鮮獄嵐凄~思春期武士はロマンチックな恋がしたい~
09,食卓ギャラクシー
朝の情報番組を見れば、その国の平和具合がわかる。
そもそも、朝の情報番組を放送できている時点でかなり平和。そして伝えられる内容が、どこかの誰かの悪意や不幸など介在しない、煌びやかな話題ばかりであれば、もうそれは非常に望ましい理想的な超平和社会の顕れだろう。
本日の日本国はと言うと、実に望ましい状態。つまりは超平和。
リビングにて食卓に着き、眺めるテレビに映っているのは、女優でも中々見ない様な美しさを持つ栗色の長髪をなびかせてポーズ&スマイルを決める長身優形の青年。
今話題の現役高校生マルチタレント・忌河美求さん、だそうだ。優形、と言ってもそれは着衣の上からのパッと見の話で、姿勢や所作からみるに、相当な筋肉量を有していると思われる。
先程「物心ついた時から戦極道を嗜んでおり、殺陣演技に定評がある」と説明されていたし、日々の鍛錬研磨を怠ってはいないのだろう。
以前からドラマやバラエティ番組なんかでちょいちょいと見ていた顔だけど、名前と詳細は初めて知った。
彼は何やら、今絶賛公開中で興行収入が記録的伸びを見せている映画にて主演を務めているらしく、その宣伝を兼ねた出演なんだそうだ。
件の映画は、宣材映像の背景が宇宙空間やごちゃごちゃした機械ばかりのがっつりSF系。
僕としては余り興味の無いジャンルの映画っぽいので、タイトルすら把握していない。出演者および製作スタッフの皆様は頑張っているんだろうけど……なんかごめんなさい。本当にSFと言うか難しい感じの奴は関心が持てない。
せめて宣材映像に格好良くてド派手なアクションシーンなんかがふんだんに盛り込まれていれば、多少は前傾姿勢になるんだけど……どうにも、そう言うのは少ないらしく。
さっき一分半に渡って流されていた宣材映像は、皆さん必死に人類の生き残る道を模索して紛糾し荒々しく甲論乙駁としているシーンやら、主演の美求さんがエナメル質ぴっちりな近未来的衣装姿でキーボードが壊れそうな勢いでタイピングしているシーンばかりだった。
一応、ブラックホール的な亜空間から巨大な薙刀型隕石らしき物体が紫電を纏って噴出するシーンもあったのだが、何かしらのサブリミナル効果でも狙っているのかと思える程の一瞬しか組み込まれていなかった。おそらく、作中では余り意味のあるシーンでは無いのだろう。
……本当に好評なの? この映画……自分の感性を絶対とは思わないけど……想像が難しい。成程、鳳蝶さんが言う「意味がわかりません」とはこう言う感覚か……
と言うか、主演に殺陣演技に定評のある人を抜擢するなら殺陣シーンやろうよ、殺陣。
……にしても、だ。
美求さんとやら……つい先程のインタビューで「先日高校二年生になった」と答えていたので、僕と同級生か……で、身長が一九〇センチもあると?
もしかして、僕の身長の一部を神仏が間違えてあの人に振ってしまったのではないだろうか。だとしたら訴訟を起こしてでも返していただきたい。
「お兄ちゃん、高身長のイケメンをどれだけ眺めたって、お兄ちゃんはお兄ちゃんからは脱せないよ。未来永劫、対極の存在なんだよ?」
市姫、頼むからいい加減に「お兄ちゃん」と言う単語を「低身長の可愛メン」と言うニュアンスで使うのをやめてくれないだろうか。
せめて包帯が全て取れるまではこのボロボロの兄を労わってお願い。
「……ところでさ、お兄ちゃん。私、すごく聞きたい事があるんだ。……これは何?」
市姫が指差したのは、自身の目の前、食卓に並べられた茶碗。
そこに並々と満たされているのは……なんかこう、しばらく眺めていると目のピントが合わなくなってくる混沌とした色合いの何か。
何だろう、ダークマーブルとか、カオスマーブルとか表現すれば良いのかな。とにかく暗黒の世界から抽出したいくつかの色をギュッと集めてパパッとぞんざいに掻き混ぜた様な何かだ。
「何ってお前……そりゃあまぁ、アレだよ……鳳蝶さんが生まれて初めて作ったと言う味噌汁だよ………………?」
鳳蝶さん特製味噌汁。
さっきの映画に準えてSF風に言うなら【未知の物質】、かな。
――そう、今、雄大家の食卓には、着々と味噌汁、野菜炒め、卵焼きが並べられている。
あとは主菜の豚肉生姜焼きの登場を以て、この食卓は完成されるのだろう。
ああ、唯一普通の白米が相対的にすごく眩しい。銀シャリ、と呼ばれるのも納得の輝かしさである。
「お兄ちゃん、もう一度、この物質をよく見て。その後にこの世に一人しかいない可愛い妹である私の目を真っ直ぐに見て答えて。これは何?」
「……僕は嘘は吐きたくないし、彼女を傷付けたくはない……!」
「お兄ちゃんのバカァァァ……!!」
何故だ、何故なんだ。
何故ここから見えるキッチンに立つあの二人の背中はあんなにも楽しそうなんだ。
お母さん、鳳蝶さん。貴女たちは一体、僕ら兄妹のお腹をどうしたいんですか。
「お兄ちゃん……私ね……『才色兼備のパーフェクトヒューマンだのに料理の腕だけが欠点の美少女』なんてラブコメのお約束ヒロインみたいな人……浮世に存在するなんて思わなかったよ……!?」
「どうしようもなく僕ら兄妹なんだね、市姫。……僕もだよ……!!」
――「まともに料理をするのは初めてです……なにせ家庭科の授業では、いつも途中でグループの皆さんに親切にされ過ぎてしまって……でも大丈夫です、【いんたーねっと】でたくさん調べてきたので、知識は万全……!!」――
それが、今朝、母に「朝食の作成、お手伝いさせてください」と申し出た鳳蝶さんの弁。
あの時は「ああ、髪を下ろした鳳蝶さんはなんだか色っぽいなー。あ、寝間着も和装なんだ。すごくらしいし蒼がとても似合っていて綺麗だなー」としか思っていなかったが……
……インターネットの役立たず……!!
大体だ。今にして思えば、あの時の発言がまるっと危険な風情じゃあないか……!!
そして何故ですか、母よ。
何故貴女は自分の神聖領域が宇宙の神秘に侵されているのに、平然とした様子で鳳蝶さんを見守っていられるんだ……!?
って言うかちょいちょい手助けしてるのになんでこんな事になっているの!? お母さん、普段は料理すっごい上手だよね!? いつもありがとう、でも何でこうなってるの!?
もしかして息子が初めて連れてきた彼女だからって色々と寛容になっているのか……!?
ただでさえ常軌を逸したほのぼの感を纏う母が、更に寛容になる……ああ、そりゃあ宇宙の神秘も許容してしまうよね。
神は死んだ。そしておそらくこれから僕達の臓腑も死ぬ。
「私、提案があるんだ。私達二人で逃げよ? あの二人はもうダメだよ。クレイジークッキング父神か何かに取り憑かれてしまったんだよきっと」
「何その邪神……って言うか、ダメだよそんなの……鳳蝶さん、あんなに頑張ってくれているんだぞ……!?」
「うッ……た、確かに未来のお義姉さん候補を傷付けたくはないけれど……私は一介の女子中学生なんだよお兄ちゃん……!! ホルモンバランス的なモノが大事な時期なんだよ……!? まぁ例えそうでなくても、この神秘的な何かを食す勇気はとても無いよ……!!」
うん、市姫の言い分はよくわかる。
可能ならば僕だって今すぐ椅子をひっくり返して走り出し、窓を突き破ってでも逃げ出したい。
何処ぞのスタント無用のとんでもアクション俳優ばりのダイナミックさで飛び出していきたい。
でも、それだけは、してはいけないんだ……!!
大体、そうしたとしても鳳蝶さんはともかく、お母さんから逃げ切れる保証が無い……!!
「……白米と神秘、七:三……いや、八:二くらいの割合で同時に口に放り込み、お茶で流し込めば……あるいは……」
「奇跡的にかろうじて味覚はクリアできたとして、その先は?」
喉元を過ぎ様とも神秘は神秘。
むしろ、喉元を過ぎてから真価を発揮するパターンの方が多いだろう。
詰んだかな。
「お待たせ致しました」
鳳蝶さんのいつも落ち着いた声と共に、死神の鎌が振り下ろされた……じゃあなくて、ついに食卓が完成した。
すごい。
もはや唯一まともであるはずの白米に異物感を覚えてしまう光景だ。
これが、昨日まで僕達に活力を与えてくれていた朝の食卓と同質のモノだと言うのか。嘘だ。そんなの嘘だ。
市姫、そんな小刻みに震えて「無理無理無理無理無理無理無理無理無理」と超小声でつぶやきながらこっちを見ないでくれ。僕だって泣きそうなんだ。
「あらあら~。信ちゃんも市ちゃんも震える程に喜んじゃって~。鳳蝶ちゃんの初めてお料理、そんなに期待してたの? うふふ」
母よ、普段から開いているかどうかわからないその眠そうな瞼の奥に収まっているのは駄菓子屋のスーパーボールか何かなのですか?
この世界のどこにこんな顔面蒼白で冷や汗滝の如しな喜びの表現があると言うんです?
僕も市姫も顎から伝い落ちた冷や汗で足元に水溜りができつつあるんですが?
「……やはり、知識だけではどうにも……ですね。見た目が少々、酷い有様になってしまいました」
鳳蝶さん、少々と言う言葉は用法用量を守って適切に使うべきだと僕は思う。
鳳蝶さんは言葉で誤魔化さない。おそらく、本人的には本当に「少々」だと思っているのだろうが……もう言っちゃおうかな。頭おかしい。
あの鳳蝶さんにもこんな弱点があるんだと言うギャップ萌え的な感情もあるが今はそれ以上に震えが止まらない。
「あらあら、大丈夫よー。初めてなら誰だってこんなものよ~」
嘘だ。母よ、今すぐに嘘だと言うんだ。
僕も市姫も母に代わって多少料理をする機会があったけど、初めてでも味噌汁は明るい茶色で卵焼きは黄色かった。
「さ、鳳蝶ちゃんも座って座ってー。皆でいただきまーすしましょ~」
母はそう言うと、何の躊躇いもなく自身も食卓に着いた。……マジであの細目の奥にあるのは眼球以外の何かなのか……!?
「では、お言葉に甘えて。失礼致します」
「じゃあ、はい、いただきまーす」
「いただきます」
「ぃ、ただき、まひゅ」
「いた、だき、ましゅ」
「? 信ちゃんも市ちゃんも、何だか元気がないわね~? あ、お腹が空き過ぎてたまらないのかー。さ、早く朝ごはんを食べて元気盛り盛りしましょう!!」
母の正気を疑ったのは生まれて初めてだ。
息子の初彼女って親をここまで狂わせるのか。
……さて、本格的にどうする。
箸を握ったは良いが、どれから手を付ければ良い……!?
雄大家の食卓に置いて、【お残し】は許されない。
特に罰とかがある訳ではないが……残された食事を見ると、あのほんわり感だけが取り柄の母がその日一日はパッチリ開眼して無言になるため、自然とそう言う暗黙の鉄則が生まれたのだ。
おかずは鳳蝶さんにご執心の余りクレイジーモード突入中と見られるの母に任せるとして、最低でも、米と汁物は自力で完食せねばならない。
米は問題無い……だけど……ああ、市姫も同じ思考をしたのだろう。味噌汁の茶碗を持ったまま硬直している。
ここは……兄として、僕が先陣を切るしかない……!!
「……では、鳳蝶さん……!! 有り難くいただきます……!!」
「ぉ、お兄ちゃん……!?」
「……? はい。どうぞ」
何をそんなに気合を入れているんでしょう……? と言う感じで小首を傾げる鳳蝶さん。
ああ、何故、神仏は貴女の様な素晴らしい人間にこんな業を課したのでしょう。
もし、これから先、神仏のいる所に行く事になったのなら、目に付く限り撫で斬りにしてきます。
と言う訳で、行斬――南無南無南無阿弥。
うぅ……生暖かいスライムの様な物が口の中に……
「…………………………あれ?」
「……? お、兄ちゃん……? 生きてる……?」
「うん……まぁ……って言うか……」
食感は腐った三枚肉の脂身みたいで酷いものだけど…………味に関しては、普通に、美味しい……気がする。
……気のせい、ではない。
「……うん、うん、うん……」
どれもこれも、見た目は未知の宇宙を感じさせるけど……味は既知だ。
このドロっとした半流動体は味噌汁の味がする。
この暗黒を固めた柔らかいものはちょっと塩味が効きすぎている感はあるものの、卵焼きの味だ。
これはちょっと生野菜っぽい青い匂いが残っているし、まるで真夏の車内に放置してしまったがために半分溶けたチューインガムを噛んでいる様な歯に執拗に絡みついてくる咀嚼感があるけど、味は完全にキャベツを中心とした野菜炒め。
こっちのは若干焼き過ぎた肉の口当たりの硬さを感じるし、吐血した時の様に鉄の匂いが口いっぱいに広がるけど、味覚だけで言えば、豚肉の生姜焼き以外の何ものでもない……
今までの経験から培って記憶していた触覚と嗅覚と味覚の因果関係を真っ向から全否定されている様で、なんだか漠然とした不安に襲われるが……これは、美味しい。
「ぇ、嘘……!?」
僕が平然パクパクと食し始めたのを見て、市姫も実食。そして僕同様に目を剥いた。
「…………一体、何が起きているんだ…………」
見た目はアレだし、若干未熟な要素も感じるが、美味しい朝御飯だ。これは良い一日の活力剤になるだろう。確信を持てる。初めての料理でこの味を出せるのなら、その分野に置いて将来有望と断言しても良いんじゃないかな。
すごい、本当に神秘だこれ。
そして納得が行った。
この事を味見して知っていたから、母は平然としていられたのか。
「あ~、美味しい。鳳蝶ちゃん、今晩は見た目も良くできる様に、一緒に頑張りましょうねー。そうすれば、完璧とまでは言わなくても無難な仕上がりになるからー。鳳蝶ちゃん、筋が良いよ~」
「有り難く染みる御言葉……この鳳蝶、今日以上に粉骨砕身、調理場と向かい合わせていただきます」
「うん、美味しいよ、鳳蝶さん」
「!」
グッ、と鳳蝶さんが親指を立てて微笑。若干頬や耳が赤らんでいる気がする。
力強いグッドサインが男らしくて格好良いし、褒められて赤面する様は女性らしさもあって愛らしい。鳳蝶さんはハイブリッドだ。
「……お兄ちゃん。とりあえず、胃腸鍛錬も、嫁姑問題も無さそうで何よりだね」
「あ、うん……そうだね」
うん、めでたし、めでたし……だよね?
……一体、どんな調理工程を踏めばこんな見た目になるのかは、依然、謎のままだけど……
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