長政前奏曲~熱烈チョロインと一緒に天下布武をお手伝い~

須方三城

EX4,長政、帰る

「…………」


 俺の目の前で、お市ちゃんが安らかに寝息を立てていた。
 ……ああ、起きる寸前から感じていた安心感からしてちょっと予想は付いてたよ。


「……って、ここどこだ?」


 すげぇ広い。20畳以上はあるな。数えるのが面倒臭い。
 そんな広い部屋の真ん中に敷かれた布団に、俺とお市ちゃんは眠っていた。


 お市ちゃんを起こさない様に静かに上体を起こす。


 何か名物っぽい掛け軸やら屏風やらもある。
 かなりの上流貴族の私室……って感じか。


「俺……確か……」


 雪山で吹雪の最中、武田信玄と真剣勝負をしていたはずだが……
 俺の身体の傷は擦り傷程度、しかも適切に処置されていたおかげかもう完治寸前。
 派手な傷は負った傍から信玄に移してたからな。俺の軽傷なのは当然か。


 にしても、鬼神薊おにあざみをアホ程使ったのに疲労感が全く残っていない。


「……もしかして俺、超長い事眠ってた?」
「4日程だ」


 襖を開け、現れたのは武田信玄と……その後に続く、家臣らしき武士の青年。


「信玄……殿……」


 先日の平民の装いとは一転、豪壮な柄の上質な着物に袖を通した信玄。
 その腰には大太刀が吊るしてある。信長の時にも思ったが、大太刀は本来背負うモノだ。
 まぁ信玄程の大男なら腰でも然程違和感は無いが。


 状況から察するに、ここは信玄の居城か。
 あの真剣勝負……終盤の記憶がスッポリと抜け落ちているが、どうやら信玄が運んでくれたらしい。


「ちなみにあの黒いモノノ怪は道場の方で、ウチの兵士達と千人組手をしているぞ」
「あの暴れん坊め……って、信玄殿、もう平気なんですか?」


 俺の記憶が残っている限りだと、俺はあんたを致命傷寸前まで追い詰めたはずだが。
 信玄は何か超ピンピンしてる様に見える。


「ワシを誰だと思っている」


 信玄は平気だと言わんばかりに右腕をブンブン振り回す。
 ……あんたは本当に人間か。


「……そうだ、信玄殿」
「何だ」


 ちょっと混乱していたせいで、重大な確認事項を忘れていた。


「……俺、あの真剣勝負の最後らへん、記憶が無いのですが……」
「結果だけを言えば、貴様の負けだ」
「……!」
「貴様はワシの首に刃を当てる前に気を失い、立ち上がる事は無かった」


 ……薄々、予感はしていた。
 それでも、やはり希望は持っていたんだ。
 それが潰えた今、俺の胸の中に何かが広がっていくのを感じる。


 どうにかして別の方向から信玄を口説いてみるか?
 でもどうやって?


「まぁしょげる前に人の話は最後まで聞け」
「は、はぁ……」


 最後まで聞けっつったって……


「貴様が寝ていた間に、織田には同盟を結ぶ旨の文を送った。返答と謝辞も既にもらっている」
「…………へ?」


 あれ、俺、負けたんじゃ……


「貴様の事は、9割気に入った」


 悪戯小僧の様な笑みを浮かべ、信玄が語る。


「覚えていないだろうが、貴様との勝負の最中、1度だけだが、ワシは思わず後ずさりをしてしまったよ」
「後ずさりって……」


 俺が、信玄を気圧したと言うのか……?


「貴様が気絶する直前だ。あの時の貴様の目は、恐ろしく、そして魅力的であった」
「魅力的、ですか」
「貴様の中にはこの甲斐の虎にも劣らぬ怪物がいる。確信したぞ」


 ……いや、それは流石に買いかぶりでは……
 でも何か良い流れだし、水を差すのはやめておこう。


「その可能性と言う怪物に免じて、残る1割は保留してやろうと言うのがワシの結論だ」
「信玄殿……!」
「ふっ……信長が貴様を使者に選んだ理由がわかった気がするぞ。貴様は、益荒男共を惹きつける才覚を持っているやも知れん」


 そうだったら、嬉しい限りだ。
 全然自覚が無いけど。


「そしてワシもまた益荒男の1人。貴様の修羅の如き気迫には惚れ惚れした。中々……いや、上々に気に入った。貴様の望む世界を切り開く戦、助太刀させてもらう」
「あ、ありがとうございます!」
「礼はいらん、これはワシの道楽の1つでもある」
「その……ところで……家臣の方々とかは、大丈夫なんですか?」


 将軍家との戦は、武田が味方になってくれても分が悪い事には変わり無い。
 一応、確認はしておいた方が良いだろう。


「侮るな」


 俺に突きつける様な言葉を放ったのは、今まで沈黙を守っていた信玄の家臣と思われる青年。


「この内藤ないとう昌豊まさとよ始め、信玄公を慕うは益荒男ばかり。殿の道楽にあの世まで付き添う覚悟を持つ阿呆共だ」


 一点の曇りも無い本気の目である。


「何より、この武田の軍勢が参戦する以上、織田が勝つに決まっておる。そうだろう、織田の使者よ」


 そう言って、内藤さんとやらは不敵に微笑みかけてくれた。


 頼もし過ぎる。
 この人達が敵に回ってたら……と思うとゾッとするな。


「貴様はしばらくゆるりとしておれ。適当に休み、尾張へ帰ると良い」
「あれ、信玄さん、どこかへ出かけるんですか……?」
「うむ。少しばかり、駿河を攻め落として来ようと思うてな」
「……えぇぇっ!?」


 思いつきみたいな感じで、今すっごいトンでもない事を口走ったぞこの人。


「ああ、貴様は今し方目覚めたばかりだったな。内藤」
「はっ」


 信玄の合図で、内藤さんが懐から文を取り出し、俺に渡してくれた。
 信長直筆の文である。
 その文の内容は……


「なっ……」


 まずは、同盟締結に関する謝辞。
 そして、将軍勢力が動き出した事と、それに際しての協力要請。


 何と、織田と同盟を組んでくれていた徳川が、将軍側へと寝返ったと言うのだ。
 現在、徳川は織田に縁切り状を送りつけ同盟を破棄、今川と結託し、駿河にて尾張侵攻の準備を進めているらしい。
 加えて、浅井・朝倉・上杉も動きを見せ始めているとの事。
 この大規模侵攻に触発されてか、今まで静観を保っていた相模さがみ北条ほうじょう家・安房あわの里見さとみ家まで不穏な動きが見え始めているらしい。


 更に厄介な事に、大和を任せていた信長の弟、信行まで信長へ謀反を起こしたと言う。
 京の兵力を加え、尾張へ攻め入ろうとしているのだそうだ。


「信行様……あの野郎……!」


 将軍に唆されたか。
 元々信長とは反りが合わない感じだと恒興さんが心配してたけど……


「と言う訳で、援軍を頼まれた訳だが……ワシは守りは好みでは無い。反織田勢力の大きな所を先んじて叩かせてもらう」


 成程、故に駿河か。
 駿河を落とせば、駿河に近い相模や安房への牽制にもなるだろう。


「今川の現当主は将としてイマイチ奮わんと聞いている。徳川の当主は切れ者らしいが、今川の膨大な兵に足を引っ張られれば、まともには立ち回れまい」


 加えて向こうからすれば武田軍の参戦は完全に予想外。
 尾張を攻める事ばかりを考えているはずだ。
 虚も突けると言う訳か。


「と言う訳で、ワシは3万程の『精鋭』を率いて駿河へ打って出るのだ」


 戦国最強と謳われた武田軍の意気を受け継ぐ精鋭が、3万。
 その武威は、俺の想像を絶する事だろう。


「更に、ワシらが動けば将軍勢力は一時動きを止めざるを得まい。その合間に、信長は愚弟の謀反を制圧する様に提案書を送ってある」


 武田と言う巨大勢力が胎動するのだ。
 諸勢力も下手な動きはできないだろう。


 この総攻めの窮地が、武田台頭と言う一事で覆ると言うのか。


「さぁて、本物の戦、どの様なモノか体感してくるとしよう」








 武田軍が駿河へ侵攻した。
 つまりは、織田に付いた。


 その一報は、瞬く間に日ノ本全土へと伝わっていく。
 信玄の読み通り、北条・里見・浅井・朝倉・上杉ら将軍家側の筆頭勢力は動きを止めた。
 それもそうだ。武田と言う巨大勢力が突如として敵に回ったのだから。慎重にならざるを得ない。


 そして信長は信行の謀反を無事鎮圧。
 武田は駿河を爆進した。


 その進軍速度はまさしく疾風の様な勢い。
 敵に決して気取られぬ巧妙な奇襲は、静林に潜む虎を思わせる。
 破壊力は燃え盛る豪火如く、相手の攻撃を受けても全く動じずに攻め返す武田兵の様は不動の巨山そのもの。


 武田軍3万5千は、進軍開始からたったの4日で駿河の主要拠点を全て陥落させた。
 そして三方ヶ原みかたがはらに置ける野戦にて、今川家当主・今川いまがわ氏真うじざねを討ち取る。
 更にその戦では徳川家当主・徳川家康の首こそ取り損ねるも、徳川軍に壊滅的被害を与える事に成功。
 そのまま徳川の居城を包囲し、その翌日に降伏させ、織田勢力に優位な和睦を結んだ。


 つまりだ。
 武田軍はたったの5日程で、駿河を落としてしまったのである。
 戦国最強と謳われたその軍隊は、未だ衰えてはいなかったと言う訳だ。




「ふむ、これが戦か……」


 馬上から静寂に包まれた戦跡地を眺め、信玄はポツリとつぶやいた。


「確かに、つまらんかったな。これならばまだ将棋の方が面白い」


 強き者との一騎打ちをしようにも流れ矢や乱入者が邪魔。
 戦局も、策略より兵力がモノを言う場面が多い。
 奇襲奇策がハマった時は確かに多少楽しかったが、将棋でも同じ様な楽しみは味わえる。


 そんな程度の物なのに、金や人員が莫大に掛かる、それが戦。


「百害あってこの薄利……長政殿の言う通り、やってられんな」








 清洲城、軍議場にて、俺は信長と1対1で対談する形になっていた。


「甲斐への旅路、ご苦労だった。本当にテメェは何から何までブチかましてくれやがる」


 信長は大層上機嫌そうに笑った。


「弥助の捕縛に始まり、今川を撃退、伊勢侵攻でも先陣を全うし、金ケ崎では織田家を丸々救い、武田との同盟締結……確実に一騎当千の働き以上だ」
「前にも言いましたが、俺のためでもあるので」
「そんなテメェに、『織田家臣として最後の仕事』を頼みたい」
「…………!」


 それは、まさか……


「信玄の野郎が味方に付き、駿河っつぅ大領を落としてくれたおかげで、完全に風向きが変わった」


 信長が懐からいくつかの文を取り出した。
 5・6通はあるだろうか。
 それらは全て、『同盟の申し入れの書状』である。


「北条、里見、伊達、等々……将軍か俺様か決め倦ねていた連中が、一斉に織田寄りに動き出した」


 国取りに興味は無い、ただ静観していたい。
 そんな領主達が、次々に将軍を見限り始めたと言う事だ。


「状況は覆りつつある。武田がここまでやるたぁ俺様も予想外だったよ」


 武田軍は雷の様な速攻で駿河を攻め落とし、日ノ本中を震撼させてくれた。
 その反響は、信長の想定を大きく上回る物だった訳だ。


「完全に将軍勢力に付いた連中にも、こっちから文は出してみた」


 完全な将軍側……浅井・朝倉・上杉か。


「朝倉とは決裂、上杉はまだ返答が来てない」
「…………」
「そして浅井とは、浅井家本拠である小谷城にて会談を開く事になった」


 やはり、そういう事か。
 もう、『この時』が来てくれたのか。


「今、近江が織田勢力となれば、越前・越後は織田勢力に囲まれる事になる。そうすりゃ、朝倉・上杉連中も考えを改めるだろう」
「では……」
「浅井長政、織田の使者として、近江の浅井家との同盟を結んで来い」


 そして、信長は、


「その仕事を終えたら、テメェは解雇クビだ。領主でも盟友でも、何でも好きなモンに成りやがれ」
「……早速、近江に向かう手配をします」


 こんなにも早く、この機に恵まれるとは思わなかった。
 ここまで嬉しい誤算は初めてだ。


 上司との会談中と言う事さえ忘れ、喜びの奇声を上げてしまう所だった。


 まだだ。
 信長と対等の立場になるのは、もう少し、本当にもう少しだけ先だ。


「浅井長政、行って参ります」


 さぁ、帰ろう。
 親父殿や姉上、遠藤達の待つ近江へ。


 これから忙しくなるぞ。
 浅井との同盟締結、浅井家の家督相続……そして……


 お市ちゃんとの結婚の儀の準備だ。



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