私という名の仮面
現在と過去
今日も疲れた
だるくなった身体と頭を引きずりながらコンビニへ向かう
そこで一升瓶の焼酎と烏龍茶を買い、持っていた請求書を支払う
家に戻るとすぐ様シャワーを浴び身体の穢れを洗い流す
そしてやっと酒を飲みながら食べ物を口にする事ができるのだ
いつ頃からこの様な生活になったのだろう
去年まではホステスとして生きていた
それを辛く感じたのが去年末、女性だけの職場に疲弊していた
特出してキャバクラ等はお客様とのマンツーマン接客なので、チームワークもそれ程重要ではないが、スナックやラウンジに至っては、人間関係そのものが仕事を左右するのだ
合わないと感じてしまえばその職場は苦痛以外の何物でもない
逆も然りだが
私は前者であり、ママさんや他のお姉さんとの関係に疲れていた
話は変わるが私は非常にプライドが高いらしい
無意識の事なので自分では自覚が無いのだが、その為に勤めていた店のママさんからは「水商売には向いていない」と良く言われてきた
でも水商売しかした事が無く、若くも無く、学歴も無く、精神疾患を持つ私が、一人暮らしを維持できる給料を他の職種で貰う事は不可能に近い
「プライドが高い」と言われる所以は自分の生い立ちにあるんだろう
何故今風俗の世界に身を置いてるのか、その前まで水商売に身を置いていたのか、共感は求めていないが、ある程度納得していただければ幸いである
私は関西にある高級住宅地と言われる場所に生を受けた
父は会社社長
母は専業主婦
父、母、私、妹、そして父方の祖母との5人家族
そして通いのお手伝いさんに庭師もいており、裕福な家庭に育ったと思う
お嬢様学校といわれる学院を小学校受験して入り、通っていた
おかしくなったのは中学に入ってから
女子校という事もあり、クラスメイトは皆グループを作って群れていた
グループに入れない子は浮いた存在であり、常に孤独でいなければならない
エスカレーター式の女子校なので、1度友人作りに失敗してしまうと高校までの12年間が孤独になる
一学年の人数が少ない事も起因していた
小学校で2クラスの約80人
中学高校は3クラスの約120人しかいないのだ
私も一人になりたくなくてあるグループに所属していたが、人に合わす事が苦手な性格と、些細なことですぐ悩んでしまう性格が災いして、そのグループ内での人間関係に悩み、不登校に陥ってしまった
そこが、その後の人生が変わった最初の分岐点だった
不登校が続き、リストカットが始まった
その頃は、死にたい!よりも誰かに心配してほしかったのかもしれない
そしてその頃から父の会社も危なくなった
だるくなった身体と頭を引きずりながらコンビニへ向かう
そこで一升瓶の焼酎と烏龍茶を買い、持っていた請求書を支払う
家に戻るとすぐ様シャワーを浴び身体の穢れを洗い流す
そしてやっと酒を飲みながら食べ物を口にする事ができるのだ
いつ頃からこの様な生活になったのだろう
去年まではホステスとして生きていた
それを辛く感じたのが去年末、女性だけの職場に疲弊していた
特出してキャバクラ等はお客様とのマンツーマン接客なので、チームワークもそれ程重要ではないが、スナックやラウンジに至っては、人間関係そのものが仕事を左右するのだ
合わないと感じてしまえばその職場は苦痛以外の何物でもない
逆も然りだが
私は前者であり、ママさんや他のお姉さんとの関係に疲れていた
話は変わるが私は非常にプライドが高いらしい
無意識の事なので自分では自覚が無いのだが、その為に勤めていた店のママさんからは「水商売には向いていない」と良く言われてきた
でも水商売しかした事が無く、若くも無く、学歴も無く、精神疾患を持つ私が、一人暮らしを維持できる給料を他の職種で貰う事は不可能に近い
「プライドが高い」と言われる所以は自分の生い立ちにあるんだろう
何故今風俗の世界に身を置いてるのか、その前まで水商売に身を置いていたのか、共感は求めていないが、ある程度納得していただければ幸いである
私は関西にある高級住宅地と言われる場所に生を受けた
父は会社社長
母は専業主婦
父、母、私、妹、そして父方の祖母との5人家族
そして通いのお手伝いさんに庭師もいており、裕福な家庭に育ったと思う
お嬢様学校といわれる学院を小学校受験して入り、通っていた
おかしくなったのは中学に入ってから
女子校という事もあり、クラスメイトは皆グループを作って群れていた
グループに入れない子は浮いた存在であり、常に孤独でいなければならない
エスカレーター式の女子校なので、1度友人作りに失敗してしまうと高校までの12年間が孤独になる
一学年の人数が少ない事も起因していた
小学校で2クラスの約80人
中学高校は3クラスの約120人しかいないのだ
私も一人になりたくなくてあるグループに所属していたが、人に合わす事が苦手な性格と、些細なことですぐ悩んでしまう性格が災いして、そのグループ内での人間関係に悩み、不登校に陥ってしまった
そこが、その後の人生が変わった最初の分岐点だった
不登校が続き、リストカットが始まった
その頃は、死にたい!よりも誰かに心配してほしかったのかもしれない
そしてその頃から父の会社も危なくなった
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