河童を好きになってもらうために伝えたい五つの事

須方三城

01,河童は律儀なドジッ子である



 河童は人間との相撲を好むそうです。
 力を自慢できるから。人間の土俵で人間を叩きのめす事で自慢効率は更に倍プッシュ。と言う算段の模様。


 何でボクシングとかカバディじゃあダメなのか?


 時代背景です。


 河童を始め、様々な妖怪の伝承逸話が形成された全盛期は(諸説ありますが)江戸時代あたりが有力だと言われています。
 その頃、浮世絵師の間で妖怪絵が空前の大ブームとなり、創作妖怪の絵や、既存の妖怪の二次創作絵が量産されたのだそうです。


 そんな妖怪絵ブームにより、妖怪の種類が爆増+妖怪の設定も飽和。
 河童だけを見ても、「討ち滅ぼされた平家の怨念が霊魂大合体した存在」だの「都落ちしてしょんぼりしてる水神の類」だの、出自が安定していません。
 ひどい奴になると「藻に塗れたカワウソ」だの「デカい蛙」だの「変色した水死体」だのと、最早妖怪と言う前提すら突き崩しにきてる説まで。
 ここまで来るとそれっぽければ何言っても許される感すらある。


 まぁ、当時は公式警察なんて当然いなかった訳ですし、著作権の概念も無きに等しい。
 そりゃあもう創作の無法地帯ですよ。


 ワシが思うに河童はこうじゃ!!
 こう言う河童もよろしかろう!!
 余が河童業界に一石を投じるぞよ!!
 我が河童こそいとをかし!!
 あはははは河童好き好き大好きあははは!!


 みたいな感じだったと容易に想像できます。


 ……大分話が逸れましたね。


 さて、「何故河童が相撲を好むか→それは時代背景です」と言う流れでしたか。
 そう、「河童の設定の多くが江戸時代の浮世絵師達の二次創作によって彩られた」と考えられる以上、当時の日本に存在していなかったスポーツが設定として盛り込まれる事は有り得ない、と言う訳です。


 当時の日本で天下数多に知られる力自慢のスポーツ、と言えば最早、相撲しかありません。
 ……いや、まぁ本当にそうなのかは知らんけど。多分ボクシングとかないよね?
 徳川さん家って国を挙げて引き篭ってたインドア派の極致だし、海外のスポーツなんてそんな入ってきていないはず。多分そう言う認識で大丈夫。


 鎖国情勢下でも海外貿易を行っていた長崎・出島とかの河童なら、もしかしたらボクシングでカンガルーと殴り合っていたりしたかも知れませんね。


 余談に余談を重ねていくスタイルのせいで本題を見失いつつありますが、そろそろサブタイを回収しに行きましょう。


 ――河童は律儀なドジッ子である。
 その尊みを感じられる逸話を、これから語りたいと思います。




   ◆




 その昔、河童はよく人間と相撲を取っていました。


 河童はなんと言っても力自慢の妖怪。
 その膂力は【妖怪の定義(不可思議な現象を起こす神物)】に則るならば「不可思議に思える程の怪力」です。
 普通に考えて、貴様ら人間如きに勝目などありません。


 ――米俵を無数に抱える程の力自慢の男を、河童は片手で投げ飛ばしてしまった。
 そんな伝承もある程です。


 しかも、河童は相撲で倒した相手から罰ゲーム感覚で【尻子玉しりこだま】と言う物を抜き取ります。
 尻子玉と言うのは肛門の中にあると信じられていた正味よくわからない臓腑の事で、心の心臓的なものです。
 これを抜き取られるとまさしく腑抜けになってしまう、最悪の場合一緒に魂まで抜き取られて死んでしまう……洒落になっていません。


 河童と相撲なんて取ってられるか、僕は家に帰らせてもらう! って話ですよ。


 ですがしかし、河童は怪力の持ち主。当然脚力にも優れます。
 ひとたび相撲勝負を挑まれてしまったら最後。走って逃げた所であっと言う間に追いつかれて投げ飛ばされた後、抵抗を許されない程の膂力を以て押さえ付けられ、肛門を掘られ、抜かれてしまいます。尻子玉を。


 愚かで脆弱な人間共は「どうにか河童を退治する方法は無いものか」と身の程知らずな事を考えます。
 河童に勝てるはずが無い、無駄な足掻きをせず、運命の日までせいぜい人生を謳歌すれば良いものを――


 ――……しかし、奇跡が起きました。


 人間は河童に酒を捧げて酔っ払わせる事で気分をよくさせ、【ある事】を聞き出し、そして突き止めたのです。
 河童の【弱点】を。


 それは、【頭の皿】でした。


 河童は頭の皿に水が入っていないと、力が出ないと言うのです。
 日差しの強い日に出歩いて皿が乾いた時には死を覚悟した、でも根性で生き残ったけどな! と河童は武勇伝めいて上機嫌に語ったそうです。


 それなら打つ手はあるぞと人間共は喜びました。


 後日、河童はいつも通り、適当な人間を捕まえて相撲勝負を挑みます。
 すると、その人間は突然ぺこりと頭を下げ、お辞儀をしました。


 不思議に思った河童が「一体どうした?」と問いかけると、人間は「人間の相撲の礼儀作法ですよ。ご存知無かったので?」と当然の様に答えました。
 河童はこれに面を食らいます。そんな話は聞いた事がない。
 人間は相変わらず当然と言った調子で「でも、古事記にもそう書いてありますよ」と宣う。


 古事記にまで書かれていると言われては仕方が無い。河童は素直真面目に「自分が知っている相撲は略式で、本当の相撲はお辞儀で始まるものだったのか」と納得。
 それに、お辞儀をされたらお辞儀を返すのは古事記以前に大和魂に刻まれた必定。
 悪戯を愛する分際でも、それは礼儀をおろそかにする事と同義に非ず。
 河童は悪戯好きだし天真爛漫ですが、弁えた礼節を敢えて破る様な不埒めいた真似はしません。


 河童は当然、お辞儀を返します。


 ――すると、何と言う事でしょう……!


 下げられた河童の皿から、ばしゃばしゃばしゃああーー!! と、水が全て溢れ落ちてしまいました。


 うげッ、と緑色の肌を青ざめさせる河童。
 対して人間は満面の笑顔。


 ……そう、これは巧妙な罠だったのです。
 河童にお辞儀をさせる事で、皿から水を吐き出させるための……!!


 なんと卑劣、なんと狡猾。
 これが人間。神の意に背いて禁断の果実を貪った卑しき種族のやり方。


 皿の水を失い力が出ない河童は、その人間によっていとも簡単に投げ飛ばされてしまいました。


 悔しい河童。
 こんなはずではと水を補充し、また別の人間に相撲勝負を挑みます。


 しかしその人間もぺこりとお辞儀!!
 お辞儀にはお辞儀で返さなければ失礼だと河童もぺこりと返礼。


 皿から水が溢れる音で、河童はハッと気付きます。


 またやっちまった、と。


 こうして、河童はまたしても、人間に投げ飛ばされてしまいました。


 今度の今度こそは……とまた水を補充し、別の人間を捕まえ勝負する河童。
 そしてこの人間もぺこり!!


 もうイヤッ!! と心底から叫ぶ河童。
 でもお辞儀をされたら返すのが必定。そこはどうしても、ないがしろにできない。
 河童は水を零さない様に慎重に頭を下げますが……ダメでした。


 三度みたび投げ飛ばされた河童は「もうお前ら……その、あれだ、ばーか!!」と人間の狡猾さを罵りながら泣き叫び、川へと帰っていきました。


 その後も、河童は幾度となく人間に相撲勝負を挑んだそうですが……水を零さずにお辞儀を返す方法はついぞ発見できず。


 いつの日からか、河童は現れなくなったそうな。




   ◆




 ついさっきお辞儀が原因で負けたのにすっかり忘れてお辞儀を返してしまうドジッ子属性。
 そして仮に覚えていても、お辞儀にはお辞儀を返さなければと思う律儀さ。お辞儀を返さないと言う無礼千万な選択肢は眼中に無く、お辞儀をした上で水を保持できる道を模索し続けた直向きさ――


 ドジッ子(クソ真面目系)……!!


 これが萌えずにいられましょうかって話ですよ。
 学級委員長をやらせたい妖怪NO,1、近々取ってしまうのでは?

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