僕のお姉ちゃん
03,人と言う字は
食事に関して……フラスコの外に出たばかりのホムンクルスは、消化器系が未熟なので、離乳食のオンパレードです。
しかし離乳食と侮るなかれ。
万笑喜氏にネット通販で大量購入してもらったこの「即席ながら栄養バランス至高のチキンリゾット風味の離乳食」、これは逸品ですよ。
味覚と言う刺激の素晴らしさを教えてくれます。
これでもお子様用に薄味だと言うのですから、普通の食事が摂取できる様になるのが楽しみで仕方ありません。
「そうだ。今日、仕事が終わったら、服を買いに行こう」
離乳食を頬張る私を、ニコニコとやや不気味な笑顔で見守っていた万笑喜氏から、突然の提案。
……服、ですか。
「初期セットに付属してた服達で充分じゃないの?」
確か、頭の先から足先までのコーデが五セット程、私と一緒に運び込まれてきたはずですが。
「ラインナップに短パンが無いッ!! 健全な少年は膝小僧に太陽を浴びせる義務と権利があるとアタシは主張したい!!」
左様ですか。
まぁ、裾丈に拘りはありません。
冬場であれば流石に長めのものを要求しますが、今の時節ならば短パンでもホットパンツでも適当に見繕っていただいて結構です。
「……本当は仕事を休んででも行きたかったんだけど……流石になぁ。これ以上はちょっと、休めないっつぅか、休みにくいっつぅか」
ええ、まぁ、人類の働き手には余裕を持った働き方が推奨されるこの時勢とは言え、万笑喜氏はここ二週間ほど、ずっと入院していましたからね。
計画的だったならばともかく、予定に無い唐突な長期休暇だった訳ですから……やるべき仕事は溜まりに溜まっているでしょう。
購入時に渡された情報によれば、万笑喜氏はそこそこ有能な職員でもある様ですし、任されている仕事もそれなりに大きいはずです。
「幸助をひとりにするのも何気に初めてだし……」
ああ、今までずっと病室で一緒でしたからね。
しかし、そんな心配ですか。
大丈夫ですよ、記録を参照すれば防犯対策だの何だのは朝飯前ですから。
……ふむ、しかし、ここで余り「ひとりでも余裕ですが」感を出し過ぎると、「あんたなんて要らないよ」と言うニュアンスの誤解が発生しかねません。
万笑喜氏は情緒不安定ですからね、誤解はなるだけ避けなければ……。
と言う訳で、語気には少々不安気な感じも込めて「ひとりでも頑張ればなんとかなります」的な具合に……、
「お姉ちゃん。大丈夫だよ。僕、ひとりでも留守番できるもん。……それより、お姉ちゃんの方こそ、体調は大丈夫なの?」
いくら医者の許可が出たとは言え、謎の病からの病み上がりですからね。
無理をしているのであれば、それはよろしくないと思いますが……。
「んんッ……良い子……アタシの弟、本当に良い子……!!」
ああ、元気そうですね。
お仕事、せいぜい頑張ってください。
◆
……すっかり、夜も良い時間ですね。
記録には、確かに「女性の買い物は時間が長くかかるもの」だとされていますが……ここまでとは。
「いやぁ、まぁ、候補の服を片っ端から全部買っても良かったんだけど……幸助に初めて買ってやる服な訳だし、ちゃんと悩みたいなと……」
デパートからの帰り。夜もそこそこな時間のため、すっかり人気の無い電車内にて。
万笑喜氏は申し訳なさそうに頬を掻きながら、言い訳を並べております。
……まぁ、私の服を、それだけ真剣に選んでくれていたと言う事ですし……。
「ありがとね、お姉ちゃん」
万笑喜氏からいただくプレゼントは、これで二つ目。
やはり、喜ばしく、嬉しいものですね。
名前の時は言いそびれてしまいましたが、御礼を言っておきましょう。
「……んんッ……」
御礼に満足していただけたのか、万笑喜氏が頭を撫でてきた。
……ふむ……夜も良い時間帯、静かな車内にて一定のリズムで刻まれるガタンゴトンと言う電車の駆動音、そして頭を撫ぜてくれる温かい感触。
これは少々、眠気が……おや、頭を撫ぜる手が、少々鈍く……ああ、どうやら、万笑喜氏も同様の症状に見舞われているご様子。
二人して寝入ってしまうのは、少し不味いですね。
降車予定の駅も間近ですし。乗り過ごしてしまう。
何か会話でもして、眠気を振り切らねば……ああ、そうです、そう言えば、
「……そう言えば、お姉ちゃんってさ、何でオーダーメイドじゃなくて、レディーメイドの僕を買ったの?」
当初からの疑問ではあったのですが、色々とあり過ぎて、訊くタイミングをすっかり逃していたこの質問。
万笑喜氏がうとうと気味で多少おとなしくなっている今の内が、チャンスでしょう。
「んみ……? ああ、ぅん、それか……それはその……」
「?」
眠気に包まれているが故……以外にも、何やら妙な歯切れの悪さを感じますね。
「……怒らない?」
……? 頓狂な質問ですね。
レディーメイドのホムンクルスに取って、購入される事は僥倖以外の何ものでもありません。
それだのに、購入されなかった理由ならばともかく、購入された理由を聞いて、怒る事があると?
――……ふむ、いくら記録を参照しても、該当しそうな仮説は立てられません。
「うん、怒んないよ」
まぁ、感情制御は得意ですので……仮に私の予想だにしない憤慨すべき理由であったとしても、表面状は涼しい素振りを見せれば良い。
とりあえず、まずは話を聞いてみるとしましょう。
「……ホムンクルスの、レディーメイドのシステムの事、知って……可哀想だ、って、思った事があって……な」
……成程。
同情、憐憫、そんな所ですか。
レディーメイドとは、基本的にオーダメイドの成り損ないです。
望まれて生まれてきたはずだのに、望まれた形には至れず、宙に浮いてしまった存在。
それが、レディーメイド。
私と、私の横に並んでいた者達。
「……レディーメイドの皆を皆、買い取っつぅのは、流石に無理だから……せめて、アタシの経済力でどうにかなる範囲で……と」
だから「オーダーメイドが主流で、レディーメイド需要が薄い」……つまりは極端に買い手が付き辛い、哀れな少年期のレディーメイドを指定した、と。
……ふむ、確かに。
記録によれば、「同情や憐憫を向けられる事」を場合によっては「侮辱である」と捉える文化が人類にはある様ですね。
怒らないか、と言う危惧はそこから来るものでしたか。
……不安ならば適当な嘘でも吐けば良いものを……愚直な程に正直ですね。
まぁ、どの道、憤慨する様な事でもありませんが。
万笑喜氏は、レディーメイドホムンクルスと言う社会のシステムに不満を持ち、自分にできる範囲でそれをどうにかしたかっただけの事。
その結論が「たった一人でも良いから、救われないかも知れないホムンクルスを買い取る事」だったのでしょう。
フラスコの中で寿命を終えていたかも知れない私としては、まぁ、有り難い話だと思いますよ。
「…………怒った?」
「怒ってないよ。……ありがと」
正直に答えてくれた事と、動機はどうあれ私をフラスコの外に出してくれた事。
その二点に関して、御礼を言っておきましょうか。
「……良かっ……た…………んにゅ」
……っと。一瞬の会話の切れ目の間に。随分と、すんなりと寝入ってしまいましたね。
仕事……社会的労働の疲れに、服選びで長時間悩み続けた疲れが重なった結果でしょう。
「……やれやれですね」
人類は、すぐに疲労してしまう。
そして、すぐに休養を必要とする。
社会的労働の充実を優先すれば私生活に体力が残らず。
私的生活の充実を優先すれば仕事に体力が残らず。
――記録を参照――
人類は一度、社会形態の維持にすら困窮する程に衰退しました。
雑多な要因がありますが、主要因は「世界的な過度の少子高齢化による若年層の激減、および就労可能人口の圧倒的不足」であると言えるでしょう。
そして、その人口減少および労働力不足に陥った要因――即ち事の根本的原因は、人類の持つ「社会的労働と私的生活の両方を同時に充実させる事が困難である」と言う宿命に起因しています。
かつて人類は、より効率良く、かつ最大限に社会を発展させるため、社会を回す行為――社会的労働に重きを置き続けた時代が長くありました。
結果として、私的生活をないがしろにする人類が増え、結婚率の低下。
結婚したとしても子作りや子育てに回す余力は無く、出生率の著しい低下を招きました。
それが、少子高齢化現象を致命的なまでに加速させる事になったのです。
効率と利益を追求し続けた結果に肥大化した社会。
それを潤滑に回せるだけの若年労働力が、圧倒的に不足してしまった。
しかし、社会の水準引下を行えば当然、路頭に迷う者達が出てしまう。
縮小された枠から零れ落ちる者が出てしまう。
老いぼればかりの人類には、同じ人類を間引くストレスに耐えられる指導者がいなかった。
生命を奪うと言う決断をできる者が、いなかった。
もしも何の対策も打ち出されなければ、人類の社会形態は為す術も無く崩壊し、社会形成を前提に生体機能を変遷適応させてきた現行人類は滅亡を待つだけだったと推測されます。
それを避けるために、人類は選択をした。
人類の生命を奪うのではなく、ホムンクルスと言う生命を生み出す決断を。
我々ホムンクルスが支えなければ。
我々ホムンクルスが寄り添わなければ。
人類は滅んでいた――それは、過言的評価ではなく、実際に有り得た結末です。
人類と言う生き物は、それ程に、脆い。
そして、ある程度の回復が成った現在に於いても、我々ホムンクルスを失えば、人類はまた同じ事を繰り返すでしょう。
社会形態の発展と維持にばかり人員と労力を割き、私的生活・家族生活の充実をないがしろにし、また、出生率は著しく低下を始め、すぐに少子高齢化社会は再現される。
――「人類の歴史から学べる事は『人類は歴史から何も学ばない』と言う事」。
そんな皮肉が存在する様に、人類は同じ状況で同じ選択をし、同じ失敗をするスペシャリストですから。
人類と言う生き物は、それ程に、愚かしい。
ホムンクルスがいなければ、人類は滅ぶのを待つだけ。
だから人類は、我々一体一体に誠意を示してくれる。
その脆い腕で、愚かしい言葉で、必死にすがりついてくる。
社会的労働充実のための労働力の代替を、私的生活充実のための娯楽意義を、ホムンクルスに懇願する。
「……っと」
すっかり熟睡して、姿勢の制御もままならなくなった様ですね。
私の肩に頭をもたれかけて、まぁ、心地良さそうに……本当に世話の焼けるものです。
我々の支えが無ければ、本当にどうしようもない生き物――
――…………ああ、成程。
以前にした「ホムンクルス・システムの考案者の正気を疑う」と言う思考、撤回しましょう。
ホムンクルスが、人類に反逆などしようはずがない。
――こんな哀れな生き物に追い打ちをかける程、ホムンクルスは非人道的ではない。
人を模して造られたからこそ、惰性で人を謳う人類よりもより人らしく在る。
それが我々ホムンクルスなのですね。
無為に生命を弄ぶ事は無く、争いを望む事は無く、自身の幸福を望みつつも誰かの幸福を妬む事は無く。
そして、弱々しい誰かに、ついつい救いの手を差し伸べてしまいたくなる。庇護したいと思ってしまう。
そんな、理想の【人】。そうデザインされた。
人造生命体、とはよく言ったものです。
人に造られた生命体――ではない。
人として造られた生命体。
……ええ、良いでしょう。仕方ありませんし、悪くもありません。
私は――いいえ、僕は。
人として、人類を庇護する者になるよ。
「起きて、お姉ちゃん。駅に着いたよ」
「ぅ……あと、五分……ぴぃ……」
「……五分もあれば、次の駅の方が近くなっちゃうんだけど……まったく……」
少年期モデルである僕には、女性とは言え成人の体重は中々に重いのだけれど……ッこらせ、っと……。
つくづく、世話の焼ける……でも、仕方無いよね。
僕は、人類を庇護するホムンクルス――即ち。
このどうしようもなく手のかかるお姉ちゃんを支えるべく尽くす、弟なんだから。
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