拷問部屋とヘタレと私

須方三城

五日目。不用意に家庭事情に踏み込むのは危険。

 極秘地下収容所『アビスプリズン』。
 主に政治犯や他国のスパイ容疑者を極秘裏に収容する地下留置施設である。


 ちなみに、施設地上部分の建物は小規模な公務員用団地となっており、所属する刑務官達が住んでいる。
 表向きにはこの場所はただの公務員住宅団地、と言う事になっている訳だ。


 そんなアビスプリズン内には、従事する刑務官用に設けられた喫煙所を兼ねた休憩室がある。
 広さは大体二人用のビジネスホテルの一室くらい。そこに自販機が二台、長卓が一つにその卓を挟む形で三人掛けのベンチが一つずつ設置されている。


「はぁ……」


 自販機で桃風味の乳酸菌飲料を購入しながら、骨太な大男が深い溜息を零した。


 彼はギルエス・ブルーブロッド。
 大学卒業後、国家公務員試験をそこそこ優秀な成績で通過し刑務官に就任。就任後すぐに、入れ替わる形で定年退職した者の穴を埋めるべく、特別な理由も無しに特務刑務官に抜擢。アビスプリズンに拷問吏として配属された。


 そんな成り行きで拷問吏となった彼だが、拷問吏としての成績はそこそこ優秀。
 一人の対象に異様に時間をかける事が難点だが、情報を得る前に対象が死亡したりガセネタを掴まされた事は一度も無い。しかも、彼は一切対象に暴力的な行為を行っていないと言う。
 故に、同僚達からは陰で『無血の拷問吏ザ・ピースマン』と呼ばれ一目置かれている。


「何故、だろうな……」


 何かに辟易する様な様子でギルエスがペットボトルのキャップに手をかけた。
 その時、丁度休憩室の扉が開く。


「あー、疲れた疲れたー……って、おお、ギルじゃないか」
「! アーリン先輩……」


 入室して来たのは見事な銀の長髪を三つ編みにした女性。赤いTシャツにジーンズと言う非常にラフなファッションスタイルだ。
 下手なイケメン俳優よりキリッとした顔立ちや「軍人かお前は」と言いたくなる逞しい部類の体付きが、絶対的な姉御力を演出している。


 アーリン・ハードネイル。
 ギルエスの先輩拷問吏であり、周囲の共通認識は「とりあえずまず爪から剥ぐ人」。


「相変わらず景気の良くない顔をしているな、お前は。それ、景気づけの先輩キック」
「おごぉッ!?」


 禁煙用のガムを膨らませがら、アーリンがギルエスの太腿に割と力を込めた蹴りを叩き込む。
 スッパーン! と言う痛快な音が響き、ギルエスはその場で綺麗に崩れ落ちた。


「うむ。キレばっちり。快調快調。アタシは今日も元気。そんな元気をお裾分けだ」
「っァ、アーリン先輩……いきなりこれは有り得ないです……!」
「で、どうした? 新しく振られた担当が相当厄介なのか? それとも何か別件か?」


 太腿を全力でさすりながらうずくまるギルエスに構わず、アーリンはツカツカと自販機の前へ向かい、流れる様に小銭を流し込む。
 もう既に何を買うか見当を付けていたのだろう。ギルエスの股がパーンッてなってから自販機がガタンゴトンとペットボトルを吐き出すまで一〇秒もかからなかった。


「あ。さてはブスい貴族令嬢との見合い写真でももらったか? 良いとこの坊ちゃんは大変だな」
「違いますよ……実は、上の方々から『結果は認めるが、時間をかけ過ぎだ。もうちょい頑張れないの? いや、結果さえ出してくれれば良いんだけどね? 早ければ早い程もっと良いって言うかね?』…と、やんわり目に注意を受けてまして」
「あー、前にもそんな事言われていなかったっけかお前」
「はい……なので、今回の担当は最初から結構キツめの責めを行ってみたんですが……全く堪えてる様子が無くて」


 ようやく痛みが引き、ギルエスはゆっくりと立ち上がる。


「でもお前、新しく担当振られたのってついこの間じゃなかったか? まだ諜報部から報告調書も上がってないんじゃ…あ。あの『忍者』なら二日もあれば充分か」
「あ、いえ。まだ上がってないです。どうも今回は『影犬カゲイヌ』じゃないみたいで……」


 アビスプリズンに収監された人間の詳細調査は、国が雇っている優秀な諜報員達が行ってくれる。
 そこから上がってきた情報を元に、拷問吏は聞き出すべき情報を絞り、本格的な拷問を行う訳だ。


 まぁ、いくら優秀と言ってもだ。他国の人間の詳細調査となると、それなりに時間は要る。
 大体、情報が上がって来るのは収監から一週間前後。長ければ二週間以上かかる事もある。
 ただ『影犬』と呼ばれる凄腕の諜報員だけは異様に仕事が早い。海の向こうの国の調査対象ですら二日三日で完璧な調書を上げてくる。


 エミリナが収監されてもう五日目。どうやら彼女の調査を行っているのは影犬では無いらしい。


 正直、ギルエスは影犬が苦手で余り関わりたくないので、ちょっと安心している節があったりする。


「じゃあやっぱり、まだそんな急ぐ必要無いじゃないか」


 先も言った通り、拷問吏はその情報を頼りに捕虜から引き出すべき事柄を決めていく。
 なので、その情報が上がるまではいわば仕込み期間。捕虜の基本情報を得たり、立場を教え込むための時間だ。そこまで焦って責問する必要は無いのである。
 と言うかむしろ、この期間中は万が一にも捕虜を死なせてしまわない様に軽めに責めるべき時期だ。
 アーリンですら、調書が来るまでは爪をあんまり剥がない。せいぜい五枚だ。


「やはり、全体的に工程を早めた方が良いかな、と思いまして……」
「…………ああ、そうか」


 まぁ、お前のやり方じゃ最初からクライマックスの意気込みでアクセル踏んでも捕虜は死なんモンな、とアーリンは納得。


「今日は、あの異様にゾクゾクする頭皮マッサージの棒の奴を小一時間やってみたんですが『程よい気持ち良さでナイス』って涼しい顔で……! しかも途中ですごく安らかな顔で寝息を立て始める始末……! 切り札だったのにッ!」
「アレは効かない奴には効かないからな。かく言うアタシも効かないクチだ」


 それのどこがキツめ? と言う突っ込みは入れない。
 アーリンはギルエスのヘタレっぷりをよく知っているからである。


 アーリンはギルエスが新人の頃、彼の研修指導を担当していた事がある。
 その際、出来るだけ痛みを与えながら爪を剥ぐレクチャーを行ったのだが、開始四秒でギルエスは貧血を起こしてブッ倒れた。


 最初の頃はアーリンも、拷問吏に不向き過ぎるギルエスの気質について色々と罵った。
 先輩としてアーリンが最も忌避するのは、可愛い後輩が挫折し、無念の内に職場を去る事。
 多少嫌われようと関係無い、とアーリンはギルエスの人格を捻じ曲げんばかりの勢いで教育に当たった訳だ。


 が、結果としてギルエスはギルエスのまま、ギルエス流ヘタレ拷問でそれなりに成果を出していく事になる。


 あぁ、それで上手くいくならまぁ良いか。良かったな。んじゃ、後はそのお前流で頑張れ。
 と言うのが、アーリンの最終的な所見。


「うぅ……一体どうすれば良いんでしょうか……」


 ただ、そのギルエス流にはまだ改善すべき点があるらしい。


「まぁ、今まで通りでは越えられない壁に当たったなら、何か新しい試みが必要だろうな」
「新しい試み、ですか?」


 先輩として、何かしら意見を出してやるべきか……とアーリンは一考する。
 しかし、ギルエスに出来る範囲での行為となると、中々の難題だ。何せ、アーリンは正統派の拷問吏なのだから。
 それでも先輩として、困っている後輩のために一肌か二肌くらいは脱ぎたい訳だ。


「うーん……あ、そうだ。『あのやり方』ならお前も出来るんじゃないか?」
「アレ、と言いますと?」
「先日、和製の刑事ドラマで見たんだが……」










 夜。
 すっかり囚人服がサマになってきた金髪ナイスバディのスパイ、エミリナの独房。


「おお……いつの間にか一匹になってる」


 昨日、ギャパ奈が独房の隅っこに置いてった水槽。
 今朝までは二〇匹前後のムカデがいたはずだが……共食いしたか、はたまた合体でもしたか。水槽の中身は、見た事無いくらい異様にデカいムカデが一匹だけになっていた。
 赤ん坊の腕くらいの太さで、その全長は真っ直ぐに伸ばせば五〇センチは下らないだろう。
 化物ムカデ、と言う言葉がよく似合う。
 今は眠っているのか、トグロを巻き、たまに触覚が揺れる程度で蠢く気配は無い。


「さしずめムカデの王様ですなー」


 どう言う原理でそうなったかはわからないが、正味どうでも良い。エミリナは虫が好きでも嫌いでも無い。
 なので放置しておく事にする。


「テレビでも見よっと」


 と言う訳で、二日目にギルエスが置いてったテレビの電源を入れる。
 すると直後、ドアが開いた。


「お、やっほギッさん。晩御飯?」


 入室して来たのは、ギルエス。その手にはいつも通り食事の乗ったトレイを持っていた。


「ああ。だが、ただの夕食ではないぞ」
「?」
「責問を兼ねた、地獄の夕食だッ!」


 くくく、と不敵に笑うギルエス。
 対して、エミリナは一応「えー恐いー」とつぶやいてあげる。ギルエスのフォロワーとして、当然の気遣いである。


「そう余裕ぶっていられるのも今の内だ…! 今回は偉大なるアーリン先輩考案の責めだからな! あの人は拷問吏として非常に凄腕だぞ! 調子の良い日に下手に近づこうモノなら、挨拶代わりに延髄切りを叩き込んで来る様な人だ!」
「ギッさん、そのエピソードだと『拷問吏として優秀』と言うか『人としてイカれてる』と言う印象しか受けない」
「そう言う節もある。良い人なんだがな。こう…ナチュラルに人の痛みを理解できない人と言うか……」
「あ、そうなんだ……」
「まぁ、先輩の話は置いといて、だ。色んな意味で食らえ! 日の出ずる国が生んだと言う自白誘導用食物型兵器……!」


 その名も、


「『カツ丼』ッ!」
「わおっ! すごっ! 超がっつり系じゃん!」


 今までの健康大好き志向が過ぎる膳には全く無かった、暴力的なまでの脂のテカリ。
 極厚の衣の上から美しい卵黄の奇跡を纏った豚肉が、丼の中、白米の上で夜空の一番星よりも輝いている。


「え? 良いのこれ!? 私は遠慮なく肥えるよコレ!? まぁ今までの経験上、全部おっぱいに行くけど」
「ああ、好きなだけ食うが良い。あとリアクションに困るからいきなり妙な単語を口走るなマジで」
「で、食べる前に本気で確認したいんだけど、これのどこが責め?」
「ふっ、アーリン先輩曰く、日出ずる国の警官は口の硬い相手に何かを喋らせたい時、まずはカツ丼を振舞うんだそうだ」
「激しく初耳なんだけど。私、結構あの国の文化には詳しい方だよ? 漫画・アニメ情報が主だから多少偏りはあるけど」
「先輩はドラマが情報源だと言っていた」


 ああ、じゃあ私が把握してないのも無理ないか。とエミリナは納得。


「ふーん……にしても、不思議な文化だねー。脂で口の滑りを良くする的な? まぁ良いや。いただきます」


 こんな欲望をてんこ盛にした様な食事は久々だ。今までの食事に不満があった訳では無いが、素晴らしい。


 エミリナは初っ端から丼の縁にかじりつき、スプーンで掻き込む様にカツ丼を食らい始める。


「むほほ! ひっはん、ほれはいほーッ!」
「咀嚼しながら喋るな」
「ぶはぁあーッ! ごちそうさま!」
「早ッ!?」
「ふぃー……確かな満足感……!」


 エミリナは幸せを顔いっぱいに広げた様な笑みで丼をギルエスに返却。
 丼の内には米粒一つどころか卵の痕跡一つ残っていない。まるで食洗機にかけた後の様な真っ新な状態だ。


「お前…一体どんな口の構造をしてるんだ……」
「ん? 普通だと思うけど」


 見てみる? とエミリナは「んあ」と大口をかっ広げギルエスへ向ける。


「…………よくわからん」


 よくよく考えてみたら、他人の口内なんて見る機会はそうそうない。
 なので、見せつけられてもそれが普通の代物なのかどうか、比較のしようが無い。


「まぁ、お前の口の構造はどうでも良い事だ。さて、どうだエミリナ・スカーレット。本当の事を吐きたくなったんじゃないか?」
「そう言われても、私は本当にフリーのスパイなんだってば」
「アレェ……!?」
「アレェじゃなくて。何度も言ってるでしょ? マジだって」


 そろそろ少しくらい信じてくれても良さそうなモノだが。


「ぬぬぬ……なんて、言うと思ったか?」
「?」
「先輩考案の責めは、これで終わりでは無ぁい!」


 アーリン曰く、カツ丼を食わせるのは走り幅跳びで言う『助走』。
 例の国の警察官は、カツ丼を振舞った後に、『こう』切り出す。


「さぁ、エミリナ・スカーレット……故郷の母の事を思い浮かべろ。きっとお前の母は…」
「えーと、ギッさん? ちょっと良い?」
「何だ?」
「私その…お母さんの事、全然知らないからちょっとそれムズい」
「………………え?」
「私、物心ついた時には施設だったから……」
「……………………」
「……………………」
「…………すまん」
「あ、いや別に、そんなセンチな柄じゃないから全然平気だけどね。って言うかむしろこっちの方こそごめん」


 ギルエスが非常に自信満々に放った渾身の一手を、これ以上無いくらい完全に空振らせてしまった。


「……いや、本当その……あの……俺、知らなくて……」
「だから大丈夫だってば」


 ギルエスがすごく申し訳無さそうな顔をしている。
 人って表情筋だけでここまで『申し訳無さ』を表現できるのか、とエミリナはついつい感心してしまう。


「諜報部から君の調査情報が上がるのを待てば、こんな事にはならなかったのに……考え無しに焦って俺は……」
「いや、だーかーらー気にしてないって…」
「……俺は……俺は鬼畜のゴミクズだ……最低だ……うっ、ぅう……」
「え、うわっ!? ちょっ、ガチ泣きやめてギッさん! 痛い痛い痛い! 心が痛いッ!」
「ぇうっ…ごめんなさい……ごめんなさい……うぅ…ご、ごめんなさい……」
「イヤァァァァ!! その謝り方もやめてェーッ!!」


 ギルエスが平常心を取り戻すまで、三時間近くかかったと言う。





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