河童を好きになってもらうために伝えたい五つの事

須方三城

05,河童の屁には勢いが無い?



 つ い に 五 日 目。
 大丈夫、もうお前は河童だ。


 私事から入りますが、僕は革靴を一足しか持っていませんでした。
 そうそう革靴を履く分際では無いもので、一足、靴箱にあれば充分と考えての事です。


 して、先日、久方ぶりに革靴を履く機会が訪れました。
 その前日、埃を落としたり消臭剤をぶっかけておくために僕はやれやれサムシングで靴箱を開けた訳ですが……


 無い。革靴が無い。消えてる。
 ホワイ? 何故? アンビリーバブルとか言う次元じゃあないぜ。
 新手のスタンド攻撃を喰らった気分ってあんな感じなんですね。


 おいおいおいジョーダンじゃあないぜ!?
 そんなスットンキョーな話があってたまるかよ!
 革靴は靴だ、煙じゃあねぇ!!
 そんな簡単に消えて無くなるなんてはずが無い!!


 だがッ!!


 だがどうしても、革靴が無くなっているッ!!
 革靴が突然に、本当に突然にッ。
 まるでミスターマリックが披露する華麗な至高奇術イリュージョンの様に!!


 消えて無くなって・・・・・・・・しまった・・・・・ァァ・・ーー!?


 的な心持ち。
 実際これに似たテンションで同居人に絡んで鬱陶しい至極とケツ蹴られました。尻子玉が潰れるゥッ。


 ――後の同居人証言により判明しましたが、この少し前に本土へと引っ越した兄が「革靴が無ぇからあいつのを永久に借りよう」と勝手無断に持ち去ったそうです。奴に禍いあれ。


 もうあの時の絶望感たるや。
 時間を吹き飛ばす爆弾に目覚めてもおかしくないレベル。


 頼りにしていた物が突然に消えて無くなってしまう。
 こいつぁ【ことわざ】で言う所の「河童が皿の水を零す」っつぅ奴ですよ。


 ――……さて、この五日間で河童センサーを磨きぬかれた皆様ならもうおわかりですね。


 本日グランドフィナーレ、「河童にまつわることわざ」のお話にございます。




   ◆




 河童にまつわることわざ、皆さんはいくつご存知でしょうか。


 まず、有名どころか挙げていきましょうか。




●河童の川流れ


 一昔前に国語辞典だか電子辞書だかのCMで「河童の川流れは河童が川で楽しく遊んでいる様子ではありません」的なフレーズがちょっぴり話題になりましたね。
 由来としては勿論、河童が川でウォータースライディングスポーツを嗜んでいる訳ではなく。


 河童と言う水辺の生き物、つまり息をする様に泳いでいる水泳のプロでも川を流されてしまう、溺れてしまう事はある。


 普通の意味としては「達人や専門家が失敗する様」を表現する言葉です。
 しかし【ことわざ】と言うのは元来「的を得た例え話を踏まえて戒め・教訓とすべきもの」。
 なので考察するに、教訓ことわざとしての意味としては「自分の得意分野でも失敗してしまう事は往々にしてあるから気をつけなさい」と言った所でしょうかね。


 おごる人は久しからず。
(意:傲慢に振舞う人は足元を掬われ長く栄える事はできない)
 平家物語で有名な一節ですね。
 慢心は油断は取り返しの付かない失敗を招くもの。
 実際、地位や名誉にあぐらをかき傲慢を尽くした平家はそれ故に滅ぼされ、その怨念は救われる事なく河童になり、悪行を働く様になったと言われています。




●河童の木登り


 何の話だ、と思うレベル。
 何で河童が木を登るんだ。


 ……実は河童は頑張り屋なのです。
 河童伝承にはよく、河童が人間を始めとする何かしらの生き物と競う逸話がよく出ます。
 猿と潜水勝負、なんてのもありました。当然河童が勝つ……かと思いきや、この猿がとんでもないチート猿で河童は敗北。
 以後、河童は猿と勝負して負けるのが嫌なので猿に近づかなくなった、なんて話も。


 そう、河童は猿に負けるのが嫌なんです。
 もしかしたら……潜水と言う得意分野で負けたからこそ、今度は猿の得意分野である木登りで勝って威厳を取り戻そうと考えたのかも知れません。
 頑張れ河童、いけいけ河童。君ならやれるさユー・ファイト・ウィン、リバー・グローリー。
 言葉としての意味は「苦手な事に果敢に挑戦する様」。


 推し量るに教訓としては「誰だって為せば成る。しかし為さねば万に一つも成らぬ」と言う「宝くじは買わないと当たらないよ」的な根性論、又は「苦手な事に挑戦しても非効率的だからやめとけ」と言う塾の講師がよく言う「得意分野で攻めろ」理論めいた適材適所を勧めるもの。
 取り方によって両極端。


 貴方は登りますか? 登りませんか?
 挑戦を尊ぶ大和美学に拘るにしても、知性全振りで効率に拘るにしても。
 最も大事なのはその過程に対する貴方自身の納得である事をお忘れなく。




●河童に水練を教える


 お節介、ここに極まれり。
 意味はもう読めばすぐわかる通り、「その道の経験者にそれを教えてどないすんねん」と言うつっこみ。
 河童様に人間が泳ぎを教えるなんぞ身の程知らずも良い所。
 教訓としては「馬鹿みたいに浅知識をひけらかして悦に入っていると恥をかくぞ」と言った所でしょう。


 ○○をやっていた経験があります、と言った所、突然「あー知ってるー! それってアレなんでしょー!?」と知ったかで絡まれるとイラっとするのと同時に鼻で笑いたくなりますよね。アレに近いと思われます。
 あの手の人種はマジで何処にでもいるのが不思議で仕方無い。


 テニス部だった中学時代、確か柔道部だった奴に漫画由来のテニステクニックをとうとうと語られた地獄。
 お前の頭にスピンかけてやんよ。




●河童に塩をあつらえる


 誂える……作らせる事。
 要するに「河童に塩を作らせる」と言う事。意味がわからん。
 河童サイド的にもなんでやねんが止めどないでしょうね。


 まぁまさにそう言う事です。
 河童が住むとされる川の水(淡水)からでは塩の作り様が無いので、転じて「門外漢に物を頼む事」「見当違いな注文をしてしまう事」を指す。
 教訓としては「不得手な相手に物を頼んだって良い仕事はできないから、頼み事は相手をちゃんと選べ」と言った所でしょうか。


 ……ちなみにですが、九州には実は海に住む河童の伝承があるらしい。
 海に住む河童は一本気で逞しくて酒好きと言う、ステレオタイプの九州男児なんだとか。
 温暖な気候は妖怪すらも開放的にし海へと走らせる模様。
 もしかしたら九州河童の肌は小麦色だったのかも知れない。




●河童に尻を抜かれた様


 以前お話した通り、河童には「尻子玉を抜いて相手を腑抜けにする」と言う伝承があります。
 そこから「まるで尻子玉を抜かれたかの様にぼんやりと呆けている様子」を指す。
 教訓としては「河童に陵辱された訳でもないのにボケっとすんじゃねぇ。しっかりしろや」って感じですかね。


 逆説的に河童に尻子玉を抜かれたならぼーっとしてても仕方無いと。
 河童に対する絶対的な畏敬の念を推し量れることわざですね。




●陸にあがった河童


 水生生物である河童。
 陸にあがれば、当然水中よりはパフォーマンスレベルが落ちる訳です。
 実際、陸では充分な水を供給できずに相撲に負けてしまうお辞儀事件がありましたしね。
 あれは悲しい事件でした……


 転じて、「得意分野の外に出され、本領を発揮できない様子」。
 教訓としては差し詰め「一芸に特化するならその一芸を活かせる様に常に努力せよ」と言った所。


 河童さんはペットボトルに水でも入れて持ち歩けば最強なんじゃないかな。




●河童の寒稽古かんげいこ


 河童は寒さには強いとされている訳ですが、それを知らずに傍から見ると水辺で素っ裸。
 裸で寒中水泳なんぞさぞかし辛いに違いない……でも河童的には別にそんなにケロっとリン。


 そう言う訳で「一見すると辛そうだけど、実はなんでもない事」と言う意味。
 教訓としては「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな」的な風情。
 要するに「勝手な決めつけで相手を測るな」って所ですかね。


 貴方には苦行でも、その誰かは楽しんでいるかも知れない。
 その理由を知る事で、もしかしたら貴方にも新しい道が開けるかも知れませんよ?
 視野は広く持ちましょう。
 決めつけは損の始まりですぞ。




●河童の屁(又は「屁の河童」)


 河童は川の中にいるので、屁がすぐに水に溶けて消えてしまう=屁に勢いが無い、と言う勝手な偏見から来ている納得のいかないことわざ。
 意味としては「勢いが無くすぐに消えてしまう様なものなので、取るに足らない」=「大した事が無く、簡単にできる事」。


 ……はぁ?


 河童の屁がモーゼの奇跡ばりに川を裂く可能性が全く考慮されていない事に憤りを感じます。
 今まで散々畏敬で持ち上げといて屁に関しては下げるってどう言う了見でしょうかね。


 教訓? 知らんわ。
 まーあれじゃないすかー……「水ん中で屁をこけば音と匂いを緩和できる」とかじゃないっすか。




   ◆




 以上、河童にまつわることわざでした。


 河童のことわざが、河童の魅力にどう繋がるのか……ですか?


 ことわざとは、強烈な風刺やインパクトのある言葉、あるあるネタを仕込む事で様々な教訓・知識を代々と受け継いでいくための文化です。
 つまり、そこには先人達が至極エモいと思った物が多く盛り込まれています。


 犬猫猿狐などの実在する動物に比べて、妖怪系はことわざは余り聞かないイメージですが……河童のことわざは軽く調べただけでこんなにある。
 河童と言う存在がどれだけ大きく、そして馴染み深いものであるかの証左であると、僕は考えます。


 河童と言うジャンルの魅力を語るフィナーレとするには、相応しい壮大さであると判断しました。


 それに、河童にまつわることわざが多いと言う事は、河童キャラの台詞回しに自然なウィットを仕込みやすい。


 河童の屁が大した事ないって? 味わってみなベイベー!!


 と屁圧で敵を一掃する河童を想像すると胸がすきます。








 さて、と言う訳で、このエッセイはこれにて幕引きとなります。
 え? あのネタは語らないの? このネタは語らないの? と思っている方はいますでしょう。
 それは、貴方が語ると良い。


 河童を始め【妖怪】と言うものは全般、人々の創作によって生み出され、属性を付け足されて確立されていった存在です。
 言わば、昔からある都市伝説が、時と人の口を無数に経由した事で伝説へと昇華されたものなのです。


 誰にでも、妖怪を知る権利があります。
 誰にでも、妖怪を語る権利があります。
 誰にでも、妖怪を考察する権利があります。
 誰にでも、妖怪を愛し、その魅力に酔いしれる権利があります。


 皆に河童を知って欲しい、皆に河童を愛して欲しい。
 その一念から、僕は筆を取りました。


 誰に批難されるつもりもありません。
 僕は何も間違った事はしていません。


 貴方が妖怪について調べ、語り、私見を並べ、愛を歌う事も、また間違ってはいないと僕は断言します。


 その形は、何もエッセイに限りません。
 素直にファンタジー小説でも良いでしょう、人間の学校に馴染もうとするラブコメディ小説でも良いでしょう。
 他にも、色々な形で、貴方の河童を表現してください。


 貴方が「こんな河童がいたら良いな」を小説にしたためてくれたなら、僕はそれをとても嬉しく思います。


 最初、ランキングに河童作品を、などと宣いましたが、ぶっちゃけそれは叶わなくても良いです。
 これを機に「河童が好き」「強いて推し妖怪をあげるなら河童かな」と言ってくれる人が一人でも増えたのなら、それで充分でしょう。


 欲を張っても平家の二の舞……あれ、でも最終的に河童になれるならそれも良い?


 まぁ、とりあえずそんな感じです。






 それではまた何時か。
 何処かの川辺でお会いしましょう。



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