長政前奏曲~熱烈チョロインと一緒に天下布武をお手伝い~

須方三城

14,長政、初陣

 曇天の下、天から水の紐が無数に垂れ下がっているかの様に、絶え間無い雨が降り注ぐ。


 尾張、桶狭間おけはざま
 小高い丘に囲まれた平地。


 そこで、駿河の今川軍は夜営をしていた。 
 その今川軍本陣にて、仮設の布天井の下、曇天の夜空を見上げる者がいた。


「……鬱陶しい雨だのう」


 今川家当主、今川いまがわ義元よしもと
 白髪白髭が落ち着いた老成感を感じさせる。
 齢50を越え、そろそろ隠居と言う言葉が現実味を帯びてきた歳。
 趣味は月を眺めながら静かに酒を飲む事。


 しかし生憎の土砂降り。残念ながら、今宵は月無しでの晩酌になる。


「しかし、あまりにも強い雨だ……」


 この雨さえなければ、もう少し進んでから夜営をする予定だった。
 大自然の力の前には、流石の今川義元も思い通りにはいかないと言う事だ。


「兵達に伝達せよ。適当に雨宿りする場所を探し、各自交代で睡眠を取れと」


 兵士達には多少の雨を凌げる様に簡易合羽を支給している。
 だが、この雨はそれだけでは防ぎきれないだろう。
 雨宿りできる場所を探さなければ満足に睡眠も取れないはずだ。


「風邪や睡眠不足で力が出せんなどと言われては困るからな」
「ですが義元様、雨宿りのため兵を散らせば、守りが薄く……」


 臣下の進言に、義元は呆れた様に笑った。


「ふん、今までの城の様を見たであろう」


 相次ぐ織田勢力の無血開城。
 それは、ある1つの事実を物語る。


「松永の若造は上手くやってくれた様だ。尾張には、戦う力などほとんど残ってはおらぬ」


 僅かな戦力で打って出る……噂に聞く信長の様な破天荒な男ならそれをするかも知れないが……
 留守を任されている程度の者では、そう大それた作戦展開は行えまい。
 常識的に考えて、そんな阿呆な博打事をする奴が防衛など任されるはずが無いのだ。


 大胆不敵な当主不在の今……織田はとりあえず防衛策として安牌を投げようとするだろう。
 僅かな戦力全てを投入し、ありもしない希望にすがった籠城作戦に出るに決まっている。


 つまり、だ。


「向こうからの攻撃……夜襲は有り得ぬ。万が一……いや、億が一を取って大事を取り逃す様な事があれば、とんだ恥を晒す事になる」
「ですが……」
「くどいぞ。それに本陣の守りを完全に解く訳では無い」


 交代で、と念を押したはずだ。
 本陣には、常に千程度の兵を周辺に固めさせる。


 百や2百の寡兵が奇襲を仕掛けてきた所で、返り討ちは容易い。


「ワシとて考え無しでは無いわ。案ずるな」
「失礼しました。では、左様に」
「うむ」


 伝令係に命令を伝える臣下の背を眺めながら、義元は酒を呷る。


「……この歳になり、ようやく巡ってきた天下取りの好機……必ずや、モノにして見せよう……!」


 手始めに、この尾張だ。


 敵勢力はゴミ虫の如く、こちらは莫大。
 肩慣らしには丁度良い侵攻。


「くくくく……くはははははははははは!」


 遅すぎた好機への焦燥。
 自身の膨大な軍力への慢心。
 相手の寡兵に対する油断。


 そして、豪雨。


 それらが相まったせいだろう。


 この本陣を見下ろす者達の存在に、気付けなかったのは。








 豪雨の元、甲冑を纏った俺と秀吉は馬を走らせ、2百の全軍を率いて桶狭間の丘の上にやって来た。
 甲冑の隙間から雨水が全身に伝い、最初はちょっと気持ち悪かったが、もう慣れた。


「流石は刀影さん……予想的中だな」


 今川の進路予想で、奇襲に向いている地形は無いか。
 その問に対して刀影さんは「おそらく明日の夜は桶狭間を通るはず」と予想を立て、ここ以上の好機は無いと言った。


 成程、確かにこれは良い立地だ。
 馬では厳しいだろうが、人の足なら滑り降りるのは充分可能な傾斜の丘。
 行軍の横腹に食いつくには絶好の地形だ。


「この豪雨も幸運だな。これだけ近くを馬で駆けていても、下の連中は全く気付いておらぬ。それに加えて……」
「ああ。こいつは本格的にお天道様が味方してくれてる」


 雨を凌ぐためだろう。
 今川の行軍が足を止め、もう夜営を始めている上に、兵士達が散り散りになっているのだ。


 こんな立地の場所での夜営、しかも兵を散らすとは……奇襲は無いと踏んでの事だろう。


「しかし、今川義元……賢将と聞いていたが、ここまで無防備を晒すとはな」
「逆だ秀吉」
「何?」
「賢将だからこそ、だ」


 今川義元と言う男は、少々『利口過ぎる』んだ。
 だから、この状況が生まれた。


 利口な者であればある程、効率を求める。
 義元は俺達の動きを予測して、最高効率の動きを取ろうとしたはずだ。
 今川軍がこんな場所で夜営をしているのも、『奇襲はありえない、例えあっても問題無い』と言う理詰めの末の確信あっての事だろう。
 賢将と呼ばれ、それに見合う実力を持つと自覚しているからこそ、その理詰めに絶対の自信を持ち、大胆な手を打てる。


 ここまで無抵抗で開城させていたのも、今川にこの判断をさせる一因になってくれたのかも知れない。
 抵抗させても無駄だと言う諦めの一手が、ここに来て布石になってくれた訳だ。


 まぁ、色々と幸運が重なってくれた訳だが……何よりの幸運は……


「モォ、スグダ。スグ、ソコニ、戦力、ノ、固マリ、ガ、アル」


 俺らを先導する様に、先頭を駆け抜ける黒い巨影。


 弥助だ。
 その身を縛る鎖は、もう存在しない。


「若、英断でしたな」
「結果論だけどな……」


 弥助は、本当に俺らの……いや、俺の味方になってくれた。


 条件は、俺が関係する戦に置いて必ず弥助が先陣を切り、好き勝手暴れられる様に融通する事。
 加えて、今後弥助にまた鎖が嵌められそうになったら全力で阻止する事。


 ……まぁ、俺が帰って来た信長に撫で斬りにされなきゃ頑張って要求に答える所存である。
 約束を一方的に反故にするのは、武士としては恥じるべき行為だ。


「……長政、止マレ。着イタ」
「!」


 丘の下を見下ろしてみる。


 仮設の天井を建てた陣営。四方を今川の家紋入りの幕で遮っている。


「どうやら、1発目で本陣を見つけられたみたいだな」
「判断基準ガ、ヨク、ワカラン、ガ、アレ、ガ、目的地デ、良イ、ノカ?」
「ああ。仮設天井だけでは確証に欠けたが、あの丁寧に貼られた陣幕からして、間違いないだろう」


 秀吉からお墨付きも得た。
 間違い無い、あそこに総大将・今川義元がいる。


 陣営の周囲には無数の兵。
 千~2千、と言った所か。


「流石に、完全な無防備ではありませんな」
「それは折込済みだ。それでも予想よりは少ない」


 この程度で充分、そう計算したのだろう。


 もしこのまま今川が尾張を取れたなら、読み深く効率的に部下を配置できるまさしく賢将と呼べただろう。
 だが、残念ながら俺達は来た。弥助と言う、今川からすれば想定し得ない切り札を携えて。


 今川の理詰めの中に存在し得ない戦力で攻める。
 まさに奇襲だ。


「今川義元……悪いが、あんたには愚将と言う蔑称を背負ってもらう」


 馬でこの丘を下るのは危険だ。
 ハヤテから下り、兜の紐を締め直す。


「行くぞ……!」


 浅井長政……俺の初陣だ。






「む?」


 義元はふと気が付いた。
 豪雨の音に混じり、陣幕の向こうから声が聞こえる。


 叫び声、の様に聞こえる。


「義元様!」
「何じゃ」
「て、敵襲です! 丘上より、織田の者と思われる者達が!」
「!」


 一瞬、驚きの余りその手から盃が落ちそうになったが、持ち直す。


「……ふん。どうやら、防衛を任された者は愚か者か、ヤケクソになった様だな……」


 想定される織田の兵力など百か2百、多くても3百は超えないはず。
 そんな寡兵で、本陣守備に当たらせている妖刀配備の護衛部隊千5百を突破できる物か。


「それが、義元様……!」
「何じゃ?」
「既に、連中が切り込んできた方面の部隊は……」


 伝令係の言葉を遮る様に、義元の前方で陣幕が裂けた。
 純白の布を引き裂き、入陣してきたのは、黒き巨体を持つ1つ眼の怪物。


「モノノ怪……!?」


 今度こそ、義元の手から盃がこぼれ落ちる。


「ギャハァ……」


 そんな義元を嘲るように、単眼の怪物が笑った。








「本当に規格外だな……!」


 約束通り、弥助に先陣を切らせ、その後に続いて俺らも丘を下った。
 俺が丘を下りきった頃には、もう正面部隊の半数が弥助に薙ぎ払われていた。


 日頃の鬱憤を晴らしているのだろう。弥助は黒き竜巻の如く暴れまわっている。


「ギャハハハハハハハァァァァ!!」


 雄叫びの様な笑い声を上げ、弥助が巨腕を振るう。
 それだけで、敵兵が3・4人まとめて宙を舞う。


 あいつ1人でもこの本陣を制圧できそうな勢いだが……ちゃんと俺らも加勢しよう。
 本陣を守ってるって事は妖刀配備の手練だらけだろうし、弥助にも万が一がある。


「行くぞ!」
「あ、若! そんなに先行されては……!」
「遠藤とか言うの、止めるな! これで良いのだ!」
「羽柴殿まで!?」


 俺と秀吉が、弥助の続いて兵達の先頭を行く。


 俺も秀吉も所詮は初陣の将。
 更に言えば、どちらも元から尾張の者だった訳では無い。
 そして、兵士達は領守衆くにもりしゅうの任で人を斬ったことはあっても、戦は初。ここにいる者は、皆もれなく戦は初陣なのだ。士気ははっきり言って、不安定極まる。
 そんな状態の兵達を後方の安全圏から兵を盛り立てられる程、俺達は兵士達の将的存在では無いのだ。


 だったら、見せつけるしかないだろう。
 将と認めるに値する、果敢な姿を。


 幸い、この作戦の目的は「ただひたすら本陣突貫、敵将を討つ」と言う単純な物。
 戦局全体を考える必要は無い、大雑把な陣頭指揮で事足りる。


「っ…………」


 予想はしていたが、手が震えている。
 この戦場の空気のせいだ。


 今まで味わった事も無い様な膨大な敵意が、俺達に容赦なく叩きつけられている。
 それが、恐ろしい。


 加えて、俺は領守衆の任を任されたことは無い。対人の殺し合いは初めてだ。


 ……初めてだが、甘えてられるか。
 殺さなきゃ殺されるんだ。自分の仲間まで。
 それが戦だ。


 震え出した拳を握り締め、覚悟を決める。


「貴様らぁ!」
「っ!」


 来た。敵兵だ。
 もう抜刀している。
 その刃は黄色の怪しい光を帯びている。
 やはり妖刀か。


 俺も鬼神薊おにあざみの柄を強く握る。


 まだ、体のあちこちが震えてる。
 どうすれば良い、どこを狙う? もう抜刀した方が良いのか? それとも居合で? と言うか相手の妖刀の能力は? それもわからんでこのまま真っ向から切り結ぶのは得策か? とりあえず足を止めて回避準備をすべきか? 鬼神薊おにあざみの『傷移し』の能力を宛にして突っ込むべきか? それとも、それとも……


「でぇぇぇぇええぇぇ!」


 叫び、敵兵は思い切り刀を振り上げた。


 ……何だそれは。
 初手からそんな大振り、隙だらけでは無いか。


 ここで、俺は気付いた。


 そうか、こいつも初めてなんだ。人と殺し合うのは。
 だから冷静な手を打ち損じた。


「遠藤流、居合抜刀……」


 ありがとう……覚悟が不足するとどうなるか、手本を見せてくれて。
 おかげで、俺は改めて冷静になれた。


 そして、すまない。
 俺はこれから、あんたを斬り殺す。


 だってあんたは、斬らなきゃならない『敵』だから。


「『蔦払つたばらい』!」


 その甲冑諸共、がら空きのドテッ腹を斬り捨てる。


「が、ぃあ……?」


 2つに分かれた敵兵が、地に落ちる。


「…………」


 敵兵は、もう動かない。
 当然だ。俺が、斬ったのだから。


「…………そっか」


 意外だ。


「……こういう事か」


 自分でも拍子抜けするほどに、葛藤は無かった。


 感情で斬るな、理性で斬れ。
 一益さんの言葉の意味がわかった気がした。


 理性的に相手を『敵』として考え、斬り捨てる。


 相手は『同じ人』ではない、斬らねばならない『違う陣営の敵』なんだ。
 この刃を振るう事には、意味がある。必要性がある。俺なりの大義がある。
 その思考が、俺の中の何かを麻痺させてくれる。
 皿に乗った鮭の切り身を見ても感傷に浸る事は無い、あの感覚を再現する。
 感じるべき物を、感じなくて済む。


 こういう事だったんだ。


 ……やれる。
 俺は、『敵』なら斬れる。
 理由があるなら、戦える。


 1つ、不安だった要素が排除された。


「すまない……そして、ありがとう」


 あなたからは多くを学ばせてもらった。
 最後のもう1度、謝罪と礼を述べておく。
 そして切り替える。


「やるぞ……!」


 やってやる。
 尾張を守るために。


 狙うは、今川義元。
 そして、軍勢を指揮できるだけの有能な指揮官、全員だ。






 そしてこの日、俺達は……


 見事、今川義元を討ち取る事に成功した。







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