もしも一つだけ願いが適うなら【下】

モブタツ

15(終)

  夏の長期休暇が終わり、学校が始まってから数週間が経った。夏の暑さはもうどこかに行ってしまい、秋の澄んだ空気が喉を冷やす。そんな季節になった。
  ここに来る間に花束を買い、線香とライター、花を切るためのハサミを持ち、階段を上がる。
「二人ともー!遅いよー!」
  今年十八歳になる芽衣は、俺と真紀姉ちゃんに向かって手を振る。
「芽衣は若いなぁ…」
「真紀姉ちゃんも、まだ二十一歳でしょ?」
  階段を上るのが辛い。なんでこんなに上の方にあるのだろうか。もう、本当に嫌になる。
「忍君、ちゃんと花とか持ってきた?」
「しっかりと持ってきてるよ。…二人に押し付けられた荷物達。」
「人聞きが悪いようなこと言わないでもらえる?」
「はぁ…疲れたなぁ〜」
「もう!ほんっとうに使えない弟だなぁ!」
「…弟は使われるために生まれて来たわけじゃないんだよ…?」
「つべこべ言わずに持つ!男でしょ!」
  …俺は確かに男だけど、絶対に真紀姉ちゃんの方が強いに決まっている。
「なんか言った?」
「…別に」
  心を読まれたのか、自然に言葉として出てしまったのか。
「二人とも、遅すぎ」
  落ち着いた表情で俺たちを叱る芽衣は、あの頃よりすっかりと大人になっていた。
  そして、真紀姉ちゃんとは違って大人しい、あの頃とは違う芽衣。きっとこれが芽衣の本当の性格なのだ。
「ごめんごめん!『忍君が』モタモタしちゃって!」
「真紀姉ちゃんはなにも持ってないのにモタモタしてたけどね」
「なんか言った?」
「別に何も。」
  階段を登りきると、見晴らしの良い場所に出る。そこには、父さんの墓があった。
「ご苦労ご苦労」
  真紀姉ちゃんに花を渡すと、肩をポンポンと叩かれた。
「もう…お姉ちゃん。調子に乗らないで」
  芽衣は俺の味方のようだ。
「じゃあ、忍お兄ちゃんは柄杓と水桶、よろしくね」
  そうでもないようだ。
「なんで俺が…」
「忍お兄ちゃんは男の子だから。」
  女でもできますよーだ…。なんて言ったって、きっと二人には通じないだろう。
  芽衣に言い返されてからは何も言わずに水を汲みに行く。水を持って来た頃には、花は綺麗に整えられ、線香からは煙が出ていた。
「あとは、水を入れるだけ〜♪」
  真紀姉ちゃんは謎の歌に乗って水を入れだす。
「お姉ちゃん、忍お兄ちゃんに全部話したあの日からこんな感じなんだよね…」
  芽衣はやれやれという表情で姉を見つめているが、この状況見るとどちらが妹なのか分からなくなりそうだ。
「忍お兄ちゃんと前みたいに話せて嬉しいみたいだよ」
  …こき使うくせに。
「芽衣はもう十八歳なのに、まだ俺の事『忍お兄ちゃん』って呼ぶの?」
  茶化すつもりで言ったのだが、芽衣は少し微笑んで、俺の質問に答えた。
「…あの頃の続きを過ごしているみたいで楽しいから…しばらくはそう呼ぶと思う」
「…そっか」
  そんな話をしていると、真紀姉ちゃんは水を入れ終え、三人で静かに手を合わせる。

  あの夏の日から、十年。父さんは亡くなったが、それでも、大切な人が帰って来てくれた。
  父さん。…少しだけ…今が楽しいよ。真紀姉ちゃんと芽衣と、一緒に住むことになったんだ。
  父さんの遺書にそう書いてあったからね。
  真紀姉ちゃんと芽衣のお母さん、いや、俺の母さんでもあるんだけど…。残念ながら数年前に亡くなっていたんだ。
  多分、父さんは知っていたんだろうね。
  そうでもしないと、真紀姉ちゃんと芽衣の学費をこっそりと払っていたりはしないだろうし。
  …亡くなる前に、父さんと話がしたかった。
  結局、俺が退院した後はどこにも行かなかったよね。真紀姉ちゃんが俺の前から消えてしまったから。
  今度、三人で動物園に行ってこようと思うよ。真紀姉ちゃんの絵を見てくる。
  あなたの娘が描く、素晴らしい絵を見てくるよ。

  強めに風が吹いた。真紀姉ちゃんのスカートが揺れる。
「見るなぁぁぁぁぁ!」
「…見てないし、興味ない」
「それはそれでひどい!」
  隣から「二人とも何歳だよ…」と芽衣のツッコミが聞こえたが、聞こえなかったことにしよう。
「じゃ、帰ろっか」
  真紀姉ちゃんの言葉をきっかけに、俺と芽衣も歩きだす。
  時が動きだす。あの夏の日から止まっていた時間が。
「そうだね。帰ろう」
  少しだけ華やかになった日常を過ごして行く。
  明日も、明後日も。そして明々後日も。

  今日の天気は快晴だ。雲ひとつない青空。今日の夜は綺麗な星が見れそうだ。
  流れ星は見えるだろうか。
  いや、見えなくても、お願いはしてもいいかな。
  そうだな。迷うな。

  もしも一つだけ願いが適うのなら。
  俺は今、何を願うだろうか。

「ほらー!行くよ!忍君ー!」
「忍お兄ちゃんー!なにぼーっとしてるのー?」
  …そうだな。
  今は…何もいらないかも。
「今行くよー!」
  少し先を歩いていた二人に、小走りで追いつく。
  もう、蝉の鳴き声は聞こえない。涼しい風が真紀姉ちゃんの髪の毛を揺らす。
  特別なことは何もないが、そんな今が、とても幸せだ。


                もしも一つだけ願いが適うのなら
                                                             [終]

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品