とある離島のインペリアルボーイ
24,逃げるメリーさん
「さ、仕事の時間ですよ、『鬼戦式神』、『獣戦式神』」
ポツリとつぶやき、糸目のサラリーマン風青年は右手に持ったビジネスバッグを振るった。
バッグから、2枚の紙が溢れ出る。
それは、小さく、かつ複雑に折りたたまれた白い折り紙。
1枚は人型に折られており、もう1枚は猫を模して折られていた。
2枚の紙型は地面に突き刺さり、膨張する。
歪に膨らみながら、その色合いは白から光沢を持つ鋼へと変貌。10秒もしない内に、放られた折り紙は変化を終えた。
人型は鋼色の装甲を纏った機械の大鬼、猫型はこれまた鋼の装甲に包まれた巨大な機械の虎と化す。
どちらもかなり大きい。
鬼の方は全長推定8メートルはあり、猫型も直立すれば同様だろう。
「なっ……『式神』て……まさかあの兄ちゃん、陰陽師かいな!?」
「陰陽師を知っているですか、無粋なデブ猫」
「あの男は陰陽師……それも、私を狙ってる……!」
「はぁ? なんでや?」
「なんでって……陰陽師って、悪い幽霊や妖怪を狙うモノ、でしょ?」
「いやいや、概ねそうやけど、嬢ちゃんが『式神で襲われる』理由は無いやろ」
「……?」
サンダーが何を言いたいのか、メリーさんには理解できない。
「陰陽師が式神を使って討伐すんのは、『悪霊』級と判定される邪気を纏った幽霊や妖怪や。嬢ちゃん、どう見てもまだ悪霊やないで」
「…………へ?」
「んん~……どうやらデブ猫さん、あなたは詳しすぎる様だ……鬼神、猫神、あのデブ猫も潰せ」
「なんやて!?」
青年の言葉に応じる様に、鋼の鬼と鋼の猫が咆哮を上げた。
全長10メートル近い2つの鋼の塊が、メリーさんとサンダーに勢いよく迫る。
「あ、あいつごっつありえへんわ!」
「あ、うわっ」
サンダーは2本の尻尾で素早くメリーさんを絡め取り、自分の背中に乗せ、跳んだ。
サンダーとすれ違う形で鋼の鬼の鉄拳がベンチに直撃。粉々に文字通り粉砕してしまう。
「冗談やない! 逃げるで嬢ちゃん!」
「え、あ、うん」
「逃しませんよ!」
「はっ! ナニワのサンダーボルト、舐めんなや!」
「ちょ、き、きゃああああああぁぁぁああぁぁぁ!?」
その余りの猛速に、メリーさんは絶叫しながらサンダーにしがみつく。
青年や式神が何かする暇も無く、サンダーはまさしく雷光の如く、一瞬にして公園から走り去っていった。
「……んんん~っ! これはこれは予想外に予定外ですねぇ!」
猫又の存在は、青年に取って完全に予定外のモノだった。
「ま、逃げられる事自体は、想定済みですけどね」
実はこの青年、今までに3回もメリーさんを取り逃している。
逃げられる事は、折込済み。
「『いつも通り』この辺で退散しても良いのですが……今回は、もう少し追い詰めてみましょうか」
青年はビジネスバッグから、新たな紙型を取り出した。
「出番ですよ、獣戦式神……犬神」
サンダーは元々、陰陽師に飼われていた猫である。
なので、陰陽師については少し詳しい。
陰陽師とは、大気中に存在する残留思念をエネルギーとして抽出する才能を持った連中。陰陽師達はその才能を『霊感』と呼ぶ。
霊感を持ち、その才能をいかんなく発揮して悪霊や妖怪を成敗、平和を維持するのが陰陽師と言う人種である。
しかし、陰陽師らは無差別に霊物や妖怪を成敗している訳ではない。
霊や妖怪にも善良なモノはいると、連中もよくわかっている。
陰陽師が成敗、排除するのは、一定量以上の『邪気』を内包する霊と妖怪に限る。そこに該当しない霊や妖怪については、何か問題を起こしたとしても武力行使は希。普通は勧告か一時拘束で済まされる。
陰陽師の擁する思念術兵器、『式神』。
その式神を用いて武力排除を行う対象と言うのは、かなりの人的被害をもたらした危険な霊・妖怪と言う訳だ。
「私、確かに嫌がらせはしてたけど……」
「普通、悪戯程度の嫌がらせで、式神持ちの陰陽師が出張ってくるなんてありえへん」
サンダーの目から見て、メリーさんの持つ『邪気』は大したモノでは無い。
邪気云々を抜きにした霊物としての純粋な格も、中の下程度だ。
そしてやっていた事は悪戯であり、直接的暴力行為に出た事は無いと言う。
ならば、式神で排除されると言うのは、おかしい。
「あんの兄ちゃん、何かおかしい、絶対に狂っとるわ!」
尻尾を使ってメリーさんを自分の体に巻きつけながら、サンダーは疾走する。
もうあの公園から数キロ単位で距離を取った。
「……そろそろええやろ」
雑木林の入口でサンダーは止まり、メリーさんを下ろした。
「とにかくあれやな……どないする?」
「……逃げても無駄、どういう訳か、あいつは私を探知できるみたい」
「まぁ陰陽師を総括しとる組織には、霊物や妖怪の索敵能力に優れたモンがおるらしいからのぉ……でもな、明らかに悪霊じゃない者を討つっちゅうのは連中の中でもタブーのはずやのに……」
「簡単な話ですよ、偽りの報告書を上げただけです」
「っ!?」
雑木林の方から、声。
木の陰から、あの陰陽師の青年が姿を現した。
「なっ……なんで先回りされとんのや!?」
「んん~、『この子』のおかげですよ」
木の上から、小さな鋼色の物体が降りてきた。
子犬だ。鋼で象られた、小さなブルドッグ。
「この最新式の式神、犬神が司るのは、『未来的嗅覚』。対象の匂いが未来的にどこに行き着くかを探り当てる事ができるんですよ。ま、精度は7割程ですが……未来予測系の能力としては群を抜いた数値です」
青年はサンダー達が行き着く先を予測し、そこへ最短ルートで先回りしていたのだ。
そして、サンダー達を挟み撃ちにする様に、背後から巨大な鋼鬼と鋼猫が立ち塞がる。
「っ……お前、偽りの報告書て……この嬢ちゃんを悪霊や嘘言うて討伐要請を認可させたっちゅうことか!?」
「ええ、こう見えて、僕結構色んな所に手が回るんですよ。報告書や添付材料の捏造なんて、容易い事です」
「なんで……なんでそうまでして私を……」
「んん~……あなたが僕好みだからですよぉ、メリーちゃぁぁん」
「好み……?」
「はい」
青年の笑顔が切り替わる。
悪意の無い、秋晴れを思わせる爽やかな笑顔だ。
「僕は、いわゆる性嗜好異常者予備軍と呼ばれる人種です」
「……ぱらふぃりあ?」
「精神疾患の1つやな。日常生活に支障をきたすレベルで性的嗜好が独特……悪い言い方をすんなら、変態性が際立っとる奴の事や」
精神医学の分野では、精神障害の病名の1つとして用いられる。
社会的・性道徳的に異常とみなされる性的嗜好を持つ人間の事を指す。
昔は直球で『変態欲求症』なんて呼ばれていたが、差別的な表現であるとして今ではパラフィリアと呼ばれるのが一般的だ。
「要するに、ギャグじゃ済まん方の変態や」
「はい。自覚はありますよ。陰陽師になってなかったら、多分今頃、獄中の精神更生施設の常連患者でしょう」
「モノホンかいな……」
「そうですよ。ちなみに、僕は幼児をグチャグチャにするのがとても大好きなんです」
サラッと、取り留めのない事の様に青年は言葉を紡ぐ。
「あの小さく無力な生物を蹂躙する事、それが僕の生きがいなんです」
その言葉は、青年の異常性を表している。
そんな言葉を、青年は当然の理屈の如く口にする。
「弱い者いじめ主義とでも言いましょうか……理不尽な暴力に悲痛な叫びを上げ、運命を呪う様に表情を歪めるその様が……たまりません。んんっ! 想像しただけでファンタスティック!」
「……っ……」
まるで映画の台詞の様に淀みなく踊る言葉、真っ直ぐな瞳、愉悦に歪む表情。
思わず、メリーさんとサンダーは後ずさってしまう。後方には破壊の化身とも思える鋼の式神がいるのにだ。
式神達よりも、あの青年の異常性の方がおぞましい。
「しかし、反面、犯罪者にはなりたくないんですよね、僕。そんな僕には、陰陽師と言う職は天職でしたよ」
「まさか、お前……!」
「いやぁ、幽霊も妖怪も、探せば結構いるモンですよ……幼児の様な姿をした者達が」
メリーさんとサンダーは、理解した。
この青年が何故、報告書を偽造し、メリーさんを殺そうとするのか。
ただの、趣味だ。
「……ふざけんなや」
サンダーの全身の毛が、逆立つ。
そして、青白い光を帯び始めた。電気だ。
「サンダー、戦う気なの?」
「あんま戦闘は得意や無いんやけどな……あの犬の式神がおる限り、逃げても無駄や。それに、あんの外道は、放っとかれへんわ!」
「下級の妖怪風情が、僕に挑むおつもりですか?」
「せやで、そのクソ面、黒っこげにした後に引っ掻き回したるわ!」
「勝てるの……?」
「……無理やろな。流石に戦闘用式神2体相手はキツいわ」
ボソッと、メリーさんにだけ聞こえる様にサンダーはつぶやいた。
「……嬢ちゃんは早よ逃げや」
「……! まさか……」
「安心せぇや。あの犬の式神だけは絶対に意地でも破壊したる……! そうすればどぉにかなるやろ! 今度こそ、年の功っちゅうモンを見せたるわ!」
「どうして私のために……」
「気まぐれや、猫やからな。理由なんぞ知らんわ」
やりたいと思ったら深く考えず、やる。
それがサンダーの主義だ。
メリーさんを守るために生命を賭す事に特に躊躇いは無い。
だから、やる。
「……待って……!」
「なんやねん! 一応言うとくとワイは気ぃ変わんの早いぞ!? 猫やからな!」
「……もしかしたら、あいつに勝てるかも知れない人を知ってる……」
「!」
メリーさんは知っている。
特殊な出自により、一時期生命を狙われていたちょっと不幸な少年を。
そして、その少年の周りに集った戦力を。
「………………」
しかし、協力してくれるだろうか。
メリーさん達を守るためだけに、何のメリットも無い戦いに臨んでくれるだろうか。
戦いと言う事は、万が一もある。
メリット皆無の状態で、デメリットだけを背負ってくれる人間なんて……
「…………でも……!」
信じて、託すしか無い。
意を決し、メリーさんは右手で指電話を作り、ある人物へと電話をかけた。
この世界にたった1人しかいない友人に、助けを求める。
『……大丈夫ですか?』
「……肉体的には……」
精神的には完全にトラウマになったと思う。
図書館から帰宅したBJ3号機が差し出してくれたタオルを受け取り、俺は自分の血まみれの顔面を拭う。
俺の血では無い。この血は、そこでブッ倒れてる血色悪いけど超幸せそうな寝顔を浮かべてるお姉ちゃんの血液だ。
「何故、新年2日目の朝からこんな目に……」
『災難ですね』
軽い調子で言いながら、BJ3号機は新たに借りてきたらしい蔵書数冊をコタツの上に置く。
またしてもレシピ本やら歴史書やら文庫小説やら、雑多なラインナップである。
「あ、その小説、俺も読んだ事あるわ」
それは児童文学作品で、確か内容は……魔法で若返った三十路のおばはんが、異世界でイケメン王子を助ける単純活劇だ。
『そうなんですか。って事は、挿絵が多いんですね』
おお、BJ3号機も俺がどういう人間か理解できてきたらしいな。まさしくその通りである。
中学時代、夏休みの課題で出た読書感想文を書くために、中身をパラ見して挿絵の多い小説を探し求め、これに行き着いたのだ。
「なつかしいなー……」
とか何とかつぶやいた時、ポケットに突っ込んでいた二階堂が熱唱し始めた。
「お、メリーさんじゃん」
なんだなんだ、早速やりたい事でも見つかったか。
「はい、もしもし」
『私メリーさん……今、とにかく逃げ回ってるの』
「いきなり何事!?」
『陰陽師に、追われてる』
陰陽師って……
『このままじゃ、サンダーも私も……殺される』
「っ!」
サンダーって誰だよ、とも思うが、今はそんな事を気にしてる場合じゃない。
『勝手なお願いかも知れない……でも、お願い、助…」
「今どこにいる!?」
『え……?」
「今どこにいるんだって聞いてんだ!?」
『その……ちょっと待って、わかってる? 戦いになるんだよ?』雑木林の近く、波止場に向かって走ってる。
「よし、そのまんま波止場まで真っ直ぐ行ってくれ! すぐに行くから!」
『ちょっと待って、本当に私の話をちゃんと聞いて…』
「逃げる事に集中してろ!」
とりあえず、通話を切る。
陰陽師、か。よくわからんが、殺されると言われちゃ放って置けない。
陰陽師とやらがどんな戦力を有しているかわからないが……とりあえず、俺1人じゃ戦闘になったらまぁ勝目は無いだろう。
「BJ! ちょっと急ぎめかつハードめなお願いがある!」
『なんですか?』
「友達がピンチなんだ……戦闘になるかも知れない。イケるか?」
『友達のピンチって……』
「生命に関わる事かも知れない」
『なっ、一大事じゃないですか! 急ぎましょう!』
読み始めようとしていた本を閉じ、BJ3号機は背面のハッチを展開。
スマホ型のコントローラーを取り出し、俺に差し出して来た。
「ありがとう、BJ」
『人々の生命を守るのは、僕の仕事でもあります。身近で起きている事件を知って、野放しにはできません』
……まぁ、正確には人では無いけど、似たようなモンだ。
さて、陰陽師とやらが、メリーさんを襲うのには……まぁ理由があるんだろう。
メリーさんは人間に嫌がらせをしていたらしいし、その辺の関係だと思われる。
だが、それだけで殺すってのはいくら何でもおかしいだろう。
どう考えても説教やゲンコツ1発くらいで充分な範疇のはずだ。
納得できない以上、行動するしかない。
とりあえず、まずは陰陽師さんに会って、事情を伺う。
そしてそれでも納得できなかった時は……戦う事になるだろう。
あんまり物騒なのは好きじゃないが、そんな理由で理不尽な殺傷を見過ごせるか。
俺も、理不尽に殺されかけた事がある。
そして俺は助けてもらった。その理不尽を見過ごせないと言ってくれた人達の善意で。
そんな俺が、そういう善意を見せないでどうする。
「行こう、BJ!」
『はい!』
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