鮮獄嵐凄~思春期武士はロマンチックな恋がしたい~
02,先祖に忍者がいれば変装程度は朝飯前
彩灯家と言えば、おそらくこの日本国にその家名を知らぬ者は、ほとんどいないと考えて良いだろう。
普通に生活していれば、自然と覚えてしまう企業名なんかがある様に。武士としてある程度アンテナを伸ばしていれば、必ず幾度と関連情報に触れる機会がある。
それが彩灯家と言う家系だ。
まず第一に、家系の歴史。
彩灯家のご先祖様、彩灯将伍狼は武士としても超一流だが、【忍者】としても極一流だったらしい。教科書にもそう書いてある。
その有能さは、五男でありながら兄達をゴボウ抜きにして家督を相続するほど。
前線戦闘と政治工作、その両方の力に置いて高い能力を有していたのだ。
その能力を活かし、かつて日本国統一を果たした【特我環】家に【十勇士】の一雄として尽くしていたと言う。
彩灯将伍狼が歴史番組なんかで取り上げられる度に「彼の子孫もまた、時に抜山蓋世、時に飛竜乗雲の活躍をしている」と少なからず彩灯の血筋、つまりは彩灯家への言及がある。
加えて、将伍狼があの【関ケ原の大聖戦】にも参加していたと言うのも大きい。
関ケ原の大聖戦は所謂【天下分け目の戦い】……即ち特我環による天下統一の決め手となった、日本国史上最期にして最大の国内合戦だ。何度も映画化、ドラマ化、そしてついにはアニメ化までされた歴史的題材でもある。
将伍狼は主役級に抜擢される回数こそ少ないが、その設定の濃さや扱い易さからか一定の活躍は保証されており、ファンの多い人気所。映画を見て将伍狼について知りたくなり、検索してみたら「彩灯の血筋の者は現代に置いても将伍狼の名に恥じぬ活躍をしている」「彩灯家ってマジやばい」的な記事に出会う……彩灯将伍狼ファンあるあるだ。
第二に、文化的な貢献。
彩灯家のご先祖様、またしても将伍狼は【戦極】を競技化した【戦極道】の原型を作り、現代に置いては相撲や茶道に次ぐ【国技】として国民全体に広く嗜まれるまでに普及させた。
戦極こそ日本国特有の文化だが、戦極道は世界に広まりつつある。昨年行われた来期オリンピック競技選定に置いても、戦極道が最終選考にまで残ったと国中が湧いたのは記憶に新しい。
戦極道について取り上げる番組や書籍では、開祖である彩灯将伍狼について触れない物の方が少ない。そうして将伍狼の名を知り、興味関心を持った戦極道入門者がネット検索で彩灯家に脈々と受け継がれる英傑の遺伝子について語る記事を見つける。戦極道ファンあるあるだ。
そして第三に、政治的活躍。
時代の彩灯家当主は必ずと言って良い程に政界を登り詰める。
現当主・彩灯力道三氏も当然の様に重要官職。現在は【スポーツ省】の国務大臣である。
このスポーツ省と言うのも、元は文科省の外局のひとつでしかなかった【スポーツ庁】を力道三氏自らが働きかけて【省】として独立させた組織だ。これはとても盛大にニュースで取り上げられた。国営放送にて歴代の彩灯家当主の政界に置ける活躍とそれぞれが齎した政治的転機についての特集番組が製作・放送されるに至った程だ。
正味、政治系の話題に興味薄弱な僕には「省を増やす程の働きや発言力」と言うのが具体的にどう言う規模の話なのかはピンと来ないけど……「国の政治中枢とも言える内閣府に大きな変化を齎した」と言い換えると、少しはそのヤバさを実感できる。
そして、彩灯力道三について興味を持って調べてみると、「彩灯家がやべぇのは昔からだから」と言う旨の記事に遭遇する。これは一般的なあるあるだ。
要するに、彩灯さんはそんなやべぇすごい人を先祖様や父に持っている、訳だ。
……まぁ、彼女の御父様についてどうこう考える段階にはいないけどね、僕。
おそらく、彼女の方は僕の名前すら知らない……いや、まず顔を覚えられてすらいないだろう。
だって一回も喋った事が無いどころか、目と目が合った事すら無い。
視線の高さの問題? 何の話だか理解したくないよ。
とにかく、僕の愛しき一輪花はとてもとても遠い場所に咲いている、と言う話。
「そりゃあそうだ。お前が摘みに行こうとしていないのだからな。近付かねば遠いのは当然だろう」
「それは……そうなんだけどさ……」
新校舎三階、二年生フロア。
教室へ向かう廊下を歩きながら、光良のごもっともな意見に耳が痛くなる。
通学路から、光良と僕の彩灯さんに関する話題は継続していた。
「……なんて言うかこう……普通に近寄り難い」
彩灯さんは孤高の武士感がすごい。
そんな所に憧れ、そんな所を羨ましいと感じ、そして好きになった訳だけど……
「確かにな。普通に考えて、近寄ってもバッサリ斬り捨てられて終わりだろう。そしてお前は精神崩壊を起こし彗星を見る」
この一年間の観察の結果、彩灯さんは「言葉をオブラートに包む」と言う文化をご存知ない様に見える。
光良の予想も、彼女の紡ぐ言葉の切れ味と僕の精神的惰弱性の相乗効果を加味すれば、あながち大袈裟な話ではない。
多分「……坊や、私もかつては浅はかな幼児だった身なので背伸びしたい気持ちもわかりますが……身の程は弁えた方が堅実に生きていけますよ。ガールフレンドは同年代で探しましょう」ぐらいの言葉が序の口レベルで飛んでくる。そこから先に出てくる言葉は想像したくもない。
――端的に言って僕は……容赦無くそして手厳しくあしらわれるのが非常に恐い。
すごくビビってます。はい。
「……まぁ、俺から助言があるとすれば……所詮お前はまだまだ小さな小さなとても小さな高校生。若くして冒険に出る必要は無い。鳳蝶嬢はテレビに映るアイドル程度のモノだと考えて、別の相手を探すと言うのもアリだろう」
ふんわりと「諦めろ」と言ってくれている。
「もうちょっと何か無いの……?」
「何だ? 慰めが欲しいのか?」
いやだから、諦観前提の話じゃなくてね?
「俺に慰めて欲しいとは、全く、親友だからと言ってあまり甘え……はッ……まさか、お前、いくら失恋したからってそんな……ま、待て。落ち着け親友よ、そう言う嗜好を否定はしないが、俺の尻はそう言う事のためには……」
「そんなにケツバットされたいんならヤってやるよ親友」
「ケツバット(意味深)……!? ちょ、おま……」
「勝手に(意味深)を付けないでくれる!? シンプルにマジバットだよ! バイオレンスマジバットだよ! もうむしろヘッドにイってやろうか!?」
鼓動を刻むのも忘れるくらい刺激的な一発をお見舞いするぞ。
僕にそっちの趣味は無い。
あと、まだ失恋はしてないからね? 始まってもいないから。
「お前がバットを振っても俺の頭には届かんだろう」
「流石に届くよ!?」
射程ギリギリだとは思うけど。
それにもし万が一有り得ない事ではあるんだけど仮に届かなかったとしても、こう言う時のためのジャンプ力だ。身長体格の神にこそ見放されたけど、その他の身体能力にはそれなりに自信がある。
「ま、ケツバット(意味深)のくだりだけは冗談だ」
「冗談じゃなかったら正気を疑うよ……」
……わざわざご丁寧に「だけは」と区切ったと言う事は、最初の助言と最後の舐め腐った失礼な憶測は本気なんだね。
そうだよね……認めたくはないけど、正直な所、僕自身、彩灯さんとそう言う関係になれるイメージが無い。
具体的に想像できない未来を掴むなど、不可能と言って差し支えないだろう。
挑戦や努力が実るのは、きちんと目指すべき終着点のイメージに具体性があり、真っ直ぐゴールへと向かっている者に限る。
闇雲な挑戦や努力は、余程の奇跡が起きない限り「大した成果を得られない」と言う結果に終わるのが常だ。サッカー選手になりたいのに一日一〇〇〇回バットを振ったってしょうがないだろう。そう言う事。
努力を報われたいのならば、まずは、努力すべき方向性を正しく見定める努力をせよ、と言う事だ。
そして今、僕はその「まずは」の段階で盛大に躓いている。
どうすれば、【難物玉鋼】の異名を欲しいままにしている彩灯さんに、まともに相手をしてもらえるだろうか……
「……はぁぁ……」
思わず溜息を吐くと、行く手にトイレのプレートが見えた。
「あー……ごめん、光良。僕ちょっとトイレ寄ってから行くから、先に教室に行ってて」
そう言えば、朝は市姫に泣かされる形で勢いのまま家を出ちゃったから、トイレを済ませて無いんだよね。
教室まで行ってまたトイレまで戻るのも無意味な二度手間だし、ささっと済ませてしまおう。
「ほう。では、親友らしく連れションに興じてやっても良い――所だったのだが、生憎と尿意は微塵も無い。言われた通り、先に行かせてもらうとしよう。それと、出血大サービスだ。鞄をこっちに寄越せ。小にしても大にしても邪魔だろうし、机に置いてきてやる」
「お、ありがと」
「礼に及ぶほどの事でもない。では、後ほどな」
「うん」
どうせ同じクラスだし、雑談なら教室でもできる。数分の離別すら惜しんで無意味にトイレまで付いて行く事は無いと判断したのだろう。
光良は僕の歩速に合わせるのをやめて、スタスタと教室へ向かって行った。
相変わらず、独りだと歩くの早いなー。
歩幅の差? ん? その話は今重要なの?
そんなくだらない話は置いといて、トイレだトイレ。
「え……」
戸を開けて、少し面を喰らった。
……小便器が、五つもある……!
一年生フロアの男子トイレは小便器三つだったのに……すごいや、二年生フロア。教室のロッカーが鍵付きだったり黒板消しクリーナーが最新式だったりと、色々一年生フロアより設備のグレードが上がっているとは聞いていたけど……こんな充実したって得する人口が少なそうな要素までグレードアップしているなんて。
んー……五つもあると選り取り見取りって奴だね……とりあえず、ここは入って一番近い奴から使おうかな……って、ん?
「あれ? 光良?」
僕が二年生として最初に用を足す小便器を選んでいると、戸が開いて光良が入って来た。
鞄を持っていない。教室に置いて、わざわざ戻ってきたんだろうか。
「どうしたのさ? やっぱり尿意があったの?」
「………………まぁ、そんな所、だ」
……?
なんだか妙な間があったけど……と言うか……全体的に雰囲気が違う?
光良は育った家柄の関係で言葉使いはそれなりに堅いが、雰囲気や言動はいつもチャラい。冗談をよく言うし、どんな相手だろうと果敢にからかう。
でも、今の光良はこう……ちょっと恐いくらい、気迫の様なものを感じる。雰囲気がまるで違う。いつもの光良が「ピコピコハンマーを模した風船」だとすれば、今の光良は「研ぎ澄まされたひと振りの刀」だ。
「………………さっきの……さっきの話の続きを、しよう」
「……はぁ?」
いきなり何を……と言うか、さっきの話……?
それって……
「彩灯さんの事……?」
光良が頷いた……え? 何で? しかもトイレで?
そして何より……
「光良……? 何でそんな真剣な雰囲気なのさ……?」
さっきまで散々茶化しながら聞いてた癖に……
「真剣だからだ。ああ、わた…俺は真剣。だから確認させろ。確認させるんだ……! あな……お前も真剣なんだな? 冗談や酔狂では無く、彩灯鳳蝶に恋し、愛し、嫁にすらしたい、そう考えているんだな?」
「ぅ、うぉおう?」
何でトイレに入った途端そんなグイグイ来るの……?
ちょ、恐い、なんか恐いからにじり寄って来ないで。後退して距離を……って、おう、もう壁……!?
「答えろ!」
「わぁお!?」
壁ドンっておまッ。ひぃぃ顔近い近いキモいキモいキモいキモい!! 美形だったら何しても許されると思うなよ!? 本当にどうしたの!? 何!? お前の尻はそう言う事のためには無いんじゃなかったの!? ねぇ!?
「決して難しい事は聞いていないはずだ。先程の会話についてのただの確認でしかない。応か否、又は首を縦か横に振るだけで回答が可能なはずだ」
「ぁ、あ、う、うん……?」
ひ、光良、何かマジで眼力強くない?
さっきから恐いんだってば……!
こ、ここはとりあえず……素直に聞かれた事を答えた方が良さそうだ。
今の光良は怒らせると何をするかわからない危うさがある。まるで別人だよ……そう、まるで彩灯さんの様な眼力だ。一体、何が光良をそこまで恋話へと駆り立てるのか。
「え、ぇと……その……嫁にしたい、までは気が早すぎると言うか身の程知らずにも程がある話だけど……その……好きなのは、もちろん、真剣だよ」
「気が早い……身の程知らず……つまり彩灯鳳蝶の方が君を既に認め、好意的であれば、何の蟠りも無いのだな」
「それは……」
さっきはふんわり諦めろ的な事を言ってた癖に、急にそんな例え話を……いや、でも……もし、そんな状況が叶うのならば……
「それは……うん……そう言う、事に、なるけどさ……」
もし、彩灯さんと両思いになれるのなら……それはとても嬉しい事だ。
毎日、できる限りの事をして、将来、二人でいた時間の何時どこを思い出しても素敵な気分に浸れる様な、そんな思い出を作っていきたい。
端的に言うなら、二人でロマンチックな恋をしたい。
「そうか……いや、そうですか」
……へ? 光良? 何か今、声が、変わっ――
――【既視感】。
それは一度も体験した事も無いはずの事象に対し、既に経験したかの様な感覚を覚える事。
ああ、そうか。
僕はこの光景を過去に一度、フィクションとして見た事があるんだ。
あれは、小学生の頃、日曜映画スペシャルタイムで見た【THE・SEKIGAHARA~特我環の野望~】。数多ある【関ケ原の大聖戦をモチーフにした映像作品】の中でも、不朽の名作と名高い一作。
その登場人物である特我環十勇士の一柱・彩灯将伍狼は【変装の術】を得意とし、物語佳境、将伍狼は敵将の一人に化けて敵陣中へ潜入する。
しかし敵将の別流派忍者に正体を看破されてしまうと、将伍狼は不敵に笑いながら変装を解き、敵陣中にて四面楚歌の大立ち回りを演じた。
そしてここからファン達の間では所謂【将伍狼、最期の狼煙】と呼ばれる作中屈指の名シーンに繋がっていくのだが……今は関係無いので省く。
僕が覚えた既視感の原因は、将伍狼が変装を解いた時の動作だ。
静かに、そして徐に、顎へと右手を宛てがって指を肌に食い込ませると、顔面の皮膚を剥ぎ取る様に右手を振るう。すると、本当に顔面の皮膚が……それどころか、敵将を模した衣類までビリビリビリビリビリィッと剥がれて、忍び装束の将伍狼が露わになる。あのシーンだ。
ほぼ、同じだった。
光良が静かに、そして徐に、顎へと右手を宛てがったと思った次の瞬間、その右手は、【剥がした】。光良の顔と、そして、ブレザータイプの学生服を。
引き剥がされた光良の皮の中から現れたのは――
「…………は…………?」
夢でも、見せられているのだろうか。
それも、とびきり意味不明な、目覚めてしばらく「あれは何だったんだ……」と悩む様な、カオスな奴を。
「まずは、騙す様な事をしてしまった非礼を詫びます。ですが、これが最善かつ最速で、目的を達成できると判断しました。どうか御勘弁を」
まるで温度を感じない、発展した科学により生み出された流暢な機械音声の様な声。
その声を、僕は何度か、遠くから聞いた覚えがある。
そりゃあ、そうだ。わざわざ聞き耳を立てて聞いていた声なのだから。
「さて、存じているとは思いますが、私自ら自己紹介をさせていただきます。一九代目彩灯家当主・彩灯力道三の第二子にして長女、彩灯鳳蝶と申します」
そう、彩灯さん……彩灯、鳳蝶さんだ。
光良の皮を剥いで、僕の目の前に降臨したのは、僕の愛しい人。
そして、あの感動の名作に登場する変装の達人忍者のモチーフになった人の、子孫。
小型犬くらいなら視線の圧力で殺せそうな眼光が、僕の目を貫く。
そして、あの真一文字かへの字以外のバリエーションが存在しないと思われていた彩灯さんの口角が、上がった。
「不束者の自分ではございますが、以後、よろしくお願い致します」
人間、未来の事なんてわからない。
でも多分、僕はこの笑顔を一生忘れないと思う。
――生涯最大級のトラウマとして。
コメント