フォビア・イン・ケージ〜籠の中の異能者達〜

ふじのきぃ

Chart9「途切れる糸」

 このシチュエーション、知っている。
 よく恋愛モノの名場面に出て来る、振り向きざまのキスシーン。
 そういえばイトシィってば、部室に恋愛マンガや小説を持って来てた時があったな。
 オレも覗き見して、気付かれたイトシィに怒られた事があったっけ。
 丁度その時見たマンガの名シーンが、今まさにこの状況。

(ヤバい……脳内アドレナリンが加速してやがる!)


        

 声を鼻で小さく漏らすイトシィ。
 女の子の顔がこんなにも間近に向かい合っている。
 閉じたまぶた。整った睫毛まつげ
 桜桃サクランボのようにほんのりと赤みを帯びた頰に、オレの鼓動が高鳴っていくのを感じる。
 自らの両肩を横目で交互に見遣る。
 イトシィの細長い指がそっと、しかし小刻みに震えながら置いている。
 身長差があるからだろう。爪先立ちをし、差を縮めようと頑張っているようだ。
 オレは少しずつ、イトシィの高さに合わせていく。

 どれだけの時間を費やしたのだろうか。
 隣に居たケミスが「おお!」と言っていた気がするが、そんな事が気にならない程に集中していたんだと思う。
 やがて身体が離れ、口元からツゥ──と、艶やかな糸を引く。

「イトシィ。なンで、こんな事」

「……ここまでさせておいて、それ言うかな? 鈍感」

 イトシィの瞼が開いた直後、オレは違和感を覚えてしまう。

「お前、右眼が──」

「え……?」

 イトシィの右眼──というより瞳が、2つになっていた。
 謂わゆる[重瞳ちょうどう]のそれと酷似していた。
 更にオレは異変に気付く。

「なんだ? 口元が粘つく?!」

「なに……これ」

 互いの唇に、未だに途切れない唾液の糸が引いていた。

 まるで粘着質で丈夫な、
      一筋の……蜘蛛の糸。

「あれ……焦点が合わないのかな。アーモンドが2人に、ぼやけて見えるんだ。どうしよう」

「しっかりしろイトシィ!」

 右眼を手で覆い、足元がおぼつかないイトシィ。
 オレは袖で口を拭い、彼女の肩を支えるように抱き寄せる。

「怖いんだ……怖い、コワイ。
ボクの身体に……蜘蛛が沢山、ワラワラと這いずり廻るかのようで……恐ろしい」

「まさか、そんな……」

 振り払った筈の悪い予感が確信へと変化してしまう瞬間だった。

「これが……恐怖症フォビアのステージ5、なんだね……はは、震えが止まらないや」

 そしてオレは悪夢を垣間見た。

 大小様々だったが、

 イトシィが畏怖していた、

 真っ黒な蜘蛛の群れが彼女の身体を這い廻っている様を──

「離れて!」

 イトシィに突き飛ばされ、態勢を崩してしまう。
 オレは直ぐに起き上がれず、先に立ち上がった彼女をうつ伏せのまま見上げる。

 双つの瞳から雫が滴った。

「ゴメンね。二人を巻き込みたくないんだ」

「バカ! 何処に行くんだ!」

 背を向け、廊下の奥へと駆け出そうとするイトシィを呼び止める。
 纏わり付く蜘蛛どもは彼女の全身を覆い、暗黒に染めつつあった。

「短い間だったけど」

「おい……」

「学園生活、楽しかったよ……」

「ンな冗談、笑えねえから……」

「部活に誘ってくれて、ありがとう……ね」

「やめろよ」


                   

 イトシィは側の個室へ駆け込んで行った。

「待て!」

「よせ! アーモンド!」

「なンで止めるんだよ! イトシィを助けねえと……」

 立ち上がろうとしたオレをケミスが押さえ付ける。
 抗うもケミスが執拗しつように取り押えてくる為、オレは苛立ちと焦りが頂点に達してしまう寸前だった。

 刹那──

 わらわら、かさかさ、と…

 オレは不気味な物音を耳にする。

 彼女が入った個室の窓一面に蜘蛛のシルエットが無造作に群がり……覆い尽くしていった。

「イトシィ!!」

 包帯の先は、千切れてしまっていた。
 オレはただ、見届ける事しか出来なかったのだ。



【追憶:アラタ孤児院跡1階個室前】

 扉は開かない。ふちの僅かな隙間には、接着剤のような見覚えのある粘糸。
 黒で覆われていた窓は、やがて真逆の白で埋め尽くされていた。

「何が、起こってンだよ」

「……これが、[ステ5]の末路なんだよ」

 ケミスの口から聞き捨てならない発言を耳にした。

「……あ?」

「イトシィは恐らく……[蜘蛛恐怖症アラクノフォビア]の恐怖症患者フォビックだったんだ。受付に居た蜘蛛がきっかけなのか……でも元々毛嫌いしていたようだったから以前にも──ぐっ?!」

 オレは片手でケミスの胸ぐらを掴んだ。

「お前……今、何て言った?」

「何って……ステ5だって──がっ!」

 ヘッドバットをちかました。
 ライトを床に落とし、音が響き渡る。
 手加減はしたつもりだ。
 怯んだケミスを再び、今度は両手で華美なネクタイごと掴む。

「ケミス知ってるか? その略称は[]って意味合いでもあるンだ。
オレのような施設育ちに対する差別用語なンだよ!」

「アーモンド……」

「二度と言うんじゃねぇ」

 そう釘を刺し、押し返すように手放した。

「ごめん……」

 蒼白い月明かりが照らされる廊下。ケミスの額はよく見えにくかったが、赤く腫れているようだった。
 かく言うオレも今頃になって痛み出す。

「──オレこそ、悪かった。テンパってて頭回らなかったわ。っ……」

 自身の額を手で押さえる。怒りの矛先を何処に打つけりゃいいか、解らなくなっていたのだろう。
 アラタ院長の事。ブラッドマンの事。イトシィの事──
 一日で膨大な出来事が起きすぎて、理解が追い付いていない状態。結果、ケミスに八つ当たりしてしまう事態に。
 見透かしているようだから嫌いだって?
 本当に嫌いなのは自分テメェ自身だろうが!
 こんな自分が歯痒くなる。頭を……冷やそう。

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