もしも一つだけ願いが適うなら【下】

モブタツ

12

  まき姉ちゃんは丸一日眠っていた。
  結局、芽衣とその母親、俺の父さんに会ったその日は目を覚ますことはなく、俺はまき姉ちゃんのことを気にしながら眠りについた。

「…くん…のぶくん……忍君ってば」
  夜。病院内は静まり返り、全ての病室の電気が消えてしまい、不気味な雰囲気が漂う中、俺は聞き覚えのある声によって起こされた。
「…ん……?」
  目をゆっくり開けると、そこにはまき姉ちゃんがいた。
「まき姉ちゃん…!」
「私…なんでこんなものつけられてるの…?」
  どうやら本人も何があったのかを理解できていないようで、呼吸器を見てかなり戸惑っている。
「不思議…さっき寝たはずなのに…まるで一日中寝ていたこの感じ…」
  面白いことを言う。ほんと、彼女は天然だ。
「…一日中、眠ってたんだよ…」
「えぇ!?」
「芽衣もお見舞いに来たし、一緒にまき姉ちゃん達のお母さんも来てた。すごい心配そうだったよ」
「私…気を失ってたの…?」
  やっぱり、おかしい。さっきまで意識が戻らなかったのに、今はとても元気だった。こんな子が死ぬなんて本当に信じられない。
「…そうみたいだね。すごい危ない状態になって…助かったのに意識が戻らなくて…それで…その………」
  事情を話しているうちに、俺は目から涙が溢れ出した。
「…だから、すごい心配した。」
  元気だから、絶対にまき姉ちゃんは死なない。そう信じている。でも、今は、心から意識が戻って良かったと思う。
  涙が止まらない。良かった、本当に良かった、もしこのまま死んでしまったら、別れの挨拶ができないから。
  やっぱり、心のどこかには「まき姉ちゃんは死んでしまう」と思っている自分がいるのかもしれない。
「…ありがとうね」
  まき姉ちゃんは、そっと俺の頭を撫でた。
「…え?」
「きっと忍君がいなかったら、私は今頃死んじゃってた。だから、ありがとう」
「…ううん。僕は何もしてないよ」
  そうかなぁ、と言いながら、なぜかまき姉ちゃんは窓のカーテンを開けた。
「…今日はすごい星が綺麗…」
  数秒空を見上げた後、こちらを向き、笑顔で手招きをした。
「こっちに来て、一緒に見よ?」
  優しく微笑んだその笑顔にいつもの元気はなく、まき姉ちゃんが衰弱している様子が伝わって来た。
「…星?」
「そう。星!綺麗だよ!ほら!」
  無邪気に指を指すまき姉ちゃんに吸い寄せられ、俺は窓の外に目を向ける。
  そこには、今まで見てきた夜空の中で、一番綺麗な空が広がっていた。ほんの少しだけ離れた商店街以外、周りに明るい建物はないため、夜空の星々ははっきりと見ることができたのだ。
「綺麗…」
  まき姉ちゃんは、黙ってゆっくりと指を指した。
「あそこに、オリオン座があるでしょ?」
  学校で習った、中央に三つの星が並んでいるのが目印の、その星を、俺は見つけた。
「あの星ってね、8月になると消えちゃうの。どうしてか分かる?」
  学校ではそこまでは習わなかった。
「…分かんない。なんで?」
「8月に入ったばかりの時にね、『サソリ座』っていう星が出てくるんだ。オリオンさんが、昔、サソリに刺されて死んじゃったから、今でもサソリ座が出てくると、オリオン座はいなくなっちゃうんだってさ」
「ふーん…初めて知った…。じゃあ、あれは?」
「あれはね…」
  その後も、俺とまき姉ちゃんは星を眺め続けた。七夕を4日後に控えていた、その日の夜空には天の川が広がっていた。
「ね、ねぇ!あれ、流れ星じゃない!?」
  まき姉ちゃんが見つけ、大声で指を指す。
「ど、どこ!?」
  流れ星なんて見たことがなかった俺は必死になって探した。
「あそこ!あー…消えちゃった…」
  がっくりと肩を落としたその時、今度は俺が流れ星を見つけた。
「あ!あった!あそこ!」
  その日の澄み切った夜空は、翌日ニュースになる程に綺麗だった。

「僕、手術を受けることになったんだ」
  10分、20分くらいだろうか。俺はまき姉ちゃんと星空を眺めた後、父さんから聞いた言葉を思い出し、打ち明けることにした。
「…手術…」
  まき姉ちゃんの表情は暗かった。なぜあの時、まき姉ちゃんが暗い表情をしていたのか。それは今でもわかっていない。
「まき姉ちゃんが…頑張ってたから」
「…?」
「まき姉ちゃんが…生きようって頑張ってたから。だから、僕も手術頑張ろうって思ったんだ」
「…そうなんだ…。きっと、大丈夫だよ!成功するって!」
  きっとまき姉ちゃんは、何かを知っていた。もしかしたら、俺が入院した理由を。もしかしたら、自分が死ぬということを。もしかしたら、俺が手術を受けないといけない理由を。
  でも、まき姉ちゃんは何も言わなかった。教えてくれなかった。
「忍君の手術が成功しますようにぃ〜…」
  綺麗な夜空に浮かぶ星に手を合わせ、目を瞑り、まき姉ちゃんは祈ってくれた。
  だから、俺も願った。
『…まき姉ちゃんの病気が治りますように』
  声には出さなかった。また「治らないよ」なんて言われたら、叶う願いも叶わなくなってしまうかもしないから。
「…ありがとう」
  俺のために祈ってくれたまき姉ちゃんに、俺は前を見たまま、静かに感謝の気持ちを告げた。
「…忍君」
  隣から声がしたのでまき姉ちゃんの方を見ると…ネックレスを手に持ち、目を瞑っていた。
「あのね、ずっと言いたかったけど…言えなかったことがあるんだ」
  目を開け、ニッコリと笑った。
  笑っているのに、なぜか目からは涙が出ていた。
「私と一緒にいてくれてありがとうね」

  これが、まき姉ちゃんの最後の言葉だった。

  7月6日。まき姉ちゃんと星空を眺めた日の翌朝、俺は手術を受けた。
  朝、まき姉ちゃんは目を覚まさなかったので話すことはできなかったが、俺は彼女の姿を目に焼き付け、手術に臨んだ。
  手術は成功したらしい。後から聞いた話だが。
  それでも、俺はその日に目を覚ますことはなかった。
  目を覚ましたのは3日後の朝。一緒に商店街を周ってくれた看護師のお姉さんが隣で何かの作業をしている時、俺は目を覚ました。
「忍君!よかった…手術は成功したのよ。しばらく目を覚まさなかったから心配したよ…」
  体がとても重かった。起こすことができない。
  そうだ。まき姉ちゃん。
  俺は左に視線を向ける。

  そこにまき姉ちゃんはいなかった。

「…まき姉ちゃんは…?」
  看護師は、答えなかった。辛そうに、目をそらし、涙を堪えながら、黙っていた。
「ねぇ!まき姉ちゃんは!なんでいないの!」
  まき姉ちゃんのクラスメイト達から送られてきたと思われる千羽鶴はどこかに処分され、ベットは綺麗に整頓され、窓際にいつも置いてあったスケッチブックは無くなっていた。
  まき姉ちゃんがいた形跡は、跡形もなく消えていたのだ。
「…忍君。まきちゃんが…手術が成功したら、これを渡して欲しいって。」
  看護師から渡された、紙切れ。最初は手紙なのかと思った。長方形の色紙には一行で文字が書かれていた。その紙を見て、それが七夕の短冊だということが分かった。
  そこには、まき姉ちゃんの本当の思いが書かれていたのだった。

『大人になっても忍君と一緒にいられますように』

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