河童転生~武士道とは河童になろうとも進み続ける事とみつけたり~
弐:邂逅か、はたまた再会と言うべきか
気が付いた川から岸に上がり、少し歩くと、すぐに鬱蒼とした大きな森を発見した。
生憎、今はまさしく裸一貫。刀や鉄砲や弓はおろか、褌のひとつも無く自慢の逸物を晒している状態。体術に自信が無い訳ではないが、流石に徒手空拳での狩猟は難しい。果実や食せる野草を探すのが建設的……
「……なんと……」
……どう言う訳か。
森を成す木々にはそこら中、肉のたっぷり詰まった果実が生っていた。
こんなに果実が自生しておるとは……それも見覚えの無い色鮮やかさ。
少なくとも、拙者が暮らしていた永都の地では無いな。
見た事の無い果実が跋扈する森がある土地……どうやら、縁も由も無い地にて化生の身と成ってしまったらしい。
「まぁ、奇妙ではあるが……」
腹拵えに困らなそうなのは良い事だ。
気配を探れば、どの果実も普通に食せそうなモノばかり。
確かに毒の気を感じるモノもいくつかあるが、極少数だ。
さて、選り取りみどりと言う奴だが……どの果実をいただこうか。
どれもこれも美味そうにでっぷりと実って拙者を誘っておるわ……
……だがしかし、何故だ……
珍妙で派手で美味そうな果実が盛り沢山だと言うのに……拙者は先程から、何故にこんなにも……この……何の飾り気も無い、緑色の細長い果実に心惹かれておるのだ……!?
こんなもの、果実と言うよりももう野菜ではないか。
と言うか、知っておるぞ。これは確か【胡瓜】とか言う奴だ。
明――大陸からの使者が土産物として苗と実を殿に献上しているのを見た事がある。
実を盗み食いした姫の感想は一言だった。「味薄っす」。
何故だ、何故こんなものにこんなにも心惹かれるのだ……!?
ああ、ダメだ……これは我慢できぬ、我慢してはならぬ。これは抗えぬ、抗ってはならぬ。
胡瓜、胡瓜よ、ああ、如何なるものぞ。
――ッ、何……だと……ッ!?
これは……どう言う事ですか姫……!!
シャキシャキの食感に、すっきりと抜けていく口触り……確かに、味については薄い……水の中で小さな薄葉を食んでいる様……美味とは言い難く、塩、望むならば味噌か醤油による味付けが欲しいと感じる所ではありまするが……
しかしてその不満を抑えてこの脳を満たす充足感……噛めば噛んだ分だけ、至福が……至福が迸る……!?
ああ、もはやこれは味を楽しむ食物に非ず……!!
そう、言うなれば、この果実は……その食感を以て口の中に快楽をもたらす嗜好品ッ!!
煙草や砂糖、いや、下手をすれば阿片に近いとも言えるのではないか……!?
これはいかん……これはいかんぞ……!!
この快楽は危険、噂に聞いた人を堕落させる禁断の果実であろう……!!
国を挙げて規制しなければならぬ類のそれ……!!
何人もこれを食するべきではない、そう、何人もだ!!
これはもはや、人の身ならざるこの拙者が食い尽くしておかねば……食い尽くしておかねばだろう!?
なぁ!? なぁ!? そうだろう!? そうなのだろう!? だからここで拙者は貴様に出会ったのであろう!?
うむぉおおお至高ッ……ああぁああああ至高なり!!
胡瓜、至高の極みィィィァァァッ!!
◆
……流石に、食い過ぎたな……
と言うか……満腹になって冷静になってみると……拙者はいったい何をしていたのか……
両手に胡瓜を持って座りもせずに爆喰ついて……ああ、恥ずかしい。武士としてあるまじき醜態を晒してしまった気がする。
もしも誰ぞに目撃されていたのなら、名誉を守るためにまたしても自刃しなければならん所だった。
少々、座して反省しよう。
よっこらせ……む?
……これは……人の骨、か?
まぁ、これだけ立派な森だ。
食糧を求めて辿り着くも、間近で力尽きてしまう者もいるだろう。もしかしたら、あそこに生っている毒の気配がある実を不用意に食ってしまう者もいるかも知れん。それに、人を襲う獣の類もいるはずだ。
死骸の一や二くらい転がっていて当然。
特に珍しくも無い……いや、珍しいな。頭蓋の形状が妙だ。
何やら、後頭部が異様に飛び出して……茄子の様な形になっている。
この野晒し頭、何者かにバラバラにされた痕跡があるな……獣に食われた……にしては、骨が綺麗だ。傷が余り無い。
何らかの理由で野垂れ死にした後、小さな獣に骸を弄ばれたと言う所だろう。
残っているのは、ズタズタに裂かれた着物に、割かし綺麗な長い白手拭い、ひび割れた奇形の頭蓋、それと細かな骨……刀もあるな。武士の骨であったか。
試しに刀を手に取り、鞘から刃を抜いてみる。
安物だな。刃紋を見ればわかる。素人業だ。
それに、手入れも雑だな。柄巻の紐結びが不細工で、刃の固定が甘い。引き抜く最中、僅かにだがカチャカチャと刃がぶれる音がした。
鍛刀は素人業、手入れは不足。
並の手合いが使っても、これでは細枝一本斬る事すら苦労するだろう。
「ふむ……死骸から物を剥ぐのは趣味ではないが……そろそろ、股間を晒し続けるのも、刀を帯びぬのも心地が悪いと思っていた所……」
……うむ、そうだ。良い事を考えた。
穴を掘り、枝の墓碑を立ててこの野晒し頭を弔ってやろう。
なに、寺の僧侶でも無い分際である拙者が布施を求めたりはせん。そもそも弔いだ慰霊だのと言った文化には、多少の知識程度はあれど余り縁の無い者だった故な。大層な事はできん以上、大層な物は要求しないのが当然。
ただ、供養の駄賃として、この白布と刀をいただくだけだ。
◆
墓を作り、白布を褌に仕立て終えた拙者は、刀を組み直しながらある程度の考えをまとめてみた。
まぁ、今更に疑い様もないが、拙者は今、河童に成ってしまっている。
記憶通りならば、姫の後を追って腹を切ったその後、何故か河童に成り果てた。
それも、成体の河童だ。子供ではなく、人間で言えば大人の体格をしたこの河童の身。
ここまで河童として成長した記憶は無い……化生者も子を生み育てると聞いていたのだがな……河童は特殊なのか? わからん。
こんな事ならば、化生者の研究をしていた物好きの学者共ともう少し仲良くしておけば良かった。化生者についての知識なんぞ、噂で語られる様な有名所以上の知識は持っておらなんだ。
栗鼠やら犬やらは好きなんだがな、化生者はついぞ好きになれんでなぁ……
故に河童の事もよくわからなんだが、とりあえず、今、とても痛感している事はある。
河童の指、至極便利。
今まで意識していなかったが、とても器用繊細に動いてくれるのだ。水掻き膜があって邪魔臭いかと思えばそんな事は無く。まさしく思い通り。
生前は剣を振る技術以外は少々不器用だったため、刀の手入れには少々苦心したものだがな。すんなりと済んだ。
柄巻の紐、こんなにもするすると組み直せるとは……これが拙者の腕とは信じ難い。
おそらくこの指ならば紙遊びで鶴を折るのにも五秒とかかるまい。凄まじい。
ああ、そう言えば……河童は薬の道に精通しているなんて話も聞いた事があるな。河童が生まれついて薬の扱いに長ける者だとすれば、器用なのも道理か。
さて……刃部分の手入れは流石に道具が無いし、そもそもの出来が悪いので無駄だろう。
うむ、ましになった。これならば、拙者の剣術の腕で補い……まぁ、並程度には扱えるだろう。獣を狩るくらいの取り回しには十二分。
「……よし……」
腹は満ち、褌に逸物を収め、刀も帯びた事で、かなり落ち着けた。
やはり武士には飯と褌と刀、最低限この三つが必要よな。あとは誉れある務め先があれば申し分無く完璧だが、まぁ今は仕方無し。
刃を鞘に収めて、思考も戻す。
拙者は河童になった。
そこに疑問を介在させる余地はなく、化生者の知識に乏しい拙者では理屈も測りかねる。
そしてこの土地についてだが……青く澄んだ雲の高い秋空は冬の到来を予期させるのに、晩夏の様な気温……加えて胡瓜を筆頭に見慣れぬ果実がこれでもかと自生している事から考えて、我が出生の地にして没消の地・永都の領ではないどころか、日ノ本の国であるかさえ怪しい。
妥当に考えれば、大陸――明の南部方面と推測した方が良さそうだが……しかし、先程の死骸の身なりやこの刀の鍛ち方は日ノ本のそれ。
ちぐはぐだ。
……ここは一体、何処なのだ。
一体、拙者は……何処で河童になってしまったのだ……?
はっきり言って、これについてもお手上げだ。地理にも知識が乏しい。
……あれ? 拙者もしかして、刀を振る以外に取り柄が無い……?
………………………………。
よし、わかった。
ここまでの事を考えるのはやめよう。
拙者は河童、ここは何処か見知らぬ土地。
それで良い、もうそれはそれとしてだ。
……これから、どうする?
どう身を振るのが、正解か。
既に姫も殿も没した。
師匠も……包囲されつつある戦場にて、あの戦力差での殿軍を務められたのだ、生きてはいまい。
仕える方も、師事する者も、この世には既に亡い。
未熟な拙者とは違い、清々しいあの方々が、この世を憎んで死ぬ訳が無いだろう。
現に、殿は自らの首に刃をかけた敵将に「見事ッ」と満面の笑みを向けていたし、師匠も殿軍をかって出る時には「悪くない死に舞台だね」と楽し気に刀を振りかざしていた。
姫は言わずもがな、しみったれた空気で腹を切ったとは欠片も思えん。
もし噂通り、怨念が化生者に成り果てるとするならば、あの方々が化生者に成り果てている可能性はかなり低い。
いない者を探した所で、悠久の時を費やそうとも見つかるまい。
では、また姫の後を追ってみるか?
……いや、浅慮でそれはすべきではないな。
何故に河童なんぞに……! と言う無念の中で腹を切れば、また世に怨念を残して別の化生者に成ってしまいそうだ。
永遠に死んでは蘇りを繰り返すなど、冗談ではない。
現状、姫に一刻も早く追いつくには、河童としての生を全うするのが無難と考える。
……とすれば、拙者もしばらくは立派な浪人か。
奉公先を失い、死に時も逃した、哀れな者――いや待て、浪人と言うのはおかしいか。
浪河童……いや、浪河童と言うべきか。語呂的に。
しかし、河童としての生を全うする……にしてもな。
河童とは、どう生きるのが正しいのか。
河童としての身の振り方はさっぱりわからん。
河童は川に住んでいる、薬に精通している、あとは角力がめっぽう強いらしい……程度の知識しか持っておらなんだ。
……が、当然、河童のこの身。人の世に戻ろう、と言うのはやめておいた方が良いだろう。
ここが何処の地かは知らぬが、人の社会が成り立っているならば、人里にくだる化生者を退治する組織くらい存在するはずだ。
何が悲しくて、敵でもない者と刃を交えねばならんのか。
戦場では敵の首を求めて駆けずり回ったものだが、別段、人殺しが好きでやっていた訳ではないぞ。拙者は師匠ほど振り切っていない。
敵は殺しておくもの。生かしておけば害になる。だから殺し尽くした。ただそれだけ。そこに趣味嗜好が介在する余地は無い。
まぁ、幸いな事、食糧に関して、この地は豊穣に満ちている様子。人里に行かずとも困るまい。無理に人の世へ渡る術を試行錯誤する必要は無い。
……だが……
「……川で暮らし、森で食糧を摂る……だけの生活……か」
なんとも生き甲斐の無い人生……いや、河童生よな。畜生や虫けらと大差無い生き方だ。
化生者とはどれもこれもそんな味気の無い生き方を……? そりゃあ、とち狂って人も襲うだろうさ。拙者も正気を保っていられるか不安だ。
「…………む?」
……何だ……?
妙な気配……少々、騒がしい何かが、近付いてくる感覚。
速やかに立ち上がり、褌に無理くりくくり付けた刀、その柄に指をやる。
「このひと振り、無銘の鈍刀なれど、我が一閃になんら鈍り無し……抜刀、行斬」
即席で思いついた【口上】を述べ、刃を抜く。
如何なる状況でも、口上は大事だ。
特に、食後に間も無い今、戦闘用に身体を切り替えるには、戦意を込めて口上を述べるのが手っ取り早い。
……よし、血が冷めた。それとは反して、肉は熱を帯びていく。
思考は平静かつ鮮明に、動作は滞りなくしなやかに。そのための生理調整。武士ならばできて当然。
さて、叩き斬る準備は万端。
一体何が出るか――
「た、す、けてぇぇ、ええええええぇぇぇえぇえええええ!!!!」
「ぬッ」
聞こえたのは少女の声。悲鳴。
…………気のせいか? 何だか聞き覚えのある様な……
「ぴぃやああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! こーろーさーれーるぅぅぅぅぅ!!」
森の奥底、薄暗い茂みの海をかき分けて飛び出して来たのは獣――否、小娘――いや、どっちだ……!?
獣の様な耳と尻尾を生やした、山吹毛並の獣だか小娘だかよくわからんのが、大泣きしながら飛び出して――、ッ!!
「ゴブガァァァァアアアア!!」
「化生者かッ!!」
獣だか小娘だかよくわからんのに続いて、間髪いれずに飛び出して来たのは、緑色の肌をした毛の薄い猿。
眼球は黄色く淀み、大きく開かれた口からは紫に濁った唾液が飛び散っている。その手には、石を打ち砕いて作ったと思われる不細工な石器剣。
獣か小娘かよくわからん方はともかく、後ろのは間違いなく、万象に対して理性無く害為す化生者――【害獣】に違いあるまい。
ならば、先ずはそちらから。
「一刀双穿――二横断ッ!!」
師匠直伝の技。
全力で刀を二度振るい、一瞬にして敵の身体に横二閃、二太刀を浴びせる撫斬の剣技。
「――!」
待て……この感覚――身体が、強い。
……そうか、河童は角力がめっぽう強いと聞いている。
河童は、豪力を持っているのか。当然、河童の身となった、拙者も。
これは、もう一太刀、イケる。
「しぇあァ!!」
「ご、ごげぶッ!?」
手応え、軽し。薄い肉、そして柔い骨と乾いた皮ばかりを深く裂いた感触。貧弱め。
刀を振るい、黒紫色の血糊を払う。
振り返り、斬り捨てた化生者――もとい、害獣の骸を確認。
うむ、きっちり三閃、三の字……いや、ここは河童らしく川の字と言うべきか?
とにかく、両断の三太刀にて害獣の身体は四分割。間違い無く仕留めた。
人の腕では決して到達できんと師匠が言っていた領域、瞬間三閃。
はッ、まぁ、そうか。拙者の腕は河童の腕。人の腕では為せぬ技も当然為せる、道理か。
これは良い。器用さだけでなく、膂力まで。
このまま武士として仕官できたのならば、さぞかし勇名を馳せる事ができるに違いない。
……まぁ、河童じゃあ叶わんか。
さて、ところで……最初に飛び出してきた獣だか小娘だかよくわからんのは一体……
「……………………」
「ほぁぁぁぁ~……」
なんぞ。
とてもキラキラとした瞳で、拙者を見ておる。
と言うか、見れば見る程、奇妙な――、待て。
「おぬし、強いのだな! そうかそうか、河童だものな! 強いのは当然か!」
「…………どう言う、事だ」
「ほぃ?」
意味が、わからん。
何だ、その面は。
何だ、その声は。
先程の悲鳴、聞き覚えがあって、当然ではないか。
娘っ子には似つかわしくない鋭い三白眼に、大きく上がる口角……その強気な面構えを、拙者は知っている。
声はきゃんきゃんと何時までも幼い小娘のそれだのに、喋り方はやたら堂に入った……その陽気な声を、拙者は知っている。
だが、有り得ない。
「……姫……!?」
「ん? ああ、まぁ、ヒメじゃが……?」
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