異世界イクメン~川に落ちた俺が、異世界で子育てします~

須方三城

★修行してたら……な第2話

 真上から、容赦の無い直射日光が降り注ぐ。
 おかげで本日は、冬とは思えない温暖な気候だ。


 まぁ、冬真っ只中だった俺がいた世界と違い、今こっちは冬の末。
 春目前との事なので、おかしな気候という訳では無い。


 そんな訳で暖かな空気に包まれた草原。
 青々とした草の上に、水滴が落ちる。


 雨、ではない。
 俺の汗だ。


「どうしたんですか? まだ10分の1程ですよ」


 静か、というか、冷たい女の子の声。


 必死に腕立て伏せに励む俺の上にチョコンと座り、読書に励む中学生くらいの少女。
 葉緑素でも詰まってんのかと思うくらい見事な緑色の髪をしている。


 彼女の名はセレナ。
森の麗人バルトエルフ』と呼ばれる一族の少女だそうだ。


「ぐ、ぅう……だ、大体おかしいだろ……! 普通腕立てって、回数、決めて……やるもんじゃねぇの……!?」


 現在、俺は完全にオーバーワークな肉体改造プログラムを強いられている。


 腕立て1000回、とかなら「うひー厳しー」くらいで済んだだろう。


 このセレナという少女は「私がこの本を読み終えるまで腕立てしててください」と辞書の様な物を手に言いやがったのだ。
 もう既に腕立てを始めて30分が経過している。我ながらよく持った方だ。


 と言ってももう腕が限界だ。
 俺の全身にはこれでもかと言うくらい筋が浮かんでいる。


「こ…んな無茶苦茶な筋トレ……やってられるか……今からでも目標回数設定を……」


 こんなの魔女裁判で無罪を証明する様な物だ。
 無罪ゴールの条件は設定されているが、到底達成不可能な物。


「あーもう、やかましいですね。おかげで冒頭の内容を忘れてしまいました。読み返すとしましょう」
「この鬼畜!」


 その叫びと共に、俺の腕はついに限界を越えた。
 何かが切れる様な音と共に、腕という支えを失った俺の体は、ドタン、と草のベッドへと落ちる。


 俺の上で読書していたセレナは「やれやれ」と溜息を吐き、冷めた目で俺の顔を見下ろした。
<a href="//14140.mitemin.net/i142211/" target="_blank"><img src="//14140.mitemin.net/userpageimage/viewimagebig/icode/i142211/" alt="挿絵(By みてみん)" border="0"></a>
「もう、ですか。多少の進歩は見られますが、まだまだですね」
「う、うるせぇ……」


 もう心意気だけで気張れる限界を超えている。


「根性無し」
「…………」


 割と頑張ったはずだが、訴えても「負け犬の遠吠えってご存知ですか? 雑音、という意味です」とか言われておしまいだろう。
 俺は草のひんやり感を感じながら、無言で体を休める事に専念する事にした。


 ……まだ昼前。地獄はこれからだ。








 ゼンノウに転送された先。
 そこは、ある一件の民家の前だった。


 周囲にある他の建物は大きな牧舎くらいで、後は見渡す限り、牧場らしい綺麗な草原が広がっていた。
 その外周を取り囲む様に森も広がっている。
 何とも未開拓地域っぽい牧場だ。


 とりあえず俺は、明らかにこの牧場の主の家であろう民家の戸を叩き―――






 ―――ここ数日、すっかり俺は無茶苦茶なトレーニングの末にダウンするのが日課となっていた。


「それでもA級冒険者ですか? この子の方が気合ありますよ。ねぇゼオラ」
「めぇー」


 せやな、とセレナに同調する様に鳴く子羊。


 子羊は一応俺の事も気遣ってくれているらしく、「大丈夫かいな」と言わんばかりにブッ倒れた俺の頬を舐める。


 ああ、ここで俺に優しくしてくれるのはお前だけだよゼオラ……


「ゼオラ、甘やかさないの。……全く、そんなんで、あと1週間以内に魔王を倒せる様になると思っているんですか?」
「……思いません」


 そもそもプラン自体がおかしいのだ。
 2週間やそこらで、早食いしか能のない高校生が、天変地異の引き金になれる様な魔王を倒せる様になろうとか、絶対頭おかしい。
 ちょっとフルマラソンでちゃおっかなーという感じでも、事前に1ヶ月は体力作りするだろう。


「このザマじゃ、これから始まる姉さんの魔法修行もいつも通りになりそうですね」


 噂をすれば何とやら、か。
 俺の体が突然軽くなり、不意に宙へ浮かび上がる。


 特に何かが俺を掴み上げている訳では無い。
 浮遊魔法、という奴らしい。


 俺を浮かせているのは、少し離れた民家の前に立つ大人びた女性。


 セレナと同じく緑色の髪をした『森の麗人バルトエルフ』だ。


 彼女の名前はシルビア。
 セレナの姉であり、そして、俺の魔法の師匠。


 彼女が指をクルクル回すと、まるで糸でたぐり寄せられる様に、俺の体は彼女の元へ。


「……ロマン、今日も張り切って……頑張る……」
「……よ、よろしくお願いします……」


 俺の肉体強化担当、ドS美少女セレナ。
 俺の魔法修行担当、無口系超絶ドS美女シルビア。


 このドS姉妹の祖母はゼンノウの弟子だった過去を持つ。
 その縁から、ゼンノウの紹介状を持った俺に修行をつけてくれているのだが……


「……楽しく、レッツトライ……今日は……どうしよっかなぁ…」
「お、お手柔らかに……」


 正直、俺はこの姉妹の玩具にされている気がする。


 妹さんはまだ玩具というか、スマホの育成ゲーム系アプリ感覚というか、そんな感じがするだが……
 このお姉様はおそらく、マジで玩具として俺を見ていると思う。
 何故なら、


「……とりあえず……いつも通り……『拡張』から、イっとこうか」
「いっ!? もう充分だって言ってませんでしたっけ……!?」
「……ひぃひぃ泣き喚いて…白目剥いてるロマン……可愛い」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ! 最早建前すら無し! 助けてセレナ!」
「……姉さんに気に入られるなんて光栄な事ですよ。だからその……ガンバです」
「めぇー」
 ※あんたの事は忘れへんで。とゼオラは涙ながらに言っています。


 とか言いながら、セレナとゼオラは白いハンカチを振って俺を送り出す。


 ちなみに、シルビアさんの言う『拡張』というのは、『魔力総量限界の拡張』だ。


 異世界人の俺は、そもそも魔法という文化を持たない民族として生まれ、成長した。
 そのため、魔法を使える程の魔力が無い。
 一応、微々たる物というだけで、全く魔力が無いという訳では無く、どの世界の人間だろうと魔力の精製自体は行っているそうだ。
 ただ俺の世界の人間は俺を含め、魔力を蓄積できる上限値がこの世界の人間や生物に比べて著しく低い。
 故にすぐに上限に達し、精製が止まる。


 上限値を引き上げるには、どうすればいいか。
 簡単だ。上限という天井を、力尽くで押し上げてしまえばいい。


 その方法も簡単。
 外部から限界量を越える魔力を注入しまくるだけ。


 サイズの小さい靴下を無理矢理履き続けて、ゴムを疲労させるのと一緒だ。


 しかしそれは、とんでもない苦痛を伴う。
 当然だ。何事でも無理矢理拡張しようとすれば盛大な負担がかかる。
 そりゃあもう、初めての時は拡張開始3秒で失禁&白目失神かますくらいには凄まじかった。
 経験が無いから断言はできないが、多分ケツの拡張作業なんぞ比にならないくらいキツイ。


「もう拡張は嫌だ! そうだ、魔力多すぎてもアレじゃないですかね!? よくわかんないけどもう良くないですかね!?」
「……大丈夫……魔力多くて、損する事…無い……基礎体力とかも……やや上がる」
「体力はセレナが付けてくれるから! お願いしますもう本当にダメ! 壊れる! 壊れちゃうから!」
「……最高……」
「火に油そそいじゃった畜生!」


 そんな訳で、本日も俺は、夕方まで意識が飛ぶ事になるだろう。








 暖炉の火が、室内を暖かく照らす。
 ほんのりと良い香りが俺の鼻腔をくすぐった。


「……ん?」


 ここは、セレナ達の家、そのリビングだ。
 さっきまで俺は、あの河川敷で山本君を力の限りサンドバッグにしていたはずだが……夢だった様だ。


「ははははは! 今日もいいザマだなロマン!」


 響く、渋いトーンの大きな笑い声。
 その声圧に、起きたばかりでぼんやりとしていた俺の頭が叩き起こされる。


 声の主は、エプロン姿の筋肉質なおっさん。
 セレナとシルビアの父、ゴウトさんだ。
森の麗人バルトエルフ』では無いらしく、その髪と髭の色は陽光の様な山吹色をしている。


「笑い事じゃねぇ……」


 窓の外に目をやれば、すっかり日は落ち、お月様が出張っていた。
 なので、家畜達の世話や出荷先との商談等々の仕事を終えたゴウトさんが帰宅済みという訳だ。


「……あれ? つぅか何で気絶してんだ、俺……?」


 ここ数日の拡張で俺の魔力の器は大分広がっていたらしく、本日の拡張は余り苦しくは無かった。
 つまり、気絶には至らなかったはずのだ。


 少し記憶を辿ってみよう。


 拡張に耐え、シルビアさんが不満げに口をへの字にする中、俺は安堵の息を吐いた訳だが……
 そんな俺の態度が気に入らなかったのか、「……全開でブチ込む……」とかシルビアさんが言い出し……何故かそこから記憶が無い。
 何かケツが痛い気がするが、きっと気のせいだ。


 そういう事にしておいた方が良い気がした。


「やっぱウチの娘達のシゴキはすごいだろう? 俺のカミさん譲りだ」


 どうやらこの人は真性のドMらしい。
 そんなドM中年はリビングに面したキッチンに立ち、夕食の準備をしている。


 さっきから俺の空きっ腹を刺激する、このクリーミーな匂いは……シチュー辺りか。


「今日も疲れたろう。晩飯はシチューだぞ。お前の皿にはたんと肉を盛ってやる。残すなよ。がははははははは!」
「どうも……」


 本当、元気で気の良いおっさんである。
 その娘がアレという事は、相当母親の遺伝子が強かったのだろう。


 で、件の娘さん達が見当たらない。


「シルビア達は風呂だ。覗いてみるか? まぁ生命の保障はしないが」
「一時の性欲と生命じゃ、天秤にかけるまでもねぇだろ」
「ああ、だな。……俺は何も言わなかった」
「ああ。俺は何も聞いてない、そして修行の汗を流したくてしょうがない」
「行ってこい漢よ、グッドラック」
「おう」


 奇跡エロイベントは待っていたって始まらない。
 そう、自分から起こす物なのだ。








 己のアホさを悔やみながら、俺はすっかり冷めたシチューを啜る。
 まぁアレだ。いわゆる賢者タイムだ。


「良かったな、その程度で済んで。がははははは!」
「まだ全身痛ぇ……セレナめ、人はサンドバッグじゃないんだぞ……まぁそれなりの物は見れたからいいけどさ……」


 明日以降のトレーニング内容がどうなるか、今はそれだけが心配だ。


 何で男ってたまに後先の事を考えず行動してしまうのだろうか。
 自分の性が嫌になる。


 ……まぁ、それでもくり返すから、漢なのだろう。


「しかし、ここに来たばかりの時より大分たくましくなったな。あの頃のお前なら、さっきのは100コンボあたりでは死んでたろうよ」
「そりゃ、あんな無茶苦茶な鍛えられ方してりゃ、たくましくもなるだろうよ……」


 お宅の娘さんはマジで加減を知らないぞ。
 あの姉妹は「人間死ぬまでは限界じゃない」という理論を信じ過ぎている。


「ま、魔王には遠く及ばんがな! あと1週間では到底……というかそもそも、武も魔法も素人な奴を2週間で魔王越えさせるなんて土台無理な話だ」
「ですよねー……」


 魔王さんがまたぎっくり腰を再発してくれるのを祈った方が良さそうだ。


「おお、そうだ。そろそろ『年中無休事故死過労死上等激烈牧場物語ドキュメント』が始まるな」
「すげぇタイトルだな……」
「いやぁ、面白いぞ。スリリングでな。でもあれは真似したいとは思わん。見るたびに、やっぱモンスター系の家畜はやめて正解だったとしみじみ思う。羊と牛は火を吹かんからな」


 この世界には火を吹く家畜がいるのか……


 そんな呆れ顔の俺を気にせず、ゴウトさんは片手でコーヒーを口に運ぶ。
 コーヒーを啜りながら、空いている手でリモコンを使い、テレビの電源を入れた。


 途端、


『速報です!』


 慌ただしいキャスターの声。
 かなり慌てている様だが、どこか嬉しそうな雰囲気もある。


 なんだ、パンダの子供でも生まれたか……ってここは日本じゃないし、それくらいじゃニュースにならないか。
 そもそもパンダなんてモンがいるかどうかも……




『本日昼頃、超S級冒険者チーム『レッド・ガーヴェラ』が、魔王を討ち取ったとの事です!』




 俺がシチューを吹いたのと、ゴウトさんがコーヒーを吹いたのはほぼ同時だった。
 空中でシチューとコーヒーが融合し、気持ち悪い汁物へと変貌する。


『これにより、魔王城周辺の防御は瓦解し、ベスタリア国軍はこれを好機と…』


 何か小難しい政治の話に以降しつつあるが、俺は完全に置いてきぼりを食らってしまった。
 そりゃあ、理解し難いニュースだから仕方がない。


「…………」
「な、なぁゴウトさん……い、今……魔王が……どうのって……」
「……あ、ああ……はっきり、言ったな」


 魔王が、討たれた。
 どこの馬の骨とも知れない冒険者達に。


 キャスターは、はっきりとそう言った。
 ドッキリという看板を見せる素振りは無い。


 つまり、本当に魔王は討たれたのだろう。


 しかし、俺が元の世界に転送される兆候は無い。


 それはそうだろう。
 だって、俺が元の世界に帰るための条件は、『魔王が倒される事』では無い。


『俺の手で魔王を倒す事』……なのだから。


「……あの、魔王って、もしかして第二第三のとかも……」
「いる訳ないだろう」


 そりゃそうだ。
 そんなに魔王がいたら人間まともに暮らしちゃいれない。
 呑気に牧場なんぞ経営してる余裕は無いだろう。


 魔王はこの世界に1人だけ。
 そしてそれは今、他人の手で討たれた。


 つまり、


「おい、ロマン……お前、これからどうする?」
「は、はははは……どうしましょう……?」


 俺が元の世界に帰る希望が、断たれた。



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