異世界イクメン~川に落ちた俺が、異世界で子育てします~

須方三城

再会の第32話

「テルマの奴……2人1組を崩すなってゼア爺さんに言われてたのに……!」


 とある組織に所属する青年、イギン。
 彼は今、とある目的を持って魔剣豪デヴォラの屋敷に潜入していた。


 第1目標はこの屋敷のご令嬢の拉致。
 第2目標は、ご令嬢拉致後、『取引』を円滑に進めるためにこの屋敷の『戦力』を潰す事。


 イギンと、さっきまで行動を共にしていた彼の相方は、正直戦闘には向いていない。
 なので、このコンビは第1目標の完遂をメインに動いていた。


 すると相方は、「第2目標は他に任せて、僕らは第1に専念しよう」とか言い出し、「だったら2人で固まるより2手に分かれて令嬢を探す方が良いよね」と勝手に話を進めてどっか行ってしまった。


「うぅ……不安だチクショウ……執事とかに見つかったらどうすんだよう……」


 イギンの使える魔法は1点特化型の肉体強化魔法『アクセルポイント』、……だけ。
 組織内最弱の自信は前々からある。
 もうアレだ。
 敵に見つかったら、下半身を強化してひたすら逃げに徹するしか無い。


「ん?」


 ふと、奇妙な扉を発見する。
 今まで見てきた他の部屋のドアより、少し豪華な造りだ。
 そして『HELL』と刻まれた謎のプレートが取り付けられている。


「じ、地獄……?」


 何だろう、この部屋は。とイギンはちょっと足をストップ。
 そしてハッと気付く。


「もしかして、何らかの重要な部屋なんじゃないか……?」


 だからHELLなんて不穏な単語を取っつけて、従業員すら近寄らない様にしてるとか、そんなとこじゃないか?
 そう判断した。


 重要な部屋、令嬢関係の部屋か、もしくは『例の物』の保管庫、なんての事もありえる。


「よ、よし……」


 意を決し、イギンはドアノブを捻る。
 鍵はかかっていなかった。
 ドアを開けた途端、彼の目の前には、真っ白の毛皮。


「ん? 誰だお前?」


 超絶渋い声でイギンに問いかけたのは、身長2メートル近い、パンダ。


「ぱ、パンダ……?」
「ああ、俺はな。で、お前は誰なんだよ、新入りか?」


 意味がわからない、何故パンダがいる? つぅか何で当然の様に喋ってんのこいつ。
 魔獣種って奴か、とイギンは予想を立てる。
 まぁ何だ、とりあえず、わかる事が1つだけある。


 逃げなあかん。


「アクセルポイント!」
「って、おい、おぉい!?」


 魔法で下半身を強化し、イギンは全力で走り去る。


「……よくわからんが、走って逃げられると追いたくなるんだよなぁ……一応、獣の端くれだからよぉ!」


 そんな事を言って、パンダも走り出す。
 超速い。アクセルポイント発動中のイギン相手に、どんどん距離を詰めてくる。


「ひぃぃ!? 捕食される!?」


 えらい勢いで追ってくるパンダ。
 占術は専門では無いが、イギンは自分の未来に死相を見た気がした。


 ダメだ、追いつかれる、イチかバチかの賭けに出るしかない。


 イギンは急ブレーキを踏み、その踏み込んだ足で思いっきり床を蹴り付け、後方へと跳ぶ。
 そしてそのまま体を捻り、パンダのドテッ腹へ、全力のローリングソバットを叩き込んだ。


「よし、モロ!」


 確かな手応え、だが……


「痛ぇな、コラ……」
「ひぃ!?」


 ソバットした足が、ぐわしっとモフモフした太い腕に捕まる。


 クマのタフネスを舐めてはいけない。
 普通のクマですら、人間なら1発で首から上が粉微塵に吹き飛ぶ様なライフル銃撃数発を耐える事ができる。
 加えて、相手はおそらく魔獣種。


 例え鉄板を砕く様なソバットを放ったとしても、一撃で仕留められると言う目論見は、甘い。


「よくわからんが、逃げて攻撃してきたって事は、敵って事で良いんだよな?」
「……あの……お手柔らかに……」
「わかった。死ねオルァっ!!」
「わかってない掛け声な気がするぶりゅんはぁっ!?」


 顔面にパンダの突っ張りをモロに受け、イギンは長い廊下をゴロンゴロンと転がっていく。


 その途中。


「きゃあっ」


 短い悲鳴と共に、曲がり角から巨大な陰。


 クマを軽く凌ぐ腕力でぶん殴られ、もうほとんど意識なんぞ残っちゃいなかったイギン。
 そんな彼にトドメを刺すように、重厚な鎧が降りかかる。


 ドンガラガッシャーン。


「あいたたた……また何も無い所で転ん……って、きゃああ!? 誰か知らない人を潰しちゃった!?」
「おう、大丈夫かシェリー」
「あ、ヘルさん! 大変です! 私またやっちゃいました!」
「またって、前にも誰か押し潰したのかよ……」
「……ロマンさんを、少々……」


 どうでもいいけど、早くどいて、本当に死ぬ。
 途絶えかけの意識の中、イギンは本気で死を覚悟していた。






 一方、その頃。


「ふむふむ……ふむふむふむ……」


 地面をくんくんと嗅ぎ周りながら這う小さな影。
 その尻には、犬の様なモフモフした尻尾。
 尻尾をパタパタと振るいながら、犬耳少年は廊下を這い続ける。


 少年の名はテルマ。
 とある組織の一員である。
 彼の得意とする魔法は『ビーストライズ』。あらゆる獣の特性を少しだけその身に宿す事ができる。
 現在彼が得ている力は、『犬の嗅覚』。
 その影響で耳が犬っぽくなったり、尻尾が生えたり、肉球が発生したりしている訳だ。


「うん、こっちかな」


 テルマの嗅覚が追っているのは、『人間の女性フェロモン』。
 令嬢の匂いがどれかわからないので、とりあえず女性を追っていると言う訳だ。
 メイドに会ったら逃げれば良い。犬の嗅覚発動中は逃げ足も速くなる。


 そんな訳で進んでいると、フェロモンが濃くなってきた。


 すぐそこに女性がいる。
 できれば令嬢であって欲しい、そう願いながら、テルマは角を曲がった。
 そこで視線が交差したのは……


「ん?」
「げっ」


 何かギャルっぽい雰囲気の、メイドだ。
 ヤバイ、逃げなきゃ、そう思ったのだが……


 メイドはテルマと視線が交差した瞬間に、既に動いていた。
 メイドの袖から飛び出した、謎の物体。
 テルマがそれを『草のツルで構成された鞭だ』と悟った頃には、彼はぐるぐる巻きにされ、メイドの目の前に引き寄せられていた。


「ぐぅえっぷ!? 植物系の魔法!? ってか速攻で捕まっちゃった!?」
「…………」


 メイドは無言で、テルマを観察し続ける。


「う、な、なんだよ! んならひと思いにれよ! 僕は屈しないぞ! 何をされたって口を割るもんか!」
「……モしい……」
「へ?」
「ケモケモしい……!」
「はい? え、ちょっと?」
「さっきから何か騒がしいから、何かあったのかとは思ってたけど……侵入者? 敵? まぁ何でもイイわって感じ」


 テルマが何者なのか、このメイドは知らない。
 正直、何者でも良いと思っている。


 このメイドに取って重要なのは、テルマが犬耳やら尻尾やら肉球やらでやたらケモケモしている事。


「え、な、何その目? あれ、恐い、何か恐い! 動物的直感が何かすごい危機を僕に報せている気がするよ!?」


 もがくが、ツルの鞭はギッチギチ。全く緩む気配が無い。


「活きがイイわねって感じ……仕込み甲斐があるわって感じ……」
「何ブツブツつぶやいてんの!? 恐い! この人絶対恐い人だ!」
「大丈夫って感じ。私、獣ちゃんには比較的優しいからって感じ」
「すっごい! 大丈夫な予感が全然しない!」


 メイドの目が最早ヒト科のそれではない。色もドブ川の様に濁りきっている。
 その上に極上のスマイルだから不気味さがノンストップだ。
 このままではテルマの未来にはバッドエンドしか見えない。


「何か他にも仲間がいるみたいな感じだけど、まぁ、マコト達がどうにかするでしょって感じ。と言う訳で、私はお楽し…敵の尋問をするとするわって感じ。そう、これは尋問。必要な事」
「うひぃっ!? 何かこのツル変なうごめき方して……っ!?」
「さぁ、まずはお名前と性感帯を吐きなさい。まぁ吐いてもやめないけどって感じ」
「せいかんたい……? とにかく、口は割らないって言っただ…ちょ、な、どこに入るつもりだ!? やめろやめろやめろ! そこは……あっ」


 幼気な少年の嬌声が、夜の屋敷に木霊する。








「……?」
「ぶい?」
「どぉした、クソガキ?」
「いや、ちょっと……」


 廊下を走っている最中、不意に「この屋敷の変態率高いな!?」と叫ばなければならない気がした。
 いや、まぁ気のせいだろう。気のせいって事にしておこう。


 余計な事を気にかけている場合でも無いし。
 もう爆発音はすぐ近くで鳴り響いている。


「っ……サーガ、しっかりしがみ付いて、できるだけ丸まってろよ!」
「うい!」


 可能なら、サーガを連れて戦場には飛び込みたくなかった。
 だが、現状、サーガをどこかに置き去りにする方が危険だ。
 どこにあの老人の仲間がいるか、わかった物では無い。


 コクトウを鞘から引き抜き、角を曲がる。


 壁やら天井やらが砕け、床に無残な残骸が散乱する通路。
 すぐに、ユウカをかばいながら爆撃を躱すシングの姿が目に入った。


「シング! ユウカ!」


 シングのメイド服はコゲ跡や裂けが散見される。
 直撃こそもらってはいない物の、劣勢、そんな感じだ。


「ロマン!」
「なっ、馬鹿者! 何故サーガ様を連れてきた!?」
「仕方無いだろ! 言い訳は後でするから!」
「げぇー、男が来たよ、シラケるなぁ」


 廊下の奥、顔中にピアスをはめた女が不愉快そうな表情を浮かべる。
 その手には、あの女の魔法か、朱色の光、つまり爆撃で成型された槍が握られている。
 あの槍から爆撃を飛ばしたり、槍そのものを爆発させて闘っていたのだろう。


 あいつらが敵か、ピアス女と、その隣には……


「……え……?」
「どうした、ロマン?」


 シングの問いに、俺はどう答えていいかわからなかった。
 だって、疑問を口にしたいのは、俺の方だ。


 前髪を下ろしちゃいるが、あれは間違いなく…


「……ロ…マン……?」
「ん? どしたのレディ?」


 見間違うはずが無い、あのピアス女の隣にいる黒髪の女性は……


「姉貴……!?」


 俺の実姉、佐ヶ野さがの天道レディだ。
 女の子らしい名前にしたい、そう言えば、天道虫って英語でレディバグと言うらしい。ならバグを取れば天道レディ、実に女の子らしい名前じゃないか。
 そんな流れで俺よりもキラキラしたお名前を両親から頂戴した、俺の姉。
 普段は髪留めで前髪を上げていたが、その程度の変化で肉親の俺がわからなくなる物か。


「姉……あの爆発ピアス、ロマンの姉なのか!?」
「違う、隣の方だ!」
「だぼん、ねう?」


 あんなチンピラ崩れみたいな姉貴がいたらもっとグレとるわ。


「でも、全然ロマンと似てない」


 まぁ兄弟ならともかく、姉弟が似るってのは結構稀有なパターンだろう。
 って、そういう話じゃねぇんだよ。


「何で、姉貴がこの世界に……!?」


 姉貴は、当然俺の元いた世界の住人だ。
 何故、この世界に?
 いや、それよりも、何故、敵の隣にいる?
 これではまるで……


「姉がどうのって言ってるけど……もしかして、アレ、あんたが言ってた弟くんなの?」
「…………」


 ピアス女の問いかけに、姉貴は応えない。
 垂れた前髪の隙間から、暗い瞳でこちらを見ている。


「ま、それならアレよね。3人……あの子が背負ってる赤ん坊も含めたら4人か。4人とも、テイクアウトって方向で!」


 爆撃の槍を構え、ピアス女が動こうとする。


「くっ……」


 姉の事は気になるが、そんな場合では無いと言う事か。
 俺も、コクトウを構える。


 その時だった。


「お嬢様!」
「マコト!」
「執事長!」


 そこに駆けつけた執事長。爆発音を聞いて来たのか。


「ここらへんに、ワンピース姿の少女が全力疾走で逃げてきませんでしたか!?」
「ううん、来てない」


 どうやら、逃げた敵を追っていたらしい。見失った様だが。
 更に、


「皆!」
「ランドー!」
「ここらへんに、裸のボイン少女が全力疾走で逃げて来なかった!? あ、裸って言っても靴は履いてるけど!」
「お前は何を追ってんの!?」


 ってか2人とも少女を追い回していた上に見失ったんかい。


「げぇ……ちょっとこれは不味いかな……」


 槍先をこちらに向け、突進しようとしていたピアス女だったが、執事長とランドーの登場で分が悪くなったと踏んだ様だ。


「ごめんレディ、ちょっと退こうか」
「……! ……嫌……!」


 ピアス女の撤退提案に、姉貴は拒否反応。


「嫌って言われてもねぇ……」


 ピアス女の判断は真っ当だろう。
 ユウカは戦闘に参加できないとしても、こちらは4人だ。対する向こうは2人。


「退くなら、1人で退いて……」
「そんな事できる訳無いじゃないの、ワガママはベッドの上で聞いてあげるから、ここは退…」


 次の瞬間、俺達は信じられない光景を目の当たりにした。
 姉貴の手刀が、ピアス女の腹に減り込み、その華奢な体を後方へと薙ぎ飛ばしたのだ。


「ぎゃ、は……?」


 意識を失ったのか、ピアス女は大した悲鳴も上げず、動かなくなる。
 その手の槍も、虚空に溶ける様に消えた。


「邪魔……しないで……!」
「なっ……」
「仲間割れか……?」
「みたいだけど……」


 よくわからない展開になってきた。
 ここは、とにかく話を聞いてみよう。


「姉貴! 何で……」
「ロマンちゃん……」


 不意に、俺の背筋にゾクッとする様な悪寒が走り抜けた。
 何だろう、見慣れているはずの姉貴の満面の笑みに、すごい危機感を覚えた。


「やっと、見つけた……」
「あ、あの……姉貴?」
「とりあえずハグ……再会のハグ……それからペロペロ……」
「おい、何だあの黒髪は……まるで狩人の様な目をしているぞ……」
「でも、ロマンのお姉さんらしいから、危険は無いんじゃ?」
「いやいやいや、アレどう見てもヤバい人だってお嬢様」


 どうしよう、否定できない。
 我が姉ながら、あの雰囲気は何かすごく恐い。
 生命の危機的な何かじゃない…そう、ラフィリアと顔を合わせた時に感じるあの感覚だ。
 だから戦闘慣れしているはずの執事長とランドーも、やや気圧され気味なのだろう。


「抱きしめる! 強く、壊してしまう程に!」


 そう言って走り出そうとした姉貴。
 が、すぐに瓦礫に蹴躓いて転んでしまう。
 しかし、止まらない。
 起き上がる時間すら惜しむ様に、そのまま床を這って、えらい勢いでこちらに向かってくる。


「ロマンちゃんロマンちゃんロマンちゃんハァハァハァハァァァァァァッ!!」
「うわっ! こっち来たぞ!? ってか気持ち悪っ!?」
「何だアレは!? 攻撃して良いのか!? 良いんだよな!? ロマン!」
「ちょっと待って!? 俺にも今ちょっと良くわからない!?」


 別の世界にいるはずの姉が、何故かこの世界にいて、敵と一緒に現れて、目を爛々と輝かせながら床を這ってこちらに迫ってる。
 うん、わからん、一生かかってもこの状況を論理的に解析できる自信が無い。


 とか何とか考えている間に、俺は姉貴に押し倒された。





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