだけでは無いという事を。
 そしてその問題が、自分すら欺く、俺自身の本性だと言う事を。





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