醤油とシーサーとモハメドの鋭いパンチ。

須方三城

05,醤油が出て来ない回。



 星の煌きが空にポツポツと浮かび始めた頃。


 町の外れにある今は使われていない送電鉄塔の天辺から、繁華街の明かりを眺める三つの影があった。


「……あの町で間違いねェのかよォ? 【ボックス】ゥ」


 真ん中に立つガッシリとした影が、荒々しいワイルドな渋みある低音ボイスで問いかける。


「ああ。間違い無いぞ【アックス】……気配をビンビンと感じる……間違い無く、【同類】がいるはずだ」


 その左に立つのは、これまた大柄ではあるが、何やら異様に角ばったシルエット。
 真ん中の影に比べて、口調にはとても落ち着きがあり、ハードボイルドな渋みがある声だ。


「セックス」


 一番右側に立つ小柄細身な影が、静かに相槌を打つ。


「さぁ、行くぞ……我々の【復讐】を果たすために……」
「ぎゃはッ。昂るじゃあねぇのォ」
「セックス」


 不穏な三人組が、とある平和な町に迫ろうとしていた。




   ◆




 彩椎古書店。
 ここまで典型的な裏路地がこの世に存在するのか、と感心する様なジメジメとした裏路地に入口を構える、客を呼ぶ気の全く無い小さな古書店。
 看板……と言うか、少し壮大なかまぼこ板の様なものに手彫りっぽい店名表記が成されたものが、入口の木製ドアの傍らに立て掛けられ……ていたが、畜生野郎が尻尾で倒してしまった。


「…………………………」


 中々通好みの匂いがプンプンとする店である……と言えば、聞こえは良いが……本当に店なのか、これは。
 腐り始めているのか自然由来の香りが仄かに漂う木製ドアに吊るされた【open】の吊り札からして、営業はしているのだろうが……


 こんな店の情報まで完備しているとは、あのマップアプリ、上等過ぎるだろう。
 かの伊能いのう忠敬ただたか並の仕事人が現代にもいる様だな……


「しゃう……?」


 本当に入るの……? と問いかける様な畜生野郎の声。
 確かに、思わず物憂げになってしまいそうな程に後退促進作用のある入口ではあるが……


「こう言う店だからこそ、珍品が埋没していたりするのだ……多分おそらくきっともしかしたら」


 とりあえず、店内に入ってみるくらいはしても良いだろう。
 ヤバいと思ったら走って逃げれば良い。


 とりあえず、どこかに畜生野郎のリードを結びたい所だが……リードを結べそうな場所が、錆びたパイプくらいしかない。


 ……帰りもリードを引かなければだし、あんな所に結びたくはないな……


 仕方無い。


「畜生、これを咥えておけ」
「しゃふ」


 畜生野郎にリードの持ち手部分を咥えさせておく。


「この際だ。良い子に待つも良し、野良で生きていける自信があるのならば何処ぞへ走り去るも良しだ。自分に従え。一匹の獣としてな」
「しゃふふ」


 さぁ、行くぞ、彩椎古書店。
 やたら軽い感触のドアノブを押して、ドアを開ける。


「む……」


 おお、何だ。店内は割と普通の書店ではないか。店内は。
 充分な明るさを確保された店内。静かに鼓膜に触れるジャズミュージック。
 天井にまで届きそうな高さの本棚が何列も並び、棚と棚の間の奥に見えるレジカウンターには、藤色のフード付ローブを身に纏った魔法使いみたいな老婆が佇んでいた。


 ……うむ、店内は普通の書店だな。本当に、店内だけは。


 どうしようか……回れ右案件か、あの老婆は……いやしかし、年老いてゆったりした服を好む様になり、リサイクルショップか何かで安く売られていたコスプレ用品のローブを買って私服にしているだけかも知れない。
 年配の方はサブカル知識に乏しいせいか、コスプレ衣装に対して「ハイカラな服だねぇ」程度の認識しかない人が多い。
 あの店主らしき老婆もその手の……


「ヒッヒヒヒヒ……いらっしゃいませ……」


 今の笑い声は充分に回れ右案件ではないだろうか。
 いや、待て。加齢による歯の減少や声帯の衰弱により笑い声があんな感じになっているだけかも知れない。


 でも目が恐いぞどうしよう。あの紅い瞳の輝き方は完全に獲物を狙っている野獣のそれだ。動物番組で見た事がある。
 更に言うと、シワだらけの褐色の頬に更にシワを刻み、店内BGMにかき消されそうな小声でずっとヒヒヒと笑っているぞ。


 次の瞬間にも包丁を振り上げ、年相応な白髪を振り乱して襲いかかって来たとしても別段おかしくはない感じだ、あの老婆。


 ……うむ、ダメだ。あの老婆はYVEBBAヤベェババァな気がする。


 鍋に放り込まれてグツグツ煮込まれる前に撤退すべきか……?
 回るべきか、右に。返すべきか、踵を。


「よく来たねぇ、お若いの。ヒッヒヒヒ……」
「…………、……!?」


 その声は、すぐ目の前で響いた。




 一瞬、頭が真っ白になった気がした。




 意味がわからない。


 何故、目の前にYVEBBAのシワだらけの顔がある?


 YVEBBAは移動していない。
 俺だ。移動しているのは俺だった。


 いつの間にか、俺は店内の奥深くまで侵入し、レジカウンターの前で木の椅子に座っていた。


 いや、座らされていた・・・・・・・


「なッ……!?」


 訳がわからない。
 時間を止められて動かされたか、それとも時間を吹っ飛ばされたか。
 何か訳のわからないヴィジョンを持つ超能力による攻撃を受けたとしか思えない。


「……!? ……!? ……!?」


 情けない話至極。混乱し過ぎて身体が動かん。声にもならない。
 一体何がどうしてどうなってどうすればばばばばば……


「落ち着きんしゃい……アタシももうヤンチャな小娘じゃあないんだ……取って食いやしないさね……ヒッヒヒヒ」


 おい、言葉に気を付けた方が良いぞYVEBBA。
 その言い方だと「ヤンチャな小娘な頃だったらば取って食っていた」と言う風に取れる。
 冗談だな? 冗談だと言え。でないと俺はすごく恐い思いをするぞ。


「まずは自己紹介でもしようかねぇ……」


 いや、必要無い。何故なら俺はもう帰るからだ。


 …………ふん、成程。あまりの出来事に腰が抜けていると来たか。
 歩くどころか立つ事すら難しそうだな。やれやれだ。助けて畜生野郎。


「しゃしゃふ!! しゃふ!!」


 俺のピンチを悟ったのか、背後で畜生野郎が吠え散らしながらドアに体当たりしているドンドンドコドンと言う音が聞こえる。
 頑張れ畜生野郎。今俺を救えるのはお前だけだ。お前に出会えて本当に良かった。早く助けて。


「アタシは彩椎あやしいトゥギャリヤマ女臣神めおみ……この彩椎古書店のオーナーさね……」
「……トゥ、トゥギャリヤマ……だと……?」


 そのミドルネームは確か……あのギャモ野郎と同じではないか。


「聞き覚えがあるかいね? まぁアタシの祖国じゃあ有り触れた名前さ。沖縄で言う【比嘉ひが】や【金城きんじょう】みたいなモンさね」


 成程、このYVEBBA、ギャモ野郎と同国出身者の日系ハーフかクォーターと言う事か。
 道理で、よくよく考えてみると瞳や肌の色まで似ている訳だ。


「あんたの名前は……人好友助ねぇ。良い名前じゃあないか。ご両親に感謝しな……」


 ちょっと待て。どうやって今俺の名前を知った? ちょっとこっちに手をかざしただけだったぞ今。
 これ以上俺の不安と混乱を煽るな。ただでさえ最近は涙腺にダメージが蓄積されているんだぞ。ズバリ泣きそうだ。正味もうちょっと漏れてる涙。ちょっぴりティアドロップ。


 急げ畜生野郎。早く、早……疲れたのか、ドアへ体当たりする音が止んでいる。


 まぁ、そうだな。腐りかけとは言え、立派な木製ドアだった。きっとヨーロッパ辺りの国に本社を持つブランドの高級志向な奴だ。
 非力な中型シーサーでは破るのは難しい話だろう。


 これは万事休すっているかも知れない。ファック。
 そろそろ涙腺を自由にしてやれと言う事か。


「あんた今……人との付き合い方でちょっと困ってるねぇ……」


 何やらいきなり占い師みたいな事を言い出したぞこのYVEBBA。
 今最も困っているのはこの現状だ。もうすぐティアドロップする程度には困り果てているぞ。


 と言うか大体、人間関係で少しも困っていない人間なぞいるものか。
 誰にでも当てはまる事を言って、さも相手の人間性を見透かした様な事を言う……【バーナム効果】を利用した典型的な手口だ。


 相手が勝手に「なんでそんな俺しか知らない様な事まで……!? すごい……」と勘違いするのを誘う汚いやり方……


「目下、一番対応に困っている相手は、隣人の御戸成トゥギャリヤマ望恋子と言う名前の子だね。その子はアタシと同様、アナザニア人と日本人のハーフ女子。だが、生まれも育ちもアメリカであるため、日本語や日本文化の造詣は浅い。二年前に個人的な事情によりこちらの日本へ単身移住。現在は馴奈礼なれなれ大学に通う二年生。今年の八月で二〇歳になる。好物はミルクセーキ。最近の悩みは肩こりとカルチャーギャップから来る人付き合いの難しさ。……違うかい?」


 どうしよう、「なんでそんな俺ですら知らない様な事まで……!? やべぇ……」と言うのが正味な感想だ。


「そんなあんたには、この本がオススメだよ」


 完全に置いていかれている俺を更に引き離す様にYVEBBAはサクサク話を進めていく。


 バンッ、とカウンター上に乱暴に叩き出されたのは……辞書の様……いや、下手な辞書よりも分厚い、厚表紙の本だった。
 かなり年季が入っていて、表紙の装丁は全て剥げてしまったのか、その茶色い表紙には無地のっぺりとしている。


「この本は一九五〇年にアナザニアでダブルミリオンセラーを記録した一冊さね。アナザニア人なら誰もが一度は見た事ある本……と言っても過言じゃあない。家宝にして子々孫々に受け継いでいる奴もいるくらいさ」


 一九五〇年……!?
 沖縄でまだB円が流通していた頃じゃあないか……


 ……と言うか、素朴な疑問だが……さっきからちょいちょい出てくるアナザニアとは何処の国だ……?
 タンザニア辺りの親戚か?


「アナザニア帝国は南米の国さね」


 当然の様に心を読むなァァァ……!!


「ちなみに『南米の国家の本なら日本語どころか英語ですらないんじゃあないか? 南米地域は大体の国がスペイン語かポルトガル語を公用語に指定しているはずだ。俺は日本語か英語で記された本しか読めんぞ、ふざけるな』なんて心配も不要だよ」


 おい、ついに未来を読んで質問に答え始めたぞ、このYVEBBA。


「アナザニアはパラオ共和国と並ぶ、アタシの世界に二ヶ国しかない【日本語を公用語としている国】だよ。建国に多くのサムライソルジャーやパワフルニンジャが関わっていたとかなんとか……まぁ歴史の話は苦手さね。あんたも興味ないだろう?」


 つまり要するに、その本も日本語で書かれていると言う事か。それは都合の良い事だな。
 うん。さて、そろそろ足よ動け。もしくは畜生野郎がんばれ。


「表題はもうすっかり擦り切れちまっているが……この本のタイトルは【隣人と上手く付き合うすゝめ】。みんな友達コンサルタント、ノロイノ・トゥギャリヤマ・ムラマサの遺作だ」


 ……なに?


「ちょっぴり読んでみたいんじゃあないかい……? 今ならお値打ち価格、四八〇円でのご提供さね」


 ……ワンコインで買える……だと!?





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