鮮獄嵐凄~思春期武士はロマンチックな恋がしたい~
01,悪友と言うのは往々にしてトラブルを引き起こす
武士とはどうあるべきか。
平聖の世では、一般的に「潔く、頼もしく、強く、優しく、適度に厳しく」と言うのが理想とされている。「こんな人間ばかりなら世の中平和だよねってレベルの聖人」が【理想の武士】とほぼ同義である。
男児も女児も関係無い、武士を名乗るならば、そんな人間を目指すべき……らしい。
「理想の武士、か」
僕には到底似合わないな。そう心の中でつぶやいてみて、思わず苦笑してしまう。
鏡に映るパッとしない自分の姿を見ると、更に笑えてくる。
見栄を張っても「中肉中背」、本音を言えばズバリ小柄な体格に童顔が相まって、酷い時には小学生とすら間違われるこの風体。
驚くなかれ、今日から僕は高校二年生である。
入学時に思い描いていた程の成長はなく、未だに掌が半分以上も隠れてしまう袖丈のブレザータイプ学生服。
袖の中からぴょろっと飛び出た小さな指先に、盛大な溜息を堪えきれない。
――「終刕高校二年ヰ組、雄大信市です」。
……さて、この僕の自己紹介の前半部分をストンと納得してくれる者が、この世にどれだけいるだろうか。
先日、新学期に備えて定期券を更新しようと学生証を提示したら、学校に確認の電話を入れられたよ。
確認が取れても半信半疑感の拭えない駅員さんの視線にも慣れたもんだよ。
「……僕の成長期はどこに行ったの……?」
――そんなものは元々存在していないぞい。
無慈悲な神仏の声が聞こえた気がした。
「…………」
視線を腰へと落とす。ベルトには、刀が一本ぶら下がっている。柄も鍔も鞘も、紅蓮一色。ド派手な刀だ。
父さんから譲り受けた、雄大家の【家宝】とも呼ぶべき素晴らしいひと振り。
その外観も、内包している価値も、何もかもが自分には不釣り合いだと嘆きたくなる。
「父さん……僕はどうすれば、父さんの様な立派な武士になれますか……?」
紅蓮の柄を静かに撫でながら、父との思い出を追憶し……
「お兄ちゃん。毎朝毎朝、圧倒的現実の前に打ちひしがれるのは良いけどさ。洗面台以外の場所でやって欲しいなと常々思ってる私がいるよ」
「市姫……それは元気の無い兄への言葉として正しいの?」
僕とほぼ同身長……いや、実はちょこっと僕より大きいセーラー服姿の少女。ショートカットで揃えられた前髪を向日葵のヘアピンで分けている。
市姫……僕とは三歳差のある妹だ。三歳の差があるのに、あるはずだのにッ……! 何故、僕の目線の高さにお前の顎があるんだよォ……!!
「はいはい。かわいそーかわいそー。私は早く歯を磨きたいよー?」
「頭を撫でるなよ! 的確に傷つけに来るなよ! あと何よりも雑過ぎるよ!」
「はいはい、ぷんすかぷんすか可愛いねー」
「泣くよッ!?」
「そこで昔みたいに『殴るぞ』とか強気で乱暴な事を言えない辺り、今のお兄ちゃんは実にお兄ちゃんだよね」
「ぬぐッ……い、市姫のバーカ!」
自分でも、情けなくなるくらいに捨て台詞だ。
でももう、精一杯絞り出せてこれだったのだ。僕これでも頑張ったんだよ。
「お兄ちゃんはいつも可愛いなぁ」
ちくしょうッ……!!
◆
昔からずっと、僕は自分が情けない。
いつだって、僕の身体は周囲の同輩達より一回りも二回りも小さかった。
チビだ小豆だベビービーンズだと馬鹿にされても、本当の事だから、何も反論できなかった。
怒りに任せて殴りかかったって、返り討ちに遭うだけだった。
悔しくて、悔しくて、だから、父に頼んでいっぱいいっぱい鍛錬を付けてもらって、腕っ節だけは強く在ろうとした。毎日毎日、思い返せば狂人の沙汰としか思えない様な鍛え方をさせられたなぁ……今でも一部トレーニングは日課として継続しているけど、フルメニューはもう二度と受けたくない。
そんなこんなして、実際、一時期の僕はとてもとても暴力的で、腕っ節だけは一人前以上になれた。
身体は誰より小さくとも、誰にも負けない強い男になった……はずだった。
……その腕っ節で実際に友達を傷つけてしまってからは、僕は誰かを叩く事すらできなくなった。
暴力を振るう自分を少し想像しただけで指が震えてしまって、刀を抜く事もできない。
本当に、情けない。
どれだけ馬鹿にされても僕は何もできない。
振り上げた拳を、震わせる事しかできない。
柄に指をかけたまま、震えてうつむく事しかできない。
腕っ節がなんだ。
リンゴを摘んで潰せる膂力があろうと、鉄塊を蹴りで穿つ怪力があろうと、結局、僕は何もできない臆病者ではないか。
理想の武士には、程遠い。
「おーおー。毎度の事ながら、枯れ木みたいな顔色をしているな、信市」
「……毎度の事だけど、言い草が酷くない?」
校門へと真っ直ぐ続く並木道にて。
いきなり侮蔑とも取れる言葉を挨拶感覚で投げかけてきたのは、爽やか笑顔の好青年。
赤の他人でも「お前よく知らないけど、とりあえずモテるだろ」と言う感想を抱くこと請け合いの美形。
腰に差した刀は、外見上は特筆する事の無い、ごく一般的なひと振り。
クラスメイトの朱日光良――向こうは僕の事を「親友」とするが、僕的には「悪友」と言うか「ちょいちょい災厄を運んでくる、悪い奴ではないけど少々厄介な親友」と言った所だ。
群を抜いて色男なのに加えて、家柄の都合で口調は古風で堅めだが、中身はほぼほぼ普通の高校生と言うのも特徴的だ。
ああ、にしても。
相変わらず同級生とは思えないくらい身長が高い。同級生を見上げるとか中々無くない?
ん? 僕が小さいだけで光良は標準的? 知ってるよ。同級生を見上げるなんて日常茶飯事だよ。ばーか。もうばーか。
「俺の言い草は妥当である自信がある。実際お前の顔色は枯れ木のそれだ。鏡を見るがいい。精魂が尽き果てていると言うか、生を諦観している気配すら感じる。まるでドナドナされる小さな小さな子牛ちゃんだ」
「ねぇ? とりあえず小さなを二回繰り返した理由を聞かせて? ねぇ?」
「小さい事を細々と気にするな。縮むぞ?」
「縮まないよッ!!」
「おーおー。それだけ叫ぶ元気があれば上々。で、どうした。また朝から妹様に頭ポンポンでもされたか」
「い、いつも僕が市姫に馬鹿にされてると思ったら大間違いだぞ!?」
「ほう、では今朝は一矢程度は報いてみせたのか?」
「……………………」
「…………ふッ」
……わ、笑うな……!
「……む……おー、妹ちゃんにコケにされてご傷心のお前に吉報だ。アレ見てみろ」
はぁ? アレ……?
「鳳蝶嬢だ」
……!
光良が腹立つニヤけ顔で指差した先……視線で追ってみれば、そこにいたのは……
「お前の愛しき一輪花だぞ」
「ぶぅッ!? ひ、光良!? おまッ」
「事実だろう? なぁ? 小さな胸で恋する少年小僧」
ねぇ? だから「小さな」が余計じゃない?
いや、問題はそれよりも……
「た、確かに彩灯さんに対して……その、そう言う感じ、なのは……まぁ事実ではあるけど……そんな普通の声量で……」
「この距離だ。地獄の閻魔様めいた耳でも持たん限り、ご本人には聞こえまい。そして周囲に見知った顔は無し。普通、真っ赤な他人の恋愛雑談など毛ほども興味を示さんさ。さて、何の問題があったか?」
……えぇい、悪戯小僧みたいに笑っちゃって……腹立たしい。
多分このニヤけ面は「面白い程に動揺しちゃっていとをかし」とか考えている面だ……!
……いや、まぁ……愛しき一輪花……なんてキザな表現は僕の好みではないけど、ニュアンスとしては……その、うん。一応、光良の言う通り。
周囲の黒髪よりも一際色の濃い黒髪……月明かりすらない夜闇の中でも、きっとあの髪は際立って見える事だろう。その髪を後頭部上方にて馬尾を彷彿とさせる一房に束ねるのは、艶やかな蝶々の装飾が誂えられた筒状の髪留め。
腰から下げた刀は、その美しく深い黒髪とは対照的な純白の鞘に収められており、鍔の形状は、髪留めの装飾と同じく蝶々の意匠。
ここからでは後ろ姿しか見えないが、きっと今日も今日とて切れ長で凛々しい目つきをしているに違いない。口元だっておそらく見事な真一文字か極微妙に折れたへの字だろう。
――彩灯鳳蝶。
名門【彩灯家】のご令嬢にして、陰では「熱を帯びにくく加工しにくい鉄」を意味する【難物玉鋼】などと呼ばれがちなアイアンクールビューティー。
高校入学直後、彼女を初めて見た時。
最初に抱いた感情は、【羨望】又は【憧憬】。
格好良い、すごく、格好良い。
顔立ちはキリッとしていて眼光は鋭く、所作はただ廊下を闊歩して教室の戸を開けるだけでも優雅な舞いを連想させる。幻覚だろうけどたまに花吹雪のエフェクトが見える。
希に聞く機会のあった声はしっかりと芯があり、それでいて冷静沈着に的確……まるで鼓膜のど真ん中を突き破る細い氷柱。
実際に刀を振るう所を見るまでも無く、強者の風格が漂うその姿、立ち振る舞い……格好良い以外に何を思う?
彩灯さんが視界に入る度に、ずっと視線で追う日々が一年続いた。クラスは違ったので、それほど機会が多かった訳でも無いのだが……いつの間にか、彼女の姿を見れない日はちょっと気怠い感じがする様になった。快活に生きるために必要な何かが著しく欠けている様に感じた。
――羨望と憧憬はいつしか、別の種類の熱を帯びていたんだ。
ずっと見ていたら、もっとずっと見ていたいと言う願望を抱く様になった。「それは【恋焦がれる】と言う感情だ。……初々しいものだな」と光良に指摘されて、初めて僕は自身の【恋】を自覚した。
……とは言うものの、正味、「視界に入る度にずっと目で追う」以上の事はしていないので、実は彼女について、僕は詳しく知らない。
ただ、僕が知る限りでも【難物玉鋼】の異名は実に的確な物であると思う。
一睨みで不埒な不良を蹴散らす眼力は常に加減を知らず、誰にでも平等に振りまかれる。
言葉数は少なく、珍しく口を開けば言葉のオブラートと言う概念を知らぬド直球、さながら言葉の投擲槍。
大体が独り、黙々。しかし、それを寂しがる様な素振りは皆無。まるで問題無さ気に、彼女は愛刀を整備したり読書に勤しむ……そこがまた、格好良いのだ。
孤独である事を意に介さず、ただ己のままに振る舞う――孤高の武士、と言う感じで。
「……ふッ。みるみる内に、枯れ木の様な顔がまるで満開の桜だ。長く引き裂かれた飼い主と再会した忠犬の様と言っても良い」
「さ、さっきからうるさいな」
放っといてくれよ、春休み中は彩灯さんを見る機会が無くて鬱屈気味だったんだから。
「そんなにも鳳蝶嬢が好きか。わかりやすい奴め。やれやれ、妹様がお前を愛い撫ぜる気持ちがよくわかる」
「だからうるさいってば!」
いくら本人には聞こえない距離で、周囲をまばらに往く通行人も興味無さ気だからって、そんなポンポコと思春期の恋心を暴露されては恥ず――
「む? どうした、小さな満開桜、又は小さな忠犬」
「逐一小さなを付けないでくれる!? ……いや、その……」
……気のせいかな……?
今、一瞬、ほんの少しだけ……彩灯さんが、こっちに振り向いた気が……
……もしかして、聞こえた?
ぃ、いや、しかし、僕らと彩灯さんは、遠近法を利用して「手乗り彩灯さん☆」とかおふざけスナップを撮れるくらいには距離がある。聞こえる訳がない。それこそ、先に光良が言った通り、閻魔様ばりの聴力が無くちゃあ有り得ない。
振り向いたのだとしても、それはなんとなく背後を気にしただけだろう。
◆
「…………………………」
周囲の雑踏の中。
僅かに聞こえた声。
その会話の中に、自分の名前が出て来た時、彼女は辟易とした。
どうせまた、いつもの陰口だろう。と。
耳が強烈抜群に良い……いわゆる【地獄耳】と言うのも考えものだ。
聞きたくも無い事まで、鮮明に聞こえてくる。
きっと周囲だって「聞かせたくない」「聞かせるべきでない」と最低限のモラルを以ての配慮から陰で言ってくれているのだろうに、聞こえてしまう。
どうせまた……生来、望んだ訳でもない目つきの悪さや、言葉選びの不得手さを掴まえて、あれやこれや好き放題言われるに違いない。そうに決まって……
「……………………、……!?」
――その会話の内容の突拍子の無さに、一瞬、歩調が乱れそうになった。
聞き間違いではないか、真っ先に自分の耳を疑った。
「………………!!」
――聞き違いでは、無い。
少しだけ、対象に気取られぬ様に、声の方へ振り向いてみる。
……あの二人組の男子だ。
同級生だろう。何度か同じフロアですれ違ったりした記憶がある。記憶力には自信がある。間違い無い。
まだ声は聞こえる…………ああ、そうか、あの小さくて、なんだか可愛い方が……
「………………良い話を、聞きました」
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