醤油とシーサーとモハメドの鋭いパンチ。

須方三城

06,醤油を貸す文化は世界に羽ばたいていた…?



 すっかり日没、星空わーおな時間帯。


「……買ってしまった」


 紙袋に入った分厚い一冊に視線を落として、ついつい溜息。


 家に帰るまで絶対に開くな、呪うぞ。と言う念押しをされたので中身はまだ確認していないが……
 考えてみれば一九五〇年代……つまり七〇年近くも前のパラダイムで書かれた書物が、果たして現在でも役立つハウツーを内包しているだろうか……二次大戦の直後と言って良い時勢だぞ。


 まぁ、話によるとアナザニアなる国ではこれを家宝にする人までいる様な逸品らしいし、貴重な歴史的資料を買ったと言う考え方もできるが……


 にしても……


「おい、畜生。いい加減にするんだ。ズボンが下がる」
「しゃう」


 拒否とは生意気な……鬱陶しい。


 店を出てから、ずっとこの調子だ。


 畜生野郎は今、前足を俺のズボンの尻ポケットに突っ込んで「もう離さんよ」と言わんばかりの二足歩行体勢で歩いている。


「しゃしゃう……ぅうう」


 ……まぁ、飼い主様を守るべく離れはしないと言う忠誠心から来る行動だと大目には見てやるか……やれやれだ。


 さて、そんなこんな考え事をしている内に麗しの我が屋へ到着だ。
 入居者の大半が車を所有していないせいですっかすかデッドスペースと化している駐車場を抜け、階段横のポストを一応チェック。郵便物なし。


 今日は色々有り過ぎて疲れた。ちゃっちゃと帰って今日はゆっくり寝……げッ。


 我が根城である二〇一号室の玄関先にいた人物を見て、俺は自分の頬が酷く引き攣ったのを感じた。


「あ、おかえりなさいデス」


 お前は鍵を無くした小学生か。


 思わずそう突っ込みたくなる様な体育座りで、ギャモ野郎は胸に醤油を挟みながら俺と畜生野郎の帰りを待っていた。
 相変わらず幸せそうな醤油である。


「……ギャモさん。一体、何時間待機していたんですか」


 出かけると言ったはずだぞ、俺は。


「えーと……半日は経ってないと思いマス」


 待機時間の単位が時間ではなく日な時点で頭おかしい。


「……すみません、ギャモさん。畜しょ……チック・ショーと少し寄り道をしてしまっていて……」
「いえいえ、大丈夫デス! 大学も春休みなので私一日中暇なので!! ショーくんもお散歩、楽しかったデス?」
「しゃぅう!!」


 いや、待て。そう言う問題では無いだろう。


「ギャモさん、俺が留守の時は、醤油は玄関先か一階のポストにでも入れててくれて良いんですよ?」
「ぃ、え……あ……で、でも、必ず直接会って賃借しろって本に……」
「本?」
「ぶふぅッ、あ、いや、あれデス! 野外にお食べ物を放置するのは良くない思うんデスよ私!」
「はぁ……では(渋々ながら)俺の方からそちらに伺うので、とにかく玄関先で待機は勘弁してください……」
「そんな、ヨッシーさんにゴソクローさせるなんて出来ないデス!!」


 その気持ちは有り難いが非常に迷惑だ。
 この場合は……あれだな、俺がギャモ野郎の部屋へ足を運ぶのが面倒ではない、むしろ望む所存であると言う風に認識させるべきか。


 さて、どう言えばそう誤解させられるか……まったく……もう俺は疲れているんだ。あんまり頭を使わせないでくれ……


「あー……じゃあ……あー……あれです。あれですよ。ほら、ギャモさん。俺も男性な訳ですので、若い女性のお宅へ訪問するのはウキウキですよ?」
「う、ウキウキなのデスか!?」


 あれ? 俺もしかしなくてもとてもヤベェ事を口走ってないか?
 でもギャモ野郎は何やら嬉しそうだし、多分大丈夫だろう。このまま押してさっさと帰らせて俺は寝たい。


「はい、そりゃあもう、ウキウキですとも!! 俺は若い女性の部屋を訪問するのが大好きな人間なんです!!」




   ◆




 俺は変態かッ……!!


 部屋に戻り、畜生野郎に餌を用意して一息吐いた事で冷静な思考を取り戻した俺は、思わず頭を抱えるしかなかった。


 本当、色々と有り過ぎて頭がキャパオーバーでパーになっていたのかも知れない。
 ……いくら何でもあの宣言は無い……


 そして、何故に少し嬉しそうだったんだギャモ野郎……!?


 あれか、もしかして俺がそう言う目で見ていると思って「私ってばモテモテ魅力的なんデスね! FOOO! アイム・ナイスガール!!」的な調子の乗り方をしているなアレは……!!
 これだから愉快な外国人は……!!
 俺がそう言う目で見ているのはお前の胸単体だ……!!


 しかし本当に不味いぞ……完全に【ただのお隣さん以上の好意を抱いている】と勘違いされた……
 明日から更にフレンドリーに接してくる危険性が高い……!!


「しゃうしゃ?」


 えぇい、何やら頭を抱えている主人を心配してくれているのだろうが、俺の胡座あぐらに乗って頬を舐めてくるな鬱陶しい……口内に残っているシーサードライフードの匂いも臭い。本当にやめてくれ。


 ッ……えぇい、もうこうなったらば。


 逃避してやる。


 幸い、新たな蔵書が増えたばかりだ。
 あのYVEBBAとの約束通り、家に着くまでは一切開いていない。
 今ここは俺の自宅で間違い無い。読んでも呪いはしないだろう。


 紙袋から例の本を取り出す。
 片手で持つのに苦労する程の厚みと重み。
 決してよろしい保存環境にはいなかったのだろう、七〇年の経年劣化により、表紙も背表紙も裏表紙も、ただののっぺりした茶色い厚紙になってしまっている。


 確か、タイトルは【隣人と上手く付き合うすゝめ】。
 著者は【ノロイノ・トゥギャリヤマ・ムラマサ】だったか。


 どんな内容のハウツー本やら……とりあえず読んでみるしかあるまい。


 俺は読書の際には書の中に意識を落とし、没入するタイプだが……この手の本はまず資料として普通に読むと決めている。
 こう言うハウツーや自己啓発系本にいきなり意識を没入するのは少し危険なのだ。
 宗教色が強い系だと洗脳されかねない。


 意を決し、表紙を開く。


 いきなり目次……いや、おそらくタイトルや著者名が記載されている内表紙が破れて紛失してしまっているのだろう。そんな痕跡がある。


「うおッ……」


 何だこの目次は……初見で辞書の様に厚い本だと言う印象を抱いたが……あながち間違いではないなこれは。


 あいうえお順で、様々な設定の隣人に対応するページを索引できる様になっている。


 おい、トップバッターの【愛で空が落ちてきそうな隣人】とは何だ。一九五〇年にあの漫画は無いはずだぞ。世紀末まで四〇年もあるのに備え万端過ぎるだろう。
 他には【いきなり転居してきた隣人】などと極めて在り来たりな項目もあれば、【いつも気だるそうに蕎麦を啜っている隣人】だの【笑顔が歪な優男的隣人】だの【自分好みの顔をした青年的隣人】だの……やたらピンポイントを爆撃しようとしている項目が散見される。


 ……もしや、この奇妙なラインナップならば……


 ………………すごい。
 あったぞ……【銀髪紅眼褐色肌を備えた女子的隣人】。
 しかも項目が枝分かれしており、【乳房が極めて大きい場合】【乳房が大きい場合】【乳房が小さい場合】【乳房が無い場合】の四パターンがある。


 成程……あの胡散臭いマジカルイサ二ティなYVEBBAが俺を分析した上でオススメしてくる訳だ。
 にしても、恐ろしいほどにピンポイントだな……


 この項目と言い、二人のトゥギャリヤマの外見と言い、もしかしたら銀髪紅眼褐色肌はアナザニア人としてはありふれた形質なのかも知れないな。
 それならばアナザニア人が執筆したと言うこの書籍にこの項目があるのも頷ける。


 ふむ……そう考えると、納得できなくはない。
 俺が極めてピンポイントかつ異質だと思うこのラインナップは、当時のアナザニアでは割とありふれた隣人設定なのだろう。多分。


 納得の行く仮説が立った所で、早速、【銀髪紅眼褐色肌を備えた女子的隣人】の【乳房が極めて大きい場合】のページを探す。


 あったぞ。このページだ。


【段階①】
 ●醤油を借りるべし。
  返礼を忘れるべからず。借りた醤油で拵えた飯のお裾分けなどが望ましい。
  借りる時と返す時は必ず顔を合わせ、直接手渡しで行う事。


 ………………。


【段階②】
 ●向こうから醤油を貸してくる様になるまで執拗に毎日醤油を借りるべし。


 ………………………………。


【段階③】
 ●いつの間にか激しい好意を寄せられるくらいにすごく仲良くなっている。
  好意を確認できたらば、犬の散歩などを口実に、二人きりでの逢瀬を重ねるべし。


【段階④】
 ●性行為は自身の快楽ではなく、相手を楽しま…


「しゃう!?」


 ああ、驚かせてしまったか。
 すまない畜生野郎。別に執拗にペロペロしてくるお前にキレた訳ではない。


 ただなんとなく、この本は全力で壁に叩きつけるべきだと本能的に直感しただけだ。


 心配するな。ただあれだ。もう舐めるな。


 ……ああ、確か、そうだったな。
 以前調べた所、ご近所付き合いとして醤油の賃借を行っていたのは【日本が第二次大戦の戦後復興期にあった時代】、つまり一九五〇年代前後。この本が発行された頃だ。


 アナザニアは、日本ですら公用語とされていない日本語を公用語にしている。
 あのYVEBBAの発言通りならば、建国に日本人が多く関わっていただけで、植民地支配などを受けていた歴史があるでも無いのに、だ。
 つまり、かなりの親日的国家だったと思われる。


 ならば、当時の日本とも密な国交があり、その文化にも色濃く影響されていておかしくない。
 むしろ当然道理至極だ。


 ただ言わせてくれ。


 俺は醤油を搾取される側なのだよッ……!!


 あと、随分と現代的な文体だな。とても七〇年前に書かれた書物とは思えない。
 本当に一九五〇年発行か? まさか異世界アナザーワールドの一九五〇年じゃあないだろうな?


 いや、まぁ、アナザニアが一足先に現代風の日本語発展を果たしていた、と言うだけかも知れないが。


「……ッ、ふぅ……俺とした事が、クールではなかったな、今の行動は」


 畜生野郎を膝から退けて、投げ捨てたクソ書籍を拾いに行く。


 落ち着け、落ち着くのだ、人好友助。ここはクレバーに行こうじゃあないか。


 他のページだ。別のアプローチを探してみよう。
 ほら、シンプルに【外国人女子的隣人】と言う項目もある。


【段階①】
 ●例えば醤油を借りてみるのはどうだろうか。


 …………あ、ああ、まぁまだ待て。
 次は【可愛い系の年下女子的隣人】。


【段階①】
 ●醤油を借りてみよ。さすれば道は開かれん。


 ………………【正直性的な目で見てしまう豊満な肉体の女子的隣人】。


【段階①】
 ●醤油を借りれ。


 せーの、はい、壁にドォォンッ!!


「ふざッ、けるなァァァーーーッ!!」
「しゃ、しゃう!? しゃしゃあ!?」
「『ご乱心!? ご乱心やさ!? 殿中ど!?』じゃあないぞォォォーーーッ!! 一体何なのだァァこのクソから精製した再生紙にクソから精製したインクでクソみたいな内容を書き殴った様なクソ書物はァァァ!? いや、醤油か!? インクだと思っていたその黒いのは実は醤油なのかァァァ!? ァァアア!? どれだけ醤油に固執するのだこの本は!? 馬鹿にしているのかァァァーーーッ!?」
「…………馬鹿にしているのは、貴様であろう」
「あぁん!? ……ん?」


 む? 何だ、今のやたらと渋みのある侍めいた声は……?


「此処である」


 声は、少し前方の下方向から。


「…………………………」
「そうだ。ここまでハッキリハキハキと喋っているのだから、そんな『まさか……』などと言う疑念に満ちた表情を浮かべる余地もあるまい。拙者は此処だ」


 ………………クソ書物が、喋っている。


「拙者の名は【ブックス】。俗に言う【加生ノ神クスのかみ】である」


 …………………………成程、俺はそこまで疲れているのだな。


「……おい? 貴様。どこへ行く?」
「畜生、風呂入るぞ」
「しゃう……? しゃしゃう?」
「『あれは放っといても良いんさ?』? 何の話だ。風呂に入って寝るのだ、俺たちは」
「おい? おーい? 貴様? おい、まさか拙者の事を見て見ぬ聞いて聞かぬフリをするつもりではあるまいな? 待て、貴様そのつもりだな? ふざけるな、何事も無く流せる衝撃では無いはずだろう。無理はするな。我慢は身体に毒ぞ。……おい、おーい? 戻って来い貴様。おーい貴様……貴様ァァァーーーッ!! 寂しいィィィーーーッ!! この扱いは寂しいぞォォォーーーッ!? おぉぉぉおおおおおおおい!? 本当に、え? おいおぉぉおおおおおおい!?」


 うるさい幻聴だ。


「今日は外を彷徨うろついたからな。昨日よりも念入りに洗うぞ」
「……しゃう!!」
 ※……ま、いっか!!

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