BLACK・LIKE
11,黒斑さんは罵倒される事に慣れてきてる。
俺は何時、一体何をやらかしてしまったんだろう。
夕刻。
軽やかでありながら落ち着きのあるピアノの音色で満たされた車内。
サングラス越しに運転席から赤信号を見上げ、黒斑は考える。
「……ねぇ、黒志摩ちゃん」
「はひ」
「……どうしたの?」
「にゃ、なんでも、ありませんが?」
絶対何かあっただろッ!? と叫びたい気持ちが留まる所を知らない。
何なの? ねぇ、何なの? 何でチラチラとこっち見て来んの? その癖、こっちが視線を合わせに行くと首がねじ切れんばかりの速度で反対方向を向くのは何なの? 何で話しかけたらメチャクソ挙動不審な返答になるの?
しかも、それらをほぼ無表情でやってるから若干のサイコホラー的恐怖がある。
表情筋と情緒の釣り合いを司る脳器官がイカれているとしか思えない。
それでも紫藤田原なら何かを読み取れるかも知れないが……黒斑には難易度が高い。無理。
そして何より、一番の違和感は……
(今日はまだ……一回も「中年」とか「見苦しい」とか言われてない……!?)
と言うか、罵倒の部類に入る発言が一切無い。
いや、心の底から喜ばしい限りだが……調子が狂う。
人はいきなり冷水に浸かると、ショックで心臓がヤバい事になったりする。
なので黒斑ここ最近、冷水に心臓を慣らすが如く、黒志摩に罵倒されたメモリーをじっくり思い返してから、オフィスに入る様にしていた。
だのにこれだ。
これでは、今朝の黒斑は自身のテンションを無意味に一オクターブくらい下げてきただけである。
決して、罵倒されたい訳では無い。
でも、何か不安と言うか、心配になる。
いつも事ある事に噛み付いてくる猛犬が、尻尾を丸めてしおらしく伏せていたら、獣医に電話する人が多いと思う。
それと同じ感覚である。
「黒志摩ちゃん。体調悪いなら、今日は帰った方が……」
「ぃ、いえ。全然、全然かなり最も激しく大丈夫ですが? むしろ逆に黒斑さんの方こそ、体調的な面は大丈夫ですか?」
「いや、俺は平気だし、そこまで大丈夫だって強調するんなら止めないけどさ……」
……これは、見学に徹させた方が良さそうだな。と黒斑は決定する。
「もう本当にやる気とか色々満々ですので、ご心配なく。やれますよこれ。どこまでも」
そう言って、黒志摩は突然聖具帯袋から拳銃を取り出し、安全装置を解除し始めた。
「ちょっと待って黒志摩ちゃん!? 目的地まであと二・三分くらいあるからね!? どこで何する気!?」
「やれまふ。私、めっちゃやれまふよ? きゃはっ」
「何なの!? もしかしてアルコールでも入ってんの黒志摩ちゃん!?」
「き、勤務中におしゃ、お酒なんて飲むはず無いじゃないですか。やだなーもーきゃははははは」
「黒志摩ちゃんんんんんんッ!?」
情緒が不安定過ぎてもう本当に恐い。酒の力によるご乱心じゃないらしいが、もうむしろ素面でその不安定っぷりって方がヤバい気がする。
この一連の言動だけでも結構ヤバい気する。
だのに、それらを全て、極めてクールな無表情で放ってるモンだから……もうサイコ感が半端じゃない。
何なの? 酒どころか消毒用エチルアルコールでもガブ飲みして来たの? もう本当に恐い。
「……ッ! 黒斑聖務巡査長!」
「はい!? クロムラですが!?」
と、ここで突然黒志摩が声を張り上げた。しかも若干不安な発音で。
何なんだ、と黒志摩の方を見た瞬間、
「ッ!」
黒斑も全てを察し、急ブレーキを踏んだ。
茜色に染まる大通り。
少年は弾けんばかりの笑顔を天へと向け、堂々と道を歩いていた。胸を張り、足を高く振り上げて、まるで偉業でも成し遂げたかの様な振る舞いだ。
一体、彼は何を成し遂げたのか。
それは、少年が身に纏っている泥まみれのユニフォームや、肩に引っ掛けたバットケースを見れば、想像するのは容易い。
少年は、とあるリトルリーグチームのメンバーだ。
今日は初試合にして、初ヒット。そして初めてランナーとしてホームベースを踏んだ。まぁ、踏んだ、と言うか、正確にはギリギリの所で頭から突っ込んだ、だが。アニメやドラマで定番の、超スレスレ、ホームでのクロスプレーだった。
土埃の中、目の前に浮かび上がった白いプレート。口内に広がる土の味。鼻腔を満たす泥臭い匂い。そして、最後に鼓膜を揺らした、審判の声。
高揚冷めやらず、歩調は快速。応援に来てくれていた母と共に帰路に就いたのだが、既に母の足音が欠片も聞こえない程に先行していた。
気分が良すぎて、足が止まる気がしないのだ。仕方無いじゃないか。子供らしい、と大目に見るべきである。
「もー、待ちなさいってば」
少し遠くから、呆れた様な母の声が聞こえた。
「あははは! 母さん遅いなー、もう!」
「コラコラ、お母さんを置いて行くなんて、良い子のする事じゃないゾウ?」
「へ?」
不意に、すぐ背後から聞こえた聞き慣れぬ声。
ずんぐりむっくりとした大男を彷彿とさせる声色だった。
「何? 誰?」
少年が振り返ると、そこに居たのは……象、だ。
見上げる程の巨体に、扇の様な平べったくて大きな耳。太ましく、とても長い鼻。
ただ、普通の象とは明らかに違う点がある。
まず、脚先の形状。象の脚と言えば、丸太の様なモノの先に無骨な爪が付いている感じのイメージだが、その象は違った。
細長いスラリとした、人の腕によく似た形状のそれが、複雑に絡み合い、四本の太い脚を形成しているのだ。
更に、平べったい耳の裏側からは蠍の尾を彷彿とさせる、先端が鋭利に尖った触手が無数に蠢いている。
その異形を見て、少年らしく「わー、象さんだおー」と言うリアクションをするのは、至難の業だろう。
「え、ぁ…?」
唐突に訪れた異形との邂逅に、少年は一瞬思考が停止。
構わず、異形の象が笑い声を上げる。
「ゾハハッ! 当たりだゾウ。これで俺も戻れるゾ…」
「テメェ、何してんだゴルァ!」
「ゾウ?」
その歓声を遮る様に、男性の叫び声、続いて、乾いた銃声が響いた。
「ゾォウァ?」
銃声に呼応する様に、異形の象の側頭部に何かが衝突。
異形の象の皮膚を食い破るには力足りず、少年の足元に落下したのは……銀色の鉄で形成された、一発の弾丸。
「ッ……少し距離があったとは言え、完全に弾かれた!?」
ズサァァァッ! と凄まじい勢いで少年と異形の象の間に滑り込んだ、全身黒ずくめの男性。手には、金の十字が刻まれた自動拳銃。
聖務捜査官、黒斑だ。
黒志摩が車内から少年に近付く象型の魔物を発見し、急いで飛び出して来たのである。
「黒志摩ちゃん! こいつ『厚皮型』だ!」
厚皮型。二〇年程前に存在が確認された魔物の希少種。
通常式聖弾では大したダメージを与えられない程に厚い皮膚や殻を持った、厄介なパターンの魔物である。
厚皮型への対策は主に三通り。
まず、超至近距離での聖弾を撃ち込む。これが比較的一番簡単だが、厚皮型は零距離でも弾丸が通らない事が多いので、確実では無い。
次に、聖刃や聖棒を用いて表面を削り取ったり砕いたりした後、その箇所に聖弾を撃ち込む。まぁ、相当のリスクは背負う事になるが、最初のよりは無難な手だ。
そして最後に、この手を使える人員は限られるが……
「『穿通式聖弾』用意!」
それは、特別選抜討魔員のみ使用を許される特殊な聖弾。
街中での戦闘が大半を占める討魔戦。
魔物の体を貫通した弾丸が流れ弾として市民に被害を及ぼすなどあってはならない。そのため、通常式聖弾はかなり火力を抑えられた設計になっている。
故に、厚皮型の様に仕留め難い相手が出てくる訳だ。
穿通式聖弾と言う弾丸は『使用者』と『使用状況』を制限する代わりに、『流れ弾防止措置』とも言える火力制限を取り払い、極限まで貫通力・殺傷力を高めた聖弾なのである。
「は、はい」
黒斑の指示を受け、黒志摩がホルダから穿通式聖弾がセットされた弾倉を取り出す。
黒斑も同様。ただ若干もたついた黒志摩とは対象的に、慣れた手付きで瞬く間に弾倉を入れ替えた。年の功と言う奴か。
「ゾ、ゾゥ!」
よくわからないが、こいつらはヤバい。咄嗟にそう判断したのだろう。
象型の魔物は素早く踵を返し、黒斑達から逃走を図る。
「あ、待ちやがれッ!」
黒斑は思わず銃口を魔物へ向けたが……ダメだ。
先に言った様に、穿通式聖弾は使用者、そして使用状況を制限している。
穿通式聖弾を使用する場合、銃口は上空、もしくは地面へ向けなければならない。
つまり、魔物の懐に入って顎下から上方向へ発砲してそのド頭をブチ抜くか、魔物の直上から脳天をブチ抜く必要がある。
平面射線で発砲すれば、魔物を貫いた後、弾丸がどこまで飛び、何を破壊するかわかったモノでは無い。
「くっそ……! 黒志摩ちゃん! 俺は…」
俺は魔物を追うから、君はこの子を保護して。
黒斑はそう指示しようとした。
「黒斑聖務巡査長はその子の保護を! わ、私が追います!」
「は? いや、何言って……ちょぉ!?」
黒斑の制止も聞かず、黒志摩は全力で魔物を追いかけて行ってしまった。
「く、黒志摩ちゃん!? それは情緒がアレとかそんな洒落じゃ済まない判断ミ…」
「ちょ、ちょっと! あなた一体何なんですか!?」
「は、はいぃぃぃ?」
唐突に黒斑に絡んできたのは、何やら鬼の形相を浮かべた中年女性。
「銃!? 銃ですよねそれ!? ウチの子に何する気ですか!?」
「う、ウチの…? あ、この野球少年のお母様?」
「母さん! この人、今変な象さん撃ったよ!? 象さんって殺しちゃダメな『ほごどーぶつ』じゃないの!?」
「いや、少年、アレは象さんじゃなくてね?」
「象? 何言ってるの!? あ、変なオジさんが恐くて混乱してるのね!?」
「……は?」
今、目の前で走り去って行っただろう。
あれは大雑把にくくれば誰だって象に見えるはずだが……
「……もしかしてお母様、魔物は見えない系で?」
「魔物? 魔物って…確か、夕方になると出るって噂の?」
この反応……どうやら、この母は魔物が認識できない体質らしい。
親は魔物を認識する素質…いわゆる第六感知性質を持っていなくても、その子供が突然変異的に素質を獲得する、と言うケースは無くは無い。
父方が素質を持っていて遺伝した可能性はあるが、旦那が魔物を知ってるのに奥さんがこんな感じってのは中々無いだろう。
とにかく、少々面倒なパターンだ。
魔物が見えない親は、子供への魔物対策を怠る事が多いし、エスケーの推奨も中々聞き入れてくれない。
「あなた、もしかしてオカルト野郎共…じゃなくて、聖十字なんとかの人?」
ほら、お母様の目の感触が「子供に害を為す敵を見る目」から、「あんま関わりたくない変人を見る目」に変わった。
本当、一般市民様のエスケーへの理解度の低さは酷い。
「はいそうです! 俺は聖十字警察隊所属の黒斑と言います! 細かい所属等は急時なので省かせていただきます! 取り急ぎお母様! 息子さんは魔物が認識できる体質なので、俺らの事を不必要に忌避せず一回福祉課で話を聞いてください! 息子さんのこれからのためにも! 本当にマジでお願いしますね!」
手早く手短に、最低限伝えるべき事だけ伝える。
こっちはこっちで不味い事態が進行中だ。時間さえあれば、この野球少年のためにも黒斑は全力でお母様の理解度アップキャンペーンに努めたい所だ。が、生憎マジで時間が無い。
こう言う時のために、第三支署の福祉課窓口の連絡先が記された名刺は携帯している。
半ば押し付ける様に名刺をお母様に渡し、黒斑は急ぐ。
「以上! そんじゃ!」
「あ、ちょっと!」
「すんませんね! マジで急ぐんで!」
何かまだ言いた気だった母様を振り切り、黒斑は全力疾走。
中年呼ばわりされる歳の男とは思えない韋駄天走りで愉快な親子を置き去りにする。伊達に一〇年近くも聖務捜査官をやっている訳じゃない。
「ったく……ウチの子も世話が焼けるよ……!」
あんなグズグズの精神状態で魔物…しかも厚皮型とタイマン張るなんて、最悪の結果しか思い浮かばない。
「……ッ……」
黒斑の脳内で想起されるのは、一四年前、人生で最も忌まわしい記憶。
最低な一日の、最悪な瞬間。
喉に、あの時の圧迫感を覚える。
「……やめてくれよ、マジで……!」
あんな想いだけは、もう二度としたくない。
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