醤油とシーサーとモハメドの鋭いパンチ。

須方三城

03,醤油の関係、増えた面倒。



 ……何故だろうか。


 引っ越してきたあの日から、毎朝だ。


「ヨッシーさん! お醤油貸してくださいナ!!」


 毎朝、ダークエルフみたいな見てくれの隣人に、醤油をたかられている。
 それも、ものすごく楽しそうな笑顔で。


 なんだろうな。
 笑顔の周りにキラキラが見えるのは漫画的表現だと思っていたのだが、このギャモ野郎の笑顔の周りには何かマジでキラキラした鬱陶しいエフェクトが散ってる様な気がする。
 よくもまぁ、こんな無邪気な笑顔で毎朝人から調味料を借りていけるな。図々しいとか言う次元を超越しているぞ最早。醤油だけを餌とするペットを飼育している気分だ。


「……あの、ギャモさん。醤油を貸すのは一向に構わないんですが……そろそろご自分で購入されると言う選択肢は……」
「……え……あの……ご迷惑さんデスか……?」


 迷惑ではないとでも思っているのか。
 いや、別に醤油を奪われる事にイライラしてる訳ではないぞ? むしろ醤油なんていくらでもくれてやる。徴兵検査に引っかかるくらい飲んでくれて構わない。


 初給料が出る再来月までは親からの仕送りがあるし、最悪の場合に備え、学生時代からの貯金だってストックしてるんだ。
 調味料の貸出を渋るほど、経済的に切迫していない。


 ただ、毎朝毎朝、他人と必要以上の接触を持たなければならない俺の心労をな? 察して欲しいかなと。日に日に歪さが隠せなくなっているこの微笑みから。


 ……だが、ここで「はい、迷惑さんです!!」と直球で伝えたらば、今日までの我慢が水の泡。


「いえ、ただ、毎度お礼の品を用意するのも大変でしょうし、自前で醤油を用意した方が早いのではないかな、と……」
「ああ、そう言う……お気遣い無くデス! 全然大丈夫なのデス!」


 いや、気遣いとかではないんだよ。建前くらい察しろ。
 毎度毎度、律儀に醤油の返礼を持って来て……何故に日に二回もお前の様なギャモ野郎と接触せにゃならないのだ。
 居留守を決め込んだらば夕方までドアの前に突っ立って待機していたし……こちらが根負けしなかったらいつまでやっていたか、わかったものではない。少し恐いぞ、その根性。


 ……ただまぁ、このギャモ野郎……返礼のセンスは不思議と悪くない。
 蟻の観察は結構楽しみな日課になりつつあるし、二日目に持ってきた手彫りらしき孫の手は背中が痒くなった時に重宝している。
 他にも、折り紙で丁寧に折られたトリケラトプスは思わず感心してしまう様な出来で、窓辺にインテリアとして飾ってしまった。


 もうアレだ。この際、毎朝醤油を郵便で送るので、そちらも返礼の品だけ郵便で送って欲しい感がある。


「では、また後で返しにきますネ!」
「……はぁ……えー……あー……はい。じゃあ楽しみにしてますね」
「お任せノスケ!!」




   ◆




 僅かずつではあるが、ギャモ野郎との接触によって蓄積されるこのストレス。
 解消するにはどうすべきか。


 俺は迷わず、新たな本を買いに行くと決めた。


 俺は、読書が好きだ。
 ジャンルなどに特別こだわりはない。
 没頭し、現実を忘れられればそれで良い。


 所詮は娯楽、されど娯楽。
 俺が書に求めるのは、意識を吸い込み、現実認識をかき消してくれる力。その一点に尽きる。


 その点で言うと、早々に読み終えてしまう漫画よりは小説派、と言う事になるか。


 もちろん、図鑑や辞書を読むのも好きだ。
 図鑑系は、動植物の写真や挿絵と生態説明文からネイチャードキュメント映画を見ている様な気分に浸れる。
 辞書類は、不快感の無い声で歌う様に教鞭を振るう優れた教授の講義に出席している様で、非常に愉快で有意義だ。有意義な学び、知識纏身……自身がどれだけ知的生命体としての生を全うしているか実感できる。


 故に当然。
 俺は書店が大好きだ。書店が嫌いな読書好きがどこにいる。矛盾だぞそれは。


 夕暮れ時を少し過ぎ、空の色が茜色から藍色へとグラデーションを描き始める頃合。


 帰宅ラッシュや学生たちのアフタースクールタイムも過ぎたのか、商店街を行く人々はまばら。
 人ごみは嫌いなので良い事だ。


 無論、俺が目指すのは書店だ。
 痛恨な事に、この商店街を抜けてもなおしばらく歩かなければ辿り着けない遠き道のりだが。


 しかし、自転車や車、バイクなどを乗り回して余計な事故のリスクを背負い込むのは柄ではない。
 行くしかないのだ、徒歩で。やれやれとしかコメントのしようが無い。


「……む……」


 ふと、商店街の一画に収まったペットショップのショーウィンドウが目に入った。


「……ペット、か」


 そう言えば、小さい頃には犬やシーサーを飼いたくて、親に強請った時期があったな。「父よ、そして母よ。この愚息に生命の大切さを教育する絶好の機会だぞ。おすすめはミニチュアダックスフンドだ」と。
 ……親の対応は実にシンプルで、「じゃあまずはこいつの世話をしてみろ」と、当時生後半年だった妹を俺に押し付けてきた。


 生き物を育てる面倒くささを知った俺は、以降、ペットを飼いたいとは微塵も思わなくなった。


 だが、動物は嫌いではない。
 大して手間のかからない昆虫類なら、飼うのだってやぶさかではない。現に今、蟻を一〇匹ほど飼育している。
 あの飼育キットは良いな。毎食、惣菜の欠片を少々放り込む以外に特別干渉する必要が無い。


 ……ふむ、そうだな。
 独り暮らしの共に、もう少し子分を加えるのも悪くないかも知れない。
 春が近いこの時期ならば、狙い目は甲虫類の幼虫辺りか。小型の魚類と言う選択肢もあるな。タニシをセットで購入すれば水槽洗浄の周期もかなりゆったりとするはずだ。


 よし。少しばかり寄り道だ。中を見ていこう。


「……ん? …………、ッ」


 ペットショップに接近し、ショーウィンドウの具体的な様相が見えてきて、俺は思わず絶句した。
 ショーウィンドウに並べられた飼育ケースの一つに貼り付けられた、とんでもないポップを発見したからだ。


『助けて! わたし、もうそんなに若くないから色々とヤバいの☆』


 随分と可愛い字面で、エグい事を書き記したポップだと思う。これだけで人間社会の闇が胸焼けするほどに感じられる。


 で、そんなポップを貼り付けられてしまっている、こいつは……
 パッと見のフォルムは犬っぽい四足歩行の獣型。赤茶色の毛並みに、一際色の濃い茶色の太い眉毛。眉毛のすぐ下にはパチクリ…と言うか、ぎょろりとした大きな眼が二つ。口からはごっつい牙がこぼれていて、すごく強面だ。
 間違いない。シーサーだな。


 シーサー。
 日本では沖縄県を中心に九州地方に生息しているイヌ科だかネコ科だかよくわからない獣。大きな目玉が生む眼力を下地とした堅実な顔面圧力が非常に特徴的。
 まぁ、「飼っていると家に降りかかる災厄を食べてくれる神獣」なんて狛犬的信仰があるので、おそらくは狛犬とルーツは同じ。つまり獅子ライオン。ネコ科である可能性が高い。


 一昔前のペットブームで品種も多くなり、成獣になってもティーカップに収まるくらいの大きさにしか成長しなくて非常に飼い易い【ティーカップシーサー】なんてのもいる。
 現代ではマンション暮らし…比較的狭い空間で暮らす人種が多い。ペット種の小型化は当然必須の時勢である。


「………………………………」


 件のポップの下に表記されている品種名は【ティーカップシーサー(赤毛)】。


 ……おかしいな。俺の目には、このシーサーは中型犬種とほぼ同規格…中型シーサーに見えるのだが。
 不可思議だぞ、とよく見ていると、ある事に気付いた。


 このシーサー、毛並みが若干くすんでいて、正味、小汚い。


「………………………………」
「…………しゃう」


 俺の視線に気付いた薄汚い中型シーサーが、「よう、旦那。笑えるかい?」と言わんばかりに力無く鳴いた。
 やめろ、その自暴自棄になったサラリーマンを彷彿とさせる微笑。愛玩動物にはもっと相応しい振る舞いがあるだろう、この畜生。


「……しゃう」


 ……やめろォッ……!


 な、成程な……察したぞ。
 おそらく、このシーサーはイレギュラーだ。
 ティーカップシーサーの血統書付きであるはずだのに、運命の悪戯か【先祖返り】……いわゆる、【復帰突然変異】と言う奴を起こしたのだろう。
 進化し安定化したはずの種から生まれた子が、何の因果か進化前の旧種の形質を色濃く発現してしまう突然変異の事である。


 このシーサーは、ティーカップシーサーの改良元となった【比較的小柄なシーサー】の形質を発現してしまったのだろう。
 結果、体躯が中型シーサー程度に成長してしまった。
 故に、【通常のシーサーより飼育スペースが少なく済み、人気があるために他種より価格の高いティーカップシーサー】の市場適性価格では売れず、今日に至った、と。


 もはや店員にも見放され、毛並みの手入れはおろそかないがしろ。
 そのため更に売れなくなる……そんな負のループが始まっているのか。
 その象徴がこの倫理観がイカれ死んだポップか。


 不憫極まりない……人間の都合で種の在り方を弄られ、モノとして売り捌かれる運命を背負わされた挙句、少し要望に添えなかっただけでこの扱い……!! ペット商売とはなんと業の深いものか……哀れ過ぎるぞ……!!


「……しゃう?」


 い、いや、でもしかし……だがしかしッ。いくら同情に耐えんと言っても、中型シーサーを飼うなんて面倒くさいッ……!!
 ここは、俺以外の優しい誰かが飼ってくれる事を祈りながら大人しく本来の目的である本屋へと向かうのが適せ…


「……しゃう。しゃうしゃ、しゃう……」


 やめろッ……「旦那、同情してくれるだけでもわんは嬉しいやさ。だからそんな苦しそうに悩んでくれるな。……行きんさい。旦那には、生きなきゃいけない明日があるやんに?」って感じの自身の運命を悟り切り誰かに優しくする事以外の全てを放棄した様な表情を俺に向けるなァッ……!!


 う、うごぉ……お、俺は虫か魚を値踏みしようとしただけだのに、何故店に入る手前でこんな精神ダメージを……!?
 死ぬ……このままだと死ぬゥ……!!


 お、落ち着けぇ……し、深呼吸だ……酸素……酸素ォ……!!
 ……ぃ、一時の情に流されるなァァ……目の前のこいつ一匹を救って、何になる……?
 この世には、こいつと同じ様な境遇にある生き物がごまんといるんだぞ……それら全てを救う事など、やりたくともできはしない……流石に経済的にも飼育労力的にも無理がある……!!


 俺にできるのは中途半端な救済でしかない……誰かが褒めてくれる様な行為ではなく、俺は苦労をし、面倒を背負う。それだけの行為……!!
 ならいっそ、見て見ぬふりをする方が俺の人生に置いて最大効率的であり……


「…………しゃう」


 ―――「…………生きたい(すごく控えめな小声)」と、言っている様に聞こえた。




   ◆




 翌朝。


「へぇいヨッシーさん! 今日も今日とてお醤油を貸してくださいナー!!」
「しゃう!」
「わおッ!? ぷりちーシーサー!? わんだほー!? え? 昨日までいなかったデスよね!?」
「……いや、まぁ世界中の不憫な動物を救えないとしても、目の前のこいつだけならどうにかなる以上、こいつを見捨てる理由としては弱いし……加えて、あのまま罪悪感を背負い込んで生きていく方が面倒くさいと思うし……だから、この結果は極めて仕方の無いものであり……」
「ふぁい? ぶつぶつと何の話デス?」
「……個人的な話なので、気にしないでください」


 そもそも、このギャモ野郎に与えられた醤油的ストレス解消のために書店へ走ったのが諸悪の根源だ。恨むぞギャモ野郎……


 そして、二度とペットショップには行かん。



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