鮮獄嵐凄~思春期武士はロマンチックな恋がしたい~
06,大祿炎魔王
市姫が時々言う。
――「お兄ちゃん、昔に比べてすごく可愛くなったよね」と。
可愛い、と言う言い方には少々異論はあるが、それを「丸くなった」とか「穏やかになった」と言う風に言い換えるなら……正直、その通りだと思う。
恒ちゃんの事があってから、【俺】は【僕】になった。
自分自身の凶暴性を恐れて、嫌って、意識的に遠ざけ様と必死になっていた時期があって……
……あれ?
そう、だよな。
僕は、必死になって、温和である様に努めていた。
何時からだろう。
何の意識もせずに、【僕】でいられる様になったのは。
何時からだろう。
自分から望んで【僕】になったはずだのに、臆病とも言える程に温和な【僕】に対して「情けない」なんて思う様になったのは。
何時からだ。
何時から俺は、【僕】である事に違和感を覚えなくなった?
何で、そんな重大な異変に、今の今まで気付かなかった?
何で、忘れていた?
――何で、今、思い出した?
熱ィ。
まだ俺ァ、天火刀から炎を出してはいねェはずだのに。
大体、天火刀の炎は所有者に害をなさねェはずだ。炎を出してたとしても、俺が熱さを感じるはずがねェ。親父殿が俺に嘘を教える訳もねェ。
じゃあよォ……何がどォしてこんなに熱ィんだ?
おかしい……皮膚の下だ。この熱は、俺の皮膚の下を、すげェ勢いで巡っていやがる。
………………アァ、そォいう。
これが俗に言う「血が沸騰する」って奴かよ。
悪ィ気分じゃあねェ。むしろ最高に爽快だ。
俺が僕が異変がどォだこォだ、細けェ事は今ァどォォォでも良ィ……俺がやるべき事ァ、鮮明だ。
俺の身体を何度も何度も吹っ飛ばしてくれやがった、あんのフザけた刀ァ……粉微塵になるまで、ぶッ壊ァすッ!!
◆
「!」
雄大信市が、刀を抜いた。
柄や鍔、鞘と同様……いや、それ以上に紅い……まるで燃え盛る豪炎をそのまま型に入れて加工した様な刃だ。
……鞘のまま構える事をそう言うスタイルだと言っていたのに、一体どう言う心境の変化か。
鳳蝶には読心の心得などないので、その正答を知る事はできない。
だが、とにかく、戦極武装による特殊攻撃がくる、それだけはわかった。
それも、ただの戦極武装ではない。
今、信市は「超級」と言った。最上級の業物だ。
疑う訳ではないが、あの紅蓮刀は幾度となく爆裂帰蝶の爆破をモロに受けながらも、傷一つ、焦げ一つ負ってはいない。あの馬鹿げた耐久性は、少なくとも並の代物では無いと言う証だ。
どの様な戦極武装かは不明だが……
この局面で起動したと言う事は、現状打破を望める性能なのだろう。
まぁ想定内だ、と鳳蝶はすぐに迎撃態勢を取る。
と言っても、その手に持っていた刀の柄を、強く握り直しただけだが。
鳳蝶が振るう刀剣型戦極武装【爆裂帰蝶】。
刃を無数に分散、蝶型の爆弾に変化させ、それを操って相手を爆撃する戦極武装。
一度蝶を使い切ると、リセット、即ち一度刃を戻す必要がある。
そして、刃を戻す速度は、使用者の意図で若干遅らせる事が可能。
そう、鳳蝶は意図的に、刃を戻す速度を、最大速より遅らせていた。
理由は単純。刃を戻す極僅かな隙を狙って突っ込んでくる相手に、誤算させるため。
無防備な所を突こうと意気揚々に突っ込んでみたらば、既に新たな蝶が展開されていました。
そんな地獄みたいな状況に相手を叩き落とし、至近距離爆破で確実に仕留めるための、言わば罠。
突っ込まずに遠距離から攻撃してきたとしても、問題は無い。
形成完了した刃を使っていなすなり、余裕を以て回避に専念するだけの事。
例えどんな戦極武装だろうと、この距離、弛まず警戒していれば、対処は容易い。
不意打ちなど、受けはしない。
想定可能な手は全て読み、どれできたって対処できる様に、極めて冷静に構えた……つもりだった。
だが、彼女はミスをした。
想定外を想定していなかった。
「……ッ……!?」
鳳蝶は驚愕に目を剥いた。
――いない。
さっきまで……瞬きをするまで、視線の先に立っていたはずの信市が、何処にもいない。
ただ、投げ捨てられたと思われる紅蓮の鞘が落下している最中だった。
そして奇妙な事が一点。
一秒と待たずに鞘が落下するだろう予想着地点から、真っ直ぐに鳳蝶の方へ向かって、地面にいくつもの【痕】が刻まれているのだ。さっきまでは絶対に無かった痕だ。
まるで小さな隕石が落下したクレーターが一定間隔で真っ直ぐに連続しているその様は……見方を変えれば、「何者かが凄まじい脚力を以て地面を踏み砕きながら駆け抜けた」様な痕跡にも見える。
「ぎゃッはァ」
突然に響いたのは、低音に濁った……まるで獣物の咆哮にも似た声。
それは、鳳蝶の足元から聞こえた。
信市を見失った混乱を残しながらも、鳳蝶は咄嗟に視線を下へ向けた。
――いた。
見えたのは、古い傷痕がビッシリと刻みつけられた痛々しくも逞しい、小さな背中。
まるで四足歩行の獣の如く。地を舐める様な極限の低姿勢で、何の比喩でもなくまさしく【一瞬】の間に鳳蝶の足元まで走り抜けてきた、小さな生物。その背中。
――雄大、信市。
馬鹿な。
一体、何が起きた。
戦極武装の特性?
説明が付かない。
戦極武装はファンタジーな魔法とは違う。あくまでただの装備品だ。本質はただの武器防具と変わらない。ただ火を吹いたり雷撃を吐いたり爆発する蝶々へと変貌したりするだけだ。
身体能力の強化だとか、人体に何らかの効能をもたらすとか、そう言う類の特性は存在しない。
確かに突風を起こし、それに乗るなどして高速移動を可能とする戦極武装は在るが……だとしたら、ここまで刻まれたあの深い足跡は何だ?
鳳蝶が疑問に次ぐ疑問に思考を侵食される最中。
いつの間にか、瞳孔が開き切った紅い瞳が、鳳蝶の眼前にあった。
信市の瞳だ。
今度は、瞬きすらしていない。
ただただ単純に、鳳蝶の肉眼では追えない速度で、信市が身を起こし、跳んだだけ。
信市は笑っていた。
瞳孔を全開にして、口角を耳まで裂き上げて、ついさっきまでの小動物系な彼からは想像も付かない野獣の様な笑顔を満面に広げて、笑っていた。
鼻先が掠り、唇が触れるのではないか。
そんなタイミングで、ようやく鳳蝶は反応できた。
咄嗟に、後退しながら刀を振るう。
何の計算も無い、ただただ反射的な攻撃だった。
混乱に混乱が重なる中、鳳蝶は、咄嗟の事だったとは言え自身の失策に眉を歪ませる。
こんな何の弄れもない馬鹿正直な軌道の斬撃、いくらこの至近距離でも、あの右手に持った紅い刀であっさりと受け止められてしまうに決まっている。
――しかし現実は――信市は、そんな鳳蝶の想定すら打ち砕いた。
信市が振り上げたのは、刀を握っていない、空の掌。
幾度と無く、激烈な爆炎に晒された事で焼け爛れ、強烈な爆風によってグシャグシャに砕かれた、左腕だ。
全体的に酷い状態だが、特に薬指に至っては最早完全に曲がってはいけない方向に曲がっていると言うか、少し引っ張れば引き千切れてしまいそうな有様。所々、皮膚を破って露出している血塗れの白い何かは、おそらく砕けた骨だろう。
そんな挽肉寸前の左腕を、振り上げて、一体何を――
「はッ……」
感嘆符も疑問符も、付ける暇は無かった。
信市の左掌が、その歪んだ五指が、鳳蝶の振るった刃をしっかりと掴み、受け止めたのだ。
「その刀ァ、殺す」
信市の指の隙間から鮮血が溢れたのとほぼ同時。
その指が斬り飛ばされるよりも先に、白刃が砕け散った。
鳳蝶の刀、その刃が、信市の小さな掌によって、握り砕かれた。
「――ッ――」
花吹雪の様に眼前で舞い上がる白刃の破片と、信市の鮮血。
その奥で未だに狂った様な笑みを浮かべる信市を見て、鳳蝶はある言葉を思い出した。
――「穏やかなる者ほど、胸中に忍ばせたる刃は鋭く禍々しい」――
要するに、「優しい奴ほどキレると恐い」。
日本国最古の書、超古事記列伝にも書かれている有名な事だ。
優しい人と言うのは、思いやりを錠として激情を抑圧し続けているもの。
その錠が外れてしまえば、さながら富士連山の大噴火。
錠が外れるキッカケは、我慢ならぬ激情か。はたまた、今まで「してはならぬ」と全力でブレーキをかけていた行為をしてしまった事による自棄的決壊か。
鳳蝶は知る由も無いが――雄大信市と言う少年は「刀を抜く事」つまり「明確な敵意を誰かに向ける事」を、極端に忌み嫌って避けてきた。
それは、彼がかつて激情のままに刀を抜いた事で、大切な友人を傷付けてしまったトラウマに起因する。
彼はあの日から、刀と共に己の中の粗暴な部分の全てを鞘に納め、理性の錠を以て抑える様になった。
彼が必要以上に弱腰に振る舞うのは、彼自身が理性的にそう在ろうとした結果だ。
彼の理性が年月をかけて構築した偽りの性格が、彼を軟弱者として振る舞わせる。
彼は表層では自身の軟弱さを忌み嫌っているが、それはあくまで彼の理性が作り上げた【創作人格】である。
絵に描いた様な情けない軟弱者。「このままではいけない」とは思いつつも、積極的に変わろうとはせず、口先ではそこそこ威勢の良い事を吠えても、実際には大した行動を起こせない。未来永劫、荒事を避け続ける臆病な男。
それが、衝動的暴力を、己の凶暴性を悔い恐れた彼が、己に与えた創作人格。
……だが、それにより信市自身も想定していなかった不具合が発生する。
温和的で臆病な創作人格によって隠匿された彼の本性は、全くの別物。彼の理性が目指した人格と、彼の本質は余りにも乖離している。
やがてその大きな齟齬は、彼の人間性に大きな変質をもたらしてしまったのだ。
――解離性同一性障害の発症。
即ち多重人格、MPDである。
理性の錠、理性が作り上げた創作人格によって抑圧された荒々しい本来の彼は、別の人格として独立。
刀と共に、鞘の中に納められていた。
それが今、鳳蝶の目の前に顕現している怪物の正体。
信市が父との修行で獲得した超人的身体能力の全てを一切の制御や躊躇も無くブッ放し、自身すらも顧みない破壊的な暴虐を尽くす。圧倒的な野蛮人。
理性を持つ人格から完全に隔離され、本能だけが剥き出しになった信市である。
「次ァァ……テメェが死んどけェァッ!!」
信市が吠え、紅い眼光の尾を引きながら、全身を丸ごと左方向へと捻った。
右手を精一杯伸ばし、その手に持った紅蓮の刀――天火刀の刃を、身体ごと、勢いを付けて振るう。
狙いは、誰がどう見ても真っ直ぐ、鳳蝶の白い首筋。
ただ断頭だけを目的とした紅蓮一閃。
「ッ」
回避も防御も、間に合わない。
鳳蝶の脳裏を過ぎったのは、死――
「……………………………………、…………?」
思わず閉ざした瞼。
暗闇の中――鳳蝶が覚悟していた瞬間は、来ない。
「…………え…………?」
いない。
誰も、いない。
真っ直ぐ前方にも、足元にも、背後にも直上にも。
何処を何度と見回しても、いない。
それどころか、先程信市が投げ捨てただろう紅蓮の鞘まで消失している。
信市が回収したのか。
だとして、その信市は……?
「ぁ……」
そう言えば、首は繋がっているかと、今更ながら鳳蝶は首に手を当ててみる。
「!」
首はしっかりと繋がっていたが……べっとりと、紅い鮮血がその白い指に絡みついた。
首の皮一枚、確かに斬られている。
白昼夢では、ない。
「……雄大信市が……消えた……?」
◆
「はぁッ……はぁッ……はぁッ……!?」
……僕は……僕は何をしようとした……!?
意味が、意味がわからない。僕は何であんな事をしようとした!?
頭がパニックだ。元々パニックの連続でパニック漬けだったが、今までのが比にならない程にパニックだ。
もう本気で何が何だかわからない。僕は今、走っているのか? ああ、そうだ、走っている。とにかく走っている。
すれ違う人々から次々に奇異の視線を送られるのを感じる。
まぁ、小柄な割にやたらと筋肉質な上に、体中が古傷だらけかつ鮮血塗れで、両腕が焼け爛れた半裸チビっ子が、すごい速さで傍らを駆け抜けていけば……そりゃあ注目したくもなるだろうけど……構っていられない。
「ッ……! ッ……! ッゥ……!!」
…………僕は、さっき、今さっき……鳳蝶さんを、殺そうとしたのか?
今は鞘に納まったこの天火刀・逸式。
これを抜刀した辺りから、何かがおかしかった。
何がおかしかったか、具体的に思い出せない。
でも、僕は、天火刀を抜いた瞬間に【何か】を思い出した。
そして気が付いたら、鳳蝶さんの首を斬る一歩手前だった。
――「ダメだ」――
鳳蝶さんの首を両断しかけたあの時、聞こえたのは、確かに僕の声だった。
その声で、僕は我に帰り、刃を止めて……そこからはパニック。とにかく「早く刃をしまわなければ」と言う本能にも似た感覚に襲われ、鞘を回収してから、もうどうして良いかわからずそのまま逃げ出してしまった。
しかし……なんだか、奇妙な感覚だ。
あの声を聞いたのは、本当に僕だったのか?
…………はぁ? 僕は一体、何を考えているんだ?
僕の記憶なんだから、僕に決まって……ッ…………ヤバい、脳みそが沸騰しそうだ。頭が痛い。全身もくまなく痛い。
何だかわからない。でも、これ以上、考えてはいけない。そんな気がする。
まるで脳みその中にもう一人の僕がいて、僕が何かに気付くのを邪魔しようと頭の中で暴れているみたいだ。
とにかく……とにかくッ、とにかくとにかくとにかく!!
落ち着け!! 落ち着くまで、とりあえず走れッ!!
そして、夢なら覚めろ!!
……そうだ、そうだ!!
夢だ、夢であれ!!
男子トイレに入った辺りから丸ごと夢であれ!!
お願いだからッ!! そうであれッ!!
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