長政前奏曲~熱烈チョロインと一緒に天下布武をお手伝い~
17,お市、我慢の限界
清洲城。軍議場。
その室内で光秀と秀吉は頭を抱えていた。
軍議場の扉は室内にあった屏風や座椅子などで封鎖されている。
そう2人は今、立て篭り中だ。
「くっ……滝川殿さえいてくれれば、ここまで被害が広がる事は……」
「羽柴くん、いない人を求めても仕方無い」
現在、名だたる重臣達は信長と共に伊勢攻めの帰路に就いているはずだ。
信長達が不在の留守を任されていたのがこの2人である。
「そろそろ帰ってきて欲しい所だけどね……」
伊勢の北畠家を降伏させ、織田に圧倒的有利な同盟を締結……つまり、実質的な支配を完了したという報告が来たのが5日前。
一応、もう帰ってきてもおかしくないはずなのだが……
「くっ……元はといえば、全てあの近江の田分けが悪いのだ……!」
「それも仕方無い、まさか、こんな……」
光秀の言葉を遮る様に、軍議場の扉が、爆ぜ飛んだ。
「っ……!」
「だ、ダメだ、反撃しましょうぞ明智殿! このままでは我々も……」
「それこそダメだ……だって、相手は……」
爆煙の中に佇む影。
黒塗りの短刀を手にしたその影は、静かにこうつぶやいた。
「どこにいるの……?」
意味がわからなかった。
「出迎えがねぇから妙だとは思ったが……」
俺や信長達は、上洛して新将軍を討とうと挙兵した伊勢の北畠を大和から襲撃し、その軍隊を蹴散らした。
そして北畠と織田で不平等条約と言うなの隷属契約を交わさせ、本日この清洲城へ凱旋した訳だが……
「い、一体何が……」
城全体から奇妙な気配を感じ、俺達は散開して城の様子を探っていた。
俺・遠藤・信長が中庭に踏み入ると、そこは地獄絵図。
着物を引き裂かれた武士や女中が死屍累々。
「敵襲……では無いみてぇだな」
「ですな」
皆、着物はズタズタだが、怪我は無い。
何らかの方法で意識を奪われている様だが、一応無事だ。
「一体何が起きてんだ……!?」
「光秀さんや秀吉……お市ちゃんは……」
「の、ぶ……長、様……」
俺らのすぐ傍で、1人の中年男性が呻く様に力無い声を上げる。
「良勝!」
毛利良勝。
桶狭間での戦において今川義元の首を取った猛者。
着物は粉微塵に引き裂かれ、褌一丁で地に伏すと言う無残な姿を晒している。
「毛利さん、何があったんですか……一体何がどうしてこんな様に……!」
季節は冬。皆で着物を脱ぎ捨てる様な催しをするはずが無いし、何より皆気絶している時点で異常事態である。
「長、政か……良かった……」
割と真面目に問いかけている俺の表情を見て、何故か毛利さんは安堵した様に笑った。
「お前が戻ったなら……市姫様も、満足するだろう……ぐふっ」
「毛利さん!?」
「お市が満足……? 一体何のはな……」
不意に、信長の体が大きくグラついた。
「し……だ……!?」
「ちょっ!?」
「信長殿!?」
突然足がもつれ、転倒しかけた信長の体をギリギリで抱き止める。
「信長様!?」
「っ……不覚……だ……!」
「!」
信長の足元には、黒い縄。
いや、縄では無い。
蛇だ。
黒い蛇が、信長の足首に喰らい付いていた。
「蛇……!?」
「ぐぅ……、しまっ!?」
「遠藤まで!?」
支えようにも手が足りず、遠藤はそのまま地に倒れてしまった。
その足首にも、同様の蛇。
まさか、城内で毒蛇が大量発生して……!?
そう俺が仮設を立てた途端、2匹の蛇が地面に溶ける様に消えた。
「な、な……!?」
もう、訳がわからない。
「そ、う言う、事か……!」
信長は何かに気付いた様だが、その言葉を最後に失神してしまった。
遠藤も意識を失っている。
「え、嘘、マジで!? ちょ、信長様!?」
噛まれた瞬間にこの様……不味い、猛毒を持つ蛇だったのか……!?
地面に溶ける様に消えた辺り、モノノ怪の可能性が高い。
奴らか。奴らに襲撃され、皆こうなってしまったのか。
とにかく、早く毒を吸い出さないと……
「あはぁ」
そう思った刹那に聞こえた笑い声。
何故か、俺の全身が悪寒に包まれた。
戦場で感じたあの感覚。強い感情が俺に向けられている感覚。
しかし戦場で感じる敵意や殺意とは別の物の様だ。
言葉では言い表しにくいが、とにかく何かが違う。
そして、何か身の危険を感じる。
生命の危険じゃない、身の危険だ。
具体的な細かい違いはわからない。でもそんな感じなんだ。
笑い声の方へ顔を向けて見ると……
「お、市……ちゃん……!?」
お市ちゃんだ。
レーヴァテインを抜刀したお市ちゃんが、そこに立っていた。
その身には、信長に噛み付いた黒蛇が無数にまとわりついている。
「もしかして……」
あの蛇はモノノ怪では無く、レーヴァテインの生み出す『魔法』とか言う奴か?
と言う事は何だ? この惨状は、お市ちゃんが……
「うふ、うふふふ、うふふふふふ……」
お市ちゃんが、静かに笑う。
不気味だ。何故だろう、すごく不気味だ。
彼女の笑顔はいつだって俺を癒してくれる春の太陽の様な笑顔だったはずなのに。
恐い、とにかく恐い。
動ける俺が遠藤と信長を守らなければ、と身構えてしまうくらいには恐い。
「どこに、いるの……?」
「お市ちゃん……!?」
目が、正気じゃない。
狂気だ。あの瞳には何かしらの狂気が宿っている。
何だ、何か変なもんでも食ったのか?
それともあの蛇はやっぱりモノノ怪で、精神操作でもされているのか?
後者か? 後者だよな? 多分後者だよね?
俺が色々と整理できずに戸惑う中、お市ちゃんが動いた。
何かを指揮する様にレーヴァテインを振るう。
その指揮に合わせ、彼女にまとわりついていた黒蛇達が、疾風と見間違う速力で突進してきた。
「っ……って、あれ?」
ヤバい、と思って反射的に瞼を閉じてしまったが、痛みは無い。
ただ、寒い。
「えぇぇえぇぇ!?」
俺、遠藤、信長。
皆、着物がビリッビリに引き裂かれていた。
あの蛇共だ。蛇達が着物だけを食いちぎって行ったのだ。
着物の切れ端をいくつも咥え、蛇達がお市ちゃんの元へと戻っていく。
その着物の1片を受け取ると、お市ちゃんは何を考えたのか、それを自らの鼻に押し当てた。
しばらくの沈黙。
「……また……違う」
布片を捨て、別の蛇が咥えてきた物も同様に鼻に宛てがう。
あれは……匂いを嗅いでいるのか……?
「これも違う……」
また布片を捨て、別の断片を受け取り、鼻へ。
「お市ちゃん……?」
「…………これ……」
「へ?」
お市ちゃんが握っていたのは、俺の着物の断片。
「この匂い……は……長政、様……」
「!」
よくわからんが、お市ちゃんの目に僅かながら正気の兆しが戻った。
好機だ。
「お市ちゃん、そうだ! 俺だ! 長政だ!」
「長、政……様……?」
「ああ、目を覚ませお市ちゃん! 一体何が君をこんな……」
「長政様だぁぁぁぁらっしゃぁぁぁぁああぁぁぁぁあああぁぁぁぁあぁぁあぁあぁあああああぁ!!」
「えちょ待っほぐおっ!?」
凄まじ過ぎるお市ちゃんの突進。
勢いの余りちょっと後方へ吹っ飛ばされる程だ。
しかもドテッ腹に思いっきり頭突きを食らった形。肋骨が嫌な軋み方をしたのがわかる。
「ごふえ……お市ちゃん……?」
「長政様の、匂い…………ぐー……」
「……へ?」
色々と問い質す前に、俺の腹の所で寝息が聞こえ始めた。
……寝てる。
お市ちゃんがすごく幸せそうな表情で、寝てる。
そこに俺の騒ぎ声を聞きつけたのか弥助がやって来た。
「オーイ、何カ、ワカッタ、カー……ッテ、ンダヨ、コノ、状況」
「俺が聞きたい……」
本当にもう、マジで。
「………………」
本日2度目になるが、言わせて欲しい。
……意味がわからない。
何で俺は軍議場にて信長と向かい合う形で正座し、俺を囲む様に座っている家臣達から憎悪と呆れが混在する視線を送られているんだ。
「……此度の1件……テメェは、原因がわからねぇよな」
「は、はぁ……」
何でお市ちゃんがレーヴァテインを使い、城の者達を襲撃したのか。
そんなの、俺が知るはずもないでは無いか。
今もまだ、お市ちゃんは眠っているのだそうだ。
レーヴァテインを使い過ぎたせいもあるだろうが、話に寄ると昨晩から夜通し城の者を襲撃していたと聞いた。
その反動で深い眠りに就いているのだろう。
「原因は、テメェだ」
「……へ?」
「お市の意向で黙ってたが、こんな事件に発展しちまった以上、もうそうは行かねぇ」
周囲の家臣達が信長に同意する様にうなづく。
「と言うか、お前の鈍感ぶりにはほとほと呆れかえるわ。近江の田分けめ」
うぅ、秀吉からの呼び名がまた田分けに戻ってしまった。
マジで俺が原因らしい。
「一体、何がどうして……」
「心して聞け、長政」
「はい」
「お市はな……」
「…………え…………?」
こうして俺は、全ての元凶を知ってしまった。
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