醤油とシーサーとモハメドの鋭いパンチ。

須方三城

12,醤油を借りるその子は実は。



 アナザニア帝国が、米国に対して宣戦布告した。


 連日の様に、新聞もニュースもその話題で一色。うんざりするほどだった。


 何も、突飛な話ではない。


 アナザニア帝国は、武力を以て南米地域のほぼ全てを侵略支配し、勢力と国土を拡大した軍事国家。
 時代を顧みない粗暴なアナザニアの振る舞いに、国連は再三警告した。その先頭に立っていたのが米国である。
 元々、両国は常に一触即発の状態だったのだ。


 それが、遂に爆発した。


「例え耳を塞いでいても聞こえる様な話題だ。今の世界情勢は充分に知っていると思う。その前提で話をさせてもらうよ」


 私とは似ても似つかない、髪も瞳も黒い日本人男性が、神妙な面持ちで話を切り出した。
 この人はママの弟にあたる人物…つまり私の叔父さんだ。
 早くに両親を亡くし、アメリカに独り取り残された私の世話をよく見てくれた人。


 いつもはとても気さくな雰囲気で、「ああ、この人はきっと悩みなんて無いんだろうな」と言う笑顔を常に顔に貼り付けている人だった。
 だのに、今は今までに見た事も無い様な真顔。それだけ真剣真面目な話をするつもりなんだと思う。


「君はこの国にいるべきではない。言わんとしている意味はわかるね?」
「……うん」


 ……世間様に公表されてはいないけれど、私のパパはアナザニア帝国現皇帝の【弟】だった。
 つまり私は、アナザニア皇帝の【姪】と言う事になる。


 国連には、私の存在を仄かに掴んでいる者がいる。
 だから、余り目立ち過ぎる事はしない様に気を付けて。


 つい数ヶ月前に、他の誰でもない叔父さんの口からそんな忠告を受けたんだ。
 叔父さんが言いたい事は、すぐに理解できた。


 アナザニアとアメリカの関係悪化を受けて、私と言う存在には奇妙な政治的付加価値が付いてしまった。
 おそらく、いずれ私の正体を明確に突き止め、どうにか利用しようと考える者が現れるかも知れない。


 私がこの国アメリカで今まで通りの生活を続けるのは、難しいと言う事だ。


「ハイスクールの卒業も間近だろう。それを待つくらいの時間の余裕はあると思う……そのあとの話をしよう」
「……私はどこに行けば良いの?」


 叔父さんの国……日本は、数年前まではアナザニアと国交があった。
 でも、今は完全にアメリカ寄りの姿勢で、アナザニアとも断交状態。つまり、アナザニアの横暴に待ったをかける国家群のひとつ。
 日本に行っても、リスクはこの国にいるのと大差が無いはずだ。


 アナザニアに帰るのも難しいと思う。
 パパは、家を捨てる様な形で母と一緒になったと聞いている。


 私が頼れる身寄りは、叔父さんだけ。
 でも、叔父さんの所には行けない。


「君が行くのは……日本だよ」
「え、でも……」
「大丈夫。【その日本】は【アナザニアとは敵対していない日本】だから。と言うより、【向こう】にはそもそもアナザニアそのものが存在していない」
「……………………はいぃ……?」
「要するに、【異世界の日本】だ」


 ……お、叔父さんは、真顔のまま何を言っているのだろう。
 発言と表情のチョイスが食い違っている気がする。
 もしかして正気じゃない?


「あ、叔父さん、ママが教えてくれた悪いモノを払うおまじない、する?」
「叔父さんの頭には別に悪いモノは取り憑いていないぞ?」
「だとしたらもう叔父さんの頭そのものが悪いって事になるよ?」
「全力で信じていないな。しかしまぁ、気の毒そうな目が姉にそっくりだ」


 姉……つまり私の母にもこんな視線を向けられた事があるのか……


「向こうで、叔父さんの古くからの知人が古書店をやっていてね。確か、あの婆さんの雲孫うんそんが最近アパート経営に乗り出したと聞いた。そこに住まわせてもらうと良い」
「……叔父さん、ごめん。私、心が広い子であろうと心がけて生きてきたけど、流石に真顔で異世界云々言い出す人には心を開けない……!!」
「全く、我が姪っ子ながら常識が凝り固まっているな、仕方無い。ここは実際見せた方が早そうだ」
「? 叔父さん? いきなり私を指差してどうしたの? セールスマンの真似?」
「ドーーーン!!」


 ……その日、私は現実は非常にファンタジーである事を知った。




   ◆




 ハイスクールを卒業して、叔父さんの勧め通り異世界の日本へ移住。
 その後、大家さんの手引きでちょっと行けない入口から大学へと進学してから一年が過ぎた頃。
 私は、思いも寄らない壁にぶつかっていた。


「……一年経っても、友達ができないデス……」


 春休み。
 どこへ遊びへ行くでもなく、暗い自室で独り膝を抱き、重くじめっとした溜息を吐く……こんなの、私が思い描いていた女子大生の姿じゃない。


 私がこんな様になっている理由は、ひとえに【カルチャーギャップ】と言う言葉に集約されると思う。


 母は日本人だけど、ずっとアメリカ暮らしだった私は日本語が上手く話せない。自分でもわかるくらいカタコトだし、言葉も文化もあんまり知らない。
 しかも、異世界なだけあって、私が母から聞いて僅かながらに知っていた日本ともちょいちょい違う。
 あと、こっちの世界ではアナザニア系の形質……銀髪紅瞳褐色肌は珍しいものらしく、奇異な視線を向けられる事も多い。


 妙に目立つ見てくれの外人が、非常識に振舞っていれば、そりゃあ友達なんてできない。


「うぅ……やっぱり、入学初日のミスが大き過ぎたデスかね……」


 日本の挨拶の基本は、ドゲザーだと聞いていた。
 だから私は、大学へ登校した初日、出会う人々全員にドゲザーをしまくった。


 ……こっちの世界の日本に置いて、ドゲザーが【土下座】と呼ばれる【日常生活の中でこれをやるとドン引きされるくらいプライドと品位をかなぐり捨てた渾身の謝罪姿勢】と非常に酷似している事を知ったのは、その一週間ほど後だった。
 その頃には、私は大学関係者全員、一人もあます事なくドゲザーを披露していた。


『挨拶感覚でいきなり元気ハツラツな土下座をかまし、こちらが土下座しないのを不思議そうに小首を傾げてじーっと見てくる常識壊滅系ダークエルフもどき』


 ……同級生が陰で囁いていた私への評価だ。
 それからも、私は度々やらかし、陰口でそれが非常識的行為であると知った。


「叔父さん……この国、生き辛いデスゥ……」


 うぅ……元の世界のアメリカに帰りたい……


 ……ん? 何? ペットの蟻さんを飼育している水槽の方が、カサカサと少し騒がしい……?


「蟻さん達……? ……!」


 蟻さん達が、水槽の壁の方にワサワサと集まって、私の方を見ている。
 中でも、一際大きくて力強そうな子……モハメドが、静かだけど熱い視線を私に向けていた。


 へぼくれてんじゃねぇよ、まだ試合終了のゴングは鳴ってねぇだろ?
 CHOちょCHUちゅNEIねい。そう言って立ち上がれマスター。


 そう、私を励ましてくれている様だった。


「……そう、デスね……ギャモ子は負けまセン!!」


 ありがとう、蟻さん達。
 ギャモ子、頑張る。


 ……私にはまだ、奥の手がある。


 押入れにしまっておいた宝箱。
 その中から、一冊の本を取り出す。


 片手ではとても持ち上げられない、分厚くて重い本。
 表紙の紅い装丁が所々剥げて、地の茶色が露出している。とても古い本だ。


 表紙に刻まれた文字は、【隣人と上手く付き合うすゝめ】。
 著者名【ノロイノ・トゥギャリヤマ・ムラマサ】。


 パパがアナザニアを出た時、唯一これだけは置いていけなかったと言う、私のグランマにあたる女性の形見だそうだ。


 この本は、隣の家に住んでいる人と仲良くなるノウハウがこれでもかってくらいに記されているらしい。


 読んだ事は無いから詳しくは知らない。
 そもそも、つい最近まで日本語なんてほとんど読めなかったし。


 それに読めたとしても、ここに記されているのは異世界のアナザニアに置ける隣人付き合いのハウツー。それもすごく昔に書かれた本。
 この世界の日本で、まともに通じる保証なんて無い。


 それでも、可能性はある。
 今の私は、どんな可能性にだってすがる。


「えぇと…………う、難しい漢字いっぱいぱいデス……」


 スマホの文字読み取り機能と文字翻訳機能を使って、地道に解読していくしかない。


 蟻さん達のカサカサエールが響き渡る暗い室内で、私はスマホを片手に途方も無い解読作業へと乗り出した。




   ◆




 地道な解読の結果。
 私があの本から得た教訓。
 それは、「どんなタイプの隣人だろうと、大概の人はお醤油を借りてればその内に仲良くなるから、とりあえずお醤油を借りろ」と言う事。


 早速、お隣さんへ突撃だ。


 確か、二〇一号室は空室だから、反対側の隣、二〇三号室だ。


 礼儀正しくインターホンを三回プッシュ。


「すみまセーン!! お隣サーン!? 私、お隣に住んでる御戸成みとなりトゥギャリヤマ望恋子もここと言いマース!! 私すごくお醤油貸して欲しいのでお醤油を貸してくだサーイ!!」


 必死だった。寂しくて死にそうだったから。
 生きるために交友を求めた。


 そんな私に、二〇三号室の住人はドアを開ける事なく、ドア越しに一言だけ。


「うっせぇ」




 心が折れた音がした。




   ◆




「ぎゃーもぎゃもぎゃも……おなごのこー……常識破りのうるさい子ー……うふふふー……」


 いつからだろう。こんなにもスムーズに膝を抱ける様になったのは。
 最初の頃は身体硬かったし、胸も結構邪魔だったはずなんだけど……まぁ、良いや。どうでも。


 もう笑うしかない。生きるってこんなに辛い事だったんだねママン。
 ギャモ子、成人を前にして世の厳しさを痛感してるよ。
 私、何か悪い事でもしたみたい。身に覚えはないんだけどなぁ……おかしいなぁ……


 ……蟻さん達、ごめんね。
 もう貴方達のカサカサエールでも、ちょっと立ち直れないよ……うぅ……私、もう……ダメ、かも……


 ………………ん?


 インターホンが、鳴った……?
 大家さん、かな? まぁ、そうだよね。私の事を気にかけてくれる人なんて、叔父さんから私の面倒を見る報酬をもらってる大家さんくらいだよね。


 何の用だろう。
 もしかして、二〇三号室の人が大家さんに私を注意する様に言ったのかな。


「……………………」


 …………え?


 ドアを開けた先にいた人物に、私は少し虚を突かれた。


 ……誰、この男の人。


 何だか、じーっと私の事を見てるけど……


「…………あの、どちら様、デスか?」
「あッ……いや、申し訳ない」


 私が声をかけると、その男の人はふと我にかえった様に軽く首を左右に振って……




 私に、微笑みかけてきた。




 多分、あんまり笑うのが得意じゃない人なんだと思う。少し、口角が震えて、歪な微笑みになっている。
 でも、その男の人は、精一杯私に微笑みかけてくれた。


 ここ最近では、テレビでしか見た事のない、人の笑顔。


「隣の二〇一号室に越して来ました、人好ひとよしです。今日は引っ越しの挨拶に伺わせていただきました」
「……………………」


 思わず、凝視してしまう。


 え、本当に、私に微笑みかけてくれているの? この人。
 この国に置いて、忌避の対象でしかないこの非常識を全身に纏って駆け抜けるダークエルフもどきに、微笑みかけてくれているの?


 ……間違い無い。
 この人は、今、真っ直ぐに私を見ている。
 私に、その歪な微笑みを向けてくれている。


 その表情からして、笑うのが苦手なのは明確だのに。
 私のために、頑張って笑ってくれている。


「……今後よろしくお願いします」


 え、あ、いけない。
 更に無理して口角を上げてきた。
 私がノーリアクションだったから、「笑顔が足りないのか……?」とでも思ったらしい。


 何かリアクションしないと更に無理をするかも知れない。
 呆然としていないで、返事をしないと。


「……はい、よろしくデス」


 もうドゲザーはしない。
 軽く頭をペコリと下げる、これが普通の挨拶。私は学んだ。


「あと、これを。つまらない物ですが」
「……!」


 つ、【ツマラナイモノ】……それって確か、こっちの世界の日本人が【友好的な関係になりたい相手に贈るプレゼント】の事では……!?


 仲良くなりたいけど、いきなり無作法に距離を詰めたりはしない。
 まずは【ツマラナイモノ】を贈り、相手に【私は君と友好的になりたいが、構わないね?】と意思確認を取る。
 それが日本の奥ゆかしきコッコロー……そう聞いている。


「これが噂の【ツマラナイモノ】……日本のコッコロー……」


 ……すごく綺麗丁寧にラッピングされてる……確かに、こんな上等なモノ、これからないがしろにしようとしている相手に贈る訳がないよ……!!
 間違い無い……この人は……私と【友好的になりたがっている】……!!


 こ、これは千載一遇のチャンス……!!
 こんな私とフレンドリーになりたいと思ってくれる人、もう現れないかも知れない。


 この人を、逃してはならない。


「えー……それで、あの、そちらのお名前をお聞きしても?」
「あッ…」


 ノウ……!! ウカツ……!!
 向こうが名乗ったのに、私は呆然と……!! これは私の世界のアメリカでも普通に失礼千万……!!


「失礼してましタ。私の名前、御戸成トゥギャリヤマ望恋子と申しマスそうろう」


 落ち着いて、丁寧な口調と、謝罪の意思も込めた深めの礼。
 どうにかこれでリカバリーを……!!


「御戸成さんですね。では、繰り返しになりますが、今後ともよろしくお願いします」


 笑顔に変化無し、声色も極めて平坦。怒りの色は感じない。
 や、優しい人で良かった……


 ……でも、「御戸成さん」って、少し距離を感じる呼び方で寂しい……やっぱり、日本のコッコローで慎重に距離を測っているのかな?
 ここは私の方から……


「あの……お隣さんな訳デスし、そんな堅い呼び方でなく、ギャモ子で良いデスよ? それと、ヒトヨシさんの下の名前も聞きたいデス」


 ヒトヨシさんのアダ名も考えたい。アダ名は下の名前も加味した方が親近感湧くだろう。


「……人好友助ですが」
「ユースケ……スケ……」


 そうだ、スケと言えば確か、この前テレビで、すごく愉快な人の事を「このスケベェェェ!!」って言っていた。
 きっと、【スケベ】は愉快な人か、それに近い人を指す言葉に違いない。


「スケベーさんって呼んでも良いデスか!?」
「……できれば苗字で呼んでいただけると有り難いですね。名前で呼ばれるの、苦手なんです」


 ッ……!? 笑顔がちょっと歪んだ……!?
 これ本当にダメな奴……!?


「むぅ……!? 不思議な苦手さんがあるのデスね……」


 仕方無い、ならば苗字の方から……


「じゃあ、ヨッシーさんで」
「あははは、それは良いですね。愉快の極みに至りけり」


 好感触ッ!! ヨッシーさんは良しなんですね!!


「では……」
「あ」


 ッ!? えぇ!? もう帰る感じなの!?
 だ、ダメ、待って……まだ手応えが足りない!! このまま帰してはダメな気がする……!!


 もっと何か、もっと……あ、そうだ!!
 お隣に引っ越して来たって事は……!!


「ヨッシーさん!」
「…………?」




「お醤油、貸してくだサイ!」













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